表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女ばあと僕

作者: 曲尾 仁庵

いいかい。

この世には、奇跡も、魔法も、

そんなものはどこにも、ありはしないんだよ。


そう僕に教えてくれたのは、世界一偉大な魔法使いだった。


 岩と赤茶けた土、そしてねじくれた木々に覆われた険しい山の頂上に、一軒の粗末な家がある。そこには、人々がもう思い出せないほど昔から、一人の魔女が住んでいる。


「ねぇ、魔女ばあ」


 椅子に座り、足をブラブラさせながら、僕は魔女ばあに話しかけた。


「何だいクソガキ」


 木のテーブルを挟んで向かい側に座っている魔女ばあは読んでいた本を閉じると、不機嫌そうにギロリ、とこちらをにらんだ。何でも食べてしまいそうな口、鋭くとがった鷲鼻、そしてギョロリと大きな目。フードのついた黒いローブを着て、手には分厚い表紙の本を持っている。魔女と聞けば誰でも頭に思い浮かべるような、魔女の見本のような外見をした老婆だ。


「僕はクソガキじゃないよ。ちゃんと名前で呼んでよ」


 口をとがらせて抗議の意思を伝える。魔女ばあは口が悪い。そして、人の名前を憶えない。僕がここに来てもう二年になるというのに、僕は一度も魔女ばあに名前を呼ばれたことがない。


「人をババア呼ばわりする奴なんざクソガキで充分だ」


 生意気言うな、とでも言いたげに、魔女ばあは鼻を鳴らした。ばあ、と呼ばれることが気に入らないらしい。でも、僕が魔女ばあを魔女ばあと呼ぶにはれっきとした理由がある。


「じゃあ名前を教えてよ。名前を教えてくれたら、ちゃんと名前で呼ぶからさ」


 僕は魔女ばあの名前を知らないのだ。何度聞いても教えてくれない。まるで自分の名前を嫌っているみたいだ。


「ごめんだね。そんなことをしてアタシに何の得がある」


 案の定、今回も断られた。どうしてそこまで名前を教えたくないのだろうか。いや、もしかしたら自分の名前を忘れてしまっているのかも。魔女ばあはもうずいぶんとお年寄りだから、そういうこともあるかもしれない。

 そんなことを考えながら魔女ばあを見ていると、またギロリとにらまれた。魔女ばあは勘が鋭いのだ。特に、悪口に関しては。僕は「失礼なことなんて何も考えていませんよ」という顔をして、さりげなく魔女ばあの視線をかわした。魔女ばあは「小賢しいことばかり上手になりおって」とつぶやくと、再び本を開いて読み始めた。

 僕はしばらく黙って魔女ばあのことを見ていたが、再び本に没頭している魔女ばあの様子にしびれを切らして、再び声を掛けた。


「ねぇ、魔女ばあ」


 まったく呼び方を改めるつもりのない僕に呆れるような様子で、魔女ばあは顔を上げた。


「……何だいクソガキ」


 魔女ばあも僕の呼び方を変えるつもりはないらしいが、それを指摘すると話が堂々巡りになる。クソガキ扱いはとりあえず脇に置いて、僕は本題を切り出した。


「お腹すいた」


 魔女ばあは一瞬不意を突かれたような表情を浮かべた後、軽くため息をついた。


「……そいつは良かったね。生きてる証拠だ」

「お腹すいたよ」


 僕はさらに言い募る。ここで引き下がったら昼食にはありつけない。


「うるさいね。自分の腹ぐらい自分でどうにかしな」


 眉間にしわを寄せて突き放すように魔女ばあが言う。だが、そんなことでめげてはいられない。相手の言い分をすべて無視して自分の言い分を高らかに主張しなければならない。これは真剣勝負なのだ。相手の主張にわずかでも心を動かしたほうが負ける。


