8.
月日はどんどん過ぎて行く。
少年が初めての実戦に出てから一か月が過ぎた。なんと! その間! 少年が魔物と戦った回数はと言うと!
たったの一度も無いのよねぇ。この一か月はまるで少し前の日々と変わらぬようにずっと城の中で訓練をしていたわ。一つ違ったことがあるとすれば少年とオーストの間の会話が極端に少なかったことぐらいかしら。
お互い、この前の事を意識しているのでしょうね。
ほらオースト、あなたから謝りなさいな。こういうのは大人の方がとりあえず謝っておくものよ。大体護衛対象と良好な関係も築けないで何が騎士よ。
「……そこの剣の握りは少し変えた方が良い」
「あ、はい」
……誰が訓練の話をしろって言ったのよ!
まあ、そんな感じで本当に業務連絡みたいな会話だけ。前はあれでも少しは会話があったのよ。時々思い出したかのように少年の前の生活とかを聞いたりしていたのだけどね。もう聞き飽きちゃったのかしら?
でもね、時々オーストは訓練中の少年を真剣な眼差しで見つめているのよ。何か言いたいことがあるんでしょ? 私でもそのぐらい分かるわ。
さっさと言いなさいよ! 何考えてるか知らないけど! さっさと!
残念ながらこの日の訓練も何事も無く終わってしまったわ。ほんと、何考えてるのかしらね。
訓練も終わり部屋へ戻る。この道にももう慣れたものよ。ただこの数日はちょっとした変化があったわ。
「リリシア様。訓練終わりですか?」
「はい」
最近は時々通りがけに他の騎士が声を掛けて来るようになったのよね。この前に一緒に魔物討伐へ行った連中が時々顔を合わせるとちょっとした世間話をしようとするの。暇なのかしらと思わなくも無いけれど、まあ少年の気晴らしになるならちょっとは大目に見ようかしら。
「訓練はどうですか? オースト隊長は厳しいでしょう」
「ええ。でもオーストさんはきっと僕の為を思ってやってくれているので……。おかげでこの前も魔物を倒すことが出来ましたし……。まだまだだって言われちゃいましたけど」
「そうは言いましてもあれはオースト隊長が厳し過ぎます。リリシア様は頑張っていらっしゃるのだからもう少し優しくすべきだと思いますがね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
ただまあ、ちょっとこの連中って物言いがねぇ。なんか下心があるように見えるのは私だけかしら? そりゃあ最強の聖女リリシア様の美貌は多少の筋肉が付いたところで損なわれるわけも無し、誰も彼もを魅了するのは分かるんだけど……。
「何かあったらいつでも申してください。不肖の身ではありますが力になりますので」
「ありがとうございます」
力になります、だなんて以前はそんなこと一度だって言った事無いでしょ。寧ろその姿を見るや否や避けていたじゃない。中身が変わって少年になったから御し易いとでも思ってるのかしら。
(力になりますだなんて、優しい人だな)
御し易いわ。この子素直過ぎて御し易いわ。
あなたねぇ、ちょっとは人を疑うってことを知った方が良いんじゃないかしら? 世の中善人ばかりじゃないのよ? 騎士だからって裏で何やってるかわからないわ、もしかしたらあの男だって聖女の美貌に目がくらんだ愚か者かもしれないのよ? ちゃんと自衛出来ないとその身体がどうなるかわからないでしょ!
そんな心配どこ吹く風、他にも何人か擦れ違ったけれど少年は皆が慕ってくれて嬉しそうにしていたわ。
(早く力を付けて皆さんと一緒に戦えるようにならないと)
志は立派よ。でも相手がどう思ってるかわからないでしょ! 男は狼よ! あんな連中信じちゃ駄目なんだから!
訓練訓練、もうこんなの飽き飽きよ。もういいでしょ? 鍛え足りない所なんて無いわよ! 今はまだいいわ、多少筋肉は付いたけれど百歩譲って今ならまだ許してあげる。今ならば引き締まった美しい身体とか言えるレベルかもしれないしね。
でもこれ以上は? これ以上はね……、駄目よ! だからその訓練を止めてさっさと終わりにして今すぐお菓子でも食べてゆっくり休みましょう!
