③-1 アンリ・シャルティエ伯爵令嬢
「マカロンが食べたい」
そう呟くのはアンリ・シャルティエ伯爵令嬢。貴族が通う王立学園の寮にある自室で溜息をついていた。
もう三か月はマカロンどころかお菓子も食べていない。そろそろ禁断症状が出てくるころだ。爪を噛み、目が血走っている。
彼女は有能な騎士を多く輩出する名門シャルティエ家の由緒正しき令嬢である。
令嬢であるが例に漏れることなくアンリも騎士を目指し、現在学生でありながら王宮騎士団の騎士見習いでもあった。
学園では同学年に王太子殿下が在籍しており、学園内の護衛として末席ながらアンリも名を連ねている。王太子殿下には卒業と同時に隣国の皇女殿下が輿入れされることが決まっている。そしてアンリはその皇女殿下の側近兼護衛に内定している。そのため放課後は毎日登城し演習に明け暮れていた。たまに王妃様のお茶会の護衛に駆り出されるときもある。
王妃様の私的なお茶会とはいえ騎士見習いが護衛につくなど通常ありえない。厳格と名高い王妃様が職権乱用してまで傍に置きたがるほどアンリは見目麗しかった。騎士姿が男装の麗人としてありえないほどモテた。女性たちから。
そして隣国はこの国よりも格上である。その第一皇女殿下が輿入れされるなど普通ない話なのだが、噂によるとアンリを側近兼護衛として就けてくれるなら輿入れしてもいいと皇女殿下側から打診してきたとかしてないとか。
艶やかで真っ直ぐな黒髪をうなじで一つに束ね、片側に流している。藍色の切れ長なアーモンドアイはミステリアスなアンリの雰囲気を引き立てた。少し高めの身長に女性騎士らしいしなやかな体躯。レイピアが良く似合う。
もちろん伯爵令嬢としてドレスを纏って夜会に出席することもある。飾り立てられたその姿は妖艶で美しく、騎士姿とはまた違った人気がある。女性たちから。
どこに行っても女性に囲まれる。
彼女たちのパワーはすごい。アンリが猫を見て「かわいい」と一言言えば、猫の刺繍入りのハンカチ、猫の装飾が入ったペン、猫が主人公の小説などなど猫にまつわる全てのものが差し入れされる。
差し入れは直接手渡されることもあれば、アンリの机や寮の部屋前に積まれる。
気持ちは嬉しいが、正直処理が大変なので差し入れは断ることになった。彼女たちは時に暴走してしまうが普段はルールに従順だった。だが差し入れ禁止にしたことはあまり良くなかった。
彼女たちの溢れんばかりの情熱は『差し入れ』という行為である程度は満足して消化することができていたのだ。だがそれができないとなると、情熱は燃え上がる一方。
アンリの一挙手一投足が観察され、情報共有され、私生活が一切なくなってしまった。
ある日食堂のランチでサラダに入っていたコーンが一粒残ってしまったとき、もうその日の放課後にはアンリはコーンが嫌いと学園中に広まっていたのだ。そのせいでアンリが出席する夜会にはコーンが入った軽食が出されることはなくなった。アンリはコーンが好きなのに。
それ以降アンリは食堂でランチボックスを用意してもらい、王太子殿下の許可を得て生徒会室で昼休憩を過ごすようになった。
もしも彼女たちにアンリの大好物がマカロンだと知られてしまったら。
きっと王都中のパティスリーにマカロンの注文が入るだろう。彼女たちは暴走して差し入れ禁止のルールを破ってマカロンをあの手この手で渡してくる。
もう長いことマカロンを食べていないアンリは想像しただけでニヤけてよだれが出てくる。
だが大量のマカロンを一人で消費するのは大変だ。もらったものを横流しするわけにはいかない。
それにアンリは好物はちまちま楽しむことが好きなのだ。大量に食べたいとかは思わない。
美味しい、もっと食べたいと思う程度に抑えるのがアンリの美学である。
それにもう一つ、マカロンが好きだと知られたくない理由があった。
マカロンのような甘くて可愛らしいものが好きだと知られたくなかった。
学生でありながら王宮騎士団の騎士見習いとなり、未来の王太子妃の側近護衛にも内定している。
自分の見目の良さも、孤高の存在であることも理解しているし、そんな自分を気に入っている。
そんなアンリ・シャルティエの好物が『マカロン』というのはイメージとかけ離れているだろう。なのでお菓子全般が苦手と公言している。
実家に帰ればマカロンを用意してもらえる。次に実家へ帰るのは再来週の王宮舞踏会のときだ。今回は令嬢として出席するためドレスの身支度は侍女たちに手伝ってもらわないといけない。
いつもなら当日の午前中に帰るが、今回は絶対前日に帰ると決めた。絶対にパティスリー・エヴァンスのマカロンを全種類用意してもらって一個ずつ毎食後のデザートに出してもらってちまちま楽しむのだ。再来週まで我慢すればマカロンが食べられる。そう念じて禁断症状を抑え込む。とりあえず心を落ち着けるために家令に手紙を書くことにした。夜会の前日に帰るからいつも通り必ず用意しておくようにと。
