本能女子ちゃんと見透かし男子君
初めにはっきり言っておく。
言っておくから聞いておけ。
聞かないときっと後悔するぞ。たぶん。
ううん。
それではまず一言。
こんな「私」に私は望んでなったんじゃない。
だけど、決してこんな「私」になったのは、両親の育て方が悪かったとか、小さい頃のトラウマがとかいう、外部環境に流されました的なものでもない。
一言で言えば『先天的』。
これが一番しっくりくる。
一番しっくりくると言いながらも、言い換えてみれば『本能』。
そう、本能なんだ。
うん、やっぱり本能の方でいこう。
こっちの方ががっちりはまってる。きまってる。
私万歳。
私最高。
異論は挟ませないからな。
で、話を戻すが、結論から言えば私は悪くない。
全ては本能がこんな「私」を作り上げてしまったのだ。
ああ、待て。
言いたいことはわかる。
何の話をしているんだってことだろ?
わかってる。
わかってるから、今からその辺りの事情を説明するから、正座して茶でも啜りながら聞いてくれ。
胡坐でもいいぞ。
「私」のニックネームを教えてやる。
それは『バトルジャンキー』だ。
この言葉だけ聞けば、戦いに飢えた常時パーサーカー野郎みたいに感じてしまうだろうでもそうじゃない。
このニックネームをつけた奴も、それに便乗して私をそう呼ぶ奴も何もわかっちゃいない。
私は別に戦う事が好きなわけじゃないし、人を殴ることに快感を覚えるような変態でもない。
普段の私は暴力とは遠距離恋愛じゃないとカップルになれなさそうな程大人しくしているし、インテリ風の縁なし眼鏡だってしている。
常に美しい立ち振舞いを心掛けてもいるつもりだ。
言葉使いは……まあ、気にするな。
だから、バトルジャンキーなんてニックネーム、間違いも甚だしい。
でも、否定できない部分もある。
それは私がジャンキーだということ。
ただし、その対象はバトルじゃない。
私は『大なり小なりジャンキー』なんだ。
これだけだとあれだが、つまりだな、簡潔に言うとだな、私は優劣、強弱を決めたがるんだ。
ん、なんだ?
それは結局自分が強いかどうか試したがってるだけだろって?
違う!
ちゃんと最後まで話を聞け!
胡座をかくな!
胡坐かいていいって言ったけど、やっぱり正座!
正座以外は認めないからな。
……そんな興奮するなよって?
だったら口を挟むなよ。
あーもう、話が逸れた。
戻すぞ。
私が所構わず相手構わず喧嘩を売ってるなら、別にバトルジャンキーって言われても文句はないし、そう呼ばれて当然だとも思う。
でも違う。
違うんだ。
さっきも言った通り、私は大なり小なりジャンキーなんだ。
違いがわかりづらいかもしれないから、例えを出して説明してやる。
例えばだ。
今、目の前で誰かが喧嘩をしているとしよう。
もし私がバトルジャンキーなら、この時点で我慢できずに喧嘩の中に飛び込んで暴れるはずだ。
だけど、喧嘩を見た時点での私は、何も思っちゃいないし、うずうずもしていない。
問題は決着がついた瞬間だ。
その瞬間、私の本能が疼き出すんだ。
私は今勝った奴より強いのか?
それとも弱いのか?
知りたい。知りたい。知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたいっ!
って。
いけないとはわかってる。
そんな事しても意味がないのはわかってる。
でも、駄目なんだ。
どうしても、駄目なんだ。
頭でわかってても、理性が必死になって止めようとしても、その瞬間を僅かにでも視界に入れてしまえば、本能はあっという間にそれらを踏み潰して全身を満たし、気づけば体が勝手に動いてしまっているんだ。
そして、相手との優劣、強弱がつくまで、ひたすら殴る蹴る。
相手がもう止めろって負けを認めるか、私の体が動かなくなるまで。
だけど、昔からこうだったわけじゃない。
最初にも言った通り、こんな「私」にしたのは、バトルジャンキーなんて呼ばれる振る舞いをするように私を仕向けているのは、全部、本能なんだ。
昔は喧嘩の決着だけじゃなく、例えば小学生の頃は徒競走のゴールの瞬間を見ても体は勝手に動き出してたし、剣道で一本取った瞬間を見ても本能は溢れ出していた。
でも今は、喧嘩の決着にしか反応しなくなった。
本能の奴、段々と全部に反応するのが面倒くさくなりやがったんだ。
徒競走のゴールに反応しても、相手の了承が得られなければ優劣は決められないし、剣道とかのスポーツはルールを知らなければ意味がない。
だから、相手の了承もルールもいらない、喧嘩にだけ本能は反応するようになった。
もし、本能の奴がどんなに煩わしくてもめんどくさくても、スポーツを選んでいれば、今頃は何かしらの大会で優勝してたに違いない。
きっとそうに違いない。
絶対そうに違いない。
でも、現実はそうじゃない。
ちくしょう。
私は何も悪くないのに。全部、全部、本能のせいなのに。
だけど、結局、周りからしてみればそれも私の一部。
どんなに私がそれを毛嫌おうが、拒否しようが、否定しようが、周りからしてみれば、それは私自身以外の何者でもない。
本当に、嫌になる。
ふう。
あー、一気にしゃべったから喉乾いたな。
お前の持ってるお茶、くれないか?
って、おい。
なんでそんな顔してんだよ。
大丈夫だって。
普段はおとなしいんだから。
暴力なんて嫌いなんだから。
ちょっ、なんで距離を取ろうとしてんだよ?
おい、逃げんなよ。
大丈夫だって言ってるだろ!
