第十二章 女神の真実(二)
自邸で一夜を明かした俺は、明くる日、早々に王宮を訪れてアレス陛下に謁見を賜ることにした。
久しぶりに陛下とアスティア様の尊顔を拝することがかなうと思えば自然と足取りもはずむ――と言いたいところだが、王宮に向かう俺の足取りはけっこう重い。
なにしろこちらは魔人やら魔剣やら邪教やらの厄介事を山と抱えて戻ってきた身、気分は謁見というより出頭なのである。
ウィンディア王国にいるのはアレス陛下やアスティア様、イワン宰相のように寛大な方々ばかりではない。
カリスの一件でセルディオ=ランゴバルド王国とつながりができ、さらには蓬莱で陛下と並ぶ『魔人殺し』の称号を得た俺に対し、厳しい視線を向けてくる者は少なくないだろう。
それだけではない。
もともと、俺は王国の財政を握るズゥライト商会と浅からぬ関係にあり、商人の台頭を快く思わない一部の人間から白い目で見られることが多かった。
そんな俺が山のような難事を抱えて戻ってきたのだ。今回の一件を聞いた彼らの反応を思うと、知らず背筋にいやーな汗が流れてしまう。
なにしろ今述べた「一部の人間」の中には、れっきとした王族も含まれているので……
と、そんなことを考えている間に王宮前に到着。
見れば、まだけっこう早い時刻だというのに謁見を望む人々が列を為している。
正規に謁見の約束を取り付けた相手を外で待たせるはずはないから、ここにいるのは何の約束も伝手もなしに王宮を訪れた人たちだろう。つまりは身分の低い者、貧しい者だ。
事実、こうして見るかぎり粗末な服を着た農民風の男性が多い。秋は主要作物の収穫時期にあたり、必然的に税金や年貢といった頭の痛い言葉が多く飛び交う季節である。不作にともなう税の免除、ないしは軽減を求める人々が列を為すのは毎年の恒例行事といってよかった。
いちおう俺は山岳騎士であるから、列をつくる人々を尻目にさっさと進むこともできる。
だが、さすがに休職中の身で特権を振りかざすのは気がとがめた。別に百人、二百人と並んでいるわけでもなし、素直に列の後ろに並ぶことにしよう。
俺はそう考え、実際にそのようにしたのだが――
「めっちゃ居心地悪い……」
他人の耳に入らないようにぼそりと呟く。
並ぶ前から分かってはいたが、列の進みは非常に緩慢だった。
これはひとりひとりが城門のところで長く訴えるためで、時には哀訴や怒号まで聞こえてきて、まがりなりにもこの国の騎士である俺にとっては心臓に悪い時間が続く。
ウィンディア王国はアレス陛下のもとで安定した治世を築いているが、それはすべての国民の不満や貧困を解消できることを意味しない。
税のあれこれはもとより、過酷な冬に備えての食糧援助や徘徊する野獣や魔物の排除など、国の助力を求める人々が絶えることはなく、王国側がそれらの訴えを無条件で容れることもない。
なぜといって、それをすれば必要な人員や予算が今の数倍に膨れ上がってしまうからである。
結果として、どうしても国の庇護を受けられない人々が出てきてしまう。
これは仕方のないことだったが、当人たちがそれで納得できるはずもなく、こうして悲痛な声が王宮前に響き渡ることになるのだ。ああ、胃が痛い。
……まあもっとも、中には収穫物を村ぐるみで隠匿して不作と言い立てたり、わざと子供にボロ雑巾のような衣服をまとわせて貧しさをアピールしたりして、とにかく少しでも税を逃れようとする不届き者もいたりするので、目の前の光景がこの国の実情をあらわしているかと問われれば、それも少し違ったりするのだけれど。
税を取り立てる側と取り立てられる側の仁義なき戦い――壮絶な化かし合い――はどこの国でも熾烈なのである。
俺も北の開拓村に住んでいた頃は、税と称して事あるごとに金銭や食糧を巻き上げようとする役人たち(ウィンディア王国とは違う国の役人である)に色々と反抗したものだ。
その俺の目から見ると、この場で本気で窮状を訴えている人間は十のうち二、三といったところ。これを多いとみるか、少ないとみるかは人によるだろうが、十のうち八、九が困窮していた俺の故郷に比べれば、はるかにマシであるのは間違いなかった。