いつもミステリアスな空気を漂わせているアンリが最近ではアンニュイな雰囲気も纏っていた。それがなんとも言えない色気となっており、女生徒たちの熱のこもった溜息はとまらない。
なにか言いたげな表情で見つめられたと話す女生徒が何人かいた。いつもは静かに微笑む程度のアンリが悩まし気な顔で見つめてきたのだ。ただ事ではない。
アンリは再来週実家に帰ればマカロンが食べられるとわかっているものの、どうしても我慢できなくなっていた。秘密を守ってくれそうな口が堅そうな女生徒にマカロンを調達してもらえないか相談しようかと思ったほどだ。その思案する顔がたくさんの誤解を生んだ。自分で買いに行きたいが、アンリの行動は常に女生徒たちから熱い視線で監視されているようなもの。八方塞がりだった。
悶々としながら生徒会室でいつも通りランチボックスを食べていた。いつもは一人だが珍しく早めに昼食を終えた王太子やその側近たちが生徒会室にやってきた。誰かと予定があるようだ。
アンリは王太子の学園内の護衛の末席に名を連ねているので王太子の許可さえあれば生徒会室を普段から使用できる。とはいえアンリ自身が女生徒であるため実際に護衛につく機会は稀である。
そんな生徒会室に一人の来客があった。
サリナ・ベーン子爵令嬢である。彼女は才女として有名で、子爵令嬢でありながら王太子の相談役であった。
「殿下、ご機嫌麗しゅう。先日ご相談いただいた件の資料ができました。お時間よろしければお目通しいただけますか?少々難しい利権が絡んでおりまして、先手を打ったほうがいいかと。その旨、殿下のご意見いただきく存じます。」
はっきりとした口調で殿下に意見を述べる姿は学園に通う子爵令嬢とは到底思えない。まるで文官、いや大臣のようだ。
「うん、さっそくの対応ありがとう。さすがサリナ嬢だね。すぐに読むよ。マルス、彼女にお茶を。かけて待ってくれたまえ。」
「お心遣い、痛み入ります。」
そういってサリナはアンリの近くの椅子に座った。側近のマルスが流暢な手つきでお茶を入れている。
今まで何度か王太子絡みで話したことはあったが、サリナから他の女生徒たちのような熱は感じたことはなかった。だが今日は少し含みを感じる視線を向けられる。
「アンリ様、お食事中に失礼いたします。少しご相談がございまして・・・」
「サリナ嬢久しぶりですね。ええ、構いません。私がお力になれることであればなんなりと。」
「実は本日の放課後エミリア様のお茶会に出席予定だったのですが、婚約者のヘンリー様にカフェに誘われたのです。お茶会のほうが先約なのですが、ヘンリー様が私のためにカフェの予約までしてくださったのでどうしても無下にできなくて・・・。」
「はぁ・・・それで?エミリア嬢のお茶会はどうされるのです?」
サリナ嬢にしては珍しく話の着地点が見えない。なんだかはっきりしない含みのある言い方に思う。いや、ただの惚気か?
「なので、私の代わりにアンリ様にご出席いただけないかと思いまして。小耳に挟んだのですが本日の王宮騎士団の演習はお休みになったんですよね?騎士団長様のご都合で・・・。」
ぞくりと背筋に寒気が走る。なぜ彼女が王宮騎士団のスケジュールを知っているのか。今日はたしかに急遽演習は中止となり休みになったと連絡が入ったが、騎士見習いのアンリにはその理由までは知らされていない。休みになったことを知っているだけでも情報漏洩が疑われるが、その理由まで知り得ているなどあり得ない。
「・・・ええ、たしかに今日の騎士団の演習は休みとなりました。ですが、呼ばれてもいないお茶会に急に参加するなどさすがに無作法では?しかもエミリア嬢主催のお茶会を欠席など角が立つでしょう。」
エミリア公爵令嬢の機嫌を損ねたら存在自体この国から消されるのは貴族の間では周知の事実である。
だがエミリアがアンリの信奉者であることは有名なので、欠席の穴埋めにアンリを差し出すつもりなのだろう。アンリは騎士団の演習や仕事を理由にお茶会に出席したことがない。そのため代わりの出席であろうとエミリアは狂喜乱舞するだろう。
しかしいくらサリナが王太子の相談役であろうと、才女として有名であろうとめんどくさいお茶会に代わりに出席してやる義理はない。アンリはお菓子が苦手と公言しているため、目の前にお菓子が並んでいるのに食べられないのは辛すぎる。特に今は禁断症状がでるくらいお菓子を欲しているのだ。絶対に参加したくない。
しかも理由は婚約者とデートに行きたいからなのだ。まだ婚約者のいないアンリからしたら面白くない。男装の麗人と持て囃されようとアンリだって女の子。この状況は面白くない。
「いえいえそんな。エミリア様は寛大な方にございますので、きっと婚約者からの誘いを無下にしてはいけないとお許しくださいますわ。ですがせっかくご準備してくださったお茶会の席を空けるのは申し訳なく思いまして、アンリ様にお声がけさせていただきました。それにアンリ様にとっても悪くないお話だと思いますよ?」
