5.
最強の聖女リリシア様の身体に少年が入ってから一か月ほど経ったわ。幸いな事に魔物の攻勢は無く、偶に現れた一、二体程度のはぐれ魔物を倒すのに騎士や魔導士が駆り出される程度の日々。そんな平穏の中でオーストとエコーはたまに呼び出された時を除いて少年と一緒に過ごしていたわ。
……ええ、そうよ。
あの二人全然訓練を止めようとしなかったのよ! もう一か月よ! 一か月もずっと騎士になる為の訓練なんてさせてるのよ! 信じられない!
一月も訓練すれば徐々に筋肉が付き始めてしまう。見て御覧なさい! 美しい最強の聖女リリシア様の細くしなやかな四肢にちょっと筋肉が付き始めてるのよ! オーストは何をしてるのよ! 何で積極的に訓練させてるのよ! 加減しなさいよ! こんな……、こんなのって……。
ああああああああ、もうやだああああああああ!!!!!
失礼、取り乱したわ。
さて、一か月の訓練……、もう思い出したくも無いけれど……、とりあえずその成果はあったみたいよ。
「オースト、さん、はあ、はあ、お、終わり、ました」
今いるのは訓練場、そして今日も日々の訓練を終えたところね。最初の頃は終わるや否や倒れ込んでいたものだけれど最近は立っていられるようになったわ。
それだけ筋肉が付いているってことだと思うと……、ああ、もうやめましょう。
オーストは少年の姿を見ながらしばらく何か考えている。
「あ、あの、どうかしましたか?」
「……少しは体力も付いて来た。明日からはトレーニングメニューを変えて戦闘用の訓練もやって行く」
「本当ですか!?」
「軽いものだがな。あくまで基本は体力作りだ」
ちょっとオースト、本気でこの子を騎士にするつもりなの? 最強の聖女リリシア様が騎士になるなんて冗談じゃないわよ……。
「僕も魔物を倒せるようになりますか?」
「それはこれからのお前次第だ。今日は終わりだ、しっかり休め」
それだけ言うとオーストは去って行く。そして入れ替わるようにエコーが少年の元へ。
「あんな風に言ってるけど裏では結構褒めてたのよ。厳しい訓練なのにちゃんとこなしてるって」
「厳しくてもちゃんとやりますよ」
「最強の聖女になるんだもんねー」
エコーは頬を引っ張たりして少年で遊び始める。ちょっとエコー、あなたそれが誰の身体かわかってやってるんでしょうね? 最強の聖女リリシア様の身体で遊ぶだなんていい度胸してるじゃない。
(エコーさん、距離がいっつも近くて、その、緊張する……)
ほらほら少年も困ってるわよ。
「じゃあ一緒にお風呂行きましょ。汗を流してさっぱりしましょうね~」
「ひ、一人で大丈夫、です」
「あの聖女リリシア様を一人でお風呂になんて入れられるわけないでしょ~」
「うぅ……」
この女こそ痴女ね。この子の中身が男の子だとわかってからもほぼ毎日のように身体を洗う為とか言って一緒に浴場へ向かうやべーやつよ。侍女の類ならともかくこの女なんて元はただの田舎娘だからね。
やべー女との混浴……、混浴? まあ混浴でいいわ、を終えて部屋へ。
(今日も疲れたなぁ……)
少年はお疲れね。エコーもそれを察して彼をベッドに連れて行く。
「明日からは戦闘の訓練も始まるものね。今日はゆっくりお休み」
「はい……、おや、すみ」
(なさい……)
連日の訓練で疲れも大きく溜まっているでしょう。いつもこうして早々に寝入ってしまうわ。エコーはそんな少年の寝顔を見て……、見てるけど、大丈夫よね? 貞操とか。
「よく寝てるみたいだし私も行きますか」
幸い、いらぬ心配だったみたい。エコーはさっさと部屋を出て行ったわ。残されるは寝息を立てる少年のみ。
……今までだったらここは少年の記憶の上映会でもしていたところだけれど。ま、一か月もそうしていたものね。幸い他の場所へも行けるようだしちょっと色々と覗いてみましょうか。
エコーが向かっているのはどうやらオーストの部屋のようね。これからの相談でもするのかしら?
