第4章6話、春の欠片(1)
「あ〜疲れた。あ〜腹減った」
「あんた、さっきからそればっかりじゃない。もう、鬱陶しいったら! 詰め所まで我慢しなさいよ! 報告書を出すまでが任務なのよ!」
「って言われてもなあ。減るもんは減るんだもんなあ〜」
「燃費悪すぎなのよ、帆岳は! その身体、ちょっとは肉を削って小さくしてみたら?」
「それは無理っす〜」
二メートルを超える巨体から吐き出される愚痴に、きゃんきゃんと文句をつけているのは小柄なショートカットの女性だ。
二人とも矢杜衆支給のベージュ色の外套に身を包んでいる。上から下まで埃だらけの姿は、明らかに任務帰りであることを示している。
「奏羽〜なんか食べるもん持ってねぇ〜の?」
帆岳と呼ばれた大男はよほど腹が減っているのか、自分の身長と同じくらいの長槍を杖代わりにつきながら、腹が減って力が入りませんのポーズで相棒に食べ物を強請り始める。
「持ってるわけないでしょ? 今朝の野営ですべて食べ尽くしました! アンタがね!」
きつい言葉が大男に向かって放たれる。
帆岳が子どものように唇を突き出す。
二人の日常のやり取りだ。
今回の任務は日数こそかかるものの、内容自体は荷運びと変わらない単純な仕事だった。
途中一度だけ夜盗の群れに出くわしたときに小さな戦闘が発生したが、ほとんどの日程は山道を歩いているだけののんびりしたものだった。
任務が退屈などと口が裂けても言えないが、戦闘に出ることの多い奏羽にとって平和すぎる任務は逆に調子が狂う。そしてそれを増長しているのがバディの帆岳である。
やっとイカルに戻ってきたかと思えば、燃費の悪い大食いのこの相棒は腹が減ったの連発だ。詰め所に戻り報告書を仕上げれば、食事などいくらでもできるというのに、あと一、二時間が我慢できないのだ、この男は。
いくらバディを組んでいるからといっても、奏羽の堪忍袋の緒もそろそろ切れそうだ。
あと一度でも腹が減ったと口にしたならば、報告書の作成も提出もすべてをこの大男に押しつけ、バディの解消を突きつけてやろうと密かに決心する。
「奏羽」
帆岳の声に、奏羽の耳がぴくんと反応する。
言ったら解消。
言ったら解消。
口の中で呪いのように唱えながら、数歩後ろにいるバディを振り返る。道端にしゃがみこんだ帆岳が、ちょいちょいと手招きしている。
「なによ?」
誘われるまま、奏羽は帆岳の隣に屈み込み、帆岳が示す先を見る。
「あ、菜の花?」
短い冬の陽を精一杯浴びて日光浴を楽しんでいるかのような黄色い花がそこにある。
「一人だけ先に咲いちまったんだな。今日はちょっと暖かかったからなぁ」
まだ二月なのにせっかちなやつだと、帆岳が笑う。その横顔は、さっきまで食べ物を強請っていた男とは思えないほど優しい。
これが帆岳の素顔だ。
動植物に優しく、そして同じくらい人に優しい。
商隊の護衛任務でも彼はすぐに商隊の者たちと仲良くなり、野宿の夜は一緒に薪を囲み楽しそうに笑っている。彼がいるだけで、そこに人の輪ができる。その大きな体格よりももっと広い心で、そばにいる者たちを招き入れるのだ。
奏羽は、一本だけそこに咲いている菜の花の中に、懐かしい光景を思い出していた。
隣にいるバディもまた、あの日を思い出しているのだろうか。
二人がまだ、矢杜衆の養成所にいた頃の、あの春を……
矢杜衆では、バディを持つことを推奨している。
見知らぬ者同士でチームを組むよりは、信頼のおける者同士がペアになり、そのバディを最小単位として任務を行う方が、達成率が高いと分析結果が出ているからだ。
事務方は、バディのデータを元に矢杜衆に入ってくる任務を割り振る。
バディになるのに、試験などはない。互いの了承ののち、矢杜衆に届け出るだけだ。
ただ、いつからか矢杜衆の間では、バディを申し込む相手に何かを贈るという風習が生まれていた。それは花だったり、得意の得物だったり、人それぞれだ。
奏羽は帆岳に花を贈った。
養成所の卒業を間近にした春まだ浅い日だった。
人懐こく、誰とでもすぐに打ち解ける帆岳。
夏のひまわりのようにどぎつくはないけれど、優しくたくましい黄色い花と帆岳が重なった。
菜の花の花言葉は、競争。
養成所時代から互いに競い合い、技術を磨いてきた。
正式な矢杜衆となってからも、互いが互いを伸ばす存在でありたいという想いをこめて、その花を贈った。
優しい黄色い花は帆岳そのものだ。帆岳のようになりたくて菜の花を選んだ。
あれから十年が経った。
死ぬかもしれないと思ったこともある。
その度に、帆岳とともに乗り越えてきた。
帆岳と一緒だったから、乗り越えられた。
この黄色い花は、今でも奏羽の中で咲き続けている。バディを解消するなどあり得ない。さっきまで苛ついていた心が、熱を失って静けさを取り戻していく。
奏羽は、自分の選んだバディを見つめる。
十年前と変わらない、懐っこく優しい男がいる。
あの日、自分が渡したあの菜の花は、今も帆岳の中に残っているのだろうか。
「菜の花のおひたし、菜の花のごま和え、菜の花の天ぷら、菜の花の……」
相棒の口から次々と飛び出してくる菜の花の料理には、この際、少しばかり目を瞑ろう……瞑らなければ……と思う奏羽の手はしっかりと拳を握りしめている。
帆岳の後頭部を思い切り殴ってから、巨体を引き摺るように詰め所へと向かう。
詰め所へと戻る二人の前方から、一人の男が、ゆっくりと歩いてくる。
カーキ色のジャケットを羽織った男だ。
短く刈り込まれた黒髪は、まだ少し冷たい風を通して寒そうだ。両手をズボンのポケットに突っ込んでいる。
男の姿は、この街ならどこででも見かける普通の矢杜衆のものだ。長身で体格もいいことから、内勤ではなく戦闘を主たる任とすることが伺える。
ジャケットの袖の階級章は、奏羽たちと同じく矢影であることを示している。
「こんにちは〜」
「ち〜っす」
男を仲間と認識した奏羽と帆岳は、男に気軽に声をかける。
言葉を交わす彼らの姿を、菜の花がそっと見送っていた。
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次の更新はたぶん来週月曜日あたりです。
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