4.
サイクロプスとオーストの世紀の一戦は下手な演劇なんかに比べれば随分と見応えがあったわね。近くで見ればその迫力は一段と凄いものだったのでしょうけれど、残念ながら少年は少し離れた丘の上。
それでも彼の心には魔物への恐怖というのを植え付けられたんじゃないかしら? 最強の聖女リリシア様ならあんなの赤子の手を捻るようなものだけれど一般人や多少鍛えた騎士程度ではあんなの倒しようがないもの。
え? オーストは倒した?
あれはまあ……、特別よ。魔物の脅威を見せてやるみたいな事を言っていたのにあっさり一人で倒しちゃうなんて……。
まあいいわ。とにかく魔物は怖い、だから一般人は引き籠ってなさいってこと。それにはたまたま聖女の身体に入っただけの少年も当然に含まれているのだけれど……。
はぁ、どうしたものかしらね。
世紀の一戦から一夜明け、朝も早くから目を覚まし着替えに悪戦苦闘しているのが、そう、少年よ。
「聖女様って凄い複雑な服を着るんだなぁ……」
あなたが興味あるのって服なの? もっとその美しい身体に対して思う所とか無いの?
……いやまあ、あっても困るのだけど。
「着替えにも慣れないと……、迷惑かけてばかりじゃ駄目だよね」
……別に着替えは元々手伝いとかいたから迷惑とかは無いのよねぇ。そうそう、私は聞いていたわよ、昨日この子の世話をした侍女が素直な良い子で手がかからなくて良いって言ってたの。まるで最強の聖女リリシア様が我が儘放題やってたみたいじゃない。
まあそれは良いわ。良くないけど。
とりあえず当座の問題はこの少年よ。今も目を輝かせてある人物の来訪を待っているこの少年こそが問題なのよ。
ドンドン!
(来た!)
乱暴なノック。この音の主が誰かは分かるわ。そして彼が今どんな表情をしているかもなんとなくは。
「入るぞ」
私が想像した通り憮然とした表情を隠しもせずオーストが中へ入って来る。そして目を輝かせて彼の元に向かう少年を見て、その表情はより険しくなった。
「オーストさん! 今日は何をしますか!?」
たった一日で何があったのかってぐらいに態度が変わってるのよねぇ。昨日はあんなに彼に怯えていたのに、何なのよこの子。
さて、オーストはと言うと、まあ、紳士ね。目を閉じた上で目元を手で覆ってるわ。
「……リリシア、とりあえずまずは着替えだ。侍女を呼んで来る」
察しの良い方は気付いたかしら? ええ、この子の着替えは全く上手く行かなかったわ。本人は上手く着れたと思っているみたいだけど色々とその、見えてるのよねぇ。恥じらいとか、うん、まあ、その、最強の聖女リリシア様が痴女だなんて思われるのは勘弁してほしいわ。
場所を変えて鍛錬場、ご飯も食べて元気いっぱいなこの子ときたら。
(ここで訓練すれば僕もオーストさんみたいに……)
拳なんて握っちゃって目も輝かせちゃってまあ、やる気満々みたいよ。
あー、やだやだ。特訓だなんて、この美しい肢体に筋肉がついてごつくなったらどうするのよ。最強の聖女リリシア様の美しさが損なわれるなんて世界の損失よ!
オースト、この美しさが損なわれるかどうかはあなたにかかってるわ! 頼むわよ!
「……お前は、何だ。なぜ急にそんなやる気になっている?」
そうよ! 言ってやりなさい!
「そもそも何をするつもりなんだ? 昨日は最強の聖女にしてくれと言っていたが、どういう意味だ?」
「僕、オーストさんみたいになりたいです!」
「俺みたいに? お前は何を言っているんだ……」
オーストが困惑してるわ。珍しい物を見れたのは良いけれど、そうじゃないのよ。もっと少年を否定して、聖女に訓練なんて必要ないって言ってやりなさい!
「オーストさんは最強の騎士だって聞きました。だからオーストさんみたいになれば僕も最強の聖女になれるってことですよね?」
その問いに対してオーストは露骨に返事を濁す。というかまあ、どう返事していいのか困るわよねぇ。最強の騎士と最強の聖女じゃちょっと意味が違うもの。
少年はそのことに気付かなかったのか、或いはただつい零れてしまっただけなのかポツリと呟く。
「……そうなれば捨てられたりしないよね」
……正直、私にはちょっと理解し難い感覚なのよねぇ。
少年の過去については幾つかの上映会を経て多少は知っている、そう言えるんじゃないかしら。この子は生まれた村で口減らしに捨てられた過去を持っている。そしてそのことを幸か不幸か知っている、のよねぇ。
そんな時にこの子が思った事ってわかるかしら?