そんな叫びがどうしたって伝わらない悲しみに打ちひしがれ、悲哀と憎悪に満ちた視線を少年とオーストに送ることしか出来ないこの時間。
それを止めてくれる勇者が現れる。
「リリシア様、オースト。ちょっといいかしら」
エコー! あなた良い所に来たわね。そのままお茶会にでもしましょう。こんな訓練は終わり終わり! はい解散解散!
「何かあったのか?」
「ちょっとね。前からこの子が最後に行った瘴気の森について調べていたじゃない?」
「何か進展が?」
「あまり無いのよ。それで本人を連れて来てはどうか、っていう話が上がってて」
「……本気か?」
「まあね。少しでも情報が欲しいし縋れる藁には縋っておかないと」
瘴気の森への遠征とはまた大きく出たわね。
久しぶりにお勉強タイムと行きましょうか。少年は瘴気の森を良く知らないでしょうし、説明してあげるわ。
そもそも瘴気が悪魔や魔物の力の源だって話はしたわね。それで連中がいるのが魔界っていう瘴気が山ほどある場所らしいんだけど、そことこっちの世界が繋がって瘴気が漏れ出してくるのよ。人のいる所ならすぐに騎士団や聖女が飛んで来て瘴気の元を断つのだけれど、実際には人のいない森の奥なんかにそういうのがよく出来てねぇ。気が付けば森全体が瘴気に満ちてしまうってわけ。
まあこれって要は人の寄り付かない所には瘴気が満ちやすいってだけだから洞窟とかもよく瘴気が溢れていることがあるわ。
で、じゃあその瘴気の森って危ないの? って話なんだけど。普通の人間にとってめちゃくちゃ危ないのよ。そもそも瘴気自体が有毒らしいのよね、多少は問題ないけれど長時間いると気が狂うわ。少年は実際にそうなって死んじゃったわけだし。それで悪魔や魔物の力の源にもなるから大抵そういうやつらの巣になっているし、そこを縄張りにしている奴らは他よりも力が強いことが多いのよね。
ま、最強の聖女リリシア様がいればそんなものに悩む必要なかったんだけどね!
「ヴァゲスト様は?」
「瘴気の中に敢えて入ることで聖女の力の覚醒を促す可能性もある、なんてどっかの学者が言ったらしくて……」
「本気か?」
「王様だって真剣には考えて無いと思うわ。でも聖女を前線に出すことを願い出たのはオーストでしょ? それもあってこの件に関してはオーストの判断に任せるって。危険すぎると思うならやめてもいい、とは言ってたけど」
……王様、疲れてるのねぇ。普段ならそんな学者の言葉一蹴するでしょうに。
「で、どうする?」
エコーの問いにオーストは。
「危険過ぎる。やめた方が良いだろう」
ま、当然の判断だと思うわ。瘴気の森なんて足手纏いを連れて入る場所じゃ無いんじゃない?
「あの!」
ただまあ、それをよしとしない人物もいるわけで。
「僕は、行って、見たい、です……」
行くの? 本気で?
オーストがエコーを睨み付ける。思うに、お前のせいだぞ、って所かしら。少年がいないところで話を終わらせてしまえば楽だったでしょうからね。
「私は行ってみるのもありだと思うけどね」
対してエコーはそんな事を言った。
……ああ、わざと少年のいる前で言ったって事? 何で?
「瘴気の森の探索が進んでないのはさっき言った通り。聖女の力を上手く扱う方法や本物を戻す方法の方も同じように進展なし。少しでも可能性があるなら望みを懸けたいのよね」
エコーは頭を抱えて溜息をつく。
……これはあくまで想像だけれど、エコーってどうも魔術師団以外の仕事もかなり持っていそうなのよね。王様が彼女から少年に関しての報告を受け取っていた辺り、寧ろ本業は魔術師以外の部分にある気がするわ。
そうだとしたらこの多少のリスクを考慮せずに突き抜けようとする考えは、あまりよろしくない事が裏で起こっているって事じゃないかしら?
