7.
トルチェの滞在期間は三日ほどだったわ。その間あの小娘は少年の面倒を見る、と言う名目でオーストとずっと一緒にいたのよ。
……これほどオーストの存在を頼もしく思った日々も無かったでしょうね。あの女ほんっとに、もう……、はぁ。
トルチェはオーストの前では正しく物語に出て来そうな聖女然とした姿を保っていたわ。私からすれば若干気味悪いぐらいだけれど、純情無垢で慈愛に満ちた聖女様なんてのは物語で見飽きてるからね、まあ少々鬱陶しいと思うぐらいで問題無いわ。
やかましいのは少年と二人きりの時よ、やれオーストにどんな風にアピールしたらいいかとかどんなものが好みかとか根掘り葉掘り……。それって年下の男の子に聞くべき質問かしらぁ? 少年、困惑してたわよ、本当に。聞かれた事に答えられる限り答えていたのは素直過ぎる彼らしいけれど。
でもまあ、正直他人の恋路なんてうざったいだけよ。あんなもの聞かされるぐらいならオーストの仏頂面を見ている方がましだったわ。
ま、それももう終わった話。
「リリシア様、オースト様、またいずれお会いしましょう」
「トルチェ様、ありがとうございました。あなたの尽力にウィロンド国を代表して感謝を申し上げます」
「ありがとうございました」
トルチェが名残惜しそうにしながらも馬車へ乗り込む。
走れ、走れぇえええ! さっさと消えろ! よしよしよし、どんどん遠ざかって……、今、視界にも映らなくなった。
二度と来るな!!!
城内へと戻りながらオーストは少しだけ憂鬱そうな表情を見せていた。
「あの、オーストさん、どうかしましたか?」
……この数日、少年はトルチェに付き合ってオーストの表情をずっと追っていたのよ。そのせいで多少何を考えているのかわかるようになったみたいね。そしてそれに付き合っていた私も。……いらない能力を身に付けてしまったものねぇ……。
「何も問題は無い。ただ少し疲れが溜まっているだけだ」
そう、これは言うまでも無く嘘よ。
トルチェがここへ来た目的はオーストに会いに来たわけじゃ無いわ。最強の聖女リリシア様の聖女の力を取り戻すのが目的だったわけ。で、それが果たされたかと言えば、ねぇ。
多少の期待はあっただけに落胆も大きいって所かしら。他の聖女の力を借りれば何らかの進展がある、そんな風に思うことは悪い事じゃ無いわ。私だって一切期待していなかったかと言われれば……、ただ頷くなんて流石に出来ないもの。
そりゃあ最強の聖女リリシア様の力を封じているんだもの、この呪いが他の聖女に解けるはずも無かったとはいえね。
「あの、今日の訓練は……、僕一人でやりますから。オーストさんは休んでください」
へぇ、この子ったら一丁前に気を遣ってるわよ。中身はほんの十一歳の子供なのにねぇ。ほらほら気を遣われて悔しく無いのかしら? オースト、その面見せて見なさいよ。
「いや、休む必要は無い。お前の方が疲れているんじゃないか?」
「いえ、僕は、この三日は訓練もお休みしてだったので……」
いや、待って。そうよ、この三日訓練やってなかったわ。折角だから今日も休みましょう。明日も明後日も今後一切やらないでいいじゃない。
もうやめましょうよ! 聖女リリシアの美しい身体に変な筋肉を付けるのは!
「ならば今日は少し厳しく行くとしよう」
「はい!」
あああああああっ!!!!!
なぜ……、どうして……。トルチェが帰ってからというものオーストは訓練の日程をみっちりと詰め込んで、少年の、聖女リリシアの肉体改造に励んでいるわ。
「少しは筋が良くなってきたな」
「本当ですか!?」
今日なんて珍しくオーストが褒めるものだから少年が目を輝かせてたわ。少年も少年よねぇ、オーストの事がそんなに好きなの? トルチェと二人でオーストのファンクラブでも作ってみたら?
……はぁ。まあ少年が訓練に精を出すのはウィロンド王国にとっては良い事なのかしらねぇ。悪魔の呪いとやらで聖女の力が、最強の聖女リリシア様が封じられて四か月も経つのに未だに力を取り戻すことは叶わないなんてね。
そろそろ国としても本格的に少年を前線に出すことを検討せざるを得ない時期なんじゃないかしら?