オーストが少年を見つめる、その瞳はいつものように険しく厳しい。でも彼の心の内がその表情と同じように厳しいものだと決めつけるのは早計よ。
あれでなかなか国民想いなところがあるのよ。
「……先に少し話をしよう」
「はい」
「俺の名はオースト・ギュルカメイン。ギュルカメイン家はウィロンド王国に代々仕える騎士の家系だ」
「騎士の家系……」
「お前は騎士がどういうものか知っているか?」
「……剣を持って、戦う?」
「……それで構わん。俺達は剣を持って戦う者だ。魔物の姿は見たな?」
「あの……、大きいやつ」
「あれは一端に過ぎない。あのような巨人型のやつや狼や虎の姿を模した獣型の魔物、空を飛んだり地中に潜ったりするようなやつもいる。話では魔物とはこの世界の生き物に瘴気を詰め込んで悪魔の手先にしたものだと言うが、実態はどうでもいい。俺達のような騎士は王国の民に危害が及ぶ前に奴らを切り捨てる事こそがその使命なのだから」
「使命……」
「戦いの中で命を落とす者も少なくはない。……父もそうだった。十年程前に悪魔が魔物を率いて王都に襲撃して来た時の事だ。父は最前線に立ち凶悪な魔法を放つ悪魔に一太刀を入れたが、その代償は自らの命だった。……蛮勇の代償だ、ただの人間が悪魔に立ち向かうなど、な」
まるで馬鹿な父親を嘲っているようね、その台詞。でも知ってるのよ、あなたが父の後に続いて自分も剣を振るった事を。その一太刀が届かなかったことを今でも後悔しているのかしら?
「お前は騎士の真似事を本気でしたいと思っているのか?」
わざわざそんな話をしたのは、父のように死にゆく者を少しでも増やさない為なのかしら?
(……死)
……少年、あなたはまだそんなことを考えるような歳じゃ無いわ。大人しく部屋に籠って誰かがこの呪いを解く方法を見つけるのを待っているのが良いと思わない? その内本物の最強の聖女リリシア様が戻って上げるわ。
(死ぬのは、怖い)
そうよ、死ぬのは怖いでしょう? あなたはそれを現実の物として知っているはずだわ。瘴気の森を彷徨い歩き、身動きすら出来なくなって行ったあの時の事を思い出して? 余計な危険を子供が背負うことは無いの。ウィロンド王国の騎士や魔導士は優秀よ? それにいざとなれば他国の助けを借りることも出来る。かの高名な最強の聖女リリシア様が戻って来た暁にはその力を貸すとでも言ってやれば断る国は無いでしょうね。
だからあなたはゆっくりお休み。
「……ぼ、くは」
……はぁ。どうして私の声はこの子に届かないのかしら?
「……ぼくは、最強の聖女なんですよね?」
「お前が、ではない。お前が今いるその身体が、だ」
「……最強じゃないならいらないですよね」
オーストはその問いに返事はしなかった。それは肯定しているも同じよ。あなたは昔から嘘をつくのが苦手だったもの、責めたりはしないけれど。
「だったら僕は、最強にならないといけない……。オーストさんは強いから、きっとそうなれる、なれますよね?」
その問いに対する答えもまた、無言よ。こっちは決して肯定しているわけでは無いけれど。そうね、たぶん、分からないって所かしら。
「……まあいい。聖女の力が使えなくともその身に宿っている事は確かだ」
「はい」
「手に持った武器にその力を宿すことが出来れば、或いは、魔物を討ち滅ぼす強力な手段として考えられる可能性も無くはない」
「はい」
「……とりあえず鍛えてやる。お前が魔物と戦うかどうかはその結果如何で決めるとしよう」
「はい!」
……オースト、私は信じてるわ。これがただのお為ごかしで実際は前線に出す気なんて少しも無いって。まさか本当に最強の聖女リリシアの肉体が傷付くようなことしないわよね?
……あぁでもオーストって、嘘つくの苦手だったわよねぇ……。
「お疲れー、調子どう?」
三時間後、訓練場に魔導士のエコーがやって来たわ。あなたねぇ、もっと早く来れなかったの?
「……えっと、これ大丈夫なの?」
エコーは地面に倒れたまま僅かに胸のあたりを上下させるだけでろくに動こうとしない少年の姿を見て困惑の表情を浮かべる。
あなたがもっと早く来てればこうなる前に止められたでしょ!
「も……、はあ、はあ、もう、動けない、すぅう、ごほっごほっ!」
「ちょ、本当に大丈夫?」
「この程度で音を上げるならそれまでという事だ」
そう言ったのは倒れている少年を木剣を片手に見下ろしているオースト。
「……まさかその剣でぼこぼこに?」
「すると思うか?」
「まあ……」
しそうよねぇ。まあ幸いそんなことはしていないけど。というかしてたらこんな心穏やかでいられないわよ!