最強の聖女が不在な事で起こる問題が徐々に顕在化してきた、のかもしれないわね。
「……ヴァゲスト様は俺に一任すると言ったのだろう?」
「ええ、だから私の話はあくまで参考まで一意見を言ったまで。あなたが考慮に値しないと考えるならそれでも結構」
……改めて見るとエコーの目元、化粧で隠し切れてない隈が見えるわ。オーストも普段と違う彼女の態度に少し気勢を削がれているみたい。
まあ、どうなのでしょうね。どっちの言い分も一理ある気がして来たわ。
「いや、まあ……、しかし……」
オーストも悩み出したわね。そんな彼を少年が見つめる、エコーが見つめる。答えを出すように迫る。彼も少年を見つめる、その目は優しく、しかしどこかやるせない思いを抱えているような。
「いや、やはりだ」
「オースト隊長!」
うるさっ!
何かと思ったらこの前の騎士たちが集まってこの訓練場に乗り込んで来たわ。
「どうしたんですか皆さん」
「リリシア様。我々、聞きましたよ。あの瘴気の森へ行かれるとか」
「え?」
「隊長、我々にも是非その旅へ同行させてください!」
「命に代えてもリリシア様をお守り致します!」
……んー? どういう事かしら。
今彼らは瘴気の森へ行くって話をしているけれど、こっちで話していたのはそもそもそこへ行くかどうかなのよね。順番が前後しているわ、こっちの話が終わってからじゃないとそんな話が持ち上がるはずが無い。
……いや、その順番、操れる人が一人いるわね。
オーストも同じ思いだったようでその人物を睨み付ける。おそらくここに来るまでに彼らに瘴気の森への旅を吹聴して来た。
エコー! あなた、やったのね。
「まあまあみんな落ち着いて。残念だけどオーストはこの旅の取り止めも考えてるみたいよ。リリシア様の安全を守れるかどうか不安だとか言い出したの」
「だったら俺達がリリシア様を守りますよ! 任せてください、俺達の実力は知っているでしょう!?」
あなた達よりもオーストの方が強いでしょ。とは言っても彼らもウィロンドが誇る精鋭たち、その実力はオーストを除けば最高峰と言っても過言では無いわ。
「リリシア様もみんながいてくれたら心強いわよね?」
「え、あ、も、勿論です!」
おー、少年も良く分からないながらにこの流れに乗って来たわ。面白くなって来たじゃない。ほらオースト、この状況でこの話を無かったことに出来るかしら?
「隊長!」
「オースト?」
「お、オーストさん」
全員の視線を一身に受けるオースト。歯をぎりぎりと鳴らし、唸り、そして。
「……わかった。色々と準備もある、日程は追って伝える」
その瞬間、歓声が訓練場に響き渡る。
諸手を上げて勝ち取った権利に涙する騎士たち、よくわからないけどとりあえず望み通りになったことを喜ぶ少年、そして狙い通りとほくそ笑むエコー。いやー、めでたいめでたい。
「エコー、後で話がある」
ま、即座にエコーの笑顔は凍り付く事になったんだけどね。
あれから三日、旅路の始まり。
「リリシア様、こちらへどうぞ」
「この王都でも一番の馬車を用意しておきましたので!」
「道中も快適な旅をお約束しますよ!」
「あ、ありがとうございます……」
……うるさ。
いや、えっと、何なのかしらね。精鋭の騎士が揃いも揃ってうるさい。オーストはどんなつもりでこんな連中を連れて行こうと……。
違ったわ。オーストもなんか気持ち悪い物でも見たみたいな目をしてるの。あれの敵意の無い純粋な嫌悪感の籠った視線、初めて見たわよ。
(なんか、皆さんすごくよくしてくれる……)
少年も若干困惑気味なのよ。実際理由のわからない好意って得たいが知れなくて気持ち悪いわね。何なのかしら、あれ。
「エコー、どうやってあいつらをここまで引き込んだんだ?」
後ろで聞こえた声はオーストのもの。おそらくエコーの仕込みだろうと見たわけね。成程、確かにそれはそうだわ。よくよく考えてみればこの前も騎士の乱入はエコーの仕業だったわけだしよっぽどすごい報酬をちらつかせて。
「いや、あの人たちが勝手にやってるから知らない」
……はぁ?