殴ったりなんか、絶対にしなから。
絶対に、しないから。
いつもこうだ。
いつもそうだ。
こんな「私」を恐れてみんな距離を置く。
私を見ずに距離を置く。
ちくしょう…………。
☆
学校からの帰り道。
バトルジャンキーこと私、白井奏はいつものように一人だ。
つまり、今私は一人で家に帰っている。
いや、別に一緒の方向に帰る奴がいないから一人、というわけじゃない。
帰り道じゃなくても、学校でも、私はいつも一人。
一人じゃなかったことなどないくらい一人だ。
でもいいんだ。
これでいいんだ。
こんな私には誰も寄ってこないのだから。
ここ数年まともに話しかけてきた奴なんていねんだから。だから私にとってこの状況は普通なんだ。
当たり前なんだ。
当たり前。
……と言いたいところだが、どうやら今日は違うみたいだ。
「ねえ?」
校門を出たあたりから、私は誰かに話しかけられているらしい。
らしい、と言うのも、いまだに私が声の聞こえてくる方向、後ろを振り返って確認していないからだ。
でもまあ、たぶん私は今まさに話しかけられているんだろう。
だって、徐々に声が近づいてきてるしな。
「ねえねえねえねえねえ?」
でも私は受け流す。
どうせ振り返ってもろくなことにならないのはわかりきっているのだから。
だから私は前だけを見て……。
「ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ? ねえ!」
「だー、うるせえ!さっきから何なんだよ?」
短気で悪かったな。
後ろから聞こえてくる騒音にようやく反応して後ろを振り返ると、不満そうに眉をひそめる男子が立っていた。
制服は私の通う学校の男子用。
線の細い体が夕日に照らされて、さらにほっそりとした影を生み出している。
「何なんだよって、話しかけてるのに無視するそっちがいけないんだろ?」
眉をひそめるだけじゃあき足らず、初対面の私を指さしてきやがった。
まったく、最近の若い者は一体どんな教育を受けているんだ。
なんて、どの口が言う。
「ふん。私はな、知らない奴に声かけられてほいほいついていくような軽い女じゃないんだよ」
「俺、まだ何も言ってないよね?」
「だー、うるせえうるせえ! 男の癖に細かいこと気にしやがって。何か用があんだろ? さっさと言いやがれ」
強気な口調。
これは私の自己防衛策でもある。
私に話しかけてくる奴は全員一緒なんだ。
興味本位。
それ以外のものを持って話しかけてきた奴なんて、一人もいやしない。
「私」に興味があるだけで、私の事は一切見ようとしない。
触れようともしない。
だから、私は人に声をかけられても過度な期待をしないようにしている。
ここ数年そうしてきたし、これからもそうするつもりだ。
もちろん、こうして声をかけられている今も……そうだ。
それでも、そんなことがわかりきっていても、期待しないようにしていても、やっぱり私は寂しいんだ。
心のどこかで期待してるんだ。
こいつは、私の事を少しだけでもいいから理解してくれるんじゃないか?
わかってくれているからこそ、話しかけてきたんじゃないかって。
でも、大抵その期待は裏切られる。
『何で君はそんなに喧嘩が好きなんだい?』
『人を殴って楽しいの? 何が楽しいのか、僕にも教えてけれないかなあ? バトルジャンキーさん』
そんな質問とも侮蔑とも取れる言葉とともに。
ふざけんな!
人の気持ちを弄びやがって。
どんな気持ちで私がお前等の相手をしているかも知らないで。
どんな矛盾を抱えながら話を聞こうとしてしまうのかも知らないで。
だから、私はきつい言葉使いで相手をビビらせて、相手を突き放す。偽物の私がまるで本物の私であるかのように見せかけて。
そうすることで、勝手に私が勘違いを始めてしまわないように。
私が傷ついてしまわないように。
きっと今目の前に立っているこの男も同じで、私の心を傷つけていくんだ。
何の遠慮もなしに。
何の気遣いもなしに。
好奇心を、好鬼心を心の中に潜ませて。
特に今回は性質が悪い。
見た目が「僕は優しいですよ」オーラを出しているから余計に性質が悪い。
誰にやられても大して変わらないけど、こういう奴にやられるのが一番凹むんだよな。
「一つ、聞いてもいいかな?」
「さっさと言いやがれ」
「一度だけ、君の喧嘩を見たことがあるんだ。たまたまね。でさ、その時に思ったんだけど…………」
そら来た。
次に、どんな侮蔑の言葉を私にくれるつもりなんだ?
早く言え。
ビビらせて、早期退散させてやるからさ。
「どうして君は、あんなに悲しい顔をしながら喧嘩をするの?」
「は?」
「君はさ、学校、どころか町中でバトルジャンキーなんて呼ばれてるけど、俺にはとてもそんな風には見えなかった。もし本当にバトルジャンキーだとしたら、もっともっと享楽的な顔をしていてもいいはずなのに、君の顔は悲しそうだった」
「ちょっ、何言ってんだよ?」
意味わかんねえ。
何言ってんのこいつ。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
何知った風な顔でつらつらと気味の悪いこと言ってんだよ。
「だから、俺は本当の理由が知りたい。なんで君が人を殴るのか。喧嘩をするのか」
なんで、なんでお前がそんな悲しい顔をしてんだよ。
止めろ。
止めろよ。
今までの奴みたいに、私を罵れよ。
侮蔑しろよ。
蔑めよ。
……なんなんだよ。
「あ、ちょっと?」
気がつくと、私は優男に背を向けて走り出していた。
後ろから小さく聞こえる声を振り切るように、私は走った。走り続けた。
何で逃げ出したんだよ?
私の体。
期待していたんだろ?
自分を理解してくれてるんじゃないかって。
望んでたんだろ?
自分を知ろうとしてくれる奴を。
なのに、なのに、何で私の体は逃げ出してるんだよ?
――どうして君は、あんなに悲しい顔をしながら喧嘩をするの?――
「……っ」
下唇を思いきり噛み締めた。
じんわりと、鉄の嫌な味が舌の上に広がっていく。
きっと怖かったんだ。
自分を理解してくれる、
知ろうとしてくれる奴を望む一方で、私は諦めていた。
一生そんな神様みたいな奴は現れないって。
だから、ビビったんだ。
急に現れて、それまで誰にも触られたことのなかった、自分の心を優しく撫でられて。ひりひりと触られた部分が痛くてむず痒くて。
どう反応していいかわからなかったんだ。
喜べばいいのかも、悲しめばいいのかも。
だから逃げ出した。
だから背を向けた。
「くそくそくそっ!」
結局私はどうして欲しいんだよ?