「お腹がすいたよー」


 引き下がらない僕に堪忍袋の緒が切れたのか、魔女ばあはテーブルの上に身を乗り出すと、僕を指さしながら大声でどなった。


「うるさいって言ってるだろ! どこの王様気取りか知らないが、座ってるだけで食い物が出てくると思ったら大間違いだよ!」

「聞けい! 世を惑わし人々を苦しめる悪しき魔女よ!」


 魔女ばあの怒鳴り声に重なるように、芝居がかった声が辺りに響いた。育ちが良さそうな、しかし上品ではないその声の持ち主は、どうやら家の外からこちらに向かって叫んでいるようだ。魔女ばあの不機嫌な顔が、みるみるうちに底意地の悪そうな笑顔へと変わっていく。そして、この上なく嬉しそうにこう言った。


「こいつはちょうどいい。どうやらお客が来たようだ」


 声の主は自分に酔いどれているかのように口上を続けている。


「我はかの有名な悪魔退治の英雄シーランの末裔にして、偉大なるイーシャット・アーマの教えを授かりし騎士、アラン・ドゥデモイである! そもそも我がドゥデモイ家の始まりは遥か数百年前にさかのぼるもので――」


 魔女ばあの家を訪れる人間は大きく分けて三種類いるが、外にいるのは魔女ばあが一番好きなタイプの訪問者のようだった。きらびやかな鎧兜に身を包み、豪華な装飾の施された剣を佩いた、絵本から出てきたようないでたちの騎士。魔女ばあは獲物を見つけた獣のように舌なめずりをすると、


「昼飯を用意してやる。大人しくそこで待ってな」


と言って家を出た。




 僕は窓から外の様子を覗いた。えーっと、アラ・ドーデモイイさん、だっけ? は、家から出てきた魔女ばあの姿に一瞬怯んだように一歩下がると、ますます大きな声を上げた。


「ついに姿を現したな! 己の悪行を悔い改め、大人しく正義の裁きを受けよ!」


 ドーデモイイさんはすらりと腰の剣を抜いた。魔女ばあはとても楽しそうに目をキラキラとさせている。


「これはこれは、正義の騎士様のご登場かい? こんな山の上までご苦労なこった。残念ながらアタシは今まで自分の行いを悔い改めたことなぞ一度もないよ。だから正義の裁きとやらも受ける気はさらさらないね」


 ひひひ、と挑発するように魔女ばあは笑った。ドーデモイイさんは顔を真っ赤にして怒り、剣を頭上に掲げる。


「やはり魔女に道を説いても詮無き事であったか! かくなる上はこの聖剣ナーマ・クーラで悪しき魂を滅ぼし――」

「ほう、聖剣ってのはその手に持ってるそれを言っているのかい?」


 悪戯をしかけた子供のように白々しい顔で魔女ばあは言った。同時に、何とも美味しそうな匂いが辺りに漂ってくる。「当然だ」と言いかけて、ドーデモイイさんは聖剣を見上げて目を剥いた。ドーデモイイさんの右手には、いつの間にか巨大な骨付き肉が握られていた。


「うわっ!?」


 驚きの声と共にドーデモイイさんは骨付き肉を投げる。ああ、もったいない! と思ったら、骨付き肉はありえない軌道を描いて滑るように空中を飛び、僕の顔の横をかすめて家の中に飛び込んで、机の上に置いてあったお皿に着地した。こんがりと焼けた骨付き肉は香ばしい、何とも食欲をそそる匂いを発している。僕のお腹がぐぅと鳴った。


「お、おのれ、魔女め! 面妖な術を使いおって!」


 はっきりと動揺しながらドーデモイイさんが魔女ばあを非難する。魔女ばあは心外そうな表情を作った。


「面妖な術とはご挨拶だね。本当に面妖なってのはこういうものじゃないかい?」


 魔女ばあがニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべると、ドーデモイイさんの被っていた新品の兜がぽふんという気の抜けた音を立ててニワトリに変わった。ニワトリはその足の爪でしっかりとドーデモイイさんの頭を掴み、元気よく「コケコッコー」と鳴いた。頭に爪が食い込んで痛かったのだろう、ドーデモイイさんが慌ててニワトリを振り払う。ニワトリはなんでもない顔をしてトコトコと家に入っていった。