「あいつらあんなに阿保だったのか?」
「そうらしいわ」
それってどういう意味ぃ? 何であいつら勝手にそんな事してるの? ああ、いや。わかったわ。こうしてお近付きになれたことだし最強の聖女リリシア様に媚びを売っておこうって魂胆ね! そうなんでしょ!
あんたら少年になる前はそんな事してなかったでしょ!!!!!!
「そもそもこの前に私が声を掛けたのもどうも彼らの中でリリシア様の評判が良いって聞いたから。それは前も言ったでしょ?」
「確かにそう聞いたが……」
私は聞いてない!
……いや、そっか。あの時オーストはエコーを呼び出して話を聞いていたからその時ね。あの時は大して興味も無かったからわざわざ聞きに行かなかったのよね。
「しかし……、あの様子は異常だろう」
そうよそうよ! 元々最強の聖女リリシア様万歳してたならともかくそんな様子無かったじゃない! 私が何も知らないとでも思ってるの!
「オースト……、あなた知ってる?」
「何をだ?」
「実はね、リリシア様って、容姿だけ見れば可憐な美少女なの」
容姿だけって何?
どう考えても中身も見た目も実力も備わった最強可愛くて美しい系美少女でしょ!
「まあ、容姿だけ見ればそうだと言うのは事実だ。容姿だけの話をするなら誰に聞いても否定はしないと俺も思う」
何であんたまで容姿だけを強調するのかしら! ちっ、どいつもこいつも見る目の無い……。
まあいいわ、エコー、あなたの主張、続きを聞かせてもらおうじゃない! 後で痛い目見せてやるからな!
「そうなのよ。その点は元々誰もが認めていたでしょう? それで、今、中身が変わったのよ」
「変わったな」
「あの子ってさ、こう……、庇護欲をそそられるような感じがあると思わない?」
……少年に、庇護欲を……。まあ、それに関しては、頷ける部分もあるかしら。いつの間にか私も彼を弟のように思っている部分がある節は否めないわ。もしも私の声が届くなら色々と世話を焼いていたかもしれないなんて思うもの。
「それがこう……、見た目も相まって、刺さったのよね」
「刺さった」
「うん……、刺さったの」
……そう、言われて、みると……、未だ幼くも健気にひたむきに努力する頑張り屋のお姫様を全力で応援する騎士、そんな物語が浮かんだわ。ありがちなその物語が彼らの姿に重なって見える。空回りする勢いでお姫様を応援する騎士、と言うか最早ファンクラブの域に達したそれが見えるわ。
「……まあ、仕事をきちんとやるなら問題ない、と、釘だけ刺しておいてくれ」
「うん……。まあそれは彼らも分かってるとは思うけど、一応ね」
二人が馬車の方を見る。
「自分はリリシア様が瘴気の森へ行かれると聞いて感動しました! 以前恐ろしい目に遭った場所へ行くのはとても勇気が必要な事です。それを健気にも自ら志願したと聞き我々も力にならねばと馳せ参じたのです!」
うわぁ……。
ああ、少年がどう反応していいのか困っているのが分かる。そりゃあそうよね。ちょっとテンションが怖いのよ。そんな雰囲気じゃないでしょ、たぶん。
……でもま、あの子の味方がいるってのは悪い事じゃ無いわ。ええ、うん。
いややっぱり最強の聖女リリシア様に同じようなファンクラブが無かったのっておかしいわよね? 少年でこれならこの百倍は好かれてないとおかしいと思わない? そもそも私変だと思うのだけど、なぜ少年の方がこんなに人気が―――――――
――――――というわけ。だから最強の聖女リリシアの方が少年よりも魅力があるのは疑いようのない事実だわ。どう考えてもね。
