第4章4話、真昼の月(1)
その夜、その場所には、蝋燭の灯りが作り出すいくつもの人影が楽しげに揺れていた。
塩だけで料理された肉の塊を噛みちぎり、硬いパンを頬張り、剥げかけた琺瑯のカップに並々と注がれた酒を飲み干す男達の影だ。
ここには暖かいストーブもなければ、テーブルクロスも華奢なグラスもない。男達を癒やす柔らかい女の手もない。壁も床も硬い岩を刳り抜いただけで、冷たく乾いている。
それでもここは彼らにとって唯一の家であり、守るべき最後の場所だった。
手製の長方形のテーブルは使い込まれ、滑らかに光っている。
その一角から体格のよい男が座を眺めている。
ふと、テーブルの上にある、この家には似付かわしくないものが目に留まる。
酒が入っても鋭さを失わない眼光が僅かに緩み、小さく眉が動く。
そんな男の様子に、隣に座る若い男が敏感に気づく。若いけれど聡明さを備えた顔つきをしている青年だ。
「すいません、頭。やっぱり似合わないっすよね、こんなところには」
「ハギが飾ったのか? どうしたんだ?」
「貰ったんです。昨日、街へ下りたときに」
ハギと呼ばれた若い男は、照れたような小さな笑みを見せる。
「お前の女か」
「だった、です。過去形ですよ。昨日、振られちゃいましたから。そんとき、この花をくれたんです。昨日は神殿の収穫祭だったそうで、そこでもらったそうです。せっかくなんで宴の席を飾ろうかと思ったんですけど、ガラじゃなかったですね」
「お前から振られるように仕向けたんだろうが」
頭と呼ばれた男は、ハギの心を見透かすようにふっと笑う。
「二度と会えない相手をいつまでも待たせるのは可哀想なんで」
「最初から死ぬつもりか?」
「いいえ」
ハギはキッパリと笑顔で答えた。
「誰が簡単に死ぬもんですか。両腕を切り落とされたって、貴方が生きている限り、俺は貴方についていきますよ。ここにいる奴ら、みんなそうです」
「守るべきもんを間違ってないか?」
「間違えてませんよ」
「バカだな、お前らは」
汚れたカップにただ突っ込まれただけの、小さな白い花を眺める男の眼がゆっくりと瞬く。
「この花の名を知っているか?」
静かな落ち着きのある声に、ハギが顔をあげて頭を見る。
この男に出会ったのは二年前だ。初めてハギをこの家に迎え入れたあのときと同じ瞳が、今もそこにある。
誰からも必要とされない人間の前に、大きく広げられた両腕。お前が必要だと真摯に向けられた眼差し。
そのときからハギはこの男を頭と認め、命を預けてきた。ハギだけではない。ここにいるすべての男たちがそうだ。
深い墨色の瞳に、あのときと同じ優しい灯りが宿る。
白い花が、蝋燭の橙の灯りに萌える。
男の意識は、白い花に誘われるように、ゆるりと過去へ遡っていく。
「おじさん」
男の耳に、聞き慣れない子供の声が響いた。
傷つき疲弊した身体は、もはやぴくりとも動かすことができなかった。
ゆっくりと瞼だけを押し上げる。
落ちてくる木漏れ陽が、ちらちらと瞳を灼く。何度か瞬きを繰り返すうちに、目の前に真っ黒い大きな瞳が二つ、迫っていた。
自分の瞳は墨のように濁っているが、こちらは冬の夜空のように澄んでいる。こんな目を持つ人間もいるのかと、男はしばしその双眸に見入る。
「良かった、生きてる」
目の前にあった冬の夜空が消えて無くなると、左右に結われた黒髪が子供の頭部で跳ねる。男は視線だけを動かしてそのその全身を観察する。
グレーのセーターに茶色のズボンをはいている。枯葉の落ちる時期なのに、なぜか靴は履いていない。当て布のついた膝小僧といい、土や擦り傷で汚れた顔といい、その格好はまるで男の子のようだが、髪型と声は確かに少女のものだ。
「ケンカに負けたの? それともおじさん、悪者にやっつけられちゃった? あ! おじさんが実は盗賊で、矢杜衆にやられちゃったところ?」
少女らしく可憐に首を傾げて尋ねてくるが、内容は物騒だ。見たところ、五、六歳にしか見えないが、口は年齢以上に達者である。
「まあ、そんなところだ」
男がそう答えると、少女は結った髪を揺らして、腰に手をやり胸を張る。
「あたし、弱い人、キライ」
倒れている男が盗賊かもしれないというのに、まるで怯えたところがない。男はそんな強気な少女を見て笑う。
「お前はこんな人気のない場所で何をしているんだ?」
「あたし? あたしは修業中よ!」
男が尋ねると、勢いよく返事が返ってくる。
「修業? 矢杜衆のか?」
「違うわ! 来月、木登り大会があるの。その修業」
「なるほど」
寒空の下の裸足の理由がわかった。
「ほんとは矢杜衆になりたかったんだけど、ダメだから」
ふいに少女の声が沈む。
「適性試験で落ちたのか?」
少女は首を振る。
「じゃあ、どうして?」
少女は、まるで少女らしくない静かな笑みを返す。
自分のやりたいことをすべてを諦めている、けれど、その現実もまた、すべて受け入れている。
そんな複雑な笑みだ。
男は、自分を見下ろす少女に、ふいに興味を引かれた。
枯葉の中に横たえていた身体を無理矢理に持ち上げる。ぎしぎしと骨の軋む音が体内に響く。あちこちにできた打撲と、足に受けた太刀傷の痛みにしばし堪えながら、そばにあった大樹に起こした上半身を預ける。
大きく一つ息を吐き出してから、足の傷をチェックする。すでに血は止まっているようだ。
そうして、もう一度、少女を見る。
その額には小さな痣がある。傷かと思ったが、よく見れば花の形をしている。
男は知らなかった。
その印を額に頂く者は、このイカルにただ一人しかいないことを。
自分を見つめる黒い双眸は、力強い光を放っている。
内に抱えた物事をすべてを見透かされるのではないかと思うほどの強さだ。
「おじさんは矢杜衆なの?」
少女の唐突な問いに、男はすぐに答えることができなかった。
自分は矢杜衆なのか。
それは、男の中で一番知りたい問いだった。
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