「この、魔女め! このようなことをして、許されると思うてか! 必ずや神罰が下ろうぞ!」


 じゃっかん震える声でドーデモイイさんが魔女ばあを指さす。魔女ばあは馬鹿にしたようにカカカと声を上げて笑った。


「正義の騎士様はアタシを成敗に来たんじゃなかったのかい? それを神罰だなんて、急に頼られた神様は面食らっちまうだろうよ」


 ぐぬぬと悔しそうに奥歯を噛み、ドーデモイイさんは地面を踏み鳴らす。


「おのれ、おのれ! 聖剣を失い、兜がなくなっても、我が正義の心は光を失ってはおらんぞ! その輝きは必ずや悪を駆逐し世に安寧をもたらさん!」

「へぇ。そいつは剛毅だ。だったら鎧に隠してないで、その光とやらをしっかりと見せてもらおうか」


 ぱちん、と魔女ばあが指を鳴らすと、ドーデモイイさんが着ていた鎧が一瞬で、玉ねぎやトマトやキャベツといった野菜や、リンゴやナシや桃などの果物になって地面に転がった。ああ、桃は地面に落ちたら痛んじゃうなぁ。ドーデモイイさんはハート柄のパンツ一丁になって目を丸くする。わずかな時間動きを止め、


「きゃあ!」


と意外にかわいい叫び声をあげて手で身体を隠そうとした。隠し切れない胸毛がもっさもさしている。


「さあ、これで正真正銘真っ裸だ。それでも正義の光ってやつはあふれ返ってるんだろう? 悪しき魔女を討ち滅ぼすその力、見せてもらおうじゃないか。さあ!」


 調子に乗って責め立てる魔女ばあの言葉に、ドーデモイイさんは唇を噛んで涙目になると、


「お、おぼえてろーーーっ! ばーか、ばーか!」


と捨て台詞を残して走って逃げていった。魔女ばあはこれ以上ないくらい晴れやかな顔でドーデモイイさんの背に声を掛ける。


「またおいで! いつでも相手をしてやるよー!」


 嬉々として手を振る魔女ばあの姿を見ながら僕は思う。そういうことをするから評判が悪くなるんだよな、きっと。




 上機嫌の魔女ばあは、ドーデモイイさんの兜だったニワトリの産んだ卵と鎧だった野菜でサラダを作り、骨付き肉に添えてお昼ご飯にしてくれた。桃は傷みやすいからすぐに食べちまおう、なんて鼻歌を歌いながら皮を剝いている。魔女ばあは基本的に性格が悪いのだ。正義を語って魔女退治に来る騎士や王様をからかうのが何よりも楽しいらしい。僕はお皿に盛られたサラダをじっと見つめる。なんとなく食べるのがためらわしい。


「なんだ、食べないのかい?」


 魔女ばあは眉をひそめる。いや、食べるけど。食べるんだけど……


「元がドーデモイイさんの着てた鎧だと思うと、ちょっと食欲が……」

「文句があるなら食うんじゃないよ」


 お皿を取り上げようと手を伸ばす魔女ばあを制し、僕は素早くサラダにフォークを刺して口へと運んだ。元が何であれ今はシャキシャキの新鮮サラダだ。魔女ばあの機嫌を損ねて食いっぱぐれるのもバカらしい。慌ててサラダを掻き込み、骨付き肉にかぶりつく僕を見て、魔女ばあは「ふん」と鼻を鳴らした。




 久しぶりにちょっと豪華な昼食を終え、僕は椅子に座ったままボーっとしていた。お腹がふくれると眠くなるのだ。魔女ばあはまた本を取り出し、眼鏡をかけて読み始める。老眼なんだな。年を取るって大変だ。


――コンコン


 穏やかな午睡の時間を破るノックの音が聞こえる。魔女ばあは何の反応も示さず、本を読み続けている。気付いてないのだろうか? まあ、もうお婆さんだからなぁ。耳もきっと遠くなっているのだろう、と思って同情しながら魔女ばあを見ていたら、ギロリとにらまれた。魔女ばあは僕の心が読めるのだろうか? 魔女なのだからそうであってもおかしくはない気もするけど。


――コンコン


 再びノックの音がする。魔女ばあは、さっきの様子からすると気付いていて、完全に無視するつもりのようだ。ということは、ノックの主は魔女ばあの嫌いなタイプの訪問者なのだろう。つまり、魔女ばあに魔法を授かりに来た人。