……あ、いつの間にか瘴気の森に着いたみたい。全く、旅路はあっという間ね、結構距離はあったはずだけど、暇な時間が少ないのは良い事だわ。
少年は馬車の中から森の様子を見て黙り込んでるわ。その胸に去来しているのはどんな思いなのか、言い表すのは難しいわね。少なくとも彼はそれを表現する言葉を持ってないわ。胸を締め付けられる痛みのような、哀しみとは違うし怒りとも違う、かと言ってここに戻って来れたことを喜んでいるようでも無い。
まあ、強いて言い表すならば虚しさって所かしら。少年が今の身体になってからもう五か月ぐらいかしら? 直に半年ね、それほど長い時間は彼の中から過去の思い出を遠いものとしてしまったみたいよ。
……或いは、それも人の身体に入れられた代償なのかもしれないわね。
「リリシア様、大丈夫ですか?」
騎士の一人が心配そうにその顔を覗き込む。少年は貼り付けたような笑みを浮かべて大丈夫だと伝える、けど、それって無理してるのがバレバレよ。彼らのやる気を煽りたいのならとっても効果的だとは思うけれど。
でもあなたの悩みを真に理解できるのはあなた以外にいないんじゃないかしら? 或いは……、ね。
「リリシア様、村には寄って行く?」
エコーが彼に尋ねる。この近くには彼が拾われた村がまだ残っている。おそらく瘴気の森を探索している部隊はそこに拠点を置いているのでしょう。本来ならば寄らない理由は無いのだろうけれど。
「……いえ、一刻も早く、先に行くべきだと、思います」
「……そう。なら行きましょうか」
来ると決まった時点で知らされていたことだけれど、村の中では少年は死んだことになっているわ。実際、見ず知らずの人間の身体に入りましたなんて言われたところで困るわよね。それに引き合わされた所で私なら無視するわよ。だってそんなの信じられないじゃない。
少年に彼らの顔を見に行く機会ぐらいは与えられる。けれどそれで彼が得られるものは何なのかしら? 無事でいることに安堵するぐらい? それってどれだけの意味があるの?
(みんなが元気だと良いけど……、会ったところで……、僕にはもう……)
少年はある種、心を決めていた。自分の歩く道を決めているのよ。
オーストの強さを目の当たりにして彼は騎士の道を歩むことを決めた。その為に訓練漬けの日々を送り今日もここへ来た目的はあくまでも瘴気の森の探索及び自身に眠る聖女の力に対しての一つのアプローチ。
少年ってば、生活とその意識はもう本物の騎士よね。あなたを拾ってくれた優しいおばあちゃんの事を恋しいと思うことは無いの? それともその記憶はあなたの中ではもうずっと遠くに感じているのかしら?
オーストはそんな彼の事をじっと見つめている。
……なんか気持ち悪いわね。言いたいことあるなら言えばぁ? こっちとしても気になってのどに小骨が刺さったみたいに気持ち悪いのよ。私は小骨の残った魚なんて食べた事無いけどね!
瘴気の森の中……、実は入った事無かったのよねぇ。思ったより霧が深くて気持ち悪いわね。
「リリシア様、苦しくはありませんか? この辺りはもう瘴気が濃いですが……」
「え、あ、だ、大丈夫です」
(ここって瘴気が濃いんだ……)
「それならよろしいのですが……、無理だけはなされませんように」
「はい、お気遣いありがとうございます」
……ふむ、もう瘴気が濃い場所なのね、この辺り。確かに周りは結構表情が強張ってるしいつの間にか変なマスクを着けてるわ。あれは瘴気を可能な限り吸わないようにする為のものらしいわよ、見た目が悪いから付けたくないのよねぇ。
幸いにも少年はこのマスクを着けてないから美しい聖女リリシア様の顔はいつでも見ることが出来るわよ!
