破滅の道も茶化しておどけてまいりましょう?
「お前はさ、自分のことどんな奴だと思ってる?」
フランツは机に座って隣で笑みを浮かべているマルティナの爪を指で擦った。
最近、流行の淡い色の爪紅がマルティナの指先を彩っていてそれはとても目を引く代物だ。
フランツはカトリナに向けないような笑みを浮かべて、彼女に「いい色じゃん」と話しかける。
こうして放課後の空き教室にわざわざ呼び出したというのに、カトリナとは真面目に二人きりで話をするつもりもないらしく、それでもカトリナは彼らが会話を終えるまで話し出すのを待った。
「でしょ、すごい可愛いの」
「ああ、思わずこうして……キスしたくなる」
「もー、そんなこと言ったって私、今日は忙しいんだから」
「いいだろ。こいつとの関係も今日で終わる」
彼らの会話は何故そのようになるのかわからないほど、奇怪で、可愛い爪紅でキスしたくなるのも意味不明であれば、そのあとのマルティナの忙しいという言葉にもピンとこない。
……それに忙しければこんな場に居なければいいのではないのですか。
真面目なカトリナは眼鏡を押し上げてそう思う。
ちらりとフランツの視線がカトリナの方へと向いて、今ので会話がひと段落したのだとやっと理解して、慌てて言った。
「わ、わたくしは、自分のことを一応、ふっ、普通の学生だと思っています」
「あ~、いや、そういう話じゃないって分かれよ」
「やだもう、なんかあるでしょ、私の方が健気よーとか、尽くしているーとか」
カトリナの言葉に彼らは苦笑してそれから揶揄うように続ける。
だって、自分をどう思っているかと問いかけたのはフランツじゃないか。こんなふうに目の前で堂々と浮気が行われていたとしても、カトリナは彼を信じている。
信じたいと思っている。それがたとえ盲目的で合理的ではない考え方だとしても、信じているからには彼らの関係はきっと何らかの間違いでカトリナが考えているようなものではない。
という前提がある。
なのでカトリナがフランツとの男女的な関係性をマルティナにアピールするのは矛盾が生じるだろう。
だって彼は浮気をしていないと言う前提だ。だから『尽くしているー』だとか『健気よー』なんて言葉が出てくるはずがない。
それは間違ってないのだと思うけれども、なんだか馬鹿にされると間違っているような気もしてくる。
「……それは」
「察しも悪い、話を振っても面白くない」
「真面目ちゃんなのはわかるけど、いくらなんでも眼鏡ダサすぎ、もっとないの?」
「あ、お前ソレ、言っちゃうか? ははっ、ここまで言うつもりはなかったけど髪型、なんだそれ、子供かって」
彼らは交互にカトリナのあそこが駄目だ、ここが駄目だと言い始める。
たしかにカトリナは目が悪くて分厚いガラスの眼鏡をかけていて、さらに髪もきっちりひっ詰めていて神経質に見えるとよく言われるが、幼いころからこうだったのだ。
変わるタイミングなど今までなく、いつかそうするとは思いつつも状態でどうにもできずに、ここまでやってきた。
それに学生の本分は勉強だろう。
せめて魔法学園を卒業するまでの間は勉学に集中し、自身の容姿に対する研究などはその後でいいと言われているはずだ。
実際今まで不便はなかったし、そう思っているなら早く言ってくれればよかったのだ。
「わ、わかりました。改善します。少し時間をいただければ、それなりには出来ると思うので」
「っえ? なにそれなりにはって、その小さいお目目をどうにかできるってこと? ナイフで目頭でも開くわけ!」
「ぶっ、お前やめろ、これでもカトリナは真面目なんだぞ、化粧だってしたことがないからわかんないんだろ。あのな化粧は魔法じゃないんだぞ?」
カトリナはどういうプランがあるのかという話を二人にしようと考えた。これでもきたるデビュタントに備えてそういうあてをきちんとつくっているのだ。
そしてなんだと安心した。
そういう所を心配して、可愛い女の子と釘を刺そうというのがフランツの狙いだったのだろう、そういう話ならば大丈夫だとカトリナは小さく笑みを浮かべてコクコク頷いた。
「それは、理解しています」
「嘘嘘! 絶対わかってないっ! 自分は本気出せば美人だと思ってるでしょ~! っていうかさ、そういうとこ」
