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第4章3話、憂国の彷徨う刃(3)

「もう嫌なんだよ……」


 男の言葉が真鳥の心に静かに波紋を起こす。


 真鳥が矢杜衆の表側の人間ならば、彼は裏の裏、影の影という存在だ、と男は言った。

 隠の者でさえ、その素性も任務も明らかにされていないのに、さらにその影である存在がいた。

 男の言葉が本当ならば、巫女を護り、民を護り、国を護る矢杜衆に、なぜそのような者たちが必要なのか。

 彼らはなぜ、隠の者ですらなく、一個の人間としての扱いさえされていないのか。

 長はどんな考えから、陰の影と呼ばれる者たちを動かしているのか。


 いくらでも沸いてくる疑問に、真鳥の心は惑い始める。


 名前さえ知られることのなかったこの男は、自分という存在に疑問を持った。そして自らの存在意義を求めて現状に抗い、闘った。


 これは矢杜衆を根底から揺るがすような大事だ。

 矢杜衆自らが、このような火種を抱え込む構造を持っていることになる。


 だから隠されているのか?


 彼の憂いが、憤りが、無視できない重みを持って、真鳥の中でその存在を主張し始める。


 真鳥の任務はこの男を捕らえ、矢杜衆詰め所に連行することだ。そこで待っているのは、死だけかもしれない。


 本当にそれでいいのか?


 真鳥は小さく首を振る。

 仲間を手にかけた男の末路を案じるなど、あってはならない考えだ。

 ふと相棒の顔が浮かぶ。


「……あいつだったら、何て言うかな」

「あいつって誰だ?お前の剣の前に飛び込んできたバカか?」

「そう。お節介で、心配性で……オレよりも、ずっと強い」

「俺は、お前の言葉が聞きたいね」


 男がにやりと笑う。

 真鳥は少しだけ考えて、それからその男の耳に顔を寄せ、呟く。


 その声はとても小さく、その場にいた他の隊員たちの誰にも届かない。


「あんたになら、捕まってもいいや」


 瞼を閉じた男の顔に、どこか安堵したような優しい表情が浮かぶ。


 最後の夕陽が木々の間を押しのけ、折れた刃の上でキラリと斜光を弾く。すでに朽ち始めた落ち葉が、静けさを取り戻した森を深い秋の匂いでそっと包んでいた。





 長への報告を終え、矢杜衆詰め所を出る。

 一等星が、詰め所前にある公園の一際高い木の梢に灯っている。

 真鳥は、詰め所周辺に集まってくる屋台の一つから夕食にと弁当を一つ買い、さっき見上げた公園の木の上に登る。

 夜でも煌煌と明かりが灯され、ルーの街並みにその姿を誇る矢杜衆詰め所がよく見えたる。

 その屋根には、矢杜衆の証である犬神の姿を描いた団旗が掲げられている。

 真鳥が矢杜衆となってから多くの時間を過ごしてきたその場所が、今は余所余所しく自分を避けているかのように感じられる。


 任務は果たした。

 あの男は調査官に引き渡され、どこかへと連れられていった。

 自分にできることは、言い渡された指令の通り、男を捕獲して詰め所に連れ帰ることだけだった。


 真鳥を苛む何も終わってないかのような焦燥感は、あの男の残した言葉のせいだろうか。


『壊れたら補充される……こんなのは、もう嫌なんだよ』


 考えたところで、どうしようもないことはわかっている。

 それでも、名前さえない者たちが、今もどこかでイカルのために闘っているのだと、馳せていく想いを止めることができない。

 知る必要のないことを知ってしまった今は、どうすればいいのだろう。


 箸は進まない。温かかったはずの弁当は、真鳥の手の中で、夜気に熱を奪われ冷めていく。


「お疲れ様でした〜」

「お疲れ様」

「明日からよろしくお願いします」

「瀬戸君、遅れないように」

「わかってるっす!」


 詰め所の入り口がふいに賑やかになる。自然と視線が引き寄せられる。


「渡会さん、それじゃあ、また明日」

「はい、お疲れ様でした」


 真鳥のバディ、渡会一颯だ。

 次の任務の打ち合わせだったのだろうか。会話の流れから察するに、一颯は隊のリーダーを任されているようだ。

 部下たちを見送ると、一颯は真鳥と同じように屋台の一つをのぞき、弁当を購入する。それが焼き鳥弁当であることを、真鳥は知っている。一颯の好物なのだ。食事を作る時間がないときや、疲れているときには、屋台で弁当を買いこの公園で食べたものだった。この木の上にも登って食べたことを思い出す。


