9.
どうしてこんなことに、なんて後悔の台詞は私には似合わないと思わない?
それはそれとして喜ばしいニュースでも届けましょうか。なんと! あの少年が! 訓練を止めました! これで最強の聖女リリシア様の美しい身体が守られることになるわけね。あれ以上筋肉が付いたらどうしようかと毎日毎日嘆き悲しみ祈り願い続けた甲斐があったというものよ。
じゃあ悪いニュースね。少年がこの二日何も食べてないのよ。ちょっと! それはそれで美しさが! と言うかそれ以前にこれで少年が死んだらどうなるの? あの身体の生命活動が停止したらやっぱり死ぬのよね?
オースト! エコー! 信者共! どうにかしなさいよ!
部屋にノックの音が響く。ん~、オーストとみた!
「リリシア様、入ってもいい?」
ちっ、外した。エコーか。まあ誰でも一緒なんだけどね。
「返事しないなら入るわよ」
エコーがドアノブを回し扉を開こうと押すと、そこにある大量の荷物に引っ掛かる。
「ちょっと……」
しばらく無理矢理に開けようと試していたけれど、まあ無理よね。少年ったら昨日そこら中にある物を全部そこに置いたんだもの。山よ、山。あんなの普通の人間に動かせるわけないじゃない。
「話をするつもりも無いってこと!?」
少年は何も答えない。
「……自分の死体を見てショックを受けたのは分かるけど、今生きてるんだからそれでいいでしょ! そこでうじうじしてても何も変わらないわよ!」
エコー……、あなた、余裕無いわね。裏ではそれだけ色々あるって事かしら? ま、私には関係ないわ。だってどうにも出来ないんだもの。
「食事、置いとくから絶対に食べてよ!」
結局外に食事だけ置いてどっか行っちゃったわ。多分、相当忙しいのね。めっちゃ舌打ちとかしてたし、お~怖い怖い。
……少年、話ぐらいしてあげたらどう?
……。
……。
当然、返事なんてあるはずも無いけどね。
エコーが去って一時間ぐらいかしら? 再び、ノックの音。
今度こそオーストでしょ!
「リリシア様、お加減はいかがですか?」
ちっ、信者の一人か!
「……どのように言っていいのかわかりませんが……、しかしこれだけは聞いて頂きたく……。私のせいで、リリシア様にお辛い思いをさせて申し訳ありませんでした」
あっ? お前が少年を殺した犯人か!?
「私があの時に軽率にも木の実の群生地に足を延ばそうなどと申さなければ、その……、あのようなものを見つけることも無く……」
あぁ、そういう話? ……それは単なる先延ばしじゃないの? どっちみち少年が死んでたことは変わらないんだし、たまたまあの時に目の前にわかりやすく現れただけでしょ?
「私自身どのように言って謝れば良いのか……、そもそも謝ることが正しいのかどうかも分かりませんが言わずにおれなかったのです」
それは……、自分の心を楽にしたいだけなんじゃないの? それが悪いとは言わないけれどね。
「ですが、これだけは! これだけは知っておいて欲しいのです! 我々は、我々はリリシア様の味方です! お辛い事は分かります……、分かると言っても真に理解することは出来ないのかもしれません。それでも、あなたを支えたいという思いだけは本心からのものなのです」
……少年、どうかしら? かの信者の気持ちを聞けば少しは心が揺らいだりしないのかしら?
「……リリシア様、どうぞ、ご自愛なさってください。出て来て欲しいとは言いませんがせめて食事ぐらいは摂って頂きたく思います」
その言葉を最後に足音が遠ざかって行く。
ねぇ少年。あなた、立ち上がる気力も無いのかしら?
更に一時間。三度目のノックが響いた。
オースト、と見せかけて侍女ね。もう私は学んだわ。大体あの怪力馬鹿男がこんな優しいノックを出来るはずが。
「リリシア」
……問題、オースト以外で少年をリリシアと呼ぶ人がいるでしょうか? 王様は呼び捨てにしてもおかしくは無いと思うけど……、忙しいでしょうし来ないでしょう。そもそもこの数か月偶に顔を合わせるぐらいだった王様が今の少年に会いに来る理由は無いわ。
そして他にこの子を呼び捨てにする人って実はいないのよ。一応みんな様付けで呼んでるのね。
つまりオーストなのよねぇ、これ。
何かしら、あなた達私の予想を外す遊びでもしてるの? そんなことしても意味無いでしょ。それに簡単に少年の心が開けるなんて思わない方が良いわよ。
彼の心は今やこの扉の如く強固に閉ざされているという事を頭に入れておくことね!