……ちょっと首元が太くなり始めて無い? 筋肉が……、おお、もぅ……。
「何か体調とか、それ以外でも変化があったらすぐに伝えてね?」
「はい、わかりました」
……はぁ。見た目の変化がとっても気になっちゃうわ。ほんと、嫌になるわね……。
それはそれとして瘴気の森の中で少年はマスクを着けずに進む。以前に彼がここへ来た時は結構早い段階で瘴気の毒にやられていたけれど……、今回はその様子は見えないわね。
これは聖女の力の実験の一つ。元々聖女が瘴気の内部でも普通に活動できるのは知られていることだわ。聖女の力は瘴気に耐性を与えるとかなんとか言われているけれど実際にどういった効果でそれを防いでるのかは知らないわよ。
強いて言えば効かないんだから効かない、ね。
それの確認も今回の目的の一つってわけ。
「どこか見覚えのある場所はあるか?」
「……いえ。その……、ごめんなさい。記憶があやふやで……」
そりゃあそうでしょうよ。あれだけ毒で意識が朦朧としていたんだもの、はっきり覚えてます! なんて言われたらその方が胡散臭いわ。
(……僕、このままじゃ役立たずだ)
だからそんなに自分を責めても仕方ないでしょうに。全く、少年はこれだから。
「……止まれ」
オーストが不意に声を上げる。んー、これは。
「魔物だ」
その言葉に全員が身構え、少年を守る態勢を取る。ふーむ、改めて見ると中々堅固な守りだわ。オーストを戦闘に精鋭騎士が五人もいて、魔術師として力あるエコーが後ろから援護する。まあ大抵の魔物は相手にならないでしょうね。
(……僕も戦わなきゃ)
少年は剣に手を伸ばすけれど。
「リリシア様、ここは任せてください!」
「リリシア様には指一本触れさせませんよ」
まあ、この状況じゃそうなるわよねぇ。
さて、戦いはすぐに終わったわ。数頭の狼型の魔物だったのだけれど……、後ろの彼らの出番すら無かったわよ。
「隊長! 俺達にも見せ場残しといてくださいよ!」
「オースト隊長ばかり良い所見せようとして、ずるいですよ!」
いやもう圧倒的よやっぱり。最強の騎士の名は伊達じゃないわ。
「離れた位置で全て倒すのが最も安全だろう。何の問題がある?」
「それはそうですけど!」
文句、というかもはや言いがかりをつける騎士たちを正論で黙らせるオースト。まあ彼らしいわね。
……でもちょっと、やり過ぎと言うか……。
(オーストさん、やっぱりすごい……)
少年が、ね。
(……剣を振れるようになって、今だからちょっとわかる。オーストさんは、本当にすごいんだ……。僕はオーストさんみたいになればみんなに必要としてもらえるって思ってたけど……)
オースト、エコー、他の人たちもちょっと私の話聞いてくれないかしら?
(……僕は本当にあんな風になれるんだろうか?)
ねえ、この子大丈夫だと思う?
はぁ、なんだか段々気分が沈んで来たわ。
未だにみんな森の中、本当に瘴気が濃いのよ、全然先へ進めないわ。というか今って何を目的にしているのかもよくわからないんだけど。
(強く、強くならないと……、でも……)
しかも少年がさぁ! なんか悩んでてさぁ! 本当にその気分が伝わって来るの! 無理やりにでもテンション上げてかないとこっちも気分が沈んでくるんだってば!
あー、ほんと、誰でも良いし何でも良いからちょっとでも気分が変わる事起こんないかしら
「……道か」
「ここは例の村から続く道ね。瘴気が出る前はこの先にある木の実の群生地で色々と採ってたらしいよ」
エコーが持ってるのは地図ね。それを見れば森の多くの場所が未知の状態であることが分かってしまうわ。もしかしてこれ全部埋めるまで帰れないとか言わないわよね?
「リリシア」
少年は返事をしない。何か考え事をしてるんだって。
「リリシア?」
「あっ! はい、えっと、何ですか?」
「……? ……この辺りに見覚えはあるか?」
「え? ……えっと」
少年は自身の記憶を思い返す。あの日、村から飛び出して瘴気の森へ入って行った日の事を。それによれば彼は村を出てそのまま道を真っ直ぐに走って行ったのよ。
「見覚え、が、ある、気がします」
その道はここへ繋がってたってわけ。ふうん、確かにこの子の記憶にある道の形に近いわね。半年近く経っている事を考えれば多少は見た目も変わるでしょうし、こんなもんなんじゃない?