わかって欲しいのに、わかろうとされると怖くなるなんてどんな、
どんな……。
「どんな天の邪鬼だよ! このくそがっ!」
町中は、そんな天の邪鬼な私を笑うようにいつも以上に賑やかだった。
☆
日付は変わって翌日。
朝。燦々とウザったいほどの日差しが学校までの道を照らす中、現在、バトルジャンキーな「私」、登校中。
禍々しいオーラ全開。
不吉さを振り撒きまくっている私から、周りはいつも以上に距離を取ってやがる。
おかげで地方の商店街なみに閑散とした空気が私の周りを漂っている。
だが、そんなこと今はどうでもいい。
それよりも昨日の事だ。
後悔しかできねえ。
まじで何やってんだよ。
「ああ、くっそ。絶好のチャンスだったんじゃねえのかよ。まじ苛つく。まじムカつく。自分最低。自分最悪。あ―、畜生が」
口からも愚痴しか溢れてこねえ。
「ひぃぃ! すみませんすみません。これで勘弁してください」
いつの間にか私のすぐ傍に来ていたメガネ小僧が、私に対して営業マン真っ青の最敬礼をしてきやがった。
ていうか、誰だよおめえ。
何もしてねえのに勝手にペコペコ頭下げながら万札出してきやがって。
殴るわけねえだろ。
私は苛々しても、人を殴る趣味はねえんだよ。
見ず知らずの奴に対してなら尚更だ。
「邪魔だ」
「ひぃぃ! ごめんなさいごめんなさい」
結局、万札を私の鞄に突っ込んでいきやがった。
後で募金だ。
って!
そうじゃねえ!
昨日の事だよ、昨日の。
昨日の……。
昨日…………うが――――――!
あのあと、人にぶつかろうが、信号を無視して警察官に追われようが、全てを振り切って走りに走った私は、家に着き、玄関の扉を閉めた瞬間叫んだ。
「殺せえ! いっそ殺せえ!」
と。
あんなに驚いた顔をしたお母さんを見たのは初めてだ。
まあ、それはいいとして、そこからはひたすら後悔後悔後悔後悔。
頭の中で「もしあの時、冷静にあいつの話を聞いていたらららららららら―――――」って事ばかりが、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
もう絶対あんなチャンス来ねえよ。
昨日の奴もどうせ一度きりの関係だろ。
「って、何いかがわしい言い方になってんだよ!」
しまった。
思わず口元を押さたが、時すでに遅し。
周りはヒソヒソと何かを囁きながら、さらに私から離れていった。
「…………はぁ」
肩をがっくりと落とし、アスファルトの地面に視線を向けた。
ああ、もう、こんな気持ちになるなら、何でちゃんと話そうとしなかったんだよ。
ああ、ああ、ああ、ああ。ああ、ああ、ああ、ああ、ああう。
自分への苛立ちが一山越え、徐々に情けなさに変わり始めたその時だった。
「おおっ? 発見発見。昨日何で逃げたんだよ?」
うな垂れ度・百パーセントな私の後ろから、昨日聞いたばかりの声が聞こえてきた。
蹴り飛ばされたように、弾みだす私の心臓。
狂ったように溢れ出す冷や汗。
昨日の光景がフラッシュバックし、瞳孔が……えっと、たぶん開いている。
落ち着け。
落ち着け私。
落ち着いてくださいやがれ。
今度は落ち着いて応対するんだ。
テンパらないように一度大きく深呼吸。
すはー。
そして、覚悟を決め、ゆっくりと後ろを振り返る。
「ううるせえよ。お前が急に変なこと言うから……だろ」
駄目だ。
視界に入り込んだ男は爽やかすぎる笑顔を振り撒き、私の心を乱してくる。
昨日は若干逆光でわからなかったけど、よく見れば端正な顔立ちをしている男子生徒。
うわわわわわわ。
イケメンじゃねえか。
「変なこと? 何が?」
「何がって……。あれだよあれ」
「あれ?」
くそっ!
気づけよ。
「だからよ、私が……その、喧嘩してる……とき悲しい目…………だあ!」
語尾破裂。
くっそ、なんでこんなにどもるんだよ。
「ああ、あれか。別に変なことじゃないだろ? 俺には確かにそう見えたし、それは間違ってもない…………と俺は思うんだけど」
と、見透かしたような目で言ってくる男子生徒。
……名を名乗れ。
この野郎。
「で、正解?」
「…………」
無言で頷いた。
今の全力。
逃げ出しそうな自分を必死に抑えて、今後こそはこの機会を逃しては駄目だと言い聞かせて。
噛みしめる唇から血が吹き出そうな勢いだ。
「よかった当たってて。当たってなかったら殴られてたかもな?」
「ち……がう。私……は、殴るのも喧嘩するのも…………好きじゃない」
自分でも不思議なほど、勝手に声が漏れた。
「わかってるよ。ん? 違うな。勝手に妄信してて、今、確信した、だから、わかってる…………かな?」
無邪気に笑う様は、全てを見透かしているような気がしてならない。
「でも、まだ答えてもらってない事がある」
これ以上は何かがはち切れてしまいそうなので、とりあえず、とりあえず睨み付けた。
「おおっ。そんな睨むなよ。答えてもらってないことはあれだ。嫌いなのに、何で喧嘩しちゃうのかってことだ」
無理無理無理無理!
これ以上私の心の柔らかい、デリケートな部分を撫でないでくれ。
間をくれ。
時間をくれ。
だって、昨日きりだと思ってたから。
泣きそう。
意味わからないタイミングで、泣きそう。
泣いてもいいのか?