そんなことを考えながら、なんとはなしに後ろを振り返ると、すでに俺の後ろにもぽつぽつと人が並び始めていた。
悲壮な顔つきで睨むように前方を見据えている者や、同行者と談笑している者など様子は様々で、中にはシルル教団の神官も混ざっている。
それを見た俺はちょっと驚いた。
これまでも何度か述べたが、大陸北部ではシルル教団の威光が弱い。ただ、それはあくまで教団の影響力が強い南部に比べればの話であって、教団や信徒が迫害されているわけではない。
むしろ、神官や教会騎士のように奇跡(神聖魔法)を扱う人間が滞在するのは国にとってもありがたいことなので、王国政府はそういった人々に様々な便宜をはかるのが常だった。
シルル教団の人間であれば前もって謁見の約束を取り付けることは難しくないし、緊急と称して王宮に押しかけても門前払いされることはまずないだろう。
ようするに、わざわざ列に並ぶ必要はない、ということである。
自然、俺の視線はその神官に向けられた。
白を基調とした神官服に、大きめの帽子。背丈は低く、俺の胸くらいまでしかないだろう。おそらくは小柄な女性、というか子供――
「……んん?」
妙に見覚えがある姿に目をこらす。いやまあ、神官服や帽子なんてどれも似たり寄ったりだから、他人の空似という可能性もなきにしもあらずだが、それを踏まえても俺が知っている人物に酷似していた。
と、こちらの不躾な視線を感じ取ったのか、つと神官の視線が俺の方へ向けられる。
宝石のような色合いの緑の双眸と正面から目が合う。
俺と少女の口から同時に驚きの声が発される、その寸前。
「あ、あれー? なんでテオがこんなところにいるの?」
遅れて現れたイズのすっとんきょうな声が、俺と少女の間に割って入った。
◆◆
「ふわっはっはっは! イワンの奴からおぬしが戻ったことは聞いておったが、まさかシルル教団の教こ……げふんごふん! ではなく、一風変わった友人たちを連れて来るとは思っておらなんだ! あいかわらずのようで嬉しいぞ、テオよ」
ウィンディア王宮の一室に野太い笑い声がこだまする。
アレス陛下は愉快愉快と手を叩きながら、赤いひげを震わせ、再度哄笑を発した。
案内された場所が謁見の間ではなく陛下の私室だったのは、話の内容や連れて来た人物の素性など、色々と他聞をはばかる事柄が多かったからだろう。
みずからの配慮をみずからの笑い声で台無しにしかけるあたり、陛下もかわりないようで何よりである。
それはともかく。
「陛下、あいかわらず、とはどのような意味でございましょうか」
うやうやしく半眼で問いかけると、陛下はあごひげをさすりつつ、すまんすまんと笑った。
「いやなに、あいかわらず人の予測の範疇にとどまらない奴だと思ってな。その様子では、旅をしていた間もさぞ周りを振り回しておったことだろうて」
「……陛下、人のふり見て我がふり直せ、という言葉をご存知ですか? 他山の石、でもけっこうですが」
「む? 両方とも知っておるが、何故に今それを問うのだ?」
「さて、どうしてでしょうか。ふと頭の中に言葉が湧いて出ましたので」
不思議そうに目を瞬かせる国王に対し、俺はしれっとした顔で応じる。まさか国王陛下に面と向かって「お前が言うな」とはいえないので、精一杯婉曲的に訴えてみました。
よその国であれば不敬罪に問われかねない物言いだったが、私室でのやりとりであれば大丈夫だろう、たぶん。
そう考えた俺は礼儀ただしく話題を変えた。
「それについては後のことといたしまして、まずは臣とシルル教団の間で起こった出来事を説明いたしたく存じます」
「ふむ、ならば早速に――と言いたいところだが、その話、半刻やそこらで終わるものではなかろう? 今日も今日とて謁見やら視察やら会議やら、公務が目白押しでな。今から話を聞いていては政務に支障をきたしてしまう」
陛下は渋面で腕を組む。