 一颯は、弁当の入った袋を手に、彼のアパートのある方向へと歩き始める。


 彼は真鳥が見ていることを知らない。

 ここに真鳥がいることを知らない。


 ふいに、影として生きてきたあの男と、人々の記憶から消された自分が重なる。

 あの男には名前がなく、自分には過去がない。

 世界から存在を消された者同士、何が繋がったのか。

 あの男の憂いを真鳥は理解している。


 一颯の背が遠ざかる。

 ひとり、取り残される。

 自分も、あの男も、確かにここに存在しているのに。


 胸が疼く。


「一颯」


 思わず声に出てしまう。

 それは届くはずもないほどの小さな声だったのに、一颯の足はぴたりと止まる。

 真鳥は息を潜める。

 一颯は真鳥のいる公園の木を見上げる。琥珀色の双眸が、今、自分のいる辺りを見つめている。


 次に取った自分の行動に、真鳥は思わず苦笑する。

 幹の後ろに隠れてしまったのだ。


 行くな。

 オレはここにいる。


 そんな想いが彼の名を呼んだはずなのに、見つかったと思った瞬間、身を隠している。


 会いたいのか。

 会いたくないのか。


「先輩。何、隠れてるんですか?」


 突然、間近に一颯の声を聞き、真鳥の心臓がどくんと鳴る。


「お久しぶりです、先輩」


 真鳥のいる隣の枝に、一颯が立っていた。


「なんでわかったの?暗いのに」

「そりゃわかりますよ。その目立つ銀の髪があれば」

「あ、そう……」


 声が届いていたわけではなかった。

 何を期待してたのか、と真鳥は小さく肩を落とす。


「ここで何してるんですか……ああ、弁当食べてたんですね」


 目ざとく、真鳥の弁当を見つける。


「僕も晩飯、まだなんです。一緒に食べてもいいですか?」


 一颯はガサガサと袋を広げる。


「……許可する前にもう広げてるじゃない」

「このチャンスを逃したくないので」

「どのチャンス?」

「ソムレラから帰った時、次はおでんを食べに行きましょうっていう約束、まだ果たせてなかったので。おでんじゃなくて焼き鳥ですけど。先輩も同じやつですね、奇遇です」


 自分に向けられる笑顔に真鳥は、奇遇なんかじゃないよ、と、胸の内でつぶやく。

 屋台を見比べたとき、いつも一颯が真っ直ぐに向かっていくあの一軒が目に留まったのだ。


「一緒にならないもんですね、任務」

「そうだね」


 ソムレラから戻って数ヶ月、一度も同じ任務が入らない。

 バディと言えども、真鳥も一颯も隊を率いるリーダー格のため、最近では別の任務が多い。

 一颯は真鳥の横に座ると旨そうに焼き鳥を口に頬張る。真鳥も冷めかけた弁当に手をつける。


「先輩は任務帰りですか?」

「うん、オマエは?」

「明日から二週間ほどイカルを離れます」

「そっか」

「カニが美味しいところみたいです」

「オマエ、食べるのが目的なの?」

「任務はちゃんとやりますよ。食べるのが目的なのは先輩でしょ?」

「なんでよ」

「夜営で温かいスープ飲みたいとか喚いていたじゃないですか」

「だって寒かったじゃない? 夏とはいえ山の中だったし」

「他国の憲兵隊の尋問中に天丼を要求する人もいないです」

「一度やってみたかったのよアレ。定番なんでしょ?」

「どこの定番なんですか?」


 一颯の口調はいつになく軽い。

 以前にもこんな風に話すことがあった。

それは決まって、任務に後悔が残ったときだ。

 真鳥の中に深く刻まれてしまった憂いの存在に気づき、それを塗り潰そうとするみたいに、一生懸命に話す。


『あんたになら、捕まってもいいや』


 真鳥の中に、あの男の言葉と満足げに微笑んだ表情が蘇る。

