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第5章2話

 戦闘が始まって、一時は経っただろうか。


 すでに息があがっている。

 刀を振るう腕は重く、柄を握る手に力が入らない。

 唇から吐き出される息が白く濁る。山の空気は冷たいのに、こめかみを汗が伝い落ちる。


 イカルと、その東の隣国アカギとの国境付近の山中は、その朝、恐ろしく冷え込んでいた。土は硬く凍りつき、落ち葉は白く結晶している。空気は肌とそしてそれを吸い込んだ肺の中も鋭く突き、痛みを誘う。


 表面のがさついた太い幹に背を預け、できるだけ音を殺しながら息を整える。


 いつのまに、これほど衰えていたのか。


 狭總祈織さそういおりは、僅かに白んできた東の空を睨みながら自問する。


 矢杜衆として前線で闘っていたのはそれほど昔ではない。たかだか十年程度前だ。同期にはまだ現役クラスがいくらでもいる。


 十年前、西の隣国ニリとの大きな戦いの中で、矢杜衆の戦闘班としてはもう戦場に立つことができないほどの傷を負った。

 それでも刀を捨てることはできなかった。

 矢杜衆であることは、生きることと等しかったからだ。


 この身が動かなくなるまで矢杜衆として戦うと、犬神の印をその背に刻むときに誓った。

 戦場で最後の一人となっても戦い続けるだろう相棒の隣に、己もまた立ち続けると決めていた。


「固執すれば死ぬぞ」


 名前しか知らない仲間が言った。


「自分をもっと大事にしなさい」


 癒し手が言った。


 何を言われても構わなかった。

 医療院の庭で刀を振った。


「今のお前に俺の背を預けることはできない」


 バディが言った。

 祈織のバディである伐瑛至ばつえいしは、湾曲な言い回しをするタイプではない。

 それは、祈織が見つめたくない現実だった。そんな現実を躊躇いなく突きつけてくるのは、瑛至しかいなかった。

 そして、祈織にとって瑛至の言葉ほど刺さるものはなかった。


 祈織は、戦いの場を戦場から議会へと移した。

 戦場でその背を預け合うことはできないが、イカルを支える二大組織である矢杜衆と議会、その頂点で共に戦うバディでありたい。意地とも言えるその願望を、祈織は果たした。


 議会長となった今でも、矢杜衆としての登録を末梢していないのは、祈織の固執だ。議会長であっても、その身は矢杜衆であると自負を手放したくない。

 それ故に、鍛錬は怠っていない。

 矢影程度の相手なら負けない自信はあった。


 たとえ、国外への遠征であっても、自分につく護衛の数を最小限にしたのは奢りではない。自分の力は自分が一番よく理解しており、相手がそれなりに手練れだとしても、自分の身くらい守れるはずだった。


 それなのに、なんだこの様は。

 呼気を整えるほんの少しの間が欲しくて、敵から身を隠さなければならないとは。

 こんな自分を見たら、あいつは、それみたことかと強制的に護衛の数を増やすに違いない。


 幼い頃からバディであることを許した唯一の相手である瑛至の、怒ったような難しい顔が祈織の脳裏に浮かぶ。

 瑛至はことある毎に祈織を過保護に扱う。傷を負ってからはなおさらだった。自分で祈織を切り離しておきながら、誰よりも構ってきた。

 議会に仕事の場を移さなければ、今頃は矢杜衆長である瑛至の専属秘書として、詰め所の奥深く大切に仕舞い込まれていたかもしれない。

 それは祈織の望む生き方ではない。


 今、瑛至と祈織は、矢杜衆長と議長として、この国を支える二つの組織の頂点に並び立っている。

 伐は剣を、祈織はペンと紙と言葉という交渉術を武器に、この国を護るために闘っている。


 祈織にとって瑛至は、今でも変わらずにバディであり、そしてこれからもそうあり続けたいと思う唯一の相手だ。

 議会へ入った後も瑛至からバディ解消の話は出なかった。瑛至は今でも自分を認めてくれている。瑛至のバディで在り続ける自分を、誇らしく思っていた。



 この戦闘が始まる前までは。



 刀の柄を握りしめると、右肩に痛みが走る。古傷から痛みと熱がじわじわと滲み出てくる。壊れた肩を左手で強く握りしめる。


 この傷さえなければ……


 敵に背を向けることなどなかった。

 そして、あのニリとの大戦で親友の華暖を失うこともなかっただろう。


 制御仕切れない悔しさが、祈織の身体の中で熱く滾る。

 唇を噛み締めた時だった。


「祈織先生、ご無事で」


 風がそよっと流れるくらいの僅かな空気が耳元を掠める。一人の男が祈織の左側にそっと片膝をつく。

 矢影三位の月埜然つきのぜんだ。


「然、どうして戻ってきたんですか? 副議長を護衛しろと命じたはずです」


 誰に対しても敬語を忘れない祈織の言葉は、丁寧だがその声音には怒気が含まれている。


副議長芳司ほうじ様をお連れして国境を越えたところで敵の狙いが解りましたので引き返しました」


 咎める祈織に然は平然と答える。

 然はイカル議会議長付の唯一の専任護衛だ。


 専任といっても、四六時中、共にいるわけではない。普段は矢杜衆として、他の者たちと同じ任務に就いているが、国内外を問わず議長が公務で移動するときには、必ず彼が動向する。

