08.体育祭に向けて ― 倉庫の壁をノックしたキミ ―
いらっしゃいませ、全力で歓迎します!
拙い物語ですが、ぜひ楽しんでいってください。
次の日の朝。
湊は少し落ち着かなかった。理由は簡単で、昨日の社会科見学のことがまだ頭に残っていたからだ。あの「葉っぱ事件」。
颯太が間に入ってくれたおかげで大事にはならなかったけれど、昇降口へ向かう最中に出会うクラスの何人かはまだ気にしているような視線を向けていた。
(……やっぱり、変なやつって思われてるのかな)
胸の奥がじわじわと熱く、手のひらにはうっすら汗がにじむ。それに今日は、体育祭の練習がある。人と組む競技が多いと聞いて、ざわつきはさらに強くなった。
下駄箱で靴を履き替えて教室に向かうと、颯太がすぐに手を振ってきた。
「おはよ、澄野」 「……おはよ」
昨日のことを思い出して少し照れくさい。颯太はそんな湊の様子を気にするでもなく、いつも通りの笑顔で席に戻るよう促した。
一時間目が始まると、担任の坂下は教室に入ってきた。
「はい、おはようございます。今日はまず連絡事項から」
淡々とした声が教室に響く。その中で、湊の耳に引っかかった言葉があった。
「……それから、昨日の社会科見学の件で、何か困ったことや気になることがあれば、遠慮なく先生に言ってください」
一瞬、教室の空気が固まった気がした。湊は視線を落とし、机の端を指でなぞった。
休み時間。颯太が机を寄せてきた。
「なあ、昨日のこと、あれ以上は誰も気にしてないと思うぞ」 「……そうかな」 「そうだって。オレが保証する」
そう言って笑う颯太の声は、不思議と安心感を与えてくれる。湊は小さくうなずいた。
午後の体育の時間。颯太は焦っていた。さっきから、湊の姿が見えない。
いや、普通にいないだけならここまでは焦らなかっただろう。だが……颯太は確かに聞いたのだ、湊の叫ぶ声を。社会科見学の時のことが脳裏をよぎる。
現場らしい場所に駆けつけると、呆然とする数人の生徒たち。話を聞けば、騎馬戦で組むメンツがたまたま近くに揃ったので、馬を作ってみよう、ということになったらしい。一番小さい湊が当然頭、ということになったのだが、例によって「よろしくな」と肩を叩こうとした友人の手を、叫びながら払いのけて、顔色を変えて走り去ったのだそうだ。
まさに、社会科見学の焼き直しじゃないか。みんなびっくりして後を追えなかったが、校門のほうに走っていったとか聞いて焦った。そのまま外に飛び出してないといいけど!
校門の近くで用務員さんを発見。人影は外に出られないと分かると、倉庫のほうに方向転換したという。
颯太が倉庫の裏手に回り込むと、そこには膝を抱えて小さくなっている湊がいた。背中を壁に押しつけるように、まるで誰にも見つからない場所に扉を作って、その中に隠れているみたいだった。風が通り抜けるたび、古い木の壁がかすかにきしむ。ほこりと油の混じった匂いが、鼻の奥にまとわりつく。
颯太はすぐには声をかけず、コン、コン、と倉庫の壁を二度軽く叩いた。その音が、静まり返った空気に小さく響く。
「お邪魔しまーす」
冗談めかした声が、ゆっくりと湊の耳に届くまで、ほんの一拍の間があった。
湊の肩が、わずかに揺れた。閉ざした扉の向こうで、誰かがノックした音を聞いたかのように。
「よ。戻るぞ」 「やだ」
湊は膝を抱えたまま、視線を上げなかった。
「何でよ」 「また叩いちゃった」
声は小さく、壁に吸い込まれるようだった。
「謝ればいいじゃん」 「でもきっとまた叩いちゃう。そうしたら、みんなにどんどん嫌われちゃう」
颯太は小さく息を吐き、壁にもたれた。
「触らないでほしいって、触られるの怖いからって、皆に言っておくとかしたらどう?」
「やだ。いじめられそう」 「オレが守ってやるよ」
湊は一瞬だけ顔を上げたが、すぐに膝に額を押しつけた。
「……杜山君、部活の時間とか一緒じゃない時間多いもん。無理だよ」
「あー、確かにずっとは無理か。お前も部活あるしな……」
颯太は顎に手を当て、少し考え込む。
「んー。騎馬戦が嫌? ほかにやりたくないのはあるか?」
「…人と触れないやつなら頑張れると思う」
「……あー、それなら澄野は足速いから、走るやついくつか出ることにして、団体競技から外してもらえないか交渉するか?」 「そんなこと、できるの?」
颯太は口元をゆるめ、わざとらしく低い声で言った。
「ふふふ。ちょっと先生を脅してくる」
びっくり顔の湊に、思わず吹き出す颯太。
「そんなことするわけないじゃん。普通にお願いしてくるんだよ」
湊はプンプンと怒ったふりをしたが、その目にはもう涙はなかった。
先生Vs颯太+湊の話し合いの結果、湊は団体競技のうち、人と接触する可能性のあるものへの出場はしなくて済んだ。具体的には、騎馬戦、玉入れ、綱引き、などである。
その分、走れない人が出た場合の代理走者としてリストアップされた。ついでに颯太の名前も追加されたが、多少理不尽ではある。
練習に戻った二人は、さすがの足の速さを見せた。代理走者としても十分にいける体力を証明し、何とか湊が団体競技を抜けることに軋轢を生まずに済んだ。
湊は小さく息をつき、胸の奥の緊張が少しだけほどけるのを感じた。
もっとも、陰口をたたく者は必ずいるのだが、耳聡い腐女子が二人の背後に控えているため、恐ろしくて手も口も出せないのが実情であった。
湊は、走る風の中でふと気づいた。扉の隙間から、少しだけ外の景色が見えていることに。その景色は、思っていたよりも眩しかった。
眩しさに目を細めながらも、湊は視線を逸らさなかった。 風が頬を撫で、耳の奥で心臓の音が少しだけ軽く響く。 まだ扉は開いていない。 けれど、その隙間から差し込む光は、たしかに温かかった。
楽しんでいただけましたでしょうか。
次回をお楽しみに。
~ 気に入っていただけたら、ぜひブクマ登録よろしくお願いします☆
また、何かしらポチッとするとかしてもらえると嬉しいです