「な、そういうとこ」
けれども二人は目を合わせて、意思疎通をする。
そういうとこと言われても、カトリナには一切理解できない。
「……申し訳ありません。少し、仰っていることの意味が難しくて、もう少しわかりやすく━━━━」
「だー、かー、らー! そういうとこ! ね!」
「ああ、あのな、お前もう、いらないんだわ。今まで優しさで放置してやってたけど、いい加減お前と婚約しているなんて事実恥ずかしいんだよ」
「そうそう、それにやっぱり好きな人とは一緒になりたいじゃん?」
「これっぽっちもよく思えない女とこれから一生一緒になんて考えられねぇから、婚約破棄!」
「婚約破棄……ですか」
予想外の言葉にオウム返しするカトリナに、二人はその予想外だと思ってキョトンとしている顔すら可笑しかったようで、吹き出して声をあげて笑いだす。
「あははっ、え? 本当にまったく想像してなかったの?」
「自信過剰かよ、ほんと空気の読めない奴」
……その通りです。まったく…………だって、普通の恋人関係ではないのですから、そんな簡単に無責任なことを言うと思わないではありませんか。
国に帰った時に両親との話し合いや両家の意思疎通の場を設けてからするべきことで、それほど大切な契約です。
それに、金銭的な関係も絡んでくるはずです。フランツの実家は、マルティナの家のことをどう思うか手に取るようにわかるというのに……。
そう思うけれども彼らにとってはそれほど重要なことではないらしく、自分たちが結ばれるためにカトリナとの婚約などただの障害にしか思っていないようだった。
そのまま、話は終わりだと言われてカトリナは教室から出たのだった。
空き教室から出ると、友人であり突然の呼び出しについてきてくれたアンネリーゼとヴィルフリートがとても心配そうにカトリナの方を見ている。
……あまり、心配をかけるわけにもいきませんし、できるだけ明るく……。
そう考えて、カトリナは笑みを浮かべて眉を下げた。
「婚約破棄を……も、申し込まれてしまいました」
そう言ったとたんに、安心したせいか目じりから涙がぽとりと落ちて、アンネリーゼがとても低い声で言った。
「ちょっと、私、ぶちのめしてくる」
「アンネリーゼ、まっ、待ってください、わたくしは大丈夫です」
「まあ、アンネリーゼの気持ちもわかるけれど、少し抑えて、流石に退学じゃすまないから」
「止めないで、カトリナ、ヴィル。ここでふるえない力なんて私はいらないのよ!」
怒りに震えて、教室の扉のドアノブを握りしめる彼女に、カトリナはなんて大層なことを言うのだと熱い気持ちになったがそれどころではない。
このままではカトリナのせいで彼女の将来をつぶしてしまう。それだけはどうにかしなければならないだろう。
「た、たしかに、酷い言い方でした、アンネリーゼが怒ってくれてわたくしも嬉しく思います。でも、アンネリーゼがこんなことで処罰されたら、嬉しいよりもずっと悲しい気持ちになりますから」
「っ、こんなに優しい子なのに! 話が面白くないとか言ってたけど! カトリナの話についていけないだけでしょ!? ああもう、腹立たしい!」
「伝わらない話をしても面白くないのは事実なはずですから、わたくしももう少し彼らにあった話題選びをするべきだったと後悔しています」
「そんなところまで真面目に考えなくてもいいの! もう!」
イライラした様子で、彼らのいる空き教室から離れるアンネリーゼにカトリナはすぐにそばにいて今度こそきっちり笑って見せる。
もうこうなれば大丈夫だ。
彼らからの言葉など所詮は、ただの文句に過ぎない。これから関係が無くなる相手に向かって適当に思っていたことを言っただけなのだ。
こうしてきちんとカトリナのことを考えてくれている人の言葉よりも重たいわけがないのだ。
「そうだね。カトリナはたしかに勉強を一番にしているからほかの子よりも、外見に費やしている時間は少ないと思う。それでも私は今のカトリナのままで十分魅力的だと思う。彼らには見る目がないよ」
「そうよ! あんな人たちの言葉なんてカトリナの耳に入れるのもおぞましい。カトリナはカトリナでいいじゃない、というか浮気を棚に上げて何様!?」
