第4章2話、憂国の彷徨う刃(2)
「さすが、八束真鳥だ……」
男は少しも乱れていない息遣いで、真上にいる真鳥の名を口にした。
真鳥は肯定するでも否定するでもなく、わずかに眉を寄せる。
男が薄く笑う。
「二十代で杜仙二位。次期矢杜衆長に一番近い男を知らないとでも思うか? こんな山奥でも知ろうとすれば情報はいくらでも手に入る。一度、会ってみたいと思っていたが、手合わせできるとは思わなかった。光栄だな」
「そりゃど〜も」
真鳥な無表情のまま男の言葉を受け流し、左手に持つ刀の柄で男の二の腕の骨を折る。
「っ!」
「だいじょ〜ぶ。綺麗に折っといたから、ちゃんと手当すれば元通りになるよ」
男は僅かに顔をしかめ、痛みを吐き出すように荒く息をつく。
「……あの羽の毒は猛毒なんだが、気に懸ける様子もないな。心配じゃないのか?」
男のこめかみを脂汗が伝う。骨を折られても呻き声一つ上げずに苦痛を飲み込み、それでもなお強い光と熱を帯びた瞳で、真鳥を挑発するように微笑してみせる。
男の問いに真鳥は無言をもって答える。
「噂通り、冷たいねぇ。足手まといはいらないってか」
真鳥の右膝が、男の左腕をギシギシと圧迫する。
「もう一本いっとく?」
真鳥の冷えた声が男の言葉を制する。
介抱している奏羽が、仲間には決して見せることのない真鳥の冷酷さにぴくりと顔をあげる。
さっきよりも幾分、強い熱を発し始めている真鳥の双眸に、男は満足げな笑みを浮かべる。
「殺さないのかよ? 腕なんか折るより、殺す方が簡単だろ?」
男の目が楽しそうに細くなる。
真鳥は首に当てたままの短刀をぴくりとも動かさず、男の顔に自分の顔を近づけていく。
「オレを、誰だと思ってます?」
「だから八束真鳥だろう? その銀の髪は目立つからすぐにわかった。気になったんで、色々調べさせてもらってたんだよ」
男の口から語られた八束真鳥像は、本人も呆れるほどよく調べてあった。
「オレの情報なんて、あんたに関係ないでしょ?」
「まあ、関係はないな。ただ興味があっただけだ」
男はまたくっくと笑う。
肩が少し揺れたので、首の傷がじわりと広がり紅い流れが枯れ葉を染める。
笑いに歪めた顔が、すっと無表情に変わる。
「なあ、俺にはもう逃げ場も武器もない。利き腕も折られた。なぜ殺さないんだ?」
男は再び、問う。
少し息が荒くなっている。折られた腕の痛みは相当なはずだ。ここまで耐えるとは、隠の者は痛みや毒に対する耐性を高める訓練を受けているのかもしれない。
「それはオレの仕事じゃないんでね」
どうでもいいというように真鳥が答える。
「自分で始末もつけられないのか? 俺はお前の仲間を殺してるんだぜ。何人も」
真鳥は表情を変えず、静かに男を見下ろしている。
男は明らかに真鳥を煽ろうとしている。
死にたいのだろうか。
真鳥はその目を覗き込む。
それは、生を諦めた者の目ではなかった。死に対する恐怖も見えない。
黒い瞳は強い光を宿したまま、彼を追い詰める何ものかに必死に抗おうとさえしている。
同時に、その裏側には、深い憂色が刻まれているようにも思える。
この男は何を知りたいのか。
何に抗っているのか。
何を憂えているのか。
この男を捕らえる目的は果たした。後は縛り上げるでもなんでもして、矢杜衆詰め所に護送するだけだ。
それなのに真鳥は動くことができない。
真鳥の中にあるのは、ふいに湧いた男への興味。
それを無視することができない。
真鳥はしばし、自身の中に生まれた興味の意味を考えてから、口を開く。
「アンタを殺すことなんか簡単だよ」
男の問いに対する答えは、どこまでも冷淡に人間味の欠片もなく、男へと届く。
「生き続けることのほうが、ずっと難しいからね」
続くその言葉に、男は眉をぴくりと動かす。
「それは、お前の経験が言わせる言葉か」
「さ〜てね」
素っ気なく答えながらも、真鳥の中に一人の男の姿がくっきりと浮かび上がる。
その存在がじわりと広がると、真鳥を被っていた非情なベールがふいに薄らぎ、隠されていた温度が染み出し始める。
「どうしようもない人間のクズに、死ねばいいのにと振るった剣を、全力で止めたバカがいてね。杜仙のオレの前に飛び込んでくるんだよ? どうしようもないバカでしょ?」
真鳥の眼差しが緩む。
美しい直刃文の向こうの、琥珀の双眸。
折れた真鳥の剣。
「アイツが止めた意味がわからなくて、どういう意味だったのかって、あれから随分考えたんだけどね。生きるって難しいよねってことしか、わからなかった」
真鳥が苦笑してみせると、男も笑う。一頻りおかしそうに笑うと、真鳥の目をみつめる。
「なあ、お前、隠の者がどんなもんか知っているか?」
「市井に紛れて矢杜衆の仕事をしているとしか知らないけど」
「それも隠の者だが、俺は……俺たちは違うんだ。陰の影と呼ばれている。市井にも矢杜衆にも、何一つ書類として記述されることはない。記録にも記憶にも残らない。名前もない。俺たちはどこにも存在しない。初めからいなかったことになっている。死んだことさえ、誰も気に留めない」
それは、真鳥の初めて聞く話だった。
「隠の者は、ここにいるお前らのように表に立って戦うことはない。でも名はある。顔もある。家族も友もいる。だけどな、俺ら影は使い捨てのコマだ。名も無き仲間たちが、人知れない場所で死んでいく。亡骸を持って帰ってやることさえできない。壊れたら補充される。そうやって、この国の一番下のとこは回ってんだ。俺はその環を壊したかった。こんなのは、」
男は疲れたように言葉を吐き捨てると、ゆっくりと瞼を閉じる。
「もう嫌なんだよ……」
男の言葉が真鳥の心に静かに波紋を起こした。
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