「オースト、入るわよ~」
ノックもそこそこにさっさと入るとそこには半裸のオーストが。どうやら着替え中だったようね。何も気にせず入って行ったけど。
……やっぱりこの女ちょっとやべー女ね。
オーストは着替えを終えるとエコーに椅子を差し出して座らせる。
「リリシアは?」
「もう眠ったわ。まあ騎士様の訓練をやらされてるんだもの、疲れて当然でしょ?」
「俺はあの三倍の訓練を日常的にこなしているが」
「あなたと一般人を一緒にするのはやめない? そもそも聖女様の身体があなたと同じだけの体力があるわけないでしょ」
「それはそうだがな」
こいつら本当に最強の聖女リリシア様に対して敬意を持ってないわよね。どうかしてるわよ。
「それで、首尾は?」
「まあコツコツ聞き続けた甲斐があったわ。この一月で色々と分かって来たわよ」
……何の話かしら? まあ実のところ想像は付いているけれど。
「聖女リリシアの身体に入っている少年だけど、生まれはラトビ村ってのは聞いたわよね」
「ああ、あれはどこかわかったのか?」
「一応ね。頑張って覚えている事を聞き出しては色んな所に馬を飛ばしたのよ? 残念ながらもう無くなってるみたいだけど」
ああ、やっぱりそう言う事ね。
エコーは毎日少年とお風呂に入りながら色々と話をしていたのよ。少年の好きな食べ物や色なんて世間話から過去にいた場所がどんな所だったかまで幅広く。思うに訓練をさせたのも疲れが溜まって思考力が鈍ったタイミングで色々と聞き出そうとしていたのかもしれないわ。
「村が滅んだ原因は魔物か?」
「ええ、おそらくだけどあの子は魔物に襲われた村で養えなくなって捨てられたみたい」
「捨てられた?」
「あの子の話と、近くの村で聞いた話を総合するとね」
色々とエコーが説明しているけれど要約すると少年が口減らしで捨てられた後に拾われた村を発見したみたい。少年の記憶を覗く限り周辺には瘴気の森があってこっちも滅んだかと思っていたけれどどうやら無事だったようね。
「十歳ぐらいの子供が行方不明、か。おそらくそれが今の聖女の中身なのだろう」
「あそこの住人は外に出て魔物に襲われてしまったと思っていたみたいね。今はあの村を拠点に周辺を探索するべく騎士団と魔導士団を編成中」
「……何か手掛かりが見つかると良いがな」
どうかしらねぇ。少年の肉体は悪魔に持って行かれたみたいだし、何も残っていないとは思うけれど。まあどのみち瘴気が溜まっているなら放ってはおけないし彼らを派遣すること自体には異論は無いわ。
「ま、とりあえず私の報告はこんなところだけど……。そっちはどうなの?」
「どう、とは?」
エコーの言いたいこと、私にはわかるわ。ちょーっと、気になることがあるのよねぇ。
「あの子に戦闘訓練させるって言ってたでしょ。そんなにあの子の事気に入ったの?」
そう、戦闘訓練よ。
この一か月の訓練はあの子の思考力を奪って話を聞き出す為にやっていた、その前提で考えるなら戦闘訓練なんて必要ないでしょ? 少し体力が付いて来たところでまだまだだとか言ってもっときついメニューに変えればいいじゃない。
正直、オーストが何を考えているのか私にはわからないわ。
「……聖女の力については何かわかったか?」
「あの子の中にあること以外はあまり進展は無いわね。うちの団長が他の国の聖女に話を聞き回っているみたいだけれど残念ながら、ね」
「お前も少しは試しているだろう」
「……まあ、ね。こっそり魔法を撃ってみたり、私が魔法を撃つ時の感覚を伝えたりしてはいるけど……、正直何かが進んでいる実感は無いわ」
常に毅然とした態度で振る舞う王様も普段は日和見主義の大臣も下に仕事を任せて自分は研究室に籠っている魔導士団の団長も、おそらくは今頃その能力を全て使って最強の聖女リリシア様の持つ聖女の力を取り戻すべく奔走している事でしょう。
ここにいるエコーやオーストもそれに変わりは無い、はず。
「でもね、こっちで進展が無いからって魔物の前に立たせれば聖女の力が戻るとでも言うの? 正直、今の状態であの子を騎士にするのは余計な危険が増すだけよ。王様は確かにあなたに聖女を鍛え上げるように頼んだけれどそれは無用な危険を冒したいわけじゃないでしょ?」
エコーは鋭く目の前で顔に仏頂面を張り付ける騎士を睨み付ける。しかしオーストは少しも表情を変えはしない。
「私の言葉が気に食わない? それなら力づくで従わせてみる?」
彼女は随分と強気に見えるけど言葉の端が震えているのが分かる。相手は最強の騎士よ、多少距離が離れていれば魔法で有利に戦えるかもしれないけれど、この距離じゃあねぇ。本気で喧嘩にでもなれば一方的になるのは分かっているってわけ。
それでも敢えてそんな言葉を使うのは……。
「ヴァゲスト王に俺の勝手を止める様に言われたか」
その言葉に思わずエコーが視線を逸らす。
まあ、図星みたいね。ふむ、王様は少年に会いに来ないけど監視の目はきっちりあるって事ね。そして現状では前線に立たせるのは有り得ないと思っていると。
「……俺自身、実際に前線に出すかは悩んではいる」
「出す可能性はあるってこと?」
「国が滅ぶ前には賭けに出ねばならぬこともあるだろう」
……要するにどうしようもない魔物や悪魔の軍勢が現れた時には聖女の力が発現することに賭けて前線に出すしかないって事よね。
「それは、まあ、そうかもね。おそらくその言葉には王様も納得するんじゃないかしら? でもそれだけとは思えないんだけど……」
「……まあ、少し思う所がある」
「それを黙ったままでいられると思う?」
「少し待て……、きちんと説明はする」
まあ、オーストはあの性格だもの、暴力と威圧で世間を渡り歩いて来た人間よ。と言っても国と王への忠誠は本物、何か考えがあるなら隠し立てをする性格ではない、と思うのだけど。どうかしら?