「それは、そうだね。滑稽だったね、偉そうで」
廊下を歩きだしてこれから向かう予定だった学園街の方へと誰ともなく足を向ける。
ヴィルフリートも少し目を細めてイラついたように空き教室を振り返る。
温厚な彼すらこんなふうに気持ちをあらわにするとは珍しい。
……というか、それだけわたくしが惨めで不憫だったということでしょうか。
そう思うとしっくりくる、それになにもカトリナだって彼らの手前、なにも思っていないような態度を取ったが、このままさらりと水に流してしまえるほど懐は深くないのだ。
むしろ、心に深く刻まれた。悲しむのではなく友人たちのように怒ってしかるべきその基準も手に入れた。
ならばあとはこの心に残った気持ちを燃やすだけである。
やっとわかったのだ。カトリナ自身、たしかに幼いころは真面目で誠実で嘘をつかないということはとても良いことだと言われた。
けれどもこうして大人になるにつれ、大人に褒められるばかりが良いことではなくなってくる。
もちろん同世代の間でも格差が生まれて、誰しも自分たちの価値は自分で決めるようになるのだ。
その価値をカトリナは少し甘く見ていたのだ。
……移り変わる心情をきちんと理解できなかったわたくしの配慮不足です。もうこういう目に遭わないように、変えていくことが求められるはずですから、臆さず変えていきましょう。
見返せるほどに、変わりましょう。
そう、結局とても真面目に考えた。
彼らの言葉は重く受け止めなくてもいいと判断しつつも、事実としてはきちんと重要に考えて、カトリナは彼らを参考に変わることを決意したのだった。
カトリナは自分が彼らと何が違うのか真面目に考えた。
どういう部分が彼らにとって価値がないと考えられる部分で、なにをどうすればカトリナはこれからも同世代の貴族たちと同等に扱われて対等になることが出来るのだろう。
それを精一杯考えてついでにただ変わるだけというのはつまらないだろうと考える。
やはり、自立した大人に近づくというのは誰かの庇護下ではなく自分の判断で自分の道を選択することが多くなる。
大人の言いなりではなく、自分たちの世界観を構築し、大人らしく振る舞う。
長年の積み重ねから皆まで言わずに多くを察し雰囲気を理解して、その場に溶け込み時に目立ち、スマートで素敵な大人……を演出できる。そういう人に魅力を感じるのではないか。
それがかっこいいと映るのだろう。
ついていきたくなるようなそんな、雰囲気のある人を目指した。
外見的なイメージチェンジについては若い女性のメイクアップやヘアアレンジにたけている侍女を雇って対応をし、カトリナはカトリナがやるべきことに集中した。
ついでにフランツはあまり急いでいないらしく婚約破棄についてきちんと話が通っていなかったので両親にことの顛末を話し、正式に慰謝料請求を行うという話に進んだ。
フランツの実家とのやり取りに時間もかかるだろうけれど、それは些末なことだ。
しばらく休学し、実家に帰り必要なものをそろえたり、ふるまいを勉強してから学園に戻る。
朝教室へと入ると、見知ったクラスメイト達は一様にカトリナへと目線を向ける。そこには、くだんのフランツとマルティナの姿もある。
しかし彼らはざわりとして、ひそひそと話し合う。それからクラスメイト達の中でもカトリナの次に真面目な男子生徒がカトリナの方へと進み出てきた。
「あの、編入生は一応、先に教員室に……行った方が……」
「え、ああ、あははっ、やっぱり眼鏡がないと別人に見えますか?」
「! ……その声は」
「カトリナです。それともしばらく休んでいたからすっかり忘れ去られてしまったのかしら」
そう言って、カトリナは砕けた表情で笑う。近くで話をこっそり聞いていたクラスメイトが驚いた様子でこちらに顔を向け、彼女は混乱した様子で聞いた。
「え、目、眼鏡どうしたんですの。カトリナ様、すごく近視だったでしょう?」
「本当だ、いや、驚いたな。雰囲気が全然違う」
「ああ、もしかして婚約者にフラれたから? 安直~」
カトリナは、聞こえてきた声の中で、カトリナに対する敵意を含んでいる物に反応して声を大きくして返した。