いや、駄目だよな。
だから、時間ください。
暇をください。
実家には帰りませんからあ。
その辺うろつくだけですからあ。
「ま、今は時間ないしさ、放課後屋上で待ってる。その時にゆっくり聞かせてよ」
「へ?」
そう言うと、男子生徒は手を降りながら去っていった。
遠退く背中を見つめながら、とりあえずほっとしたというか、見透かしたような発言に多少なりとも腹立たしすら覚えるというか。
でも、それとともに一つの疑問が浮上してきた。
「なんれひゃいつは私にかまうんら?」
ちくしょう。
泣くの我慢するので必死だよ。
☆
そこから放課後まではひたすら葛藤。
私の中を、気味の悪いねとねととした感触をそこらじゅうに残しながらのたうちまわる葛藤。
屋上に行きたい。
でも行きたくない。
いや!
行きたくないわけじゃない。
だけど、泣きたくない。
恥ずかしい。
うう~、軽く吐きそうかも。
何でこんなにキツいんだよ?
「ひぃぃ! すみませんすみません」
教室の自分の席で悶々としていると、朝、万札を鞄に突っ込んできた奴が再び万札を渡してきた。
お前同じクラスだったのかよ!
また募金だよ!
って、だからそうじゃねえ!
☆
そして迎えた放課後。
屋上へと続く階段を一歩一歩踏みしめながら歩いていく。
薄暗い階段は、まるで私の心をそのまま引きずり出してペーストしたみたいだ。
そんな重苦しい空気をできるだけ無視するように、私は下を向き、屋上へと向かっていく。
逃げたら、駄目なんだ。
ほどなくして屋上へと繋がるドアの前にたどり着いた私は、大きく深呼吸をした。
周りのマイナス要素を吸い込まないように気を付けながら。
そして、ゆっくりとドアノブに手をかけた。
「お、来てくれたね」
屋上のドアを開けた先には、ヒラヒラと右手を左右に泳がせながらこちらを見てくる男が一人。
昨日とは違って、正面から照らす夕日が男の顔を鮮明に浮かび上がらせる。
一つ、胸が大きく弾む。
「…………来てやったさ」
「ドアに寄生してないでこっちに来てよ」
「やだ。このドアが私を離しやがらねえんだ」
言葉遣い最悪で、バトルジャンキーなんて呼ばれているけど、私は意外とナイーブなんだよ。
誰も知らないけどさ。
私も昨日今日で気づかされたけどさ。
いんや、知ってたけどここまでとは。
だから気づけ馬鹿野郎。
今の私は無機物でも触れあってると落ち着いちまうんだよ。
「こうやって普通に話すとさ、やっぱりバトルジャンキーなんてあだ名、間違いだなって、改めて思うよ」
男はこちらを見つめながら、納得したように笑みを浮かべる。
優しく曲がった目が男の纏う雰囲気をさらに柔らかなものにしていく。
「だからさ、聞かせてくれよ。本当の理由」
わかってる。
ここまで来たんだから、私もその覚悟はできてる。
でも条件があるんだこんちくしょう。
「その代わり、ドアに寄生したままでいいか? いいよな?もう私はこいつにゾッコンなんだ」
「ゾッコンって、久しぶりに聞いたな。はははっ。いーよいーよ。愛しのドアを抱いたままお願いします」
というわけでだ。
必死に、それはもう愛しの無機物なドア様を抱き締めすぎて壊しちまうくらいの勢いで話してやったさ。
何度も何度も逃げ出しそうになる自分を、ドアと壁の間に挟み込ませて。
☆
「大なり小なりジャンキーって。はははっ。ネーミングセンス……くはっ。まじ無理。面白すぎ」
「笑うな笑うな笑うなっ!」
全てを聞き終わった男子生徒は、橙色に染まり風情垂れ流しの空の下、腹を抱えながらコンクリートの地面の上を転がりまくっている。
黒色のブレザーに灰色が混じってしまうのも気にせずに。
……なんだこの辱め。初めて自分の事を話したのに、人様のネーミングセンスに食いつきやがって。
ああ、もう恥ずかしい。
腹抱えるほど笑わなくてもいいだろ。
数分後。
「あー、久しぶりにめっちゃ笑った」
ようやく笑いが収まった男は、涙を拭いながら立ち上がった。
「いや、ごめんごめん。予想外過ぎ……くはっ」
「まだ笑うか」
ていうか、私のネーミングセンスはそこまで酷いのか?
「ごめんごめん。いや~、それにしても、喧嘩終了を見ると本能が疼き出すとは変な癖だね」
「ふん。私に聞くな。本能に聞いてくれ」
全てをさらけ出したお陰かは知らんが、今までになく言葉がすんなりと出てくるようになったな。
「よし。私は答えたぞ。お前も私の質問に答えてもらうからな」
ここでようやくドアへの寄生を止め、屋上に体を全てさらけ出した私は、昨日のお返しとばかりに男を指さしてやった。
「お、寄生終了かい?」
ニヤニヤと笑う男。
結局笑いやがるな、こいつ。
「で、質問は?」
「まずお前の名前は? 私は白井……」
「奏。白井奏だろ? 有名人だからな。知らない方がおかしい。んで、俺の名前は吉原大地。言いそびれてた。申し訳ない」
「それでよよよよよよよおよよよよよよよよよよよよよおよよよよよよよよよよよよよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、よ吉……原君は…………」
よよよ、よく考えたら、おと、男の子の名前呼ぶなんて、何年振りだ?
また泣きそう。
君付けなんて、君付けなんて。
「大地でいいよ」
ひぃ!
そんな私の心の荒れ模様に気づいてか気づかないでか、下の名前、しかも呼び捨てを要求してきやがった。
逃げちゃだめだ。
逃げちゃだめだ。
逃げちゃだめだ。
深呼吸。
深呼吸。
深呼吸。
「そそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそ、ソルマック!」
「胃腸薬? はははっ。何の一発ギャグだよ」
あー、もうやだ。
死ぬ。
私、駄目だ。
高校生にもなって、男の子の名前すらまともに呼べないなんて。
絶対損してる。
一応年齢的には青春真っ盛りなはずなんだぜ。
なのに、何で私は小学生並みの恥じらいを持ってんだよ。
普通の女の子なら、ぜってえこんな事にならないはずなのに。
「まあでも、白井さんが聞きたいことはわかるよ」
「おう?」
「何で私に構うのか。話したこともないのに。ってところだろ?」
「おう」
間抜けなオットセイ返事を繰り返しながら、再び私は愛しのドア様に抱きついた。
うん、冷たい感じが落ち着く。
「何でそんなに見透かしまくれんだよ?」
ドア様凄い。
めっちゃ落ち着いてきた。
言葉が普通に出てきた。
ドア様テイクアウトオッケーかな?
