3.
あなたは魔物を知っているかしら?
ええそれを知らないことぐらい知ってるわよ。あなた、魔物を見たことが無いんでしょう?
故郷のラトビ村が襲われた時、あなたは母に連れられて家の中で息を潜めてじっとしていた。母が大丈夫だからと背をさする意味も分からずただその胸に抱かれて眠りに就いたのね。
口減らしに捨てられて老婆に拾われた後はどうかしら? なんてわかり切った事ね。あなたは随分と衰弱していて長い間寝込んでいたもの。多少元気になってからはナイフの使い方を教わっていたのよね、村の中でね。決して外へは行かないように言われていて、あなたはその言い付けを時が来るまでずっと守っていた。
そしてとうとう村の外へと食料を探しに行ったあなたは瘴気の森の中で目を開けることもできなくなり、おそらくは魔界に連れて行かれたのでしょうけれどとうとう魔物をその目にすることは出来なかった。
良かったじゃない、ようやく見れるのよ。あなたがこんなことになった原因の一端を。
オーストとエコーに連れられて少年は馬車の中。城下町の大通り、その中央を堂々と馬車は走り、町の人々がそれを見て騎士様のお通りだと首を垂れる。
「……凄い、ですね」
「何がだ?」
オーストの問いに少年は思わず唾を飲む。
こんないたいけな子を脅かすなんて、あなたもう少し優しく聞けないの?
「ぼ、僕の故郷は、小さな村だったので、その、こんなに人や建物が多いのは……。凄いな、と」
まあ一歩家を出れば畑が村の外には森が広がるような場所だったものね、寧ろあんな場所があるのあなたの記憶で初めて知ったわ。
さてオーストはと言うと、何か考え込んでるわ。……まあ彼なりに今の状況に対応しようと躍起になっているせいという事にしておきましょう。
「えっと、今からですけど。私たちはこの通りを抜けて町の外へ向かいます」
困ったようにする少年を見てエコーは気を遣ったようね。とりあえず話をすれば気も紛れるし常に険しい表情で睨んでくるオーストよりは彼女の方が話しやすいんじゃないかしら?
「外ですか?」
「ええ。魔物の目撃情報は町の外だもの。まあ中に入ってたらこんなにのんびりしてられないわ、そんなの緊急事態だもの」
エコーは分かるでしょ? とでも言いたげだけど少年はあまりピンと来てないわね。魔物を知らないんじゃいまいちそれがどういうことかわからない、そう言う事よ。
「さっきも言った通り聖女様には私たちが戦っている魔物がどういうものなのかを見てもらいます。あ、でも近くまでは行きませんよ、危ないですから。遠くから騎士の皆さんが戦っている姿を見てもらう予定です」
「それを見れば二度と自分から戦いたいなどと口に出来なくなるだろう」
……オースト、余計な口を挟むのは止めて欲しいわ。折角さっきまでの硬さが取れて来たところだったのに、また怯えて縮こまっちゃったじゃない。
(……オーストさんは僕の事が嫌いなのかな?)
ほら、少年がこんなこと考えてるわよ。ちょっとは自分がどう見られてるか考えて欲しいものね。
しかし妙な話ね。オーストは聖女の力を使わせることには積極的だと思ったけれど、さっきの言葉はまるでこの子を戦わせたくないみたい。
……いや、寧ろ聖女の力を失うのが怖いのね。この子、自分の身を完全に守れるわけじゃないみたいだし、この子を戦えるようにするよりどうにかして本物の聖女リリシアを取り戻すことに考えをシフトしたって事でしょう。
「あ、外に出るわ」
巨大で頑丈な門が開いて行く。この門は聖女の力で守られているはずだけど今もまだその力は残っているのかしら? 気になる所だけれどそれを今確かめることは出来そうも無いわね。
城下町を出て馬車は平原の道を行く。
「……すごく遠くまで道がある」
遥か遠くまで連なる整備された道に少年は驚いているわ。あなたの村そもそも馬車が走れそうな道無かったわね。でもそんな風に驚かれるのもちょっと飽きて来たわ。
「ここはウィロンドの城下町だもの、周辺の町まで道は繋がってるわ。今日は他の町まで行きはしないけれど」
そのエコーの言葉を合図にしたかのように馬車が停車する。
あら?