「オーストさん、僕、あとどのぐらいで騎士になれますか?」
と、言ってもそう簡単にはいかないでしょうけど。
少年の問いにオーストは答えなかった。そう言う事を考えるにはまだ早いと適当にはぐらかしていた。ウィロンドの騎士の多くはその家系で騎士に就くと決まっている、要するに幼い頃から将来の為に様々な訓練をしているという事ね。それに対して聖女は別に身体を鍛える必要なんて無いのよねぇ。
早い話が最強の聖女リリシア様も肉体の強さに限って言えばそこらの少女と変わりない……、無かった。この四か月それはもう素晴らしい程熱心に鍛え上げていたのは認めるけれど、そんな短い期間で引っ繰り返せるほど甘い物でもないでしょう?
常識的に考えれば少年が戦えるようになる頃には国が滅びてるかもしれないわよ。……ま、最近は落ち着いてるから案外大丈夫かもしれないけど。
その日の夜、少年が寝静まった後の事、オーストはヴァゲスト国王様と会談をしていたわ。
「……聖女リリシアを戦場に出す、と?」
「はい。無論、周囲は精鋭で固め可能な限り弱い魔物と戦わせるつもりです」
「本気で言っておるのか?」
「ヴァゲスト様を前に虚言を申し上げる事はございません」
「……エコーから聞いておる。あれは多少の力は付いたが元が元だ、下級の騎士とさえ比較にならんとな。それでも、と言うのだな?」
王様の威圧するような声にもオーストは臆さない。彼の忠義は本物よ、それにも関わらず王様の考えと反することを言うってことは何か考えがあるのでしょう。
「我々に残された猶予がどれだけあるかは誰にも分かりません」
猶予、ね。
「この四か月、悪魔や魔物共の攻勢はいつになく落ち着いています。これは様々な報告書を見る限り明らかな事です」
これに関してはエコーやそこらの騎士の話を聞く限り本当の事らしいわ。実際、私の体感としても騎士が魔物退治に呼び出される頻度が明らかに少ない。以前までのこの国であればオーストがほぼ毎日のように少年に稽古を付けられるなんてあり得ないはず。
それどころか噂では他国でも魔物達の攻勢が少ないなんて話まであるわ。それが事実だとすれば……。
「これが何を意味するかを完全に読み解く事は我々には出来ません。が、仮説を立てることぐらいならば私程度にも出来ます」
「述べてみよ」
「……聖女リリシアの力を封印する為に一時的に力を失っている、という可能性です」
最強の聖女リリシアが力を失ったにもかかわらず人々は望外の平穏に湧いている。その中でどれだけがこの考えに至ったかしら。
国王様は……、まあ当然その可能性は考えているわよねぇ。
「その可能性を指摘した者が数人いる。情報を集めれば集める程、聖女リリシアが力を失ったその時と魔物の攻勢が減った時期の一致が見過ごせない事実として確認される。力ある悪魔の出現もこの四か月の間ぱったりと途絶えているようだ」
もしあまりにも強大でどうにもならない敵を封印出来たとして、その次はどうするかしら? 不用意に突撃するのはあまりおすすめしないわ。だって他にも敵はいるんだもの、封印に力を使って弱っている状態じゃちょっと怖いわよね。
だからオーストは猶予と言ったんでしょうね。
「いずれ悪魔は現れる。その前に、リリシアをどう戦闘に組み込むべきか実地で見分しておかねばなりません」
「……オースト、お前の考えは理解した」
国王様は彼をその鋭い視線で見下ろしたまま黙り込み、やがて大きく息を吐いた。
「好きにしろ。この国の防衛の要は今やオースト、お前なのだ。その意見を誰が否定できる」
「ヴァゲスト様……」
「必要な事があれば直接伝えよ。如何様にも取り計らう」
「ありがとうございます」
オーストは深々と礼をするとそのまま踵を返して去って行く。これは、彼なりの気遣いでしょうね。
最強の聖女リリシアの不在は想像よりも王様に深い心労を与えているようだわ。あれほど覇気に満ちた顔をしていたのに今日は不思議と端々に浮き出る皺が目に付くの。
一人にして少し休ませてあげましょう。
とうとうこの日がやって来た。少年は専用に作られた鎧を身に付けて町の外へ向かう。近場に現れた魔物の討伐へと向かうのだ。脇を固めるのはオースト、エコー、他数名。
……いやぁ、たかが小物相手に凄い面子よ。
「緊張してるのか?」
「え! いえ! 大丈夫、です!」
(大丈夫大丈夫、たくさん訓練して来たんだ大丈夫)
……心を読むまでも無く緊張してるのが丸わかりなんだけどね。
