①-1 サリナ・ベーン子爵令嬢
「おはよう、サリナ。今日の放課後、街へいかないか?新しく出来たカフェの予約がとれたんだ!」
婚約者に朝の挨拶とともにデートへ誘うのは建国から代々続く由緒ある侯爵家の嫡男ヘンリー・スルース侯爵令息である。焦茶の髪にセピア色の瞳、気品ある立ち姿。が、中身はちょっとアホ。良いやつだけどちょっとアホ。以上。
「おはようございます、ヘンリー様。お誘いいただきありがとうございます。ですが、申し訳ございません。本日の放課後はエミリア公爵令嬢のお茶会に呼ばれておりまして・・・さっそくですがカフェはまたの機会に。
以前にもお伝えいたしましたが、事前に予定を確認いただけますと幸いです。念のため私の直近のスケジュールを簡潔にお伝えいたしますと来月の中頃まで埋まっておりますので悪しからず。詳しいスケジュール内容を知りたいとのことでしたら我が家の家令であるロンにお申しつけください。」
立ち止まることもなく、視線を合わせることもなく、歩きながら淡々と話すのはヘンリーの婚約者であるサリナ・ベーン子爵令嬢である。ミルクティーのような淡い髪色に翡翠の瞳をもち、どこか儚げな印象を与える。だがサリナは『才女』として有名で、随所でその才能を発揮し人脈も厚い。王族にも繋がりがある。
サリナは『才女』としての才能を見初められ、侯爵家から打診を受け、先月纏まった縁談である。侯爵家と子爵家では少し差が目立つが、ちょっとアホの息子の代で侯爵家が終わってはいけない。スルース公爵夫妻は優秀な血筋を残すことを最優先とした。
ヘンリーは歩みを止めないサリナの後ろを慌ててついていく。貴族令嬢とは思えないスピードで颯爽と風を切りながらサリナは歩き続ける。だが歩く姿は優雅さを保っており、息も一切上がっていない。
「来月の中頃!?婚約者との仲を深めることも大事だろう!私との時間を確保する気はないのか!」
「ヘンリー様とのお時間は再来週のワイズ伯爵家主催の夜会と、その前後にてご対応させていただく所存です。伯爵家別邸にて夜会前に開催される美術鑑賞会に婚約者と参加するよう伯爵様直々にご招待いただいた件と、夜会後はスルース邸にて侯爵ご夫妻と夜会で知り得た情報共有会を開催する旨、先日、お手紙でお伝えさせていただいたかと。」
「その予定のどこにっ・・・はぁ、二人きりの時間はあるんだ!・・・はぁっ」
「二人きりのお時間をご所望でしたか。それは配慮が足りず、私の不徳の致すところでございます。今週中にロンとスケジュール調整いたしますので、ヘンリー様の直近のご予定を書面にて提出願います。」
「はぁ、はぁ・・・私の予定はガラ空きだ!はぁ、はぁ・・・なぜ君はっそんなに・・・はぁ忙しいだ・・・はぁ、はぁ・・・せめて立ち止まって話をっはぁはぁ・・・」
ほぼ走っている状態のヘンリーと、前だけを見て歩きながら余裕で話し続けるサリナ。
「歩きながらの談笑になっている件については私も申し訳なく感じております。月曜日の始業前にアボリ先生と討論会を開催するのが恒例となっておりますので現在東棟へ向かっております。いつもならもっと早く学校についているのですが本日は事故の影響により馬車が混んでおりましたので少々遅れ気味なのでございます。ですが今『婚約者と仲を深めるための時間』となっているのではないでしょうか?二人で朝から校舎内を散歩しながら談笑だなんて仲睦まじいではございませんか。もしよろしければヘンリー様も一緒にアボリ先生のところへ行きませんか?新しい論文に行き詰っておられるようで若者の意見を聞きたいとのことですの。」
「はぁっはぁっはぁっ・・・こんなっ歩きながらっはぁっはぁっ・・・
談笑とはっはぁっ・・・言わん・・・はぁっはぁっ・・・」
「左様でございますか。失礼いたしました。この件につきましては認識のすり合わせが必要ですね。婚約者としての行動はどういうものが好ましいのか、どうあるべきかディスカッションいたしましょう。もしかしたら私たちと同じように婚約者との関係に悩んでいる方々がいるかもしれませんね。ユリアス王太子殿下も隣国の皇女殿下と婚約が内定されて間もないですが関係に悩まれているそうです。あ、これは極秘事項ですのですぐ忘れてください。
同じ悩みを持つもの同士で意見を出し合うことでより公平公正な結論に至るでしょう。ヘンリー様、私のほうで手筈を整えますゆえ、詳しい内容が決まり次第ご連絡差し上げます。」
「だから、はぁっはぁっはぁっ・・・私が、はぁっはぁっ・・・言いたいのはっはぁっはぁっ・・・」
ヘンリーは息も絶え絶えもう倒れそうである。
「ヘンリー様お疲れのご様子ですね。寝不足ですか?アボリ先生のもとへは私のみで向かうことといたしましょう。そこの曲がり角に東屋がございますので、そちらで休息をとることをおすすめいたします。
それでは先を急ぎますので、このへんで。お話しできて楽しかったですわ。」
最後まで視線が合うことはなく、歩くスピードはさらに加速されサリナは東棟へと入っていった。
東屋を見つけたヘンリーは倒れこむように座る。
「話して・・・いたのは・・・・お前だけだろう・・・・」