「たぶん、その、ここから向こうへ行って、その後は……、迷った? んだと思います」
「迷った?」
「はい……」
「食べ物を採ろうと思って村の外へ出たんだったっけ?」
「はい」
「じゃあこの向こうの木の実を採りに?」
「そんな話を聞いた記憶があって……」
そういえば森へ入った時に食料がこの先にあるはずなんて言ってたわね。あれは昔にこの先で木の実を採っていたって話を聞いていたからってことなのね。よくよく考えれば村の外へ出たことの無いこの子がそんな事知っているはずないもの。
「でしたらせっかくですしその木の実が生えているという辺りまで行ってみては?」
騎士の一人がそんなことを軽く言った。
「それは良い! そこまでの安全を我々が確保できれば村の食料問題を多少は改善出来るやもしれません!」
それに同調するようにまた一人が声を上げる。そして他の者も次第にその論調に同調していく。渋い顔をしているのはオーストとエコーね。
「んー、そこまでするのは私たちが来た目的から外れているような気もするけど……、とはいえどうせこの辺りを探索するなら何かしら目的を作るのも悪くはないかしら?」
ふむ、渋い顔の割にエコーはどっちでも構わないって感じかしら。少なくとも完全に反対って感じでは無いわね。
「エコー、それはここからどの程度離れているかわかるのか?」
「一応ね。そこに目印があるでしょ」
エコーが刺したのはウィロンド国の紋章が付けられた一本の杭。
「これがあるってことは地図上だとこの位置。村からはそう離れて無い場所ね。木の実の群生地は村人からの聞き取りでこの辺りじゃないかって言われてるわ」
村からここまでの距離のおおよそ十倍ってところね。もう森の景色も見飽きたし帰りましょうか。
「遠いな」
ほら、オーストもこう言ってるわよ。ま、私は地図が良く分からないからどのぐらい遠いのかわからないけど。村がすぐ見える位置にあるなら実は近いのかもしれないわよ?
ああ、オーストが遠いって言ったんだしそれは無いわよね。
「不測の事態があれば対応が難しい距離だ」
「とはいえ目的も無く歩くのもどうなの? それにこの子が歩いた道を辿るのも私たちには必要な事だと思うわ」
あー、成程、さっきのエコーの渋い顔。あれってオーストを説得するのが難しいからだったのかもしれないわ。意見自体には賛成だけれどこの頭の固い男を説得するのは嫌だったに違いないわ。
睨み合う二人を余所に他の騎士たちは少年を囲む。
「リリシア様はどうお考えになられますか?」
「え?」
少年はその問いに、そうね、困惑かしら? しているわ。
(僕は……、僕はどうしたいんだろう)
黙り込んだ少年を、騎士たちが見つめる。
さあ少年、あなたはこの問いにどう答えるの?
実のところ、私は少年をいつの間にかまるで弟のように思っている部分がある、の、だけれど。その一方でこの子の事を嫌ってもいるわ。
生きる楽しみって知ってるかしら?
全力で我が儘を貫き通すことなのよ。
(村の人たちが食べ物を手に入れられるようになるのは嬉しい。でもオーストさんは危ないから反対してる。僕はオーストさんのように強くないんだからそれもそうだ。でもここに来る時にそういう危ないことが起こるかもって思ってたんだから進むべきだとも思うし。エコーさんはこのことに賛成なんだろうか? 他の騎士さん達は行こうって言ってくれてるけど……)
こんな状況でも周りの顔色ばかり窺って自分がどうしたいのかなんてほんの少ししか考えて無いわ。このままじゃ周りの雰囲気に流されて終わりね。どっちに転ぶかはこの子じゃなくて周りを見て予想した方が良さそうよ。
この場における一番の権力者は間違いなくオーストね。ただそれは他が弱いという意味じゃなくて比較的強いってだけ。彼以外の意見が一致に向かっている現在で分があるのはどちらかと言えば。
「どうせ瘴気の発生源を探す必要もあるのでは?」
「そうだそうだ、闇雲に歩くことに変わりないのならひとまずの目的地を設定して何が悪い!」
「彼らの言う事に特別間違いは無いんじゃない? あなたがいて精鋭の騎士がこれだけいるならリリシア様の守りも十分だと思うけど」
まあ探索賛成組よね。ま、流されるまま奥まで行きましょうか。
「……リリシアの考えをまだ聞いていない」
オースト、あなたも往生際が悪いわね。この状況で少年からどういう返事が来るかなんて大体想像がつくんじゃないの?