「安直かしら、それにしても誰かが勇気を出して変わったことに対して、その行動のきっかけに文句をつけるつもりなんてつもりはないでしょうけれど、少し悪いニュアンスに聞こえますね。悲しいです」
「い、いや、そんなつもりじゃないよ。びっくりしてつい、ね」
「そうそう、つい、ね。にしても可愛い~、髪型も、それにしても眼鏡どうしたの?」
そんな悪意のある行為をするわけがないだろうと予防線を張り、そうだとしたら悲しいと彼らを悪者にする言葉を吐けばすぐに、話題を転換してカトリナの容姿についてほめたたえる。
彼らの様子に、どうやらカトリナの分析や自己改革は間違っていなかったなと思える。
「成績上位者の特権……というかちょっとズルだけれど現役の魔法使いの方に最新の魔法具の試運転をさせてもらうことになって……」
「ええ~! すご~い!」
「どういう魔法具なんですの!」
「瞳の中に水でレンズを作り出す魔法なんです、ほら、この耳飾り、魔法具になっていて」
いつの間にか集まってきていたクラスメイトたちを相手に、カトリナはできるだけ大きな声で人に伝わるように見せつける。
これはもともと、それほど装飾のついていない実際に販売される形よりも簡素なものを試運転用として配布されたのだが、こうして見せびらかすにはキレイな装飾は必須だろう。
そうして耳元に集まった視線は、しだいに目立つ光を纏った美しい魔法石のネックレスへと視線が集まる。
「ところでそれ、美しい光ね、たしかエストリア国で加工されている特別な魔法石なんでしょう? そういう色味があるものはそうだって聞いたことがあるわ」
「え、それって目が飛び出るほどの金額でしょう?」
「お父さまが太っ腹なのね……」
「いいえ? これも投資の一種ですから、取り返せますよ。このくらいはやっているご婦人も多いでしょう? それにこの方が面白いじゃない、少しスリルがあった方がつけていて楽しいというか」
ネックレスに指を通してカトリナはそう続けて見せた。
すると彼女たちはカトリナのやけに自信があるように見える姿に、投資なんていうリスクがあるものに対しての忌避感よりも、その大人っぽさに当てられて「たしかに……」とか「素敵な光り……取り返せるなら、わたくしも欲しいわ」と声をあげる。
「あら、そう言っていただけると嬉しいわ。指輪でもブレスレットでも一つつけているだけで華やぐもの」
「わぁ、可愛い」
「どこの工房で加工を?」
彼女たちに、指輪やブレスレットとして加工したそれを見せれば、声が上がる。
なんだかカトリナは素直な彼女たちを洗脳しているような申し訳ない気持ちになった。
まぁ、マルティナやフランツのような人間がいるのと同時に、魔法学園には必死に勉強をして将来は魔法使いとして自立するのだと己を律して励む素直な令嬢令息も多くいる。
さすがに彼らも被害に遭われてはいけないので、カトリナは最後に小さめの声でこう付け加えた。
遠くからマルティナとフランツがこちらを見ている。
「でも、購入するときは一報ください。損をしないようにだけ最低限言っておきたい話がありますから」
そう言っていつものようにヴィルフリートとアンネリーゼと合流して授業を受けた。
そしてカトリナは次の罠を張ろうと頭の中で構想を組み立てたのだった。
しばらくすると次の手を打つまでもなく、何人かがエストリア産の宝石を買ったところでマルティナも同じようにそれをつけているところを見かけた。
その代わりにフランツがげっそりとしていたので、彼がそのための資金を出したであろうことは想像に難くない。
そして、そのエストリア産の魔法石はほんの二ヶ月の内に価格が大暴落した。
予兆はすでにあったのだ、それにエストリア国と言えば隣国で話も入ってきやすい、こういうことに慣れていて、気を配っていれば予期できる事柄だ。
かの宝石は特殊な製造方法で製造されているが故の不思議なきらめきで、多くの人を虜にしているが、エストリア国の経済状況は芳しくない。
魔石の輸出が多くなったこと、第一王女が我が国に嫁に入り、経済的な支援をする話になったのは、どういうことなのか。
つまりは、彼らは製造方法を強国である我が国に売り払ったのだ、そのための結婚だ。
だからこそ宝石としての稀少性を失ったエストリア産の魔石は、すぐに石ころ同然になる。