七面倒くさい公務なんぞは放り出し、酒と女と戦いに明け暮れる荒くれ者――噂や外見から陛下をそう判断する者は少なくないし、実際にその気がまったくないかと問われると言葉に詰まるが、単純な事実として、陛下がわがままや気まぐれで国事を滞らせた例は絶無である。
――まあ、イワン宰相に政務を丸投げして城下に酒を飲みに出かけた例はあったりするのだが(俺も付き合わされた)それによって政務に支障をきたした事実はないのでセーフ。
その後、妓館にしけこんで朝帰りとなり、王宮に戻るや角を生やした王妃が特大の雷を落とした例もあったりするのだが、これはフォーセイン家内部の家庭騒動、つまり国事ではないのでセーフ。
なお、国王が予告なしに不在となった王宮の様子はどうだったかといえば、アスティア様が無言で玉座の間に詰めていたため、廷臣はまったく動揺することがなかったそうな。なので、これまたセーフ。
まあそんな過去の出来事はさておき、今の状況をどうするのか。陛下は睨むように空中の一点を見据えながら言葉を続ける。
「夕刻になればアスティアも西方国境から戻ってくるはずだ。教皇殿にしても、同じ話を二度も三度もするのは手間であろう。どうであろう、話はアスティアが戻ってからまとめて、ということでは? むろん、話の内容が寸刻を争うものであるなら、今この場でうかがうことに何ら問題はない」
陛下の提案を聞いて、俺とイズがちらとスーシャの様子をうかがう。
教皇は陛下の申し出に落ち着いた物腰で応じた。
「前触れもなしに押しかけた挙句、こちらの都合に合わせろと強いるのはあまりに無礼と申すもの。貴国の公務を妨げるつもりもありません。神アスティアに確認をとりたいこともございますし、王のお指図どおりにいたします。夕刻にもう一度王宮を訪ねるということでよろしいでしょうか?」
「そうしていただけると、こちらも助かる。それと、わざわざ外に出ずとも王宮の一室を提供するので、そちらで疲れを癒してくだされば――」
スーシャに応じた陛下は、その途中でふと何かに気づいたように俺を見た。
次いでもう一度スーシャを。
往復する視線の意味をはかりかねていると、陛下が笑いをこらえるような妙な表情を浮かべた。
「いや、シルル教団の教皇殿と勇者殿がそろって我が国を訪れたと知られれば、廷臣たちが我先にと押しかけ、お二人は休むどころではなくなってしまおうな。それよりも気心の知れた者のそばにいた方がよろしかろう。そういうわけでテオよ、おぬしに客人二人の接待を命じる。夕刻まで私邸で二人をもてなし、お二人が望むなら王都の案内でもしてさしあげよ」
「御意」
休職中の騎士が接待役というのはいかがなものか、と思わないでもなかったが、城内にいれば休むどころではないという陛下の言葉はもっともだったので、俺は素直に命令を了承する。
それに、結婚関連でスーシャときちんと話す時間が欲しかった俺にとって――どのあたりまで公表するのか、とかそういったこと――陛下の言葉は渡りに船でもあった。
そんなことを考えつつ顔をあげると、なにやら悪戯小僧のような表情を浮かべる陛下と目が合う。
先にウィンディアを訪れたウルクやフレアを通して、これまでの経緯はだいたい陛下にも伝わっているはずだが、さすがに俺と教皇が結婚の約束を交わした、なんて話をあの二人が口にしたとは思えない。
したがって、陛下がそのことを知っているはずはないのだが――
獅子を思わせる風貌をにやにや笑いで覆っている主君を見ていると、そのあたりをまるっと見抜かれているような気がして仕方ない。
ここはさっさと撤退するにしかず。そう考えて退出しようとしたが、一つだけ気になることがあったので、去り際に陛下に問いを向けてみた。
「陛下、アスティア様は何ゆえ西方国境へ? もしやまた魔軍が動いたのですか?」
ウィンディアの西にはエルフ領であるセラの樹海がある。セラのエルフたちはウィンディア王国と友好関係を築いている上、先ごろの魔軍との戦いで大きな被害が出ているので、彼らとの間でいざこざが起こる可能性はきわめて低い。