「うーん。それは黙秘権行使で」
「な、ずりいぞだだああああああ、大地!」
言えた!
ドア様テイクアウト決定!
「ま、いいじゃん。そんなに大した理由じゃないし」
「もしそうだとしても、私だけ素っ裸にされた感じがして納得いかねえ」
「まあまあ。そのうち、気が向いたら教えるよ」
逃げるように視線を逸らし、右の掌を左右にひらひらさせる大地。
「それよりもさ、白井さんの……」
「奏でいいよ」
っておい!
おうおう。私の口何滑ってんだよ。
奏でいいよなんて。
奏でいいよなんて。
奏ではいいよなんて。
なんてなんてなんて…………。
自分の言ったことに思考回路焼き切れ寸前。
「そっかそっか。確かに自分の事は大地でいいよって言っといて、白井さんは変だよな」
大地は腕組みしながら、納得したように笑顔で頷いてる。
「それで話戻すけどさ、奏は自分でその本能さんとやらを抑えきれないんだよな?」
「おう」
再びオットセイ返事な私。
「よし、決めた。俺がクッションになる」
「おう?」
そんな、ポケモンマスターに俺はなる! みたいに言われても意味がわからん。
「どういう事だ?」
「うむ、よく聞いてくれた」
大地はなぜか背を向けて左手でフェンスを掴み、そのままの状態で首だけをこちらに向けた。
無駄に極上な真剣顔。
小芝居好きな奴だな。
「つまりはだ。奏が本能を抑えきれないなら、喧嘩が終わった瞬間を見たなら…………」
「なら?」
なんとなく、雰囲気的に生唾を飲み込まないといけない気がした私は、素直にその直感に従った。
「俺が奏より速く、その喧嘩終わりの奴に殴りかかってやるのさ」
決まったみたいな顔されても。
「いやいやいや、よく考えてみろよ。それには重大な欠陥があんだろ。確かに、大地が即座に殴りかかれば、本能は引っ込んでくんだろうけど、結局その喧嘩が終わっちまえば、元の木阿弥じゃねえか」
私の台詞終了とともに大地は真顔に切り替わり、フェンスから手を離すと、一気にドア様と私に近づいてきた。
「な、なんだよ?間違ってねえだろ?」
自分の考えの穴を指摘されて頭にきやがったのか?
あと顔近い!
そんなに近づかなくても謝るからあ。
土下座もするからあ。
昨日の今日で人生大転換だよ。
「そこがミソなんだなあ」
「うえ?味噌?」
顔に味噌付いてる?
今日、味噌田楽なんて食べてないぞ?
顔を撫でてみるが、ツルツル絶好調な私の肌に、味噌のネトネトはなし。
全くビビらせやかって。
味噌田楽喰ったのは一昨日だ。
なんてくだらない思考を無視して大地は続ける。
「そ、ミソ。もし俺が勝てば、もちろん奏は俺を襲ってくる。そしたら俺は殴られる。そこで一言『負けました』。一発殴られた時点で負けを認めれば、奏は傷つかないし、俺も軽傷。万事解決」
立てた人差し指をこちらに向けて、ニカッと爽やかに笑う大地。
「は?」
正直呆れて物も言えない。
先程まで乱れまくっていた頭の中が一気に静まり返っていった。
「何馬鹿みたいなこと言ってんだよ。なんで昨日知り合ったばかりのお前が、私のためにそこまでする必要あんだよ。意味わかんねえ。正直、本当の自分を出せたのは嬉しかったし、今でも泣きそうなくらい感動してる。大地に感謝してる。でも、でもな、私はそれだけで十分なんだ。だから…………」
「はい、そこまで」
大地は私の頭にポンと手を乗せて
「奏がどう言おうが関係なし。異論は挟ませません。これは決定事項です」
と、人の意見を微塵も取り入れるつもりなど、端からなかったような物言いをしやがった。
「な、ちょっと待てよ。そんな滅茶苦茶……な……のが……あ…………」
ああああ!
冷静になってみれば、頭に、私の頭におおお、男の子の手が、手が。
撫で撫で?
これって撫で撫で?
「おう、おう、おう……」
今日駄目。
今日無理。
仙豆下さい。
かりんしゃま。
仙豆を…………。
「それは了解マスターって返事か? じゃあこれからよろしくな」
もう……好きにしてくれ……。
☆
あの日から一週間。
大地は毎日、登下校時に私と行動を共にしている。
さすがに学校内で喧嘩は起きないし、クラスも違うから一緒にはいないけど。
ただ、類は友を呼ぶだかなんだか知らんが、私の校外での喧嘩終了エンカウント率は異常だ。
毎日とは言わなくても、確実に週二、三回は喧嘩終了を見かけてしまう。
というわけで、既に二回ほどエンカウントしている。
「ごめん。ごめんなさい」
帰り道。
うな垂れ過ぎて首筋が痛み出しているにも関わらず、うな垂れることを止めない私。
「だから謝るなって。俺が決めてやってることなんだから」
そして、そんな私の隣で、私の憂鬱を全く意に介さない、私の憂鬱の原因である大地。
なんでそんなに楽しそうに笑えんだよ。
二回。
その細身からは想像できないほど大地は喧嘩が強く、二回のエンカウントに二回とも勝利している。
でもそうなると、私の本能はその喧嘩に勝利した大地に向けられるわけで。
俗に言う、バトルジャンキー状態に陥った私の鉄拳を一発ずつ貰った大地の左右の頬には、湿布が痛々しく貼られている。
「だってだってえ」
その両頬の湿布を改めて見て、私は明らかな涙声になった。
うーん、と困った顔をしながら、大地はポリポリと頭を掻いた。
「まさか奏がここまで優しい子だったとはな~」
「優しいも何も、自分のために他人が体張ってくれて、しかもそいつを私自身が殴るなんて、気が引けねえわけねえだろ。……自分では止められないけどよ」
「それは聞き捨てならん」
「ひうっ?」
急に大地がこちらを向いたと思ったら、そのまま両肩をがっちりと掴まれ、無理矢理大地の方を向かされてしまった。
「な、なんだよ?」
慣れてきてるぞ。
この一週間で確実に私は成長してるぞ。
少しずつ大地のスキンシップに慣れてきた今の私は、肩を掴まれて強制回れ右をさせられても全然平気だ。
それに、こんなに顔が近くても…………………………………………………………………………………………………………………近くても……………………………………………………………………………………………………………やっぱり顔近いのだけは無理っす!