「あ、到着ですか?」
「……いや」
「何かあったの?」
エコーが御者に尋ねる。すると御者は歯切れ悪く。
「いえ、あの、道が……」
不審に思った三人は一度馬車の外へ。
……あら、これは。
「み、道が……」
「これは酷いわね」
小高い丘を登り切り、今から下りで馬たちも気持ちよく走れそう、そんな場所なのだけれど。
道の真ん中に何か巨大な鎚でも振り下ろしたかのように砕かれているわ。そしてそれは足跡のように左右に連なっている。
「……何ですかこれ?」
オーストとエコーは何も言わず周囲を見回している。二人共、額から一筋の汗がつつぅ、と落ちて行く。
「どうやら、通り過ぎただけ、か」
「そうだと思うわ。たぶん向こうに行ったのね」
(……何の話だろう?)
少年がそう思った次の瞬間、オーストは腹を決めたみたいね。
「エコー、そいつを連れて戻れ」
「……どうするの?」
「俺はあれを追う。お前はそいつを城に置いて、それから騎士団を一部隊連れて来てくれ」
「……わかったわ」
「……え?」
オーストの提案に関してだけど、私は別におかしいとは思わないわ。エコーがその案を飲んだのも当然だと思う。
「僕、いらない、ですか?」
少年がそう言ったのは私のせいじゃないってことよ。何度も言ってるけど私の声って少年に届かないんだもの。
……私は別に少年の良き理解者ってわけじゃないけれど、彼が何を考えてそう言っているのかはわかるわ。惜しむらくはそれに共感できるわけでも無ければそれをオースト達に伝えて何かを改善することも出来ないってことかしら。
「……お前が何を考えているのかはわからないが今のお前は必要ない、邪魔だ」
だからあなたもうちょっと言い方とか考えられないの?
「じゃあ、僕は……」
誰の目からも明らかな程に少年の顔が青褪めて行く。……聖女の顔があんなに青褪めるだなんて最強の聖女リリシア様にあるまじき姿よ。もっと強く凛々しく美しくあるべきだわ。エコーはそんな彼の手を引いて。
あっ!
「ちょっと!」
「はっ?」
エコーの手を振りほどいて彼は走り出した。向かう先は……、ああ、魔物の行き先ね、これ。さっきの二人の話を聞いていたんだわ、魔物がどっちへ向かったかは把握してるってわけ。
もしかしてあなた、一人で魔物と戦おうとでもしているの?
「待て!」
と言っても鍛え上げられた騎士であるオーストを振り切るなんて無理よ。最強の聖女リリシア様が身体を鍛えるなんてそんな真似するはずないでしょう? 走るのが速いわけないんだから当然あっさり追い付かれて手首を掴まれる、と。
「何をするつもりだ!」
その問いに振り向いた顔には、涙が流れているわ。……本当にこの子、最強の聖女リリシア様らしからぬ表情ばかり見せてくれるわ。というか泣かれると目元が腫れそうで嫌じゃない? 美しい顔が不細工になったらどうするのよ!
それはそれとして比較的本物と付き合いの深いオーストは戸惑っているみたいね。
「なぜ泣く」
その場で崩れ落ちて涙を流す少年。傍目からはオーストが彼を泣かせてるようにしか見えないわ。年若い乙女を泣かせる騎士だなんて最低!
……ええ、分かってるわ。とてもそんな雰囲気じゃないことぐらいわ。
「僕は……、戦えます」
「何を言っている」
「聖女様の役目で、だから、僕は、戦う……、戦える」
オーストから見て今の彼はどんな風に映っているのかしら。頭の中が壊れて支離滅裂なことを言う狂人? 聖女の身体を奪った悪辣な犯罪者? 突然の事態に未だに対応できず混乱する一般市民?
あなたはそんな人たちに慈愛に満ちた目を向けるような人だったかしら。
「お前、歳は幾つだ?」
「え、あ……。十、十一?」
「子供か」
……ああ、あなたたちはそう言えばそんなことも知らなかったのよね。知ってるかしら、皆様ご存じの通り最強の聖女リリシア様の歳は十八。見た目と中身にそこまで差があるだなんて、他人が入っているとわかっていても一々そうかもだなんて考え無いわよねえ。
「名前は何だ?」
「え……、名前?」
この子の名前は……、そう言えば記憶の中でも呼ばれて無かったかも。
「無いのか?」
「な、名前は、成人の時に授かる大切なもので……」
「……そうか」
どこの風習よそれ。本当に辺鄙な所から来たのねあなた。
「ならば今日からはリリシアがお前の名だ」
「え?」
え?