「あの子は、どういう人間だと思う?」
「同情? あなたらしくも無い」
「そうか?」
そうでしょ、あなた敵を前にして同情なんてしたこと無いんじゃないの? 魔物相手は勿論、野盗の類を相手にした時も平気でぶち殺していたと思ったけれど。
「まあ、それはそれとして、同情とは別の話だ」
「聞きましょう」
「あの子は、自分が必要とされない状況を随分と恐れている、そう見えた」
……へぇ、ちゃんと見てるじゃない。
「そして少々、思い詰めるタイプである、と理解した」
「……そうね、それに関してはたぶん合ってると思うわ。さっきも言ったけれどあの子はラトビ村から捨てられて他の村の人間に拾われている。その村の人間は良くしてくれたみたいだけど、自分が何も出来ないのが歯がゆかったみたいなことを言ってたわ」
「下手に部屋に閉じ込めてもその状態を良しとはしないだろう。俺は可能な限りあの子の精神状態を安定させた方が望ましい、と思う」
オースト、あなた見る目あるわね。その考え、正しくその通りと言ってあげたいわ。
少年は自身が捨てられたという経験に相当なトラウマを持っているのよ。両親が愛情を持って育ててくれたにもかかわらず、或いはそれが故かしら? 再び捨てられることを恐れている彼は自分の価値を周囲の人間に誇示しようと必死なのね。そうしなければまた捨てられるぞ、なんてとんでもない強迫観念をお持ちのようよ。
さて、エコーはオーストの言葉に納得したのかしら。
「……まあ、一理ある、とは言っておこうかしら。でも正直入れ込み過ぎだとは思うわ。あの子にするのはあくまで訓練だけにすべきだと思うけど?」
言外にオーストが実際に戦地に連れて行こうとしているのでは無いかとの懸念を言っているのね。……私も少しそこは気になるわ。
「俺とて馬鹿ではない。戦闘訓練は何の為に行うのだと思う?」
「戦う為でしょ?」
「知っているか? 実践を模した模擬戦でも十分に危険で怪我の可能性があるという事を」
エコーがその言葉に思わず顔を引き攣らせて黙り込む。
……ちょっと待ちなさいよ! オースト、まさかあなた!
「足の一本でも折ってしまえばしばらくは強制的に体力作りも出来なくなるな」
最強の聖女リリシアの身体にそんな事するつもりなの! 冗談じゃないわよ! ただでさえ美しい身体に筋肉が付いて来たのも嫌だったのに怪我までさせるなんてあり得ないわ!
エコー、あなた黙ってないでなんか言いなさいよ!
「……オースト、流石にそれはちょっと」
「不味いか?」
「不味いでしょ……。一応いつ本物のリリシア様が戻って来るかもわからないんだから、変に身体を傷物にするのはねぇ」
「……それもそうだな。だがまあ、戦闘訓練と言うのは単なる体力づくりとは違い色々と調整がしやすい。進んでいるという実感も精神を安定させるのに有効だろう」
「頼むから大怪我させたりしないでよ……」
「俺がそんな事させると?」
「サイクロプスを一人で倒せるような化け物が何言ってるのよ……」
基本的にサイクロプスが現れた際には一体に付き騎士が三人と魔導士が二人招集されることが多いわ。あの巨体と怪力にはとても近付けないから騎士たちがサイクロプスの気を引いて強力な魔法を放つ為の時間を稼ぐのが基本ね。
オーストが如何に規格外かわかったかしら?
「まあ、ヴァゲスト様には問題ないと伝えておいてくれ。不必要な危険を冒すような真似はしない」
「……ま、あなたが余計な情を抱いていないようで何よりよ。王様にはきちんと報告しておくわ」
二人の話もこれで終わりみたいね。
しかしエコーは思ったよりも王様に信頼されているみたいね。話を聞く限りこの件に関しては直接指示を貰ってるみたいだし。オーストは裁量を任されていると言うと聞こえはいいけれど、実際はエコーが監視役についているっていう前提なのかしら。
まあどちらかと言えば彼の役目は聖女の肉体の護衛ってことなのかもね。決して失われるわけにはいかないものでしょうし、最強の騎士を護衛に付けるのは当然ってことよ。
……はあ、皆々様色々と現状をどうにかしようと動いているってことは二人の話を聞くだけでもよく伝わって来たわ。少年が聖女の力を少しだけでも使えればこんなに心配することも無いんでしょうけれど。……ま、これに関してはどうしようもないわね。
とりあえず今日の所はこれで終わりに。
「俺はどうするべきだろうな……」
……今の独り言は聞かなかったことにするべきなんでしょうね。
どのみち誰かに伝えられるわけでもないんだもの、あなたのお悩みに関しては私がどうにかする問題じゃないわ。
だから今度こそ、今日はこれで終わり、よ。




