第5章7話
「まずは礼の一言でも欲しいところだが」
「!」
突然の背後からの声に驚いた守土が、肩越しに振り向く。
いくら守土が長身であっても、190センチの永穂には敵わない。永穂と目を合わせるためには見上げなければならない。それを屈辱と感じるのか、あるいは動じたことを恥じたのか、守土は永穂を無視するように姿勢を正す。
永穂はそのまま続ける。
「一行を護衛し、無事にルーまでお連れした。結果、矢杜衆二名が不明。犠牲者まで出た。このまま何もなかったでは済まされない」
「行方不明者など日常茶飯事だろう。殉職者の遺族には見舞金でも出しておけばよいこと。が、所詮、そちらの内部の問題だ。議会としては対外的な問題に発展する前に手を打たねばならない。小さな国の外交がどれほど骨の折れることか、戦うしか脳のない君たちにはわからないかもしれないがね。要件は済んだ。失礼するよ。若い議長がやりたい放題だったから、後始末が大変だ」
祈織が戻ってこないかのようか発言に、瑛至の身体がびくりと反応する。
矢影の男が反射的に目を閉じる。
守土がドアの方へと身体を反転させた瞬間、その身体は派手な音とともにドアに叩きつけられる。
「加内!」
思わず声を出したのは瑛至だ。守土を拘束したのは永穂だ。
「っうう!」
首の付け根を抑え込まれ呻き声をあげる守土に構わず、永穂はその耳元で、実は矢杜衆長よりも恐ろしいと評判の鋭い氷柱のような声で告げる。
「矢杜衆は使い捨ての駒ではない。私たちは仲間を見捨てない。不明者の捜索と襲撃相手の調査は行うのでそのつもりで」
「……っお、隠密でやってもらいたいものだな。おまえたち、そういうのだけは得意だろう。世間に発覚したときには、議長は事前に辞任したことにさせて貰うっ!」
「配慮しよう」
議会側からこの件について矢杜衆が動くことに合意は得た。多少、荒っぽくはなったが、目的を果たした永穂は拘束を解く。途端、守土は喉を押さえて咳き込む。
「話は済みました。どうぞお引き取りを」
ドアを開き絶対零度の声で、まだ呼気の整わない守土をたたき出す。
乱れた衣服を直しながら、それでも精一杯に姿勢を正した守土は、後ろを振り返りもせずに矢杜衆長の執務室を後にする。外に控えていた守土専任の護衛と事務官が慌てて後を追っていく。
「さて」
再び扉を閉じた永穂は矢影に向き直る。
「あなたはもう退室していただいて構いません。ここで見聞きしたことは口外しないでください。これは命令です」
「は、はい! 矢杜衆の印に懸けて」
「早朝からご苦労様でした」
部下とはいえ、年上の相手に対する敬意を忘れない永穂の配慮に、男もやっと緊張を解くことができたようだ。
「いえ、任務ですから」
男はドアの前で一礼すると踵を返す。
その背を瑛至の声が追いかける。
「すまなかった。あなたに落ち度はない」
男は振り返ると優しい笑みを浮かべた。
「狭總さんがあなたのバディであることは存じています。私も矢杜衆の端くれ、かつてはバディもおりました。お気持ちは良く理解しています。きっとご無事で戻られます。僭越ながら、これもあの方の奇抜な戦略の一つではないでしょうか」
もう一度、瑛至に向かって礼をすると、男はそっとドアを閉める。
閉じる瞬間の隙間から、
「おまえはどう思う?」
「話に入る前に、先にあなたが散らかしたものを片付けなさい。散らかっていては正しい判断ができません」
「こんなときまでおまえは全く変わらないな」
「返事は、はいあるいは諾です」
「……はい」
というような会話がなされていたが、その矢影の男の胸に深く仕舞われた。犬神の印に懸けて。
「私もあの方の意見に賛成ですね」
床に散らばった書類を一枚一枚拾い集めている瑛至を、永穂は執務机の端に軽く腰をかけて見張っている。
「行方不明はあいつの意志だと?」
「そうでなければこの事態を説明できません」
瑛至はしばらく沈黙したまま片付けを続ける。祈織が自分から姿を消した理由を考える。
集め終わった書類を机に置き、倒れたランプを元に戻してスイッチを切る。
「死んだのは月埜然だったな……」
「議長の教え子だったはずですよ」
「だからか……」
瑛至はどさりと椅子の上に身体を投げ出すと、瞼を閉じる。
「そう考えるのが一番、道理が通りますね。議長以外の議員はみな、無事だった。かすり傷一つないほどね。そして議長を追って行った方は、恐らく全滅したと思われます。その死体の数に疑問は残りますが。議長は知っていたんだでしょうね。自分がターゲットだと」
「あいつ、独りで」
片をつけるつもりか、という言葉は溜息に飲み込まれる。
永穂が語った推測は、おそらく正しいのだろう。考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなる。
未明の救援を求める式の報告を受けてから、瑛至の中でずっと張りつめていたものが急速に熱を失い萎んでいく。
「独りではないですよ」
瑛至が瞼を開く。
「八束か!」
「十中八九、彼と一緒でしょう。何故か彼だけは連れて行った」
「あ〜、なんかわかった。あいつ、八束にすごい興味持ってたんだ。会わせろとも言ってたな。華暖の息子に」
「八束に救援チームを任せて正解だったようですね」
永穂が唇の端を上げる。
瑛至と永穂が視線を合わせてにやりと笑う。
先程までの張りつめた空気は、もうどこにもない。
「問題は、あの二人が自分たちの意志で身を隠したなら、見つけるのは至難の技だということですね。誰を出しますか?」
永穂の問いには答えず、瑛至は立ち上がりドアを開ける。梅の香が流れ込んできたのに気づいて、瑛至の顔がふっと緩む。
「どちらへ? 瑛至」
「いい人材に心当たりがある。さっきから二階が騒がしいからな。きっとそいつだ」
意味ありげな視線を二階へと送る。
永穂には瑛至の意図することがすぐに理解できた。
「ああ、あの子ですか。今日から八束と任務で出るはずでしたね」
なぜ八束が現れないのか、任務受付の事務官を困らせているのだろう。
「永穂! 処理班を出して死体の身元を洗わせろ! 二人を援護する」
「諾」
いつもと変わりない快闊な矢杜衆長の後ろ姿を永穂は笑顔で見送る。
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