第5章8話
「どういうことですか!」
「ですから、本日、夜明け前に急な任務が入ったことまではわかっているのですが、その後の消息が不明なんです」
「こっちは何日も前から予定されていた任務があるんです。キャンセルの連絡もありませんでしたよ。八束さんは何処にいるんです? 急な任務ってなんですか?」
「だから、さっきから申し上げている通り、わからないんです」
「任務の指令はここから出ているのでしょう? わからないはずないでしょう?」
「本当に何も入ってこないんです〜。長と加内様が直接、指揮を執られていて」
先程からずっと続いていた押し問答がふいに止む。
「長が直接……?」
渡会一颯は机に両手をついたまま、遠くを見るように視線を彷徨わせる。
今日から真鳥と一颯は任務に就くはずだった。
北の国ソムレラの後継者問題を探る隠密調査のため、二人だけで一週間の予定である。北へ向かうなら通り道だからと、待ち合わせは真鳥の家とし、昨日のうちに任務書を受け取っている。
そのときは、普通に笑っていたのだ。
いつものようにヘラヘラと、顔見知りの事務官と軽口を交わしていた。
この場所で。
その後は詰め所近くの定食屋で一緒に夕食を摂り、そこで別れた。
今朝、時間通りに真鳥の家に到着してみれば玄関の戸は鍵もかかっておらず、家の中にも外にも誰もいない。
慌てて支度をしたのか、寝室は布団も寝間着もめちゃくちゃで、押し入れの扉も開けっ放し。中から何かを引っ張り出した痕跡があった。家の中が散らかっているのは、真鳥が片付けが苦手なためだと知っていたから、泥棒ではない。
しばらく待ってみたが本人が戻ってくる気配はなかった。急な任務で夜中のうちに呼ばれたならば、詰め所に行けばわかるだろうと、周囲を探索しながらルーまで戻った。
矢杜衆たちが任務書を受け取る事務室は、詰め所二階、建物の北側に位置している。まだ早朝のため事務室は空いていた。
早朝シフトの担当者に確認すると、真鳥に急な任務が入ったことはわかった。しかし戻りの予定どころか本人が行方不明との返答に、一颯は苛立ちを隠せず事務官を困らせるだけの無意味な押し問答を続けていたのだった。
机の上に任務書一枚がある。
機密扱いのため、メンバーの名前以外何も書かれていない。
その中にあるバディの名前。
長が直接動くほどの急な任務。
一颯からため息が溢れる。
事務官が心配そうに一颯の顔を見つめる。
若くして杜仙に名を連ねているため、それなりに顔も広まり、一颯を知る者は多い。最近はあの八束真鳥のバディということでさらに注目を浴びている。
常に冷静に行動しその指示は的確な上、部下に対しても敬意を払う真面目な上官だと一颯の評判は高い。
矢影たちの間で密かに出回る「隊長にしたい矢杜衆」のリストには常に上位にその名が入っている。
そんな一颯が事務机を叩いて声を荒げる姿を見るとは思わなかったのだろう。何か考えに沈んでいる様子の一颯に、事務官は言葉をかけて良いものか考えあぐねる。
「あの……」
やっとの思いで小さな声で話しかけると、一颯がはっと顔をあげる。
自分が何をしていたのかに気づき、机についたままだった手を慌てて離す。
事務官に落ち度はないのに、まるで彼が隠しているかのように詰め寄った自分に、一颯は羞恥を覚えた。
部下を思い遣りチームを纏める杜仙にあるまじき行動だ。たとえどのような状況であろうとも、仲間の前で取り乱すことは許されない。ここが戦場だったら、部下の信頼を失い士気は下がる。任務失敗という結果に繋がるだろう。
「すみませんでした。取り乱しました」
その気持ちを隠すことなく謙虚に頭を下げる一颯に、今度は事務官の方が慌て始める。
「やめてください、渡会さん! 俺に頭なんて下げなくていいんですよ」
椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がる。
「でもあなたにひどい態度をとってしまいました。恥ずかしいです」
「ぜんぜん恥ずかしいことないです。バディのことですから、ご心配になるのは当たり前です。俺の方こそ役に立たなくてすみません」
深く頭を下げた後、一颯を心から心配する気持ちを込めた瞳を素直に向けてくる。
事務官に、一颯は笑みを返す。
彼の気持ちが嬉しい。嬉しかったから、自然に笑みがこぼれる。
幼い頃にはできなかったことだ。
幼少期の一颯は笑うことも泣くこともしない子どもだった。
抑えていたわけではなく、感情というものを知らなかったのだ。それは孤児として育ったことに起因している。
一颯に両親はいない。
生存どころか、どこの誰かもわからない。
乳児の時に神殿の孤児院に引き取られ、名は当時の巫女に付けてもらった。
そんな自分に感情の在処を教え、人の心を与えてくれたのは、真鳥だったのではないかと一颯は思っている。
八束真鳥という人物については、一年前に知った。
知ったというのは、正しい表現ではないかもしれない。なぜなら、一颯と真鳥はもう何年も前からバディを組んでいたという事実があるからだ。
しかしある日、八束真鳥なる人物がイカルに現れたとき、一颯を含め誰も真鳥を知らなかった。
真鳥が矢影の頃、直接指導した教官である加内永穂や、真鳥の父をよく知る矢杜衆長瑛でさえ覚えていなかったという。
何があったか真実は不明だが、その日から真鳥周辺に犬神が現れるようになったことから、犬神の力が作用したのだろうと皆は推測した。何かの理由で、すべての人間から八束真鳥に関する記憶が消えたのだと。
しかし記憶は消えても記録は残っている。
詰め所には彼が杜仙二位であるという登録証が確かにある。直前の任務書からは一颯を含むチームを率いてニリの国境に出向いていたことも判明した。
その帰還途中に何かが起こり、大怪我を負った一颯を真鳥がイカルへ連れ帰った。待っていたのは、彼のことを忘れたかつての仲間たちだった。
だから一颯には、真鳥に関する記憶はこの一年分しかない。
一颯がいきなり現れた真鳥を受け入れ、バディの関係を持ち続けているのは、ふとしたときに感じる不思議な感覚があったからだ。
戦いの中で真鳥との息がぴったりと合うときであったり、ともに過ごす時間の居心地の良さであったり、小さな場面で沸き上がる説明しがたい感触。
それは既視感に似ている。
記憶を失っても、身体に染み付いた真鳥の存在がふいに顔を現すのだ。
真鳥は以前のことを余り話したがらないから、自分と真鳥の関係がどうであったか知る術はない。本当は知りたいと思ったが、一颯は自分の中の直感を信じる事にした。
そう簡単には消えない何かが真鳥との間には確かにある。それは妄想や願望ではなく、確かなものだった。
故にこれは、真鳥のせいなのだ。
事務官相手に声を荒げたことも、心の内で激しい恐怖を感じているのも、すべて真鳥のせいだ。
八束真鳥がどこにもいないからだ。
一颯は自分が溢した溜息の意味を自覚する。
いつの間にか、一颯の中心に真鳥がいるのだと。
「……誰か、戻った人はいますか?」
「先程、幾人か戻ってきたようなのですが……」
廊下の外が急に騒がしくなり、事務官の声が掻き消される。
「おい! 聞いたか?」
若い男が駆け込んでくる。一颯の脇をすり抜け事務机にバンと手をつく。
「矢杜衆に死者が出たぞ。今、遺体が戻ってきたって」
事務官が一颯に視線を向けたとき、すでに一颯の姿はなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次の更新は月曜の予定です。
よろしくお願いします。