「もし。こちらは『赤き魔女』の庵と聞き、無礼を承知で参りました。どうか話を聞いてください。どうか、お願いいたします」


 どうやらノックの主は若い男の人らしい。生真面目そうな声音に焦りと責任を滲ませている。きっとこの人は自分のためではなく、誰かのためにここに来たのだろう。魔法に頼る以外に方法がなく、最後の奇跡にすがってここに来たのだ。そしてそういう人のことが魔女ばあは一番嫌いなのだ。


「もし。『赤き魔女』様、いらっしゃいませんか? いらっしゃるなら、どうかここを開けてください。もう貴女より他に頼るものがないのです。どうか、どうか――」


 辛そうな、心折れそうな弱々しい声が届く。魔女ばあは不快そうに顔をしかめた。『赤き魔女』というのは赤茶けた色の土が露出したこの山に住む魔女ばあにつけられた異名だ。僕は椅子を降り、パタパタと玄関に駆け寄る。


「はぁい」

「あ、こら、クソガキ!」


 立ち上がってこちらをにらむ魔女ばあを無視して僕は扉を開けた。扉の向こうにいたのは声の通りの生真面目そうな若い青年だった。青年は僕を見て目を丸くする。


「あ、あなたが『赤き魔女』?」

「ちがうよ。魔女ばあはあっち」


 僕が魔女ばあを指さすと、魔女ばあは忌々しそうに舌打ちする。青年は魔女ばあの前に進み出ると、額を床につけて叫んだ。


「高名な『赤き魔女』にお願い申し上げます! どうか、我らをお救いください!」

「帰りな。ここにあんたの望むものはないよ」


 詳しい話も聞かず、魔女ばあは冷めた顔で青年を突き放す。しかし青年は魔女ばあの否定をかき消すようにさらに大きな声を上げた。


「私の村は今、ひどい旱害に苦しんでおります! このままでは麦は立ち枯れ、冬を迎えれば餓死者も出る! 幼子が、老親が、命を落とす瀬戸際なのです!」

「そいつは大変だね。だが、アタシには関係のない話だ」


 魔女ばあは興味がないことを示すように椅子に座り、手許の本に視線を落とした。青年はさらに言い募る。


「『赤き魔女』は天を操り、雨を呼ぶも雲を散らすも自在と聞き及びます! どうか我らに恵みの雨をもたらしていただきたい! 貴女なら容易いことなのでしょう?」


 青年は顔を上げてすがるように魔女ばあを見つめる。魔女ばあは青年に顔を向けた。


「確かに、アタシにとっちゃ簡単だ」


 パタンと本を閉じ、魔女ばあは青年の傍に寄る。青年のあごに手を掛け、グッと上を向かせて、魔女ばあは青年の顔を覗き込んだ。


「だが、あんたにそれをしてやる理由はアタシにはないよ。アタシは他人のために指の一本だって動かしてやるつもりはない」


 青年を突き飛ばし、魔女ばあは侮蔑を浮かべて見下ろした。しりもちをついた青年が怒りに震える。


「貴女には心というものがないのか!? 苦しむ人々を助けようという慈悲も正義も持ち合わせてはいないのか!」


 魔女ばあはおかしそうに笑った。


「魔女に心を期待するのかい? どうしてアタシが『魔』女と呼ばれるのかを、あんたは考えたほうがいい」


 魔女ばあの目からスッと感情が消える。それは目の前の存在に何の価値も見出していないような、ひどく乾いた冷たい目だった。青年の表情に怯えが混じる。


「帰りな。ここにいたって願いが叶うことはない。何の成果もなく村に帰るのは辛かろうが、村の連中にとっちゃ、あんたが帰ってこない(・・・・・・)よりはマシだろう?」


 明らかな脅しに青年の顔から血の気が引いた。迷い、ためらい、唇を噛んで、青年は身を翻して家から出ていく。きっと大切な人のために何もできない自分の無力が青年の心を裂いているのだろう、彼が去った後には点々の涙の跡が残っていた。