「いずれは様々な者とも顔を合わせるようになるかもしれん。今の内に慣れておけ、リリシア」
「……えっと」
「俺はお前が何を考えているかなどわからん。だが、これから理解できるよう努めて行こう」
オーストが彼に手を差し出す。おっかなびっくりながらも少年はその手を取った。
「今日の所は大人しく部屋に戻れ。お前に死なれてはこれからのことなど考えようも無い」
「で、でも、僕は……。戦わないと、いらないんでしょう?」
「そのよくわからん話についても後だ。時間を取って話をしよう」
少年はわかったようなわからないような煙に巻かれているように感じてるのでしょうけど、ま、オーストは約束を違えないわ。堅物なのよ、こいつ。
ズゥン。
……ん? 何かしらこの音、折角いい感じにまとまって来たのだけれど。
「戻って来たか」
ああ、そういうこと。
「何ですか、この音」
「エコー」
「はいはい。リリシア様、行きましょ」
「え、でも」
「ごめんねぇ、もうそこまで猶予が無いの」
先程までよりもずっと強い力で引かれる腕。少年、言っておくけど私は少年の事をリリシアだなんて呼ばないわよ絶対、それはともかく少年は観念したのかエコーに引っ張られて連れられるままになってるわ。
「……あれは」
でもその目には見えたみたいね。まああれだけ目立つしね。
それは森の奥からやって来る、木々を薙ぎ倒しながらやって来る。天を衝く角が生えたその頭部には巨大な一つ目があり、その肉体は金剛を思わせる力強さに満ちている。手に持っているのは薙ぎ倒した木の一本でしょうね。全く、環境破壊しながら武器を作るだなんて小癪だわ。
「見えた? あれが魔物、まああそこまで大型なのは珍しいけれど」
(あれが、魔物?)
そう、あれが魔物。悪魔の使い魔であり人々を襲う兵士。あれはサイクロプスね、巨大な身体と特徴的な一つ目がチャームポイントよ。幾つもの町があれに家々を打ち壊されて滅びたという話もあるわ。
(あれと、戦う?)
そうよ、聖女はあんな魔物と戦うの。それどころか時にはあれを顎で使うような悪魔どもを相手にすることだってあるわ。
(そ、そんなのって……)
エコー、握り締めた手首から震えが伝わるのを感じたかしら?
この子ってば何もわかっていなかったのよ。どうして魔物に村が襲われてそのままあなたを捨てることになったのか、簡単な話よ。魔物は強大で一般人が手出し出来るような相手じゃないってだけなの。
「あ、の、お姉さん。あの人が……」
「どうかしたかしら」
「……た、助け、ないと」
……凄いわね、この子。
今のは素直な称賛よ。この状況でその言葉が出て来るなんて思いもしなかったわ。現実を知った時、大抵の場合人は恐れを抱くものよ。そんな時に他人の心配だなんて出来るものじゃないわ。
まあ誰の心配をしてるの、って話ではあるのだけどね。
「いいから馬車へ行きましょう」
「で、も!」
「大丈夫よ。オーストなら……。……ま、でもそこまで言うなら少し見ていましょうか」
馬車にいつでも飛び出せるように準備だけはさせた状態で二人は地面の草木に身を潜めて様子を覗う。どうやらサイクロプスはオーストに気付いたようね。
げに恐ろしき魔物に、それもサイクロプスのような強大な魔物に、たった一人の人間が抗おうというのははっきり言って勇気と無謀を履き違えているだけ。そんなことをするぐらいなら隠れて息を潜め脅威がただ去るのを待っている方がずっと賢いわ。
だから……、これから起こることはあまり参考にしないように。
「ヴァアアアアアア!」
開戦の狼煙はサイクロプスの咆哮と力任せに投げ付けた丸太によって上げられる。当然、あんなものに当たったら人どころか頑丈な煉瓦の壁だって砕かれることでしょうね。ただまあ。
「あ、え?」
少年が驚きの声を上げている間にオーストは投げられた木を掻い潜ってサイクロプスに接近する。正直あんな避け方をする度胸があるのは国中探してもオーストぐらいでしょうね。あんなの馬鹿のやることよ。
剣を抜いたオースト、しかしあの巨人の近くへ行くという事はそれだけで危地へ足を踏み入れている事を意味するわ。サイクロプスの拳はそれだけで人と同じぐらいの大きさがあるの、もしも当たれば、まあ、ひとたまりも無いでしょうね。
