第5章5話
「何やってんですか、祈織さん」
小さなため息を捨て、真鳥は枝を蹴る。
辺りは静けさに満ちている。戦闘の気配はまったくない。
真鳥の中で記憶が過ぎる。
まだ矢杜衆になったばかりの頃だ。大規模な盗賊討伐の事後処理に戦地に赴いた。伐たちによってすでに制圧された砦は、夜明けの薄い光の中で不気味な静けさに包まれていた。周囲には多くの矢杜衆たちがいるにも関わらず、砦だけが妙に浮いていた。
生を一切感じられなかった。
討伐とは、人の命を奪うとは、こういうことなのだと、全身で感じ取った。
今のこの森は、あの時と同じくらい静かだ。刈り取られた命はとうに霧散して、残るは動かぬ体のみ。
いやな想像しかできない真鳥は、小さく首を振る。
その鼻先を、突然、何かが掠めて下方に落ちる。
瞬間的に跳んで待避したが、敵襲ではなかった。
さっきまで自分が立っていたあたりに血痕がある。上を見ると、太い枝に血まみれのクナイが一本、刺さっている。そこから滴ってきたようだ。
真鳥はクナイが飛んできたであろう方向を見定めると、先を急ぐ。
周囲はすでに明るんでいる。
街道から外れた南側は常緑樹の深い森になっており、傾斜も少なく岩場もない。戦闘はしやすいが身を隠す場所は高い樹の枝の上くらいだ。
敵の姿はもうない。
しかし血の匂いは強く漂っている。
一本の倒木が真鳥の視界に入る。
古いものらしく、その表面を多う皮はすでになく、白茶のつるりとした肌を見せている。地面に近いところから苔が生えている。
その向こう側に、真鳥は一人の男を見つけた。
男は真鳥に背を向ける格好で座っており、後頭部で結った黒髪を背中に垂らしている。
気配はまるでなかった。
置物のようにぴくりとも動かず、頭を垂れている。
その視線の先に何があるのかは、すぐにわかった。
男の左腕のあたりから茶色い髪がこぼれていた。その一房が紅く濡れている。僅かに見える肌は白い。黒い戦闘服は明らかに矢杜衆のものであり、その軍靴は土や草、そして血でひどく汚れていたる。その姿に生の欠片を見いだすことはできない。
真鳥は気配を晒したまま、枝の上から下りる。足元でさくっと枯れた落ち葉が砕ける音が響く。
「八束真鳥?」
先に口を開いたのは、祈織の方だった。
真鳥が記憶していだよりも、一回り細く見えるその背中で長い黒髪が揺れる。
祈織は然の身体をその腕に抱いたまま、ゆっくりと振り返る。
「ああ、やっぱり良く似ていますね」
真鳥の顔をしっかりと見つめると、祈織は懐かしそうに目を細める。
「気配は華暖で、外見はその銀の髪も含めてお母さんそっくりです」
真鳥は父と母を知る祈織に、そっと微笑みを返す。
「笑うと華暖みたいですね」
気づけば、鳥たちが忙しく鳴いている。
ゆるやかな風が血の匂いを消し去り、斜めに差し込む光が血の色を金色に上書く。
森が朝を迎える。
金色の朝だ。
「華暖ならこんなとき、どうするでしょうか」
祈織がぽつんと呟く。
まるで独り言のようだったが、祈織が何を言わんとしているかわかる。
敵の狙いは議長退陣と議長暗殺。
祈織は満身創痍。
護衛についていた部下は命を落とした。祈織を庇ってのことだろう。
このままルーへ戻れば何が起こるのか、それは明らかだ。
真鳥の耳につけたヘッドセットからは、真鳥が見つけた男を確保したこと、議長未だ発見できずなど、部下たちの報告が忙しなく続いている。そして彼らの気配は確実に真鳥たちに向かっている。
迷っている時間はない。
真鳥はヘッドセットを外すと、スイッチを切ってその場に捨てる。
「あなたが今、お考えになっている通りだと思います。議長」
祈織は真鳥の顔をじっと見つめてから、小さく頷く。
腕の中に抱いていた然の身体をそっと横たえる。茶色い毛を一房、クナイで切り取り手のひらに強く握り込む。
その行為が、祈織と然の関係を語っている。
真鳥は着ていた白い外套を脱いで祈織の肩にかける。あちこち破れた衣服がひどく寒そうに見えたからだ。
立ち上がった祈織は外套の端を握りしめ、「私は大丈夫です。然にあげてもいいですか?」と問う。
真鳥が頷くと、祈織は然の身体を外套で覆う。
「さて」
祈織が真鳥の前に立つ。
「一緒に行方不明になってくれますか?」
その顔に、迷いはない。
心を決めた者のまっすぐな瞳が、真鳥に向けられる。
かつて、幼い真鳥を指導した頃と変わらない、静謐とも言える眼差しだ。
真鳥は小さく息を吐いて、肩から力を抜く。
「長にばれたときにどんなことになってもオレは知りませんよ。庇いませんからね」
「そんなところまで華暖にそっくりですね」
祈織がくすくすと笑う。
祈織はもう然を見ない。
その目はもう然を振り返ることなく、これから向かう前だけを見つめている。
少し短いですが、キリがよいのでここでアップします。
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