ヘンリーはそこで目を回して力尽きた。
「ヘンリー様。起きてください、風邪ひきますよ?」
いつの間にかサリナが隣に座っていた。揺さぶられて起こされる。少し眠ってしまっていたようだ。
「・・・・・・サリナが、私の隣に座っている。目を見て話してくれている・・・夢か・・・?アボリ先生のところへいったのではないのか?」
「ふふっ。ヘンリー様面白いことを言うんですね。私はあなたの婚約者ですよ?隣に座って目を見てお話するでしょうに。アボリ先生は新しい論文の糸口を見つけたとかで討論会は早めに切り上げることとなりました。
なのでヘンリー様と『二人きりの時間』を過ごそうかと思ったのですが、これまでの私の態度は婚約者としてふさわしいものではなかったですよね。やっとヘンリ-様の婚約者の座を射止めたというのに、ゆっくりお話できる機会を設けることができていなかったのは、私の不徳の致すところでございます。」
「婚約者の座を射止めた?父上にはこちらから婚約の打診をして了承してもらえたと聞いているが・・・」
サリナはヘンリーの顔をじっと見つめる。サリナの翡翠の瞳とヘンリーのセピア色の瞳がかち合う。
やっと堂々と隣に立てるようになったのに、真正面からヘンリーをまじまじとみたのは初めてのような気がする。なぜだろう、なぜこんなに胸が高まるのだろうか。わからない。
そっとヘンリーの手に触れる。あぁやっぱり、指先が少し触れただけでそこは甘く熱い。きっとこの人は私の足りないところを埋めてくれるのだろう。私が情熱を傾けられるのはこの人しかいないのだろう。それならば・・・。
「ヘンリー様、不躾なお願いを申しげても?」
「・・・なんだ」
「二人きりのときは、ヘンリーとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「・・・いいぞ」
「ありがとうございます。ではヘンリー?今度は少しはしたないお願いなのですが・・・もう少しお傍へ寄らせていただいても?」
「・・・い、いいぞ」
今の二人は婚約者らしく人一人分の距離を保っている。サリナはヘンリーの返事に一つ頷くと体を寄せた。そして半身をぴたりとヘンリーにくっつけ、頭をこてんとヘンリーの肩に乗せる。
こんなに密着するなんて思っていなかったヘンリーはびっくりして息を止め体をガチガチに固まらせた。そんなヘンリーとは裏腹にサリナは大きく深呼吸して体の力を抜き、ヘンリーにさらに体を預ける。
「・・・不思議。ヘンリーの傍にいると胸が高鳴って苦しくなるし、ヘンリーのこと以外何も考えられなくなる。すごくそわそわするのに離れたくないし、ずっとこうしていたい。」
サリナの突然の大胆な行動と可愛い発言にヘンリーは沸騰しそうになる。サリナはいつもの硬い口調ではなく声もどこかとろんとしている。ここは男がリードせねば!と肩を抱こうとするが、手をわきわきさせるだけで触れない。一方サリナはヘンリーの体温や香りを堪能していた。
ところがうっとりした様子のサリナの目が突然カッ!と見開く。
(二人きりの時間・・・最高すぎる・・・!頭がバカになっていくのがわかる。これは策を講じねば。)
ヘンリーが意を決してサリナの肩を抱こうとしたそのとき予鈴が鳴った。すくっと立ち上がるサリナと空振りになってずっこけるヘンリー。
「ヘンリー、鐘が鳴りました。・・なぜこけているのです?次の授業は西棟です。ここからは少し距離があるので急ぎましょう。」
さっきまでの甘い空気は消え、サリナはもうすでに歩き始めている。
「え、おい!ちょっと待ってくれ!」
またヘンリーはサリナの後を急いで追いかける。
「ヘンリー、さきほどお誘いしていただいたカフェですが一緒に行きましょう。放課後楽しみにしていますね。」
「え、でもエミリア公爵令嬢の茶会だろう?いきなり誘った私が悪いんだ。先約を優先してくれ。」
「ご安心を。私は『才女』と名高いサリナ・ベーンでございますよ?
エミリア様のお茶会を角が立つことなく欠席することは造作もないこと。策はいくつかございます。」
「じゃあなぜ朝誘ったとき一瞬の思案もなく断ったんだ・・・」
「朝の時点では私の最優先事項は『ヘンリー様にふさわしい婚約者であること』でした。ですが今は『ヘンリーと二人きりの時間を過ごすこと』が私の最優先事項となりました。」
「私が二人きりの時間が必要といったからか?
その気持ちはとても嬉しいが、サリナが忙しい身であることはわかっている。空いた時間を教えてくれれば私が合わせるよ。・・・どうせ予定はガラ空きだし。」
「いいえ、だめです。今だってさっきみたいにひっついていたいのに我慢しているのですから。私は私のためにヘンリーとの時間を捻出いたします。可及的迅速に対応いたしますので予定ガラ空きのままでお願いいたします。」
「・・・ああ、わかった・・・。」
ヘンリーは顔を真っ赤にしている。なぜこんな急にサリナの態度が急変したのかはわからない。でも嬉しかった。
照れているヘンリーを横目にサリナはほくそ笑む。その顔は百戦錬磨の軍師が下剋上を企てているような不敵な笑みにも見えた。