「僕は……、その、みんなの言う通り行くべきだと……、思います」
「……ならいい。行くとしよう」
ほらね。わかり切ってたことじゃない。オーストったらお馬鹿さんねぇ。
(どうして、オーストさんは僕の意見なんかを……)
……こっちはこっちでお馬鹿さんねぇ。何に悩んでるのかもう私にはよくわからないわ。少年の考えてる事は分かるけど少年の考えを理解できるわけじゃないのよね。不便なようにも思えるけどこんな陰気な思考に染まるよりはましと考えておきましょう。
さて、他の連中は。
「流石はリリシア様。村の人々の為にもそう言うと思っていました!」
……こいつら適当言っててもなんか無理矢理に理由作ってこの子の事褒め称えそうじゃない? 宗教じゃないの?
お、真面目そうな表情で信者が寄って来たわよ。
「我々もリリシア様の過去は聞き及んでおります。かつて貴女が村を出てこの瘴気の森に入ったのは村の人々の為に食料を求めての事であったと」
「以前はこの森の瘴気や魔物の手によりそれを叶える事は出来なかったかもしれません。しかし今は我々もおります。貴女がそう望むのであれば、我々はその望みを叶える為にこの力を尽くしましょう」
ははは、言われてるわよ、少年。何か言ってあげたら?
「ありがとう、ございます。……一緒に頑張りましょう」
「はい!」
あはははは、これって喜劇かしら、それとも悲劇? 少年ってば彼らの中では本当に慈悲深き聖女様になってるのね。
(……間違ってない、これは間違ってないんだ)
ほらほらほら、もっとそういう風に演じてあげなさいよ。彼らに必要とされる存在になれば良いのよ、簡単でしょ? あなたそういう才能に溢れてるわよ。周りのみんなももっと煽って行きましょう!
最強の聖女リリシア様の世直し伝説の始まりね!
めっちゃつまんなそう。そんなの見て何が面白いのかしら、はぁ……。
周囲を警戒しながら慎重に歩みを進めるオースト、意見が通ったのが嬉しいのか足取り軽く前へ進む騎士たち、少年の傍で歩調を合わせながら地図にメモ書きを書き入れているエコー、時折周囲の様子を覗う時以外は常に俯いている少年。
……何か切っ掛けでも無いとどうにもならないでしょうね。私にはどうすることも出来ないしぃ。
「止まれ」
オーストの鋭い声。全員が立ち止まり周囲への警戒を顕わにする。魔物? いや、そんな気配でも無いわね。
「……オースト?」
んー? オーストが前方に歩いて行く。剣は抜いて無いわね、何かを確かめに行った?
瘴気の向こうには薄っすら大木があるのが見えるけど……、あ、戻って来た。
「何かあった……。それって」
「ひっ」
「隊長、それは……」
オーストが引っ張ってきたのはほぼ骨になった人の死体、ね。グロテスクなもの見せないでくれる? 気分が悪いでしょ。
「そこの木の根元に転がっていた」
「転がっていたって……。わざわざ持ってこなくても……」
ふうん、辛うじて形の残っている衣服を見ればどうやら子供らしいことぐらいは分かるわね。後の事はさっぱり。
ん? 子供?
「リリシア様、どうかされましたか?」
少年が震えている。白骨遺体なんてショッキングなものを見れば子供が震えるぐらい想像つくでしょ、とでも言いたいところだけれど……。
そんな話じゃないのよね。
「その服」
ええ、あれはあなたが村を出た時に。
「見覚えがあります」
着ていたものだったわね。
自分の死体だなんて普通見れないわよ? 貴重な体験おめでとう、良かったじゃない。
……んー、なんだか何もかも悪い方に転がってないかしら?




