第4章7話、春の欠片(2)
カーキ色のジャケットを羽織った男が一人、イカルの首都ルーの街をのんびりと神殿の方へ歩いている。
短く刈り込まれた黒髪は、まだ少し冷たい風を通して、寒そうだ。両手をズボンのポケットに突っ込んでいる。
男の姿は、この街ならどこででも見かける普通の矢杜衆のものだ。長身で体格もいいことから、内勤ではなく戦闘を主たる任とすることが伺える。ジャケットの袖の階級章は矢影であることを示している。
「こんにちは〜」
「ちーっす」
前方からやってきた男女二人組みの矢杜衆から、すれ違い様に挨拶の言葉を投げかけられる。
男は僅かに戸惑いの表情を浮かべ、足を止める。
若い女の矢杜衆が子リスのように首を傾げる。
「どうしました? ご気分でも?」
と問う。
気分なら女の連れの大男の方が悪そうだ。長槍にしがみつくような格好でへこへこと歩いている。
ふとその槍に既視感を覚え、二人に向けて観察するような視線を投げかける。
体格のいい槍遣いの男と、小柄の濃い茶の髪の女。
この二人、どこかで……
刹那、どこで会ったかを思い出す。
朝霧が立ち込める山の中、朽ちた落ち葉の匂い、そして……
自分が生まれ変わるきっかけとなった戦いの、あの時あの場に、この二人がいた。
記憶とともに、火薬と血の臭いが蘇る。
男と共に戦った仲間の顔が、一人ひとり、鮮明に思い浮かぶ。
胸の内側がひどい火傷をしたようにじりじりと痛む。
陽の光溢れる平和な街中を歩いていても、男の憂いは、晴れたわけではない。死ぬまで消えはしない。
男はそれを悟られぬよう、へらりと笑う。
「そっちの彼氏の方が具合悪そうだけど?」
男が大男を指で差すと、女は一瞬、睨みつけるような視線を槍の大男に送ってからにこりと笑って答える。
「あ〜コレは彼氏なんかじゃないですよう。コレはお腹が減っているだけですからご心配なく。あなたは大丈夫ですか? 任務帰りでお疲れなのでは? 私、癒し手なんで、よろしければ診ますけど」
男は右手をあげて具合が悪いのではないと、申し出を丁寧に断る。
「ルーは久しぶりなんだ。天気がいいんで散歩をしていたんだが、見知らぬ人から挨拶されるとは思わなくてね。最近の矢杜衆っていうのは、ずいぶん気さくになったんだね」
男の手が後頭部をがしがしとかく。
「長期任務に出ていらしたんですか? 矢杜衆も今の長の代になってから、だいぶ変わったと言われています」
女は男の言葉から色々と察したのだろう。
男の素性を長期任務から帰還したばかりの矢杜衆で、現在は休暇中とでも推測したようだ。
正しくは違うのだけれど、男は「まあ、そんなところだ」と曖昧に答える。
『名前も経歴も顔も変えて、表で働いてみるか?』
そう言ったのは、鋭い眼光を持つ男だった。体格は自分よりも厚く、同じ全身から滲み出る気から格の違いを見せつけられた。
この男が、伐瑛至か。
男は僅かに顔を上げ、矢杜衆の長を睨み付けた。
自分から名と自由を奪い、影の中へと追い詰めた男。
陰の影と呼ばれる使い捨ての駒として、幾度も戦場へ送り出した張本人。
男は、自分を縛る影という名の鎖を断ち切るために、矢杜衆を抜けて逃げた。仲間を集め、自由になるために避けることのできない戦いに備えた。
そしてあの日、仲間はみな、死んだ。
伐が放った追っ手によって、男が捕らえられたとき、すでに覚悟はできていた。矢杜衆を抜けた者は、死あるのみだ。
そんな自分に、今度は生を与えると、矢杜衆長は言った。
一度は奪っておき、今度は新しく与えるだと?
神にでもなったつもりか。
長期に渡る取り調べのため、声は擦れて出なかったが、胸の内だけで罵った。
それなのに今、自分は新しい顔と名前を与えられ、矢杜衆の制服を身につけ、散歩だと称して冬の陽の中を歩いている。
『普通の矢杜衆として、もう一度、命を預ける気はないか?』
幾度か伐はそう繰り返し、幾度目かに頷いていた。
伐の申し出を受けた理由は、自分でもうまく説明できない。
巫女やイカルのためではないことは確かだ。
ただ、何故かあの若い矢杜衆の顔が過ぎったのだ。
涼しい顔で利き腕を折り、頸動脈に短刀をあてたまま綺麗な顔で笑った銀の髪を持つ男。
八束真鳥。
今の自分に、彼の存在が影響していることは間違いない。
落ち葉朽ちる森の中で、彼から告げられた言葉は、男の中でずっと響き続けていた。
そして今、目の前にいるのは、八束真鳥の部下の二人だ。最後に、男を捕えた四人の中にいた。
向こうは気づいていないだろう。
顔が違うのだからわかるはずはない。
まさか自分たちが捕らえた陰の影が、顔を変え、新しい名を与えられ、普通の矢杜衆として生まれ変わったなど、想像もしないだろう。
影の存在など、知らないのだから。
この二人に問えば、八束という男の消息は掴めるかもしれない。
今、何をしているのか。
どこに住んでいるのか。
けれど、知りたいのはそんなことではないのだと、男はわかっている。
男は八束真鳥の名を出すことなく、二言三言ありきたりな言葉を交わし、「じゃあ、また」と別れる。
去っていくでこぼこコンビの二人の声が楽しそうに流れてくる。
自分にもいつか、バディと呼べる相手ができるのだろうか。
「八束だったらいいのに」
思わずこぼれ出た自分の言葉に、はっとする。
そしてその言葉が自分の中に温かい流れとなって染み込んでいくのを感じる。
「いやいやないだろ、そんなの」
男は首を振る。
そしてそんな夢みたいな願いを一瞬でも考えてしまった自分を笑う。
間もなく矢杜衆としての任務が開始される。
裏の仕事ではなく、光の中の仕事だ。
またどこかで会うかも知れない。
いや、きっと会う。
「八束真鳥」
男は、その名を呟いた。
初めて命を預けてもいいと思ったあの男の名だ。
その声を聞いていたのは、道端に咲いた菜の花だけだった。
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