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第4章9話、春の欠片(4)

「あ!」


 少女が声を上げる。


「止めて! 止めて!」


 立ち上がり、馬車の窓を開ける。


「巫女様」


 神殿の女官長が、そんな巫女の行動を嗜める声で留める。


「どうしました?」


 矢杜衆の長である伐瑛至ばつえいしがゆっくりと進む馬車に歩み寄る。


 窓から顔を出しているのは、この国の宗主であり巫女イトゥラルだ。

 年に二度開催される議会の総会に出席し、神殿へと戻る途中てある。警護には矢杜衆長自らがその任に当たっている。


 正装のイトゥラルの頭上では銀の飾りが今日最後の夕陽を受けてきらきらと光りを放つ。近くを護衛する矢杜衆の若い男性が眩しそうに瞼を細める。


「伐、ちょっと降りたいんだけどダメ?」


 この国で矢杜衆長を伐と呼び捨てにできる女子は、この御年十歳のイトゥラルだけだろう。


「ほんとはダメなんですけどね、少しだけですよ」


 ここに、矢杜衆長の右腕である加内永穂かうちながほがいれば、「貴方は巫女に甘過ぎる」と叱りとばされるだろう。が、今日は詰め所の方を任せていてここにはいない。


 伐は側にいた部下の一人に視線と指の動きだけで合図を送る。隊列はぴたりと静止する。

 同時に馬車の扉が開いて、中からイトゥラルが飛び出してくる。

 馬車に同乗している女官長も出てこようとするのを手で制する。その扉の側に、矢杜衆を二人付け、伐はイトゥラルの側から離れることなく周囲に視線を走らせる。


 イトゥラルは通り過ぎた道を少し戻り、すぐに目的のものを見つけたのか、道ばたに座り込む。

 この場所は、議会や詰め所のあるルーの中心部を抜けたところで、戸建ての住宅や整えられた公園などが並ぶ地域だ。道幅も広く丁寧に舗装され、街路樹が並ぶ。春には桃色の花をつけ、夏には濃い緑が木陰を作り、秋には紅葉を見せる。まだ春というには早いが、冬の間に丁寧に剪定された枝先には、すでに小さな膨らみをいくつもつけている。