「ふん」


 不快そうに鼻を鳴らし、魔女ばあは席に戻って再び本を開いた。




「魔女ばあってさ」


 僕は椅子の上で足をぶらぶらさせながら言った。


「ケチだよね」


 魔女ばあは聞こえないふりをして本を読んでいる。僕は勝手な節をつけて歌った。


「魔女ばあは~~ケチ~~ケチケチ魔女ばあ~~」

「やかましいね! 黙ってなクソガキ!」


 よほど僕の歌が気に障ったのだろう、魔女ばあは額に青筋を浮かべて怒鳴った。でも僕は怒鳴られるのには慣れているので怯んだりはしない。


「だってケチじゃん。魔女ばあならいくらでも助けてあげられるでしょ?」

「そいつはアタシじゃなければ助けられないものなのかい?」


 魔女ばあの言葉にピンと来なくて僕は首を傾げる。魔女ばあはいつになく真剣な、静かな声で言った。


「村を出て長い旅をして、魔法を乞う。その労力があれば、他にできることはいくらでもあるだろう。井戸を掘り、灌漑設備を整え、乾きに強い作物を植える。苦労はするだろうが、そういう地道な努力は魔法なんかよりもずっと価値がある」


 その声はどこか、自分自身を嘲っているようでも、哀れんでいるようでもある。


「確かに魔法はあっという間に問題を解決したように見えるだろう。だけどね、旱害は来年も、再来年も起こるかもしれないんだよ」


 一度魔法で解決すれば、次に同じことが起こったとき、人はまた魔法に頼るのだと魔女ばあは言った。魔法はその名の通り、『悪()の方()』なのだ。人を際限なく堕落させ、知恵も意志も奪っていく。そして残るのは、何もせずに与えられるのを待つだけの人の抜け殻だ。


「人が魔法に頼らねばならない時代はとうに終わった。人は自分の力で生きていかねばならない」


 魔女ばあは視線を上げて遠くを見つめる。その目ははるか過去を見つめているように見えた。僕は口を開く。


「でもさ」


 魔女ばあは正しすぎて、その言葉をそのまま受け入れることはできない。


「それじゃ間に合わないよ。あの男の人が助けたいのは、今、目の前で苦しんでいる人たちだもの」


 井戸を掘ることも、設備を整えることも、作物を植え替えることも、全部時間が掛かることだ。それは来年の村を救うかもしれないが、この冬に子供や老人が死んでしまうことを防ぐことにはつながらない。目の前で消えゆく命こそが問題なのだ。それを置き去りにして未来など語ることはできない。


「痛みがなければ人は学ばない」

「死んでいく人たちは教訓のために死ぬわけじゃない」


 僕はじっと魔女ばあの目を見つめる。魔女ばあは揺らがぬ瞳で僕を見つめ返した。


「魔法は、やがて消えるべきものだ。この世に何の痕跡も残してはならない」


 魔女ばあは神々しいまでに超然と言い放った。魔女は不老とも不死とも言われる。人の生も死も、もう魔女ばあにとっては心を動かされるものではないのだろうか? 僕は目を伏せる。なんだか少し、嫌だったから。


「だったら、どうして僕を助けたの?」


 魔女ばあは小さく息を飲み、そして視線を逸らせた。


「……助けた覚えはないよ。気に入らないなら出ていきな」


 さっきまでとは違う、やけに弱々しい声でそう言った魔女ばあの様子に、僕は言ったことを後悔した。でも、だったらなおさら納得はできない。僕は不満を表すために頬を膨らませた。魔女ばあは「はぁ」と大げさなため息をついて、手のひらに乗るくらいの大きさの水晶玉を投げてよこした。慌てて両手で受け止める。落としたら割れそうなんだもん。


「覗いてみな」


 水晶玉の中を覗くと、そこにはどこか見知らぬ風景が映っていた。風景の中心にはさっきここを訪ねてきた青年がいて、肩を落としてトボトボと歩いている。すると青年の進む方向に、道端に座り込む一人の男の人が見えた。


「足をひねって動けなくなっているのさ」


 水晶玉を覗いているわけでもないのに魔女ばあはそう言った。周囲にはたくさんの人がいるが、男の人を気にする様子もなく足早に過ぎ去っていく。しかし青年はその男の人に声を掛け、何か話しているようだ。