「五秒後に入る。ドアの傍にいるなら離れていろ」
は?
この男何言ってんのかし――
ドア付近に築かれたバリケードが音を立てて吹っ飛ぶ。
(え?)
……え?
「散らかして悪いな」
……おぉ。いや、オースト、あなたが普通の人間と呼ぶには有り余るパワーを持ってるなんてよーくご存じのつもりだったけど……。
こんなのは想定外よ。
砕け散ったドアやタンスやその他諸々の破片がそこかしこに散らばって入り口付近は足の踏み場も無くなってるわ。オーストはそんなものを当然のように踏みしめて、踏み砕いて、こっちに来る。
「……え、あ」
少年もびびっちゃって声も出てないじゃない。昨日一日かけて作り上げたバリケードを何だと思ってるのよ! 鍛えた身体で必死に必死に運んでたのよ!
近付いて来るオーストはさながら恐怖の化身だわ。狭いベッドの上で少年は必死に後ずさるけれど、ま、すぐに壁がそれを阻む。それこそオーストぐらいの力があれば壁をぶち抜いて逃げられるのでしょうけれど少年には当然無理ね。
「リリシア」
「……お、オースト、さん」
恐れ、怯え、不安、恐怖、畏怖、慄き、戦慄する。似たような言葉を幾つ並べても今の少年の感情にはとても足りないわ。
オースト、あなたは彼をどうするつもりなの?
私の問いに答えるかのように、オーストはゆっくりとベッドに腰を下ろした。
「……え、と?」
「隣に座れ」
想定外の行動に対する困惑、それは少年の心を占めていた恐怖を少しだけ和らげる。それと同時に歪んでいた認識が少しだけまともになったみたい。
(……怒って、ない?)
彼の表情を御覧なさいな、とても怒っているなんて思えないでしょうに。少年ったらどうしてこう怒っているなんて決め付けてしまったのかしら。
……いや、あの部屋への入り方を見ればそう思うわね。
「気分はどうだ?」
「……良くは、ない、です」
「そうだろうな。自分の死体を見た時の気分など想像もつかん」
普通の人間がする体験じゃ無いわよ。私も見たくないわ。
「……お前はいつか元の身体に戻れると思っていたのか?」
少年はその問いに返事をしなかった。無視してるわけじゃ無いわよ、ただ彼自身も分かってないのよ。
そもそも少年は自分の死体を見て何にショックを受けたのかしら?
「……俺は、お前が騎士になることに反対だ」
急に何の話かしら。
「そう、ですか……」
まあ反応し辛いわよねぇ、話の繋がりが見えないんだもの。ちゃんと良い感じの落としどころがあるんでしょうね。
「お前を、鍛えたのは、半分は実際に戦わせる為でもあった」
「半分……」
「もしもお前が元の聖女の十分の一でも力を発揮できるようになるなら、そんな淡い期待を抱いていたのは確かだ」
十分の一とは大きく出たわね。最強の聖女リリシア様の十分の一も力を持っているなら騎士なんて目指す必要ないでしょ。素直に聖女を名乗りなさいな。
「しかしお前を無闇に危険に晒す事には反対のつもりだった」
「でも、オーストさんは魔物退治に……」
「連れて行った。あそこで怪我でもさせて辞めさせるつもりだったのだがな……」
こいつそんな事考えてたの?
(……そんなつもりだったんだ)
少年も驚きまくりよ。というか、うん、あなたは少年の味方だと思ってたんだけど……。いや、危険から遠ざけるって目的なら味方なのかしら?
うーん、なんだかよくわからなくなって来たわね。
「つい助けてしまった。どうにも俺には向いてない」
……私の記憶が確かなら少年が魔物退治へ向かった時に一頭目を倒した直後に死角から二頭目が襲ってきていたわけだけれど、もしかしてあれを放っておくつもりだったって事?
死んだらどうする!
こいつが奸計に向いてない性格で助かったわ。
「あの、なんでそんな話を?」
少年の疑問はごもっとも。奸計に向いてないとか関係なくこんな話をする必要は無いわよね。黙っておけば露呈せずに済んだこと、わざわざ話したのはどうして?
「お前を、どうすべきかと考えている」
どうすべき、ねぇ。変な事考えてるんじゃないでしょうね?