貴族令嬢らしく優雅に微笑む。だが視線には鋭さが含まれていることに気づき、冷や汗が流れる。騎士として子供のころから鍛えられてきたアンリが一介の子爵令嬢の視線に臆するわけがない。だがサリナの鋭い視線はどこか百戦錬磨の軍師のような怖さがあった。
「私にとっても悪くない話ですか。それはありがたいですね。ですが申し訳ございません。騎士団の演習が休みになったとて、私のような騎士見習いは鍛錬を疎かにはできません。なのでお茶会には参加できないんです。」
エミリアともサリナとも正直お近づきになりたくないのが本音である。騎士として重きを置いてきたアンリにとって令嬢同士の駆け引きは難しい。それにマカロンの禁断症状が出ているアンリに、令嬢たちの衆人環視のもと目の前に並ぶお菓子を平然とやり過ごす自信がない。
「そうでございますか、大変残念です。エミリア様の本日のお茶会の手土産はパティスリー・エヴァンスの新作マカロンだったのですが仕方ありませんね。」
アンリに衝撃が走る。サリナは今、マカロンとはっきり言った。
しかもエヴァンスの新作マカロン。あそこは老舗であるためあまり新作は出さない。マカロンに至っては一年に一回、期間限定。しかも同じ味は二度と販売されない。サリナは3年前に食べた栗味のマカロンが今でも忘れない。
それよりもなぜサリナはわざわざマカロンが手土産だといったのだろう。まるでアンリの好物がマカロンと知っているかのようだ。しかもエヴァンスの名前までだした。これは何か知っている。
動揺からなにも発せられないアンリにサリナは畳みかけるようにさらに言った。
「新作といっても以前に期間限定で出された栗味らしいんですがね?料理長がマカロンに合う栗を見つけたとかで試行錯誤を重ねて再販されることになったみたいです。でもその栗は極東でしか手に入らない品種のようでお得意様にしか販売されないそうです。エミリア様のお力がなければきっとお目にかかることすら難しいでしょうね。」
サリナが紅茶を一口飲む。令嬢らしい完璧な所作だ。
夢にまでみたエヴァンスの栗味マカロン。あのときですら至高の一品だと思ったのにそこからさらにアップグレードしたと?目が血走る。思わず爪を噛みそうになって、寸前で止めた。ごくりと唾を飲み込む。
サリナがなぜアンリの好物がマカロンだと知っているのかはわからないが、渇望していた栗味マカロンをやすやす見逃すわけにはいかない。アンリ・シャルティエの矜持にかけて。
「・・・あー。エミリア嬢には普段からお気遣いいただいていましてね。お茶会をいつもお断わりするのは心苦しかったのですよ。鍛錬は別日に行えば問題ないでしょう。せっかくの機会なので代わりに出席しますよ。」
「まあ!本当でしょうか?急なご相談でしたが、ご検討いただきありがとうございます。さっそくエミリア様にご報告させていただきますね。」
「ええ。エミリア嬢によろしくお伝えください。・・・あの、サリナ嬢はその、えーっと」
どこで誰からアンリがマカロンが好物だと聞き及んだのか尋ねようとしたが、別にサリナはアンリがマカロンが好物と知っていると言ったわけではない。ただ今日のお茶会の手土産はエヴァンスの新作マカロンだと言っただけだ。聞き方によっては墓穴を掘るかもしれない。
「なぜ・・・私にとっても茶会に参加するのは悪くない話だといったのですか?」
「なぜって、エミリア様のお茶会というのはこの国の令嬢にとっては夢のようなお誘いでしょう?アンリ様は普段王宮騎士団のお仕事でお忙しくされており、出席されたことがないと伺いましたので。悪い話ではないですよねぇ?」
サリナはにっこりと微笑む。その笑顔には先ほどの鋭さは感じない。
「そ、そうですね。お声がけいただきありがとうございます。」
これ以上は言及できない。騎士の勘がこれ以上深入りするなと警告する。
「お食事中に長々とご相談してしまって申し訳ございませんでした。そろそろ殿下も資料を読み終えるころかと思いますので、ごゆっくりなさってくださいね。」
「サリナ嬢。待たせたな、たしかにこの件は・・・」
殿下がサリナに声をかける。
サリナはアンリに一礼して殿下のほうへと向かった。
アンリはどっと疲れて、こっそり椅子に体を預ける。
会話の途中サリナに向けられた百戦錬磨の軍師のような視線が脳裏をよぎる。
ぶるっと身震いする。きっとなにかの勘違いだと自分に言い聞かせる。
マカロンのこともたまたまだろう。そうだ、きっとそうだ。
マカロンの神様が普段よく頑張っているアンリにご褒美を用意してくれたのだ。
うんうん。そうだそうだ、マカロンの神様ありがとう。
アンリの脳内はもう栗味マカロンでいっぱいになっていた。他のことなどもう考えらない。
楽しみすぎて表情管理できていないことにすら気付かない。久しぶりのマカロンの味を想像してにんまりとほくそ笑んだ。