あの! 最強の聖女! リリシア様の! 身体に傷付けるなんて!
……まあやってないからいいんだけど。
「基礎的な体力トレーニングをしただけだ。騎士が毎日の鍛錬で行っているのを簡易的にしたものをな」
「それでこうなるの?」
「あの聖女リリシアに体力などあると思うか?」
エコーは押し黙る。ちょっとちょっと、なんだかあなた達最強の聖女リリシア様を馬鹿にしてないかしら? 確かに運動なんて大の嫌いだけれど、それを補って余りある圧倒的な聖女の力があるのよ? 動く必要なんてないじゃない!
「というか結局この子を鍛えるの?」
「聖女の力に関しては俺は全くの門外漢だ。魔法すら使えないんだからな」
「あー、まあ、ね」
魔法は瘴気の研究の中で見つけられた技術。魔物や悪魔の力の源の一つなのだけど、一部の人間はそれを体内に取り込み力とすることが出来る。エコーもその内の一人ね。
まあどうやって瘴気を力にしているのかは私も良く知らないけれど彼らは出来るんだから出来るのよ。そういう意味では聖女の力も似たような物ね。聖女にとって聖女の力を扱うのはただただ当然出来るってだけなんだから。
そしてオーストは聖女の力は勿論、魔法の方も適性が無かったわ。私からすればどっちも使えないのに魔物を一人で殺しまくるこの男こそ化け物だと思うけど。
「こいつの中にある聖女の力は本物だ。仮にそれを自身が纏う服や手に持った剣にまで及ぼすことが出来れば、場合によっては一騎当千の力を得る、かもしれん」
「……成程、一理あるわね」
「どのみち体力は付けていて困ることは無い。聖女の力が使えるようになったとて、な」
まあ確かに少年が少しでも聖女の力を使えるようになれた時、体力が無くて現場まで行けないってなっても困るわよね。でも! このやり方は! ダメでしょ!
こんなの続けてたら最強の聖女リリシア様の身体がごつくなっちゃうじゃない!
エコー、こうなったらあなたが頼りよ! 上手い事言い包めて別のやり方を模索するのよ!
「まあこっちはこっちで別のアプローチを考えるけど、本当に騎士にしちゃうってのは案外一番ありな方法なのかもね」
ありかもねじゃないのよ! あるわけないでしょ!
くそ、へっぽこ魔導士め。そんな日和見だから出世できないのよ!
あー、もう! どうして私の言葉がみんなに届かないのよぉ。言葉が届けばこんなやつらすぐに黙らせてやれるのに……。
「でも意外だわ、てっきりあなたはそういうの反対かと思ってた」
む……、そう言えばそうね。よくよく考えればオーストってこの子を前線に出すのめちゃくちゃ反対してたわよね。昨日魔物を見せに行ったのもどっちかと言えばその恐ろしさを身に刻んで城に籠らせる為みたいだったし……。
妙だわ。
「そのことだが……」
ん?
(……二人で何を話してるんだろう?)
あら、内緒話みたい。少年に聞こえないように何か話しているわ。しかし本当に聞こえていないみたいとは言えもうちょっと離れてから話しなさいな。
「……まあそうね。わかったわ」
ふうん、エコーが素直に納得している辺りオーストにも何か考えがあっての事ってわけね。まああなたのウィロンド王国への忠誠と民衆を守りたいという意思に関しては信頼しているわ。とりあえず様子を見るとしましょうか。
……いやちょっと待って、様子見してる内に最強の聖女リリシアが筋肉もりもりになるってことは無いわよね? ……頼むわよ、本当に。
結局あの後更にトレーニングが続けられたわ……。最強の聖女リリシア様の……、美しい身体が……。
まあ切り替えましょう。私にはどうすることも出来ないのだし。いずれどうにか出来るようになった時に復讐すればいいわ。そうしましょう。絶対にね!
(もう、動けない……)
少年は今ベッドに横たわってるわ。エコーに連れられて戻って来てそのままベッドイン、それから微動だにせずかといって眠りもしない。本来なら疲れて眠りたいところでしょうに全身が居たくて眠れないとか? 私にはそんな経験ないからわからないけど。
そしてエコーは傍に椅子を出してそんな少年を見守っているわ。
「疲れたでしょ。オーストは手加減とか知らないからね」
「は、い」
「嫌になったらいつでもやめていいのよ? そもそも君は本物の聖女ってわけでも無いんだし戦う理由なんて無いんだから」
……あなた達には戦わせる理由があるんじゃない? だってこの子の身体はあの! 最強の聖女リリシア様のものよ?
ってことはこれはオーストとしていた内緒話と関係があるのかしら?