「リリシア、お前は元々小さな村で生まれ育った少し不幸な子供に過ぎない。その身には聖女の力、聖女の肉体、そんなものは有り余る責任だと俺は思っている」
「……責任」
「お前はどこまでもただの子供に過ぎない。魔物を斬ったお前の姿を見た時に俺はそう思った」
魔物を斬った時の少年、か。
私もその姿はよく覚えているわ。襲って来る狼型の魔物の攻撃、それを上手く躱すと同時に斬り裂いた。初めてとは思えないほどに上手くやっていたのが印象的ね。そしてそれと同時にオースト達に向けた表情。
難しい問題が解けた時のように、おもちゃの片付けが出来た時のように、かけっこで一番を取った時のように、ただただ親に褒められるのを待っているような子供の表情。
「思わず本来の目的を忘れてしまう程度には、な」
「……オーストさん」
あなたって結構子供に甘いのね。それとも他の信者共の同じようになってしまったって事なのかしら。だとしたらこんな堅物を篭絡した少年を褒め称えるべきかしらね。
「リリシア」
「はい」
「お前が望むならばお前をこの城から逃がしてやってもいい」
「え?」
え?
「本来の肉体がああなってしまった以上、お前にはもはや戻る所も無い。かといってただの子供にこの国の未来を背負わせるなど本来あってはならないことだ。たとえそれが正しいと理屈の上で分かっていたとしても」
ちょっとちょっと、あなた何言ってるの? それ本気ぃ? だとしたらさっき信者共と同じになったなんて言ったのは取り消すわ。
あなたがぶっちぎりでいかれてるわ!
「俺ならばこの城からお前を逃がす程度は可能だ。望むならお前をこの城から逃がし安全な場所まで連れて行ってやる」
(この城から抜け出して……、どこか遠くへ……)
……いや、待って。でもこの提案って……。
「僕はどこへ行けばいいんですか?」
少年にとって何も解決になっていないんじゃない?
「オーストさん、僕は……。僕はどうすればいいんですか? ここにいちゃ駄目なんですか? 僕は必要ありませんか? いらない子ですか?」
そもそも彼は別にここの環境を嫌っていたわけじゃない。寧ろ聖女としての役割は彼にとってこの場にいても良いという許可証であって、それがあるから最悪でも捨てられはしないと安心すらしていた部分があるのに。
あなたの言葉はそれと相反しているじゃない!
「何の役にも立たないなら僕は……。オーストさんの言う安全って何ですか? どうして僕をこの城から逃がそうとなんてするんですか? 僕はここにいたい! ……もう捨てられるのは嫌だ」
昂った感情のままに言いたいことを言い切ったって感じね。少年が叫ぶのは初めて見たんじゃないかしら? それで最後に出て来たのが、捨てられるのは嫌、ねぇ。
結局あなたはそれだけをずっと恐れているのね。
「……なぜ部屋に閉じこもった?」
「こ、怖くて」
「死ぬのがか?」
「死ぬのも、怖い、です」
少年が頭に思い浮かべたのは未だ記憶に新しい自らの白骨死体。あまりグロテスクなものを思い浮かべないで欲しいわね。
「森の中で迷ってどんどん苦しくなっていく感覚は、まだ、覚えています」
「そうか」
「それを思い出すと足が動かなくなって、あれ以上進むのが怖くなって、それで帰ることになりました」
「そうだな」
「僕は、僕は! 誰の役にも立てませんでした! 僕は聖女なのに! あの森の中で、息が苦しくなんて無いのに、それでも苦しくて、怖くて、動けなくて……。みんなの役に立つのが聖女なのに、何も出来なくて……」
「……つまりお前は、それが理由で自分がいらないと捨てられるのを恐れている。そうだな?」
「だってそうでしょう? 皆さん言ってました。慈愛の心を持って人々を救うのが聖女なんだって」
……信者共さぁ。信者のくせに少年を追い詰めてどうすんのよ。オーストもこれには呆れた様子を見せてたわ。
とはいえ少年の様子の方は笑い事じゃ無いわよ。
「僕は人を救わないといけない、そうじゃないと誰の役にも立てない……。こんな僕じゃだめなんだ、もっとみんなを救わないと、い、いらないって、す、捨てられて……」
これをどうにかするのって、無理じゃない? どうすればいいのか私には見当もつかないわ。だって同じ人間とは思えないもの。誰かの役に立ちたいだなんて思ったこと無いわよ。
「……お前は、俺が最初から強かったと思うか?」
違うの? そんだけ化け物じみた身体能力なんだし子供の頃から大人より強かったんじゃない?