カトリナに連絡をして買った彼らは損をすることがなくむしろしばらくつけて楽しんだのちに似たような価格で売り払ったので十分だろう。
罠にはまったマルティナとそのための支援をしたフランツは授業どころではなくなったのか欠席が続いていた。
「じゃあ、私は訓練場の方に行くわ! またね、二人とも!」
そう言ってアンネリーゼは笑みを浮かべてヴィルフリートとカトリナから離れて、彼女に手を振って別れる。
魔法使いは魔法を駆使して魔獣などと戦うので、実は剣術の授業を取る人は多くない。
けれども彼女は魔法も使って剣もつかえたらその方が強くてかっこいいはずだという理由で、忙しい仲でもきちんと鍛錬をしている。
そういう真面目さはカトリナも見習いたいところだが、今のカトリナは真面目に、余裕を演出することに重きを置いているので自分は自分の道を極めることが大事だろう。
彼らに真面目過ぎると言われて変わって、機転を聞かせて、余裕をもって皆まで言わずに、話を決めて、茶化しておどけて、楽し気に。
余裕というのは結局そんなものだ。
そんなうわべだけのもので構成されていて、根っから真面目なカトリナの性格と相性が悪いかもしれないと思ったが、そんなことはなく意外と日々が過ごしやすい。
これは新しい気づきであった。
「今日はどうする? すぐに寮に戻るなら一緒に行こう」
ヴィルフリートがカトリナにそう問いかけて、カトリナは彼のことをついまじまじと見つめてしまう。
こうしてカトリナが変わってもそばにいてくれる人はいてくれるし、きっとフランツやマルティナのようにカトリナを害する人間は変わらずそうであったのではないか。
最近そう思うこともある。
結局その人次第でカトリナ自身がどうであれ、共に過ごしてくれる友人を大切にしていたらそれでいいのではないか。
「……」
そう考えて少し間を置くとヴィルフリートは少し、視線を動かしてそれから顔をしかめる。
その様子になにがカトリナの後ろにあるのだろうと気になって振り向くと、ぎこちない笑みを浮かべたマルティナと目を泳がせているフランツの姿があった。
教室でしばらく会っていないだけで、彼らと対面するとこんなところで会うだなんて珍しいという感想が思い浮かんで、それから首をかしげて臆せず問いかけた。
「あら、久しぶりですね! こんなところで授業にも出ていなかったのに」
「……カトリナ」
つぶやくようにカトリナの名前を呼んでマルティナは数歩歩み寄ってくる。しかし、なにを言うでもなくフランツに視線をやって「ねぇ、ほら」とせかすように言った。
「ああ、いや…………お前が言えばいいだろ、カトリナはお前にキレてんだから」
「いや、違うでしょ。あなたの元婚約者じゃない」
「だから、元だろ! 元!」
「そんなの関係ないでしょー!」
カトリナを前にして口論を始める二人に、カトリナは真顔になって、おもむろに手を打ち鳴らしてパチパチと打ち鳴らす。
すると彼らはカトリナへと視線を戻し、その様子にカトリナは問いかけた。
「で? なんですか。わたくしに用事でしょうか」
「いや、それは……」
「だから……お前、わざとだったんだろ? あんな風に広めて」
「そうよ! あんなの誰だって欲しいって思うんだし」
言い訳のように言ってくる彼らに、カトリナはすぐにその意図を察した。早計かもしれない、間違っているかもしれないという真面目な気持ちを排除して早合点すること。
そしてさもすべてをわかっていますよという顔をして、相手に合わせることもせず自身の余裕っぷりを示す。それは彼らが教えてくれたマウントの取り方だ。
「わたくしのせいにしたいのかもしれませんが、買ったのはあなた達、わたくしは、好きに買って好きに売っただけ、ですよね?」
「っほら、キレてるわ」
「だから……ハイハイ、謝ればいいんでしょ━━━━」
カトリナの言葉に彼らは自分たちだってそんなことはわかっているとばかりに開き直って、ぎこちない笑みを浮かべる。
そうして謝ってなにを求めているか、きっと損害の補償や、金銭の融通だろう。
彼は金銭的に余裕のないマルティナの実家の代わりに魔石を買うためのお金を融通した。