「伐、見て! 春だよ」


 イトゥラルの肩越しに彼女の指さす方を覗き込む。伐の目に鮮やかな黄色が飛び込んでくる。

 街路樹の間の花壇でもないところに、ポツンと花が咲いている。


「ああ、菜の花ですね。こんなところに一本だけなんて、珍しいですね。近くの家の庭か畑からタネが飛んで来たのでしょうか」

「虫や鳥が運んできたのかもしれないね。でも朝はね、まだ咲いてなかったの。今日は暖かいから咲いたらいいなって思ってたんだ」


 伐は、少女の横顔を見つめる。

 こんな道ばたの、公園でもなんでもない場所に生えていた、花もつけていない地味な草をイトゥラルの目は捉えていた。

 そしてその蕾が開くのを楽しみにしていたのだという。

 誰も目には留めないものを、この少女はしっかりと見つめている。


 これが巫女というものなのだろか。

 それとも、この少女だからなのか。


 どちらでもいい。

 自分は、この少女が導くこの国の行方を見てみたい。

 その目がこれから何をみつけても、その指がこの先どこを指し示しても、巫女の命に従う。

 その目が濁らないように、その指が傷つけられることのないように、この命を懸けて護る。


 それが、この幼いイトゥウラルと出会って五年の間に、伐の中で確かなものとなった誓いだ。


「春ですね」


 伐が呟くとイトゥラルは嬉しそうに笑う。


「でしょう〜? 真鳥にも見せてあげたいな」

「イトゥラルは本当にあいつがお気に入りですね」

「うんっ! だって面白いんだもん」

「それ、あいつに言ったらだめですよ」

「わかってるって。来てくれなくなったらつまらないもの。犬神様にも会えなくなったら嫌だし」

「そういえば、そろそろ任務から戻る頃ですね」

「うん、今日、帰ってくるよ」

「さすが巫女様、その目はなんでもお見通しですね」

「お土産を持ってきてくれるって約束してるんだ」

「あいつが土産ですか? そんな甲斐、あったのか」


 伐がわずかに首を捻る。


「ソムレラに行った時もお土産をくれたの。柔らかい肩掛けだったよ。すっごく綺麗な色なの。次もまた何か持ってきてくれるって」


 伐は真鳥の任務内容を思い出す。

 今回は土産が売っているような場所ではなかったはずだ。

 この時期、花が咲くにはまだ早い。

 伐には、石ころくらいしか思いつかない。

 約束をしたからには、何か持っていくだろうと、余計なことは巫女には言わないでおく。


「それは良かったですね」


 へへっと子どもっぽく笑う巫女の前で、菜の花がまだ少し冷たい風に揺れている。

 伐と巫女は飽きもせず、黄色い菜の花を眺め続ける。

 木の影に入ってた夕陽が、菜の花に光を当てる。


「伐」


 改まった声に、伐は巫女の隣に跪く。


「はい、イトゥラル」


 巫女も伐に視線を合わせる。

 伐の背筋が伸びる。


 巫女にこのまっすぐな眼差しを向けられると、誰もが畏怖の念に膝を折る。

 伐のような屈強な矢杜衆であっても、ピリリとした空気の緊張を感じずにはいられない。


 巫女は、イカル建国からのすべての歴史を知ることができる力を持つという。そして犬神から授かった未来をみる力も持つ。

 過去の叡智と、未来に起こりうる事柄から、国と人々を導く。

 巫女だけが持つ大きな力に裏付けされているからこそ、巫女の言葉は絶対だ。


 伐は息を潜めて、巫女の言葉を待つ。


「この間、話してくれたこと、私は賛成です」


 伐にはすぐにどの話か理解した。





 この冬の始め、伐は一人の男に出会った。

 その男に、名前はなかった。


 調べても、彼の存在はどこにもなかった。

 これが影なのだと、伐は知った。


 隠の影について、前矢杜衆長から引き継いではいたが、その命令系統は通常とは異なる。実質的に、矢杜衆を引退した高位の者で構成される老牙衆によって指示がなされる。矢杜衆長である伐のところには、建前上、書類が回されそれを承認するのみだった。


 隠の者については、極秘事項であるため、男の聴取は伐自身が請け負った。


 伐は日に一度、夜になると食事を持って男の元を訪れ、返事のない会話を続けていた。

 男は牢で暴れることもなく、捕獲されたときに折られた両腕を不自由そうに使いながら黙々と食事をし、伐の言葉にはなんの反応も示さず、食べ終わるとごろりと横になり、伐に背を向けて眠るのだった。


 伐が、ある者の名を出したその日までは。


『お前を捕らえた奴が、お前を気にかけているようだ』


 男は、初めて伐の言葉に反応を示した。


 その日の昼過ぎ、偶然に、真鳥と捕縛任務に参加した若い男との会話を耳にしたことがきっかけだ。


『八束さん、あんとき、あの男と何話してたんすか?』


 大柄の男が詰め所のラウンジて真鳥と話していた。確か、帆岳という名前の矢影だと伐は記憶していた。二人は仲がよさそうに見えた。


『あんときって〜?』

『ほら、冬の初めの山賊まがいのやつらの殲滅任務ですよ』


 その時、伐は初めて真鳥と男が会話をしたという事実を知った。真鳥からの報告書には何も書かれていなかったからだ。

 伐はさりげなく二人の会話に耳を傾ける。


『あ〜あれね』

『なんかあの後から、八束さんの元気がないみたいだから気になって』

『帆岳は相変わらずよく人を見てるねえ〜』

『八束さんが取り押さえた後、しばらく二人で何か話してたじゃないですか。俺たちのとこまでは聞こえなかったんすよ。まわりもまだ戦闘中の奴らいたし。で、あの時、男が笑ってたから、何か嫌なことでも言われたのかと気になってました。すいません! おせっかいで!』

『いいよ〜。帆岳は優しいね〜。ありがと。でも大丈夫だよ。オレに対して嫌なことを言われたわけじゃないから。ただちょっと気になっただけで』

『気になった? 何がです?』

『ん〜とね、あの男とオレたちの違いってなんだろうなって』

『違いっすか?』

『ほら、あの男の仲間たちってみんなあの男を守るみたいに動いてたでしょ? 彼らにとってあの男は守るべき対象で仲間だった。オレたちがイカルを守るために戦っているのと同じ気持ちなんじゃないかな〜って、ちょっと考えちゃったのよ』