「子供の頃は俺も役立たずだった。自分の腕を過信して魔物の前に飛び出し逆に面倒を引き起こしたことだってある」
……ほんとかしら? 素手でぶん殴って倒したりしてない? ほんとにぃ?
「お前はまだ子供だ。今すぐ役に立つ必要などない。少なくとも俺がお前を見捨てることは無い」
「……嘘だ。お父さんもお母さんも僕を捨てたんだ……。オーストさんだって」
「本当だ。言ったろう? お前が望むならここから連れ出してやると」
……やっぱり、信者共なんて可愛いものね。オースト、あなた……。
少年が顔を上げ、オーストの瞳を映す。混じりけ一つ無い、純粋な、嘘偽りない、それでいてまるで悪魔のように。
「たとえこの国が滅びるとしてもお前の望みを叶えてやるさ」
……ぞっとするわね。私だってこの男の国への忠誠心を疑ったことは無いわ。それなのに、こんな言葉を引き出すなんて。
少年、あなた随分と罪作りなのね。
「……僕は……」
あなたも理解したのね、オーストが本気で言っているって。望めばその通りにしてくれるのだって。だからこそ悩んでいるのが良くわかるわ。
あなたは初めて自分の望みを考えているのね。
「オーストさん……」
「何だ?」
「僕は……、その、ごめんなさい。どこかへ行きたいと、その、思えなくて」
「ここにいると?」
「はい。オーストさんやエコーさん、それに他の人たちもみんな良くしてくれてます。僕は、その、ここが嫌いなわけじゃないんです」
「そうか。ならばどうする?」
少年はその問いに対して、たっぷりと悩んだ。オーストは決して急かすような事はせずただ黙って少年の言葉を待っていたわ。
「……僕は、みんなが僕を助けてくれるように、みんなを助けられるようになりたい、と思います」
「それでいいのか?」
「はい、それがいいです」
迷って、悩んで、わけのわからぬ道を通って、結局あなたはそこへ戻って来るのね。
少年、あなた損するタイプよ。折角なんだからもっと我が儘に生きた方が楽しいと思うんだけど、ま、あなたがそうしたいなら止める理由は無いわね。
元々今の私じゃ止められもしないんだけど。
「オーストさん、明日からまた訓練をお願いしてもいいですか?」
「……それならまずは食事だ。栄養の足りていない状態では訓練などさせられん」
「はい!」
「それから……」
ちらりとオーストは入り口の辺りを見る。そこにはバリケードにの残骸が散らばっている。
「食事の後は片付けだ。俺も片棒を担いだ身だ、手伝おう」
「……はい。その、ありがとうございます」
はぁ、なんだか丸く収まったみたいね。
少年が着替えをする間に新しく食事を用意するらしいわ。オーストは先に出て行ってシェフに声を掛けるみたいね。
と。
「オースト、冗談か本気か知らないけどさっきの発言はどうかと思うわよ」
エコーだわ。どうやら話が終わるのを待ってたみたいね。
「聖女様をここから連れ出そうなんて、王様に聞かれたらどうするつもり?」
……というかこれ、もしも少年が頷いていたらその直後にはオーストを捕縛する命令が出されてたんじゃないかしら。多分、外は既にエコーの部下が固めてるんじゃないの? 結構危ない橋を渡ってたのねぇ。
でもその割にオーストは落ち着いて口を開く。
「俺はリリシアとこの数か月に渡って最も長く接して来た」
「そうだけどそれが?」
「あの問いに頷くような奴では無いとはわかっていた」
……もしかしてあなた、有り得ないからって好き勝手言ってたって事ぉ? 少年の純情を返しなさいよ! あんなに本気にしてたのにかわいそうじゃない!
「入れ込んでるわねぇ。それでもそうならなかった可能性もあると思うけど?」
「その時は本当にそうしていただけだ」
「……そう」
……えぇ。
「……まあ、今の発言については黙っておいてあげる」
「感謝する」
やっぱ私、少年の事が怖くなって来ちゃった。その内本当にあの子を中心に宗教が出来たりしないわよね? 最強の聖女リリシア様がいつの間にか胡散臭い宗教家になるだなんて私嫌だからね!