 自宅と議会の往復や、議会での執務中は不要と断っている。

 それでも不安を覚えたのか、瑛至は然に命じてこっそりと見張らせたことがあったが、祈織もだてに杜仙二位ではなかった。すぐに彼を捕獲して瑛至の前に突き出した上、「私は囚人ではありません。一日中、つきまとわれるのは迷惑です。あなたは私が自分の身も守れないほどか弱くなったと思われるのか。不本意極まりないですね。私を信じて貰えないというならば、たった今ここでバディは解消した方がお互いのためだと思いますがいかがされるか」と、瑛至を脅した。

 その場で何があったかは、瑛至と祈織と、無理やり連れてこられた然しか知らない。


「あなたは何も見ませんでしたし、聞きませんでしたよね?」


 すべての交渉が終わったあと、にこりと綺麗な笑みをみせた祈織の前で、然は汗をダラダラ流しながら、首が千切れそうな勢いで幾度も頷いた。


 それが、月埜然、ただ一人が必要に応じて議長を護衛する専属となったきっかけでもある。


 然は、祈織が面倒をみた生徒の一人だ。

 矢杜衆の上級位である杜仙には、後輩を受け持つ仕組みがある。矢杜衆養成所を出たばかりで、実戦のじの字も知らない若者たちを預かり、チームとして共に任務に就く中で鍛えていくのだ。

 祈織が初めて然を見たとき、上へゆく素質のある者だと感じた。

 茶色がかった猫っ毛が伸びて少し顔を隠す様子から優男のイメージは拭えないが、その猫毛の奥に見え隠れする瞳には、聡明さと鋭さの両方を宿していた。瞬時に状況を見極める判断力を持ち冷静に行動しつつも、仲間を想う心は誰よりも強い、そんな青年だった。


 祈織は然に、自分の得た全てを教えた。然はその全てを貪欲に吸収してきた。


 この春には杜仙に上がるための昇格試験を受けることになっている。祈織が推挙したのだ。


 今も自分の隣で気配を殺すこの男は、猫っ毛の中から薄茶の瞳をまっすぐに自分に向けている。

 仲間を想うその真摯な眼差しの前では、どのような相手も観念せざるを得ない。ましてや自分の身体さえ思うようにならない状況では、然の力を頼りにするしかない。

 まだ敵は殲滅できていないのだから。


 祈織は小さく息を吐き出してから、乱れた前髪をかき上げる。


「察しの通り、あいつらの狙いは私ですよ。議長を退任せざるを得ないような大怪我でも負わせるつもりなのでしょう。抹殺するほどの殺気はないですから。そこがやりにくいところでもありますが」


 祈織は淡々と語る。

 然は師匠の横顔を凝視している。その様子から、彼はこの襲撃が祈織にとって初めてではないことにも気づいたようだ。然は勘が良い。


「先生は自分が狙われていると知っていて、すべての護衛を芳司様に付くよう命じたのですか?」

「そうですよ」

「いくら相手が盗賊とはいえ、矢杜衆くずれも含めて三十人以上もの相手です。お一人で対処できると思ったんですか?」


 その言葉は、決して祈織の能力を過小評価してのものではない。

 ある程度まで実戦を経験した矢杜衆ならば、一人が相手にできる敵の数など、たかが知れていることを思い知る。

 だからバディやチームで行動するのだ。

 敵を自分一人に引きつけて、他の護衛はすべて副議長や事務官を逃がすために回すという祈織の命令は、ただの無謀としかいえない。


 然の問いかけに祈織からの返答はない。


 返す言葉は祈織からは出ない。

 然の言うことはもっともで、はなから自分一人ですべての敵に対峙できるとは思っていなかった。けれど、副議長を含めて他の随行員を無事に逃がすことくらいはできると思っていた。矢杜衆としてまだその力は残っていると信じていた。

 結果はこの通りだ。

 仲間を逃すことには成功したが、自分の身を守ることはできていない。

 敵から身を隠し、上がった息を整え、古傷の痛みに耐えかねている。その上、行動の不自然さを弟子に悟られ、危険な場所へと引き替えさせた。


 そんな祈織の内心を知ってか知らずか、然は祈織の答えを待たずに淡々と状況の報告を始める。


「護衛八名が芳司様、他事務官殿をお守りしています。詰め所にも式を飛ばしました。救援チームが向かっているはずです。芳司様方はすでにイカル国境を越えていますから、敵の目的がなんにせよ、陽が昇るまでここで追っ手を食い止めることができれば、彼らを守り切ることができます」

「日の出までの時間は?」

「あと半時ほどです」


 祈織は弟子の顔を見つめる。

 夜明け前の薄暗さの中でも、相変わらずの優男は自信に満ちた表情を浮かべていることがわかる。

 祈織はそんな彼の表情に、自分を超えていく教え子の確かな成長を見たる。

 そしてそれを誇らしく思う自分にも気づく。

 一人ではないという状況が新しい力をくれる。


 これが、矢杜衆長として伐瑛至が求め続ける矢杜衆のあり方だ。


「足止めするだけでいい。一緒にやってくれますか?」


 猫っ毛の優男がふわりと笑った。


間があいてしまいごめんなさい。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次もまたよろしくお願いします。

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