「バカだね。他人を気にする余裕なんざないだろうに。他の人間と同じに、無視するのが賢いやり方さ」


 青年はやがて、男の人に肩を貸して、二人は町に向けて歩き始めた。青年が助けなければ男の人は日が落ちてもあの場所に座り込んでいたかもしれない。水晶玉は役割を終えたように風景を映すのをやめた。


「足を挫いていた男はね」


 魔女ばあは独り言のようにつぶやく。


「植物学者さ。乾きに強く瘦せた土地で育つ雑穀の種を偶然持ってる。宿で互いのことを話したら、植物学者は助けてくれたお礼だと言ってその種をあの若いのに渡すだろう。若いのは村に帰って種をまく。それはよく根付き、村を長く飢えから救うことになる」


 確定した未来を告げる、これは預言だろうか? 魔女ばあの表情は僕に何も伝えてはくれない。


「縁がつながり、知識が伝播し、そうして世界は少しずつ変わっていく。いいかい、この世には、奇跡も、魔法も、そんなものはどこにも、ありはしないんだよ。必要ないんだ。人は自分の力で世界を変えていける。その力をもう、持っているのさ」


 魔女ばあのつぶやきには、そうであるという確信でもそうであるべきだという義務感でもない、そうであってほしいという祈りがある。僕はふと気が付いた。あの、足を挫いていた男の人には、見覚えがある――


「あの植物学者の人、去年ここにきて植物の種を持って帰った人に似てるね」


 魔女ばあは興味のなさそうに


「覚えてないね」


というと、本を閉じて脇に抱え、席を立った。




 季節は巡り、春になった。風に乗って、こんな山の上の粗末な小屋にも噂は流れてくる。ここからずいぶんと離れた小さな村の噂。日照りに苦しんでいたその村は、ある日にほんの少し、申し訳程度に雨が降って、その年は収穫量が大きく減ってしまったけれど、飢え死にを出さずに済んだのだという。魔女ばあはその噂を聞き流していたけれど、ほんの少しだけ口の端を上げていたことを、僕は見逃さなかった。




「聞けい! 世を惑わし人々を苦しめる悪しき魔女よ!」


 今日も元気な野太い声が山の上にこだまする。聞き覚えのある声だと思ったら、たぶんこれはドーデモイイさんだな。今日は本人だけでなく、大勢の足音が聞こえる。どうやら大勢お仲間を連れてきたらしい。


「前回は油断したが、今度は我がドゥデモイ家の精鋭が相手だ! 必ずや正義の裁きを受けさせようぞ!」


 少しもめげていない雰囲気がはっきりと伝わってきて、僕はちょっと驚いた。魔女ばあを退治しようとしに来る自称英雄はたくさんいるけど、二度ここを訪れる人は珍しいのだ。案外ドーデモイイさんは大物なのかもしれない。


「自分で戦おうとはしていないあたり、ちょっとは学習してるみたいじゃないか」


 魔女ばあは楽しい遊び相手を見つけたようなキラキラした目でそう言った。ドーデモイイさんは無駄に美しい声で朗々と自身の血統のすばらしさやそれに伴う義務を謳い上げている。よっこいしょ、と掛け声をかけて立ち上がり、魔女ばあは僕に言った。


「夕食は何がいい?」

「ハンバーグ!」


 僕は即答する。魔女ばあはケケケと意地悪な、心底楽しそうな笑みを浮かべた。


「あれだけいればよりどりみどりさ。期待して待っときな」


 哀れな生贄に襲い掛かる狼の足取りで、魔女ばあは外へと飛び出していった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 瑞月さんの紹介エッセイから来ました。 [一言] 作品名はランキングか何かで拝見していたと思うのですが、読んでいませんでした。 ちょっと皮肉が効いたようで、コミカルで、楽しく読ませていただ…
2024/10/06 11:26 退会済み
管理
[良い点] 瑞月風花さまの活動報告から来ました。 面白いうえに深いお話で感動しました。とてもよかったです! 魔女ばあもいいし、「僕」がまたいいですね。すごく賢い子だと思います。 この二人についてのお話…
[一言] とても面白くてどんどん読んでいけました。 ドーデモイイさん良い味出てますね(笑) そして、間に挟まる魔法の話が魔女ばぁの深さを知らせてくれて、ほんとうの彼女の姿を彷彿させているところもいいな…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