そして、彼が、間合いに足を踏み入れる。
「うわっ!」
思わず少年が目を背ける。サイクロプスの拳がオーストに向けて振り下ろされたの。その威力は地面を割り砕き、避けようの無い死を予感させる、ものなのだけれど。
「……あっ!?」
再び少年が目を向けた時に見えたのは宙を舞うサイクロプスの腕。成程、確かにその威力は地面を砕くものだったけれどそれだけじゃあオーストを相手にするには足りないわ。
「今のは避けると同時に腕を斬り付けたんでしょうね」
「え?」
ぽかんとした表情で少年はその様子を想像しようとしても全然思い浮かばないみたい。
「……騎士ってそんなことが出来るんですか?」
呆然とそんな風に尋ねるけどエコーは当然首を横に振る。
「あんなの出来るのは彼だけよ。聖女様に比べれば霞むけど彼だってウィロンド王国じゃ他に並ぶ者の無い最強の騎士よ」
「最強の……、騎士」
まあ私からすれば最強とという言葉を戴くに相応しいのは最強の聖女リリシア様以外に存在しないのだから他の人にそう付けるのはあまり気が進まないわ。とはいうものの、オーストは間違いなくこの国で一番の騎士よ。サイクロプスをたった一人で倒せるのは彼以外にいないでしょうね。
ええ、そうよ。木々を薙ぎ倒し、壁を素手で突破し、人を羽虫の如く手で払い、時に建物をも踏み潰す、そういう化け物をあれは倒してしまったわ。
ズウゥン。
地響き、それはサイクロプスの巨体が地に沈む音。腕を斬り、胴を斬り、足を斬り裂く。それはまあ見事なものよ、オーストったら相変わらず人間離れした動きだわ。
……この子に魔物の怖さを教えようと思ったのにこんなの見せたら意味無いんじゃないかしら。
あら、返り血塗れのオーストが戻って来るわ。笑顔で出迎えるべきかしら、ほら少年、折角美しい聖女の顔してるんだからにっこり笑って。
「あ、あの、す、凄かったです……」
……全然だめね。全く、固いのよあなた、もっと気を楽にしてスマイルよ!
「流石オーストね。最強の騎士は伊達じゃないわ」
見て御覧なさい、エコーの方がずっと自然な笑顔を見せてるわ。そもそもあなたずっと沈んだ表情じゃない。聖女リリシアの美しい顔がそんな表情で固まったらどうするのよ!
「なぜここにいる」
……あー、そんなことを言ってる場合じゃなかったかしら。
(すごい、こっち睨んでる?)
オーストが返り血を拭いもせずにこっちに来たと思ったら……、これは間違いなく怒ってるわね。
「えっと、どうかした?」
「エコー、俺はさっき何と言った?」
「……あはは」
「さっさと城に戻れと言ったな、そして騎士団に話を付けて派遣させろと」
「いやほら、あのぐらいだったら最強の騎士オースト様なら余裕で……」
「だから何だ?」
「……すみませんでした」
おお怖い怖い。めちゃくちゃ切れてるわね。こんな時は余計な刺激をしない方が得策よ、嵐が過ぎるのを待つの。
少年、だから待ちなさいって。
「あの」
「……何だ?」
ほらほら、凄い目で睨んでるわよ。やめなさいって全く、こんな人に構っちゃいけませんって。
「……僕も、僕もオーストさんみたいになれますか!?」
「……は?」
……何言ってるのかしらこの子。
「駄目よそんな悪魔みたいな形相の人になっちゃあ」
ドンッ!
あ、今のはオーストが地面を蹴った音ね。大きく凹んだ地面を見てエコーは黙って馬車の方へ逃げて行ったわ。
それより問題は少年よね。
「お前……、どういうつもりでそれを言っているんだ?」
「……オーストさんは最強の騎士なんですよね」
今はきっと私もオーストも似たような表情を見せてるでしょうね。まあ私の表情って何って話だけれど。
それはともかく記憶を覗き見た私でもこの子の思考回路はちょっと理解できないんだけど誰か説明してくれないかしら?
「僕を最強の聖女にしてください!」
……それってさあ。
最強の聖女リリシアが最強の騎士オーストに頭を下げるところでこの一幕は終わりよ。
本来ならばこんな茶番は止めたいところだけれど、残念なことにオーストは勿論少年にすら私の声は届かない。
悲しいかな静観、静観。……はぁ、憂鬱だわ。