そして、それはきちんと家族から了承を得たものではなく、損はしないのだからと返すことを前提に実家のお金を横領した。そして大暴落して普通にバレた。
そんなことは既にリサーチ済みだった。
そんなわけで、慰謝料について支払いを拒否し、そんなとんでもないことをするはずがないと否定していたフランツの実家だったがその事実があって早々に支払われたのだ。
その場の快楽だけで生きている適当な人間だと彼の家族も思い知ったのだ。
けれども、カトリナはもう真面目なだけの女ではない。
彼らに言われて、侮辱されて悲しんで、そして変わった。
そしてカトリナ自身も気がついたのだ。
彼らがしているように振る舞うのは楽だ、カトリナが真面目に何でも向き合っているよりもずっとずっと楽であり、それをした彼らには、そうして返すのがお似合いだろう。
「謝るなんてとんでもない! 負けを認めるようなものですよ? そんなことしないわよね? わたくしのことあんなに辛辣に振ったのにいまさらごめんなさいで許されると思っているなんて、そんなこと……無いですよね?」
「……」
「……」
「そんなふうに思っているなんて、わたくしだったら自分が恥ずかしく恥ずかしくて外になんて出られないわ。自分が貶めた相手に一生懸命に謝っている姿なんて恥ずかしくて、恋人になんて見せられない」
カトリナは、思いついた言葉をそのままべらべらと口にした。
建設的なことなど言わなくてもいいのだ、ただ適当で、おどけて、ふざけて、真面目な話はしなくていい。
そうする相手は、カトリナを大切にしてくれる人だけでいいのだ。
「見せられませんよね? だって男の矜持がボロボロですもの! あははっ、恥ずかしい。投資だってちゃんと言ったのに、人が持っているからって安心して買っちゃうなんて、よっぽどわたくしが注目されてるのがうらやましかったの??」
口元に手を当てて大袈裟に笑う、お腹を抱えてさらに続ける。
「いやいや、ないない! マルティナがそんなことするはずない、今回はちょっと失敗しただけってわかってますから、わたくしは。ね? だからそんな深刻そうな顔はやめて?」
見る見るうちに顔を赤くしていくマルティナに、カトリナはこれはこれで確かに爽快だと思う。
人を馬鹿にするのは気持ちがいい。
「もう一回、じゃああと一回、投資しましょう? 今度は百倍になるからーってお父さまとお母さまに言ったらきっと貸してくれるんじゃない? わたくしには関係ないけれど、じゃあ、頑張ってー」
そう言ってカトリナはバイバイと手を振った。もう用はない、どうでもいい。
だって、人を馬鹿にするのが気持ちよくても、これはよくない感情だとわかるのだ。
カトリナはそうして人を蹴落として生きていくよりも、尊重し合った方がいいと思う。
……まぁ、もう尊重する相手は選びますが。
そう心の中で付け加える。
するとマルティナは耐えかねたようにカトリナの方へと数歩よってそれから腕を振りかぶった。
……あ、なるほど、こういう生き方をすると、こういうこともあるのですね。
カトリナは心底真面目にそう思った。
それから目をつむってぐっと歯を食いしばる。
しかし、いつまでたっても痛みはこなくておそるおそる目を開けると、目の前にはヴィルフリートの背中があってかばってくれたのだということを理解した。
「……行動には気をつけた方がいいと思うよ、こんな人の目がある場所で、賢くない選択だと思う」
「っ、なによ! ああそう! 結局もう、ほかの男がいるんじゃない、ビッチ!」
「おい、いいから謝れよ。どうすんだよ! お前のせいだろ!」
「うるさい、うるさい! 知らないわよ!」
「おい、待て! このままじゃあ、俺が! ……クソッ」
マルティナは捨て台詞を言って、身を翻しなりふり構わずに走りだし、そのマルティナを捕まえようとフランツも走り出す。
その背中を見て思う。
どんな言葉を言われても、彼らの破滅の道には茶化しておどけて対応するまで、真面目になんて考えてやらないのだ。
それがカトリナの復讐だ。彼が今後、手立てを失ってどうなろうとも、彼女がどれほど真剣に謝ってこようとも、へらへらとして流して大人らしくするつもりだ。
しかし、それはそうとして、周りの人に被害を出すのはいただけないだろう。