もう少年ったらがちがちよ、身に纏った鎧よりもがちがち。こんなので大丈夫かしら、みんな不安そうに見ているんだけどそれにすら気付いてないみたい。
「リリシア様、そんなに緊張しなくても大丈夫。いざとなったら私たちもいるんだから」
「は、はい……」
うーん、それって少年には逆効果かも。
(……そ、そうだ。オーストさんやエコーさん、それに他にも色んな人たちが来てる。……これで何も出来なかったら、僕なんかいらないってなっちゃう)
ほらね。じゃあどう声を掛ければいいのかなんて私は知らないけど。
「もうすぐ目的地だ。そこに着き次第三方に別れ捜索を始める。発見した者はすぐに狼煙を上げる様に」
「はい!」
辿り着いたのは平原と森の境。おそらくは普段は森に隠れ潜んでいる魔物がたまたま出て来たところを目撃されたって所かしら。
魔物の種類はゴブリン、小鬼なんて呼ぶところもあるわね。人型で子供ぐらいの大きさ、ああ、丁度元の少年ぐらいの大きさよ。良かったじゃない、お友達ね。ま、今は少年の方が少し大きいわ。どのみち一体や二体なら大した脅威では無いわね。あれは本当に人間の子供と大差ないんだから。
群れになる前にさっさと滅ぼしてやりましょう。
森の中を彷徨い始めて一時間ほど経ったわ。鎧を着たままの行軍は中々に辛いらしくて、少年はもう息が上がり始めてる。
「疲れたか?」
「いえ、まだ大丈夫です」
最近の訓練では鎧を身に着けたまま走り込んだり模擬戦をしたりしていたんだもの。多少息が上がったとてまだまだ動けるでしょう。
おかげ様で最強の聖女リリシア様の身体に筋肉がどんどん付いていってます事よ! 元の美しい身体を返せっ!
「しかし中々見つからないわね」
「ゴブリンは身体が小さい。森の中は隠れ場所の宝庫だ」
「見つからなかったらどうするの」
「これは見回り兼実地訓練だった事にする」
「はぁ~、見つかるよう祈っておくわ」
ま、仮に実地訓練になっても良い経験にはなるわよ。今まで少年は城内でしか訓練して無かったわけだし鎧を着て不安定な足場を動くのは中々出来る事じゃ無いわ。とは言っても、どうせならゴブリンぐらい討伐して帰りたいものよねぇ。
「あ」
不意にエコーが上を指差す。
「狼煙だ」
木々の切れ間から遠くに昇っている狼煙が見えた。
「行くぞ」
「はい!」
オーストが駆け出し二人も後に続く。
(とうとう、魔物と戦うんだ……)
少年は強張った表情を見せて緊張を顕わにしていたわ。とは言っても魔物と戦うのはあなたの望み通りの事でもあるでしょうに。緊張なんてしてる場合じゃ無いわよ、折角なんだから少しは良い所見せてみなさいな。
……いや、ここでどうにもならないとわかったら訓練も終わって本来の聖女リリシアの美しさが取り戻せる?
よし、失敗しましょう! どうせオースト達がいるんだから平気平気! どうにかなるどうにかなる!
さて、ようやく狼煙の場所へ辿り着き更にそこにいた案内役の後をついて行った先。そこにゴブリンがいたわ。
「あれがゴブリンですか?」
「そうだ」
「小さい……」
ああ、そう言えば少年ってサイクロプスしか魔物を見た事無かったわね。あれが基準だったら今頃人類滅びてるわよ。少なくとも聖女の力の届かない所ではね。
「小さいと言えどあれは魔物だ。人を見れば敵意を持ち、殺そうとする意志を持っている」
ゴブリンは人の子供程度の力しか持っていないわ。でも人の子供だって人を殺すことは出来るのよ。武器や環境を使えば自身より強い者でも殺せるし、その弱弱しい力でもより弱き者を狙えば簡単に殺せるんだから。
「リリシア、お前がこれから行うのは命の取り合いだという事を忘れるな。たとえどれだけ相手が弱そうに見えても、だ。いつだって油断した者から死んでいく、お前はそうなるな」
オースト、あなたはそんな場面をどれだけ見て来たのかしらね。
「分かりました」
少年もその事をなんとなく感じ取ったんでしょう。ゴブリンが小さいと見て少し緩んでいた気が強く引き締め直されて行くわ。
まあ、それは同時に彼の緊張しいな所が戻って来るのも意味するけど。
「行ってこい」
「は、はい」
少年が剣を構え最初の一歩を踏み出す。がちがちな様子に見守る者は皆が不安に陥っていた。
「オースト、余計な事言わない方が良かったんじゃない?」
「いや、あれは、戦う上で当然の心構えだろう」
「それは分かるんだけど、あれを見てるとさぁ……」
不安だ。いや、本当に不安。
まさか最強の聖女リリシア様の身体に傷なんか付けないわよね? 頼むわよ?