「奏と俺は他人じゃないだろ?」
「おう?」
オットセイ返事、再燃。
「友達だろ友達。奏と俺は友達以上友達未満だ!」
「ぷっ。それじゃあ矛盾しまくりじゃねえか。友達以上友達未満って意味わかんねえよ。」
「え?ああっ!」
大地はしまったと言わんばかりに頭を抱えて思い切りのけ反った。
「ははっ。ばっかでえ。はははっ。ひー、まじ腹痛え」
「ちょっ、そんなに笑うことないだろ」
腹を抱えて笑うなんていつ以来だろ?
ヤバい。
普通に楽しい。
久しぶりに経験した、普通の会話。
普通の友達。
普通の男の子と女の子。
このまま、これが続けばいい。
素直にそう思えた。
この瞬間、までは。
☆
だけど、そんな楽しい時間とともに、大地の傷もどんどんと増えていった。
喧嘩に勝てれば私の一撃だけで済むなんて、都合のいい話で現実は進まない。
大地が勝つにしろ負けるにしろ、私に殴られるにしろ殴られないにしろ、私以外の奴に殴られ蹴られるんだ。
一つの喧嘩が終わる度に、大地は満身創痍。
たぶん、いや、絶対にキツいはずだ。
それでも、大地はいつも笑顔で私に接してくる。
どんなに傷ついて、どんなにそれが痛くても、それを微塵も態度に出さない。
この前なんか、額が切れてるのに
「大丈夫。試合中のボクサーはこれくらいで試合放棄しないだろ?」
なんておどけていた。
止めて欲しいのに、自分のために友達が傷つくなんて嫌なのに。
大地は友達ならこれくらい当たり前だって言うけど、私からしてみれば明らかに度を越してきている。
それに、私にはもう一つ、気がかりなことがあった。
それは、報復行為。
私にはバトルジャンキーなんてニックネームがついているくらいだ。
今さら手を出してくる奴なんていないし、完全に別次元の化け物扱いされている。
だから報復なんてあり得ない。
でも、問題は大地だ。
言い方は悪いかもしれないが、事情を知らない奴からしてみれば、大地はバトルジャンキーを後ろ楯に、好き勝手に暴れてる奴に見えているかもしれない。
実際、そんな噂が校内・校外問わず、流れ始めているのも事実だ。
当然、大地に負けた奴等の中には、それを気に食わない奴もいるはず。
その事を懸念して大地に伝えたが
「ま、そん時はそん時だ。それに噂は噂。俺も都市伝説になれっかもな」
なんて、また緊張感の欠片もないトーンでケラケラと笑っていた。
その笑いが私を不安にさせた。おそらく、大地は私が何と言おうと私の代わりに喧嘩することを止めない。
何となくだが、確信があった。
だったら、そうだとしたら私が大地から逃げ出せばいいのかもしれない。
関わらないように徹底的に拒絶すればいいのかもしれない。
でも…………でも…………あー、ちくしょう!
頭が痛え!
どうしたらいいかわからん。
わからんがとりあえず!
大地には手を出せねえよう常に私が隣にいるしかねえ。
大地のためならバトルジャンキーになってやろうじゃないか。
だから、大地にこれ以上は…………。
だが、現実のくそ馬鹿野郎は、そんな私の想いをあざ笑うかのように、不安をあっさりと現実のものにしやがった。
☆
ある日の放課後。
いつものように下駄箱へ向かうと、そこにはいつも私を待っているはずの大地の姿はなかった。
「……大地?」
下駄箱を見ると既に靴はなく、それを見た私は考える間もなく校舎から飛び出していた。
「くそくそくそっ!」
何をやってたんだ私は。
やっぱり、突き放すべきだったんだ。
やっぱり、拒絶すべきだったんだ。
そしたら、傷つくのは私だけで済んだはずなのに。
手段を選ばずにやればできたじゃねえか。
くそっ。
慣れてたじゃないか。
一人でいることに。周りから距離を置かれることにも。
なのに……なのに……なんでこんなに辛いんだよ。なんで、一人になることを考えるとこんなにも怖いんだよ。
なんで…………なんで…………。
「大地!」
走った。
走り続けた。
人にぶつかっても、赤信号を無視しクラクションを鳴らされても。
大地に初めて声を掛けられて逃げ出した時とは全く異なるモノを抱えて。
公園。
商店街。
住宅街。
走った。
走った。
☆
今日ほど、自分の喧嘩終了エンカウント率の高さに感謝したことはない。
「はあはあ。大地!」
とある路地裏。
肩で息をする私の目の前には、二人の男に囲まれ、壁を背に座り込む大地の姿があった。
その口からは血が流れ、顔には数回殴られたような痣ができていた。
「てめえら……」
バトルジャンキーに私を変える本能ではない、違う、今までにないモノが体を駆け巡ると同時に、私の体は一気に二人の男と距離を詰めた。
「ジャンキーだ」
「逃げろ!」
背を向け逃げ出す二人に、私の拳は容赦なく襲いかかる。
☆
「ってえ。はははっ。情けねえ。申し訳ねえ」
大地は顔の血を吹きながらいつものようにおどけた顔をし、私はその前で両膝を着き、少しだけ赤く染まる拳を膝の上で強く握りしめる。
「もう、こんなこと止めよう」
「え?」
「もう無理だ。無理だ無理だ無理だ。もう耐えられない」
今日の体はいつも以上に言うことをきいてくれない。
泣きたくないのに、泣くつもりなんかこれっぽっちもなかったのに、涙が溢れ、頬を伝って落ちていく。
「お、おい! 何で泣いてんだよ?」
「これ以上私に関わらないでくれ。これ以上私のために傷つかないでくれ。これ以上…………これ以上…………」