すぐにポケットからハンカチを取り出して、ヴィルフリートの前へと回り込んだ。
「申し訳ありません。ヴィルフリート、ケガはありませんか。こう言ったことになるとはあまり想定できていませんでした、わたくしのミスです」
「……」
「……ヴィルフリート」
焦りつつも、彼の手や顔になにもケガをしてい無いかと確認する。
それから返答が返ってこないことが気になって上を向くと彼は、少し驚いた様子でカトリナのことを見つめていた。
「……あ、それにかばってくれてありがとうございます。でも申し訳ありません。周りにわたくしといい仲だと思われると嫌でしょう? 今度からは気にしないでください」
「なぜ?」
「だってほら、性格がいいことをしているつもりじゃありませんもの。こんな女をかばう男だと思われて不愉快でしょうから」
マルティナが吐いた最後のセリフ、それを聞けばおのずと周りからどう映っているかわかる。
アンネリーゼには婚約者がいるし、必然的にヴィルフリートとすぐに良い仲になったと思われたのだろう。
そんな軽い男だと思われたら彼の沽券にかかわる。
そう思っての謝罪だった。しかしヴィルフリートはしばらくカトリナを見つめてから、ぱっと表情を明るくして少し笑みを浮かべて言った。
「いいや? わざと、外堀を埋めてしまえたらと思って」
「え」
「なんてね、嘘」
「え、嘘?」
「うん。っていうのも嘘かも、ね、カトリナ」
「は、ハイ」
「無理していない?」
彼の主語を言わない言葉をカトリナはさすがに察することもできない。
そしてなにより彼とは誠実に付き合いたいと思っているからこそ、考えすぎてそれからやっと答えを出した。
「性格を変えたことですか?」
「うん」
「無理……はしていないですね。元来多分、納得できるならどうとでもなれるというか、必要ならばといった感じでして」
「そっか、君はいつも本当に行動力も決断力もあってすごいね」
どこかフワフワとした会話をする彼に、カトリナはじれったい気持ちになった。
ヴィルフリートがなにを言いたいのかわからないし、自分だってどうしてこんなに緊張しているのかまったくわからない。
彼はただの幼なじみで長年そばにいた友人で……大切な人の一人だ。
「尊敬しているし、それ以上かも」
「ど、どういう意味でしょうか!」
「あ、せっかく学園ではきちんと余裕綽々だったのに、戻ってる」
「っ、」
もちろんそんなことは自覚している。しかし、そちらの性格を採用してしまうとどうにも踏み込むことは難しいし、彼の言い方だって悪い。
踏み込ませないようなのらりくらりとした話し方だ。
もっときっぱり正確に話をしてほしいのに。
「どうしてそう、意地悪をいうのですか」
「いや、真面目一辺倒じゃなくなったってことは、少しはこういうことも、した方が……? ……してもいいのかもなって思ったからだよ」
つまり、カトリナが変わったからヴィルフリートの気持ちの伝え方も変わるということだろうか。
……え、それは困ります、だってわたくし根っからの茶化し上手のノリのいいひとじゃないんです。
ああ、でもだからあえてそうしているのですか? しょうか、思うことがあるなら素直に一から十まで言ってくれればいいというのに、どうして隠すことがありますか。
すべて正しく伝わらなければ対処法も思いつきません、一人で感情を抱えるのは苦しいはずなのに。
「やっぱり街の方に降りてすこし遊ぼうか、カトリナはどこに行きたい?」
「…………」
「カトリナ?」
「……クラスの子たちが話をしていた雑貨屋に」
「わかった、可愛い小物がたくさん置いてあるんだったよね」
「そうなの、とっても素敵ですわ」
しかし、うまい踏み込み方がわからずにカトリナは彼のわかりやすい話の方向転換に乗って、仕方なく会話を続けた。
自分がこうするのにはまったく損はないし苦もないけれど、こうして態度を変えられることについては、これからも苦労していくカトリナなのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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