『そりゃそうっすよ』


 帆岳の言葉に真鳥は驚いたような顔をした。


『みんな自分の信じるもののために命かけて戦ってるんすから。立場が違うだけだって俺は思ってます。でもだからと言って、躊躇はしません。したらこっちが死ぬし』

『そっか。そうかも。帆岳のそういうとこ、オレ、好きだな〜』

『へへっ! 八束さんにそんなこと言われたら照れるっすよ』


 そんな二人の会話を聞きながら、伐は確信した。

 真鳥はあの男から隠の影の存在を聞いたのだ。使い捨ての駒に過ぎない男の過去を知った。

 同じ矢杜衆なのに、自分と何が違うのかと、誰かに問わずにはられなかったのだろう。

 おそらく真鳥が一番問い詰めたい相手は、自分だろうと伐は思った。

 しかし、影の存在は秘密にされている。自分から真鳥に話すことはできない。

 そして、真鳥もまた、知ってはならない事を知ってしまったため、報告書には書かなかったのだろう。

 虚偽ではないが、情報を隠蔽したとなれば、処罰を下さなければならない。

 けれど伐は、真鳥たちの会話を自分の胸の内だけにしまい、その場を離れた。


 伐には、老牙衆から、男の知る全てを聞き出した後、始末せよと指示がきている。

 まだ何も聞き出せていないので生かされているが、このまま何も喋らなくても、喋っても、存在を隠蔽するために消される命であることに代わりはない。

 おそらく真鳥はもうあの男はこの世にいないと信じているだろう。影として使い倒され、最後は消される。自分と同じ矢杜衆であり、イカルを守り戦ってきた同志であるのに、生きると言う未来がどこにもない。

 真鳥は、やるせない想いと共にきっと彼の存在を忘れないだろう。

 伐がそう確信した理由は、伐の中にも同じ想いがあることに気づいてしまったからだ。

 それは、隠の影として生きた名もなき男が、取り調べ対象から、一人の人間に変わった瞬間でもあった。


 その日の夜、伐はこう言った。


『お前を捕らえた奴が、お前を気にかけているようだ』

『八束真鳥か?』


 初めて、伐と男が交わした言葉だった。


 男は真鳥の話を聞きたがった。

 なぜかと問えば、


「気に入ったから」


 と、それだけが返ってきた。


 その日から、男にもまた、変化が現れた。

 二人は毎夜、言葉を重ねた。

 その末に、伐はこう言った。


『名前も経歴も顔も変えて、表で働いてみるか?』


 最初、男は笑った。

 おかしそうに笑って、その後、伐を威嚇するように睨んだ。

 自分が勝手なことを言っていると、伐は理解していた。

 この男にとっては、伐は、戦って死ねと命令した張本人だ。老牙衆から指示が出ていたなど、彼は知らないのだから。

 死ねと言った口で、生きろと言う。

 男にしてみれば滑稽に聞こえただろう。

 それでも伐は諦められなかった。

 男への同情からではなかった。

 矢杜衆は誰もがイカルを守るために戦う存在だ。力量の差はあれど、みな等しく、イカルを想う人間なのだ。

 そこに隠の影など、存在してはならない。

 この男のような憂いは、断たなければならない。

 自分の代で、憂いを終わりにしたかった。



 何度目かに問うた時、男は伐の誘いに頷いた。



 それから伐は、その言葉を実行するべく、周囲を固めることに奔走した。

 議会長は、かつての伐のバディだ。真っ先に相談した。彼もまた、隠の影という存在に憤りを見せた。

 老牙衆からは猛反対を喰らったが、一歩も引かなかった。

 そして先日、巫女イトゥウラルに提言した。


 隠の影を解体する、と。





 巫女は言葉を重ねる。


「貴方の決定は正しい。イカルを守る矢杜衆に、名も無き影は必要ありません。矢杜衆はこの国を守る砦。そこに憂いがあってはなりません。古き悪しき習わしなど捨ててください。年老いた長老たちが何を言ったとしても、貴方なら矢杜衆を正しき方向へと変えてゆけるでしょう」


 きっぱりと巫女は言い切る。

 その顔はまぎれもなく一国の宗主としての顔だ。


「イトゥラルの御心のままに」


 伐は深く頭を垂れ、イトゥラルへの最敬礼を示す。


 今日、菜の花を綻ばせた太陽のように、唯一の存在として、尽きることのない忠誠を改めてこの少女へと誓う。





 この春、歴代矢杜衆長と現矢杜衆長を含む長老会にて、陰の影の解体が決定された。

 誰も知らなかった矢杜衆内部組織は、誰に知られる事なく、ひっそりとその存在に終止符を打ったのである。


(第4章完、第5章へ続く)

第4章が完結しました。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

いかがでしたでしょうか。


次話からは、第5章がスタートします。

今週中にアップ予定です。

よろしくお願いします。

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