私に、私にはそこまでの価値はない。
自分可愛さで、大地が傷つくのをわかっていて突き放せなかった私に。
「駄目だ。これは俺が決めた事だ」
大地の目はまっすぐに私を射ぬいてくる。
そこには僅かな揺らぎも感じられない。
強く、強く。
だからこそ、私は強く言い放つ。
「でもっ! これ以上大地が傷つくのは見たくないっ!」
「駄目だ!」
「止めろ!」
「嫌だ! 駄目だ!」
「…………止めろよ。止めろって言ってるだろ。なんでそこまで私に構うんだよ」
視界はさらに歪み、先ほどよりも大粒の涙がぽたぽたとアスファルトを打つ音だけがはっきりと聞こえてくる。
歪んでる。
歪んでた。
私は周りからバトルジャンキーなんて呼ばれる以前に、性根からどうしようもないほどに、救いようのないほどに歪んでたんだ。
だってこんなにも嬉しいんだ。
苦しいのに嬉しいんだ。
大地が構ってくれることが。
傷だらけの大地を見て、私の為に傷ついたと思うと嬉しくて堪らない。
「ちくしょう…………」
歪んでる歪んでる歪んでる歪んでる歪んでる歪んでる歪んで…………。
「好きだからだ」
「へ?」
大地は時々、無視をする。
私の葛藤を。
わかっている癖に無視をして、自分が言いたいことを優先してくる。
「へ、あ、ななな何を言って……」
好きだからだ。
好きだからだ。
すき家だから。
違う違う!
確実に今「好きだからだ」って。
先程まで零れていた涙は打ち止め終了。
今度は、湯気が出るんじゃないかというほど、顔が熱を帯びていく。
「ぷっ。くははははっ!」
「うあ?なんで急に笑い出すんだよ?もしかして嘘なのか?今の、その、唐突なアレは嘘なのか?」
「う、嘘じゃない。本気だよ。うん、好きだから……奏が好きだから体張るんだよ。役に立ちたいんだ。ははっ。ははははっ」
「だからなんで笑うんだよ。あーもう、なんだよ~。わけわかんねえよ」
何だかよくわからないまま、大地は腹を抱えながら笑い続け、私はその隣で頬を赤らめ続けた。
☆
その日から、正確には、大地の唐突な告白から、私は「私」に、バトルジャンキーに変身しなくなった。
だからと言って、決して本能がなくなったわけじゃない。単に溢れ出なくなっただけだ。
どんなに抑えようとしても抑えきれなかったものが、抑えきれている。
いんや、抑えられている。
不思議な感覚。
私の中の私以外のモノが抑えている。
「ん? どうした?そんな神妙な顔して」
学校からの帰り道。
もう私の為に傷つくことのなくなった大地は、傷一つない顔をこちらに向けてきた。
「なんでもねえよ」
ま、これは恥ずかしいからなかなか直接言えねえけどよ。
それをまたまたまたまた、見透かした様に、「ふーん」と言いつつニヤニヤする大地。
あーあ、ったく。
こいつには敵わねえな。
☆
あれは確か、小学五年生の時だったかな。
当時の俺は自分で言うのもなんだけど、今からは考えられないほどなよなよしてて、女の子みたいな男の子だった。
まあ、ありきたりな感じも否めないけど、そんな俺を虐めてくる奴もいるわけで。
あの日もいつものように虐められていた。
「おらあ! このオカマ野郎が」
いわゆる、クラスのジャイアン的な力を持った奴に押し飛ばされ、俺は情けなく尻餅を着き
「痛いよ。止めてよー」
と、さらに情けなさと、いじめっ子のいじめたい精神に拍車をかけるような台詞を見事に発した。
「うるさい。お前がなよなよしてんのが…………」
「うおおおおおおりゃあああああああああああああああああああああああ!」
突然聞こえてきたシャウトとともに、目の前にいたジャイアニズムな彼は視界から消え去り、
「私の勝ちだな。つまりお前よりも、そしてお前よりも私は強い。そう、強い!」
変わりに俺の視界に入り込んできたのは、腕組みをし、勝手に俺とジャイアニズムな彼に勝利宣言をする一人の女の子。
「えっと……助けてくれてありがとう」
「なんのことだ? 私はお前に勝ったあいつが私よりも強いかどうか確かめただけだ。お前は偶発的に助かっただけで礼を言われる筋合いはない」
妙に大人びた言葉を使う彼女。
「でも、助けてもらったのは本当だし……」
「いや、助けてない」
「助けてもらったよ」
「だから助けてないって」
「もらった!」
「てない!」
「もらった!」
「いや、しつこっ! お前しつこいな」
少女は俺のしつこさに呆れたように顔をしかめる。
「ていうかさ」
「うん?」
「そのしつこさはさっきの喧嘩のときに出せよ。痛いよーとかやめてよーとか言って逃げてんじゃねえよ。悔しくないのか? 負けて」
少女は不服そうにこちらを見つめる。その視線の先に俺はいなくて、俺の心の弱い部分を捉えているように感じた。
「悔しく……ないわけじゃないけど、ほら僕ってそういうポジションというか、クラスの中での立ち位置ってのがそうだというか……」
「は? なんだそれ。意味わからん。好きに生きろよ。面倒くさいこと考えずに好きに生きればいいだろ。だって、お前の人生はお前のもんだろ。私は好きに生きてるぞ。本能に忠実に生きている。苦しい時もあるけど楽しい時の方が圧倒的に多い。今もお前とあいつに勝てて大満足だ」
言って彼女は胸を張りながら笑う。
「まあいいや。こんなこと赤の他人のお前に言っても仕方ないしな」
そこまで言うと少女は立ち去ろうとする。
「え、ちょっと。君の名前は?」