ゴブリンが少年に気付く。普段のゴブリンなら騎士を見れば逃げ出す所かしら? おそらく群れに合流を図ると思うのよね。ただこのゴブリンは違う、それは少年が明らかに緊張しているのを見て取ったからかそれとも近くに群れが無いからなのかはわからないけど、木で作られたこん棒を手に少年に向けて歩き出した。
(く、来る!)
徐々にその足は速くなり、こん棒を振り上げて跳びかかる。
(……あ、遅い)
その動きを少年は危なげなく躱した。そして地面に着地した瞬間にゴブリンに向けて剣を振り下ろす。滑らかな剣筋はこの何か月か繰り返して来た反復練習のおかげなのでしょうね。胴体を斬り抜けてその断面から血が吹き出る。ずるり、と上半身がずれて地面へと落ちて行った。
(……た、倒した?)
少年は剣を振り切った姿勢のまま崩れ落ちた肉塊を見つめていた。
……えぇと、意外に筋が良いじゃない。これってもしかしてどんどん騎士として力を付けて行っちゃうのかしら? そんなことになったら……、もう、元の身体には……。
……考えるのは止めましょう。
ん?
オーストが音も無く少年の元へ駆け寄る。
あ。
「え?」
オーストの剣が少年、を通り過ぎ彼の背後を狙っていたゴブリンを斬り裂いた。これ、たぶん気付いていてわざと泳がせたんじゃないの? さいてー!
「あ、ありがとうございます」
「……リリシア」
「はい」
「まずは褒めよう。お前は確かにその剣で魔物を倒した。初めての実戦にも関わらず剣を振るう際に臆すること無く敵を一刀の下に仕留めたその姿には非凡なものすら感じたほどだ」
おお……、オーストがここまで手放しで人を褒めるなんて珍しいんじゃないかしら。相手が悪魔の呪いでこんな状況に陥っている一般人とはいえ、後ろで他の騎士もざわめいているじゃない。
「ありがとう、ございます」
(オーストさんが褒めてくれた!)
少年も喜んじゃってまあ。もうちょっと優しくしてあげたら? 相手は子供なのよ?
「しかし!」
うわっ、びっくりした。急に大きな声出さないでくれる?
見なさいよ、少年もびっくりして正に鳩が豆鉄砲を食ったようになってるじゃない。
「俺が助けなければここでお前は死んでいた」
……それに関しては、まあ、反論は出来ないわね。少年もようやくそのことに気が付いたみたい。
「お前は敵を一体と決め付け倒したと見るや油断し周囲への警戒を怠った。故に死んだ」
「……はい」
「本当に前線に出たいならば魔物を倒して喜ぶのは止めろ。俺達は自らが生きる為に、人々を生かす為に戦っている。喜ぶ暇があるなら一体でも多くの魔物を殺せ! 人々を救え! それが出来ないなら……」
オーストの言葉には普段に無い熱が籠っていた。……彼は少年をどうしたいのかしら。聖女の力を持つ者として戦って欲しいのか、それとも安全な城に閉じこもっていて欲しいのか。
それとも、それを見極めようとしているのかしらね。
少年はオーストの言葉に何も応える事は出来なかった。なぜでしょうね。
ただまあ、帰り道にオーストがエコーを筆頭に他の人から言い過ぎだと責められているのはちょっと面白かったわ。
もっとやれ、もっとやれ!
帰り道、少年は沈んだ様子だったわ。オーストはそんな彼を放置していたけれど他の騎士たちは何とか慰めようとしていたわね。その度に少年は大丈夫です、なんて強がっていたけど。
これに懲りて戦うのを止めてくれれば美しい聖女の身体を取り戻せるというものだけど……、はぁ。ま、期待できないでしょうね。嫌になっちゃうわ。