となると、アスティア様がわざわざ竜を駆って西に飛ぶ理由は魔軍の再侵攻くらいしか思い浮かばなかった。
今、セラにはウルクとフレアの二人もいるはず。もし魔軍が動いたのなら助勢せねば――そう思って投げかけた問いに対し、陛下はあっさりと首を縦に振った。
「正確には魔軍が動く前触れがあった、ということになる。近頃、長城付近に鬼族が頻繁に姿を見せているという報告があってな。山岳騎士団からも、ガルカムウ山中における大型種の移動が数例報告されている」
そこで陛下は一度言葉を切ると、あごひげをしごきながら目を細めた。
「アスティアが西に飛んだのは、魔物の動きの詳細を掴むためだ。彼奴らが長城に押し寄せてくる分にはこれを撃退すれば済む。だが、先ごろの侵攻のように長城を迂回してセラの樹海を強襲することも考えられる。エルフたちは蓬莱軍の侵攻に備えて兵の大半を南に割いておるはず。そんな状況で北から魔物どもの再侵攻を受ければひとたまりもあるまいて」
そうしてセラが魔軍の手に落ちてしまえば、ウィンディア王国は再び北と西の双方に敵の脅威を抱えることになってしまう、というわけか。
なるほど、と俺は納得した。先のセラ侵攻や蓬莱騒動に魔人が絡んでいた以上、今回の不穏な動きにも魔人が一枚かんでいる可能性がある。アスティア様が動くのも納得がいった。
アスティア様が西方国境に留まらず、王都に戻ってくるということは、そういった危惧はすべて杞憂だったと考えたいところである。
しかし、この国で楽観論は禁物だ。事が魔物に関わる場合は特にそう。
吉凶いずれに転がるか分からない場合は大凶に備えておく、ウィンディアではそれくらいがちょうどいいのである。
――なお、夕刻になって王城に戻ってきたアスティア様はウルクとフレアの二人を連れており、その二人はエルフ族と蓬莱国との間で不可侵条約が締結されたという吉報を携えていた。
これだけ見れば大凶どころか大吉である。聞けば、新たに蓬莱の左丞相となった朱鷺国佐が行っている新政策の一環だそうで、伏姫主導で行われていた排外主義の是正を目的としたものであるらしい。
実際にセラの樹海を訪れたのは国佐ではなく、国佐の下で働いている斑鳩九郎であったというから、蓬莱人にとって仇敵であるエルフとの和平に骨を折ってくれたのは九郎なのだろう。
繰り返すが、最悪を想定していた俺にとって、この報せは大凶どころか大吉だった――ここで終わっていれば。
セラの樹海を訪れた九郎は、何の意図があったのかよくわからんが、蓬莱における俺の活躍(?)を事こまかにエルフたちに告げたらしい。その後、自身の署名が入った婚姻の書を示すことまでしたという。
白精樹でユーベルを退けた俺は、いちおうエルフたちにとって恩人ということになっている。だから、九郎としてはエルフたちの信頼を得るための一手だったのかもしれない。
それはわかる。わかるのだが、アスティア様たちが戻る少し前に、スーシャとイズにカリスのお腹の子のことをカミングアウトしたばかりの俺にとって、九郎の行動はタイミングが悪いとしか言いようがなかった。
傍から見た場合、俺はランゴバルド王国から下賜されたカリスに即日手をつけ、その後、蓬莱におもむくや、そこでも九郎を口説き落として婚姻の書を渡したことになるわけで、どう贔屓目に見ても異性に対して誠実とは言いがたい。
まあ、花嫁の数で王位を競う催しに参加している時点で「異性に対する誠実さ」とは縁を切らざるを得ないわけだが、それにしたって手が早すぎるだろうという話である。
おかげで陛下には大笑いされるわ、アスティア様にはため息を吐かれるわで散々だった。
他にも、スーシャとウルクには可愛く睨まれるし、イズには眉をひそめて真剣な口調で注意されるし、フレアにいたっては道端の石ころでも見るような目つきで俺を見ていた。
いくら最悪に備えるとは言っても、この状況を予測するのはさすがに不可能である。
俺は天を仰いで嘆息するしかなかった。