「ん、ああ、私は白井奏。覚えておいて損はないかもしれないし、むしろ損するかもしれねえぞ」
奏は颯爽と去っていった。
「好きに……か」
取り残された俺は奏での言ったことの意味を理解しつつ、一瞬で去って行った彼女に何となく恩とまではいかないまでも、そんな様な事を感じていた。
☆
それから直ぐに親の都合で転校したため、それ以来奏と会うことはなかったのだが、いつか会うことがあればあの時の恩を返していければなんて考えていた。
その恩というのも助けてもらったからという訳じゃなく、踏ん切りを着けさせてくれたというか、心の何処かで思っていたことをバシッと前に押し出してくれたというか。
う、うん。
つまりは、虐められっ子のポジションに「甘んじていた」俺をシャキッとさせてくれたわけだ。
住めば都なんて言うけど、人間関係の中でのポジションも、そこに居続ければ心地よいとは言わないまでも、これでいいやくらいに思えてくる。
あの時の俺はまさにそうで、心のどこかでこんなんじゃ駄目だなと思いつつも、自分から変える気はなかった。
だけど、奏の言葉と笑顔によってきっかけを与えられた俺は「ちょっと好きに生きてみるか」なんて考えたわけ。
そこからはまあ、なかなか自分でも納得のいくポジションで人生を送ることができたってわけだ。
そんなこんなで過ごすこと四年。
再び親の都合で都合よく五年生まで暮らした町に帰って来れた俺は、あっちは覚えていないかもしれないけど、もし白井奏に会えたら勝手に恩のキャッシュバックをしてやろうと企んでいた。
そして、そのチャンスは意外と早く訪れることとなる。
「バトルジャンキー?」
「そう、バトルジャンキー。お前がいない間にかなり凶悪な奴が誕生したから、気を付けた方がいいぜ。しかも同じ学校」
小学生の時によく遊んでいた友人からの忠告。
バトルジャンキーなる凶悪人が同じ高校にいるということらしい。
「ふーん。で、名前は?」
「白井奏。一年三組のな。確か、小学校も一緒だったはずだ」
「ふーん。なるほどね~」
なんて呑気な感じで返事をしつつ、「おお。これは恩を返すチャンスじゃないか」なんて心の中ではウヒヒな事を考えていた。
あの白井奏がバトルジャンキーになったのには、何かしら理由があるに違いない。
しかも、自分ではどうしようもできない理由で。
絶対にそうだ。そうじゃないとおかしい。
なんて突っ走りっぷりで、早速、バトルジャンキーに「ならざるを得なかった」奏に接触を試みた。
そしたら
「私は好きで喧嘩してるんじゃない」
とのこと。
うん、よかった、当たってて。
あ、ちなみに
「どうして君は、あんなに悲しい目をしながら喧嘩をするの?」
なんて言った俺だけど、あの時点で一回も奏が喧嘩をしているところを見たことはなかった。
だって、忠告を受けたその日の内に奏に声をかけたわけだから。
そして、その日その瞬間から、四年間で貯まりに貯まった恩のポイント還元。
どんなに殴られようが、蹴られようが、奏に殴られようが(これはなんだか嬉しさすらあったような)、ひたすら恩返し。
奏は傷だらけの俺を見て悲痛な顔をしていたけど、かたや、俺は人生を変えてくれた奏に比べてまだまだ足りないと思っていた。
だけど、それは、それこそ大きな勘違いだと気づかされる。
「好きだからだ」
報復行為にすっかりやられてしまい、それを見た奏が泣き始めたとき、不意に自分の口から溢れた自分でも予想だにしなかった一言。
と同時に込み上げるおかしさ。
そうだったのか。
ああ、全然気づかなかった。
いやでも、そうだよなあ。
うん、そうだよ。
恩を返したいなんて崇高(?)なこと、俺は端から頭になかったんだ。
全くもって俺はアホか!
アホだ!
そうだよそうだよ。
ただ単に、俺は奏の事が好きだったんだ。
あの時から。
あの瞬間から。
彼女の笑顔を見たときから。
彼女の言葉を聞いたときから。
だから、こんなに必死になれたのか。
だから、こんなに殴られ蹴られることが苦痛じゃなかったのか。
そりゃそうだよなあ。
恋は盲目って言うけど、好きな人のためなら耐えれるよな。
まあ、俺の場合はその好きな気持ちにすら盲目で気づいていなかったわけだけど。
しっかし、四年間も会わなかったのに、しかも会ったのは一瞬だけなのに、こんなにも好きでいさせるなんてな。
しかも、その事を俺自身にすら気づかせずに。
もうズルすぎだよな。
ある意味魔性の女だよな。
全くもって、敵わねえ。
☆
悔しいけど、大地には本当に敵わない。
あいつの見透かし力の前には太刀打ちできねえ。
でもな、一つだけ負けてないものがある。
うん。
これだけはぜってえに負けてねえ。
いや、むしろ、もうもう圧倒的に私優位だ。
断言できる。
断言しちまう。
それはな…………。
奏には敵いそうにないけど、負けてない、むしろ確実に勝ってると信じてるものが一つだけあるんだ。
これだけは負けられない。
絶対に負けを認めるつもりはないかな。
どんなにあいつが泣いても、どんなにじたばたしても、どんなにドアに抱き着くっていう可愛らしい姿を見せつけられても、負けを認めるつもりなんてさらさらない。
長さじゃないってことはわかってるけど、期間だって俺の方が長いんだし。
それは…………。
大地を好きな気持ち
奏を好きな気持ち
これだけは
ぜってえに
絶対に
負けねえ。
負けない。