 任務に私情は禁物だ。

 けれど、あの男と交わした言葉が、真鳥の心を大きく揺るがしているのも事実だった。

 真鳥は、彼から知り得たことを、彼との会話のすべてを、長へ報告しなかった。

 これは、杜仙にあるまじき行為だ。

 それ故に、身体の疲れ以上に草臥れていた。

 そんな真鳥に一颯は気づいている。真鳥の中にある惑いも、それらが生み出す疲弊にも気づいていて、いつもより口数多く語るのだろう。

 渡会一颯はそういう人間だった。真鳥は幾度もそんな一颯に救われた。それをよくわかっていて、咄嗟に名前を呼んでしまったのだ。


 気づけばいい。

 気づいてくれ、と。



 少しだけ軽くなった真鳥の心が、止まってた箸を進ませる。枝を揺らす冷たい風に触れられて、真鳥が小さくくしゃみをする。


「寒いですか?」

「ん〜大丈夫。春は遠いね」

「そうですけ」

「カニ食べたいな」

「カニ」

「温かい鍋とかいいよねぇ〜」

「いいですね鍋。じゃあ次は鍋にしましょうか」

「ここで?」


 木の枝を差す。


「ここで」


 一颯がまじめな顔で答える。


「いいね〜木の上で鍋! オレ、鍋とか七輪とか持って来るよ〜」

「先輩、冗談です」

「オレはまじめよ?」

「嫌ですよ、僕は。ちゃんとこたつのある部屋がいいです」

「オマエ、年の割に爺むさいよねぇ」


 一颯が「先輩より二つも年下ですけど」と文句を言いながらも笑う。


「真鳥さん」


 先に食べ終わった弁当を袋に詰めた一颯が、まだのそのそと食べ続けている真鳥を少し改まった口調で呼ぶ。


「さっき、一つ、嘘をつきました」


 隣に座る一颯を見やる。


「貴方を見つけたとき、銀の髪が目立ったからなんて言いましたけど、本当は呼ばれたような気がしたからなんです」


 真鳥の中に新しい動悸が生まれる。


「オレが呼んだの? なんて?」

「行かないでって」


 無表情を装いながらも、冷静とは言い難い想いが駆け巡る。顔が赤くなったり青くなったりしている気がする。

 ついに誤魔化しきれなくなった真鳥はぷいっと怒ったフリをする。


「オレがそんな乙女な発言、するわけないでしょ!」

「わかってます。でも真鳥さんが僕を見たとき嬉しそうに笑っていたので」

「オレ……笑ってた?」

「はい。だから、見つけることができて良かったって思いました」


 あの男が望んだものが、わかった気がした。


 彼はただ、名前を呼んで欲しかっただけ。


 この広い世界で迷子になってしまった彼を、誰かに見つけて出して欲しかった。

 そしてついに、彼の声は届いた。

 八束真鳥が、彼を見つけたのだ。

 最後の最後で。


「どうしたんですか?大丈夫ですか?」


 真鳥の頬を伝い落ちる涙に、一颯が気づいて慌てる。


「なんでもないよ。大丈夫。オレも嬉しかったんだ。気づいてくれて、ここまできてくれて、アリガトね、一颯」


 笑顔を返せば、溜まっていた涙がまた零れる。


 真鳥の中に遺されたあの男の憂いが、温かな血液の中へと溶け出していく。そして真鳥の中で一生、消えない熱となり巡り続けるのだろう。

 そんな気がした。


 あの男から受け取ったすべてを、真鳥は心の奥深くへ仕舞う。

 それは相棒である一颯にさえ語られることはないだろう。

 二人を見守るように、冬の一等星が優しい光を放ちながら瞬いた。


いつもお読みいただきありがとうございます。

第4章はまだ続きます〜。

お楽しみいただけると嬉しいです。

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