「元々リリシア様は運動とは無縁な方だったからねぇ、体力も何も無いでしょう? その細い腕も正直ちょっと羨ましいぐらいよ」
そうでしょう、羨ましいでしょう。エコーは前線に出ることもある魔導士だからね、騎士程では無いにしろ最低限の体力は必要だものね。
それに引き換え聖女リリシアの美しい肢体を見なさい! ……本当に頼むから筋肉もりもりになんてしないでね。
「騎士と同じぐらい強くなるには時間がかかるわ。そしてそれを少しでも短くしたいなら今日の何倍も辛い日々になるかもしれない……。それよりはお城での生活を満喫しながら時々私たちに身体を調べられるだけでいい、そんな日々の方が良いと思わない?」
……ああ、なるほど。オーストが敢えて厳しくしてエコーが別の道を提示する。所謂飴と鞭ってやつね。オーストにしては考えたじゃない。あれだけ辛い訓練を嫌にならない人間がいるわけないわ!
「……エコー、さん」
……いるわけないと、思ってたわ。
「僕、まだまだ、大丈夫です。ちょっとでも早く、最強の聖女になりたい、です」
「……最強の聖女ねぇ」
そもそもこの子って結構意思が強いのよね。そうでなかったらわざわざ瘴気の森に一人で食料を採りになんて行くわけないじゃない。まあそのせいでこんなことになってるんだけど。
ちょっとやそっとの辛い苦しいはこの子にとって問題じゃないって事かしら。私は絶対嫌だけど。
「ねぇ、あなたってどんなところで生まれたの?」
「え?」
「私たちは本物のリリシア様の事は良く知ってるわ。でもあなたの事は全然知らない。だから、よかったら教えてくれない?」
「僕、は……」
「……ああ、言い辛いわよね。そうだ、先に私の事を教えましょうか。私はエコー・エコール。私の家は元々このウィロンド王国で長い事農民をやってたんだ。そこに魔物が現れてね、まあ畑とかはぐちゃぐちゃになっちゃったんだけど、その時に私が魔法を使えるようになったの。それで魔物を撃退して、その後ここの魔導士団に仕官することになったんだ」
エコーったら自分の事を軽く言ってるわねえ。あなたの家族は畑とか、に含まれてるのかしら? ここに来たばかりの頃は助けてくれなかったって恨み言ばかり言ってたの忘れてないわよ。
「あなたは? 瘴気の森で悪魔にあって気が付いたら聖女様の身体に入ってたって聞いたけど、その前はどんなところにいたの?」
少年はその問いに過去を思い返す。故郷であるラトビ村、捨てられ彷徨い歩いた森の中、拾われて穏やかに過ごした日々。確かに存在するはずの記憶を他人事のように感じているのはあなたが聖女の身体に入ってしまったせいなのかしら? それとも……。
「ラトビ村、だったわよね。生まれ故郷、どんなところ?」
「……あの村は、僕の故郷で……」
記憶をしかとこの目で見た私にはわかるわ。確かにこの子は故郷で愛されて育ったわ。でもだからこそ捨てられたという事実が彼にとってとても重くのしかかっている。愛憎は表裏一体と聞くけれどこの子を見るに確かにそうなんでしょうね。
震える少年を見てエコーは彼を起こしてゆっくりと抱き締める。
「ごめんなさい、ちょっと踏み込み過ぎたみたい。何か辛い事があったのね」
「僕、は……」
「いいのよ。大丈夫。落ち着くまでこうしていましょう」
全く、子供の相手は大変よね。……これからどうなって行くことか。
「あ、そうだ。気分を変えてお風呂入りましょう。ついでに訓練の汗も全部流せるし一石二鳥ね」
「え」
ん?
「よーし行きましょ行きましょ」
「わ、わわっ」
エコーは少年を軽々と持ち上げるとそのまま浴場の方へ。一緒に中へ入って行き。
「ほら脱いで脱いで」
「え、あっ」
あっさりと服を脱がせると自分を服を脱ぎ始める。思わず目を背ける少年。
ちょっと!
「どうしたの?」
「いや、あの……」
「女同士なんだし恥ずかしがらなくてもいいでしょ?」
「え?」
「え?」
……ああ、そう言えば誰も確認してなかった気がするわ。彼の性別。
「……あ、もしかして、男の子?」
「……はい」
エコーが苦笑いを浮かべながら顔を少し赤くする。少年の方はどうかって? こっちの方が真っ赤っかよ。
「幾つ?」
「え?」
「自分が何歳かわかる?」
「えっと、確か……、十ぐらい?」
「じゃあまだ子供ね! さっ、行きましょ行きましょ!」
「え、あ、わわわ」
少年は背を押されて風呂場へ消えて行く。
ああ……、もう、なんだか。今日は疲れたからここまでにしましょうか。私も休みたいわ。




