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現実の続き(2)

「おまえ、華暖の息子だろう」



 長の執務室に入るなり、伐はそう切り出した。

 執務机に軽く腰掛け、正面に立つ真鳥をじっと見る。その目は、見知らぬ者を探る目ではなく、旧友を偲ぶような優しい目だ。



「詰め所の入口でアイツの気配がして驚いたが、親子なら気配が似ることもあるし当然だ」



 その言葉で、真鳥はなぜ伐が自分を部下だと門番たちの前で公言したのか理解した。

 華暖とは、真鳥の父親の名だ。

 華暖と伐は共にイカルのために戦った戦友であり親友だ。そして真鳥も幼い頃から伐を知っていた。華暖がニリとの大戦で殉職してからは父親代わりの一人でもあった。

 華暖と気配や面差しの良く似た真鳥を見て、推測したのだろう。

 真鳥は小さく頷いて肯定する。

 気は逸るが、ここは状況を見定める必要がある。伐に理解してもらえなければ、これから報告することも信じては貰えない。



「だが、わからん」



 伐は執務机から離れる。机の上はすでに沢山の書類や冊子で埋まっており、少しでも触れれば崩れそうだ。机の後ろに並ぶ書架で書類を漁り、一枚の紙を取り出す。



 伐は手にした書類を指で弾く。

 真鳥の登録証だ。

 矢杜衆では顔写真の入った登録証を毎年作成する。それは長の執務室において、結界の中で厳重管理される。その人間の能力そのものが戦況を左右するため機密扱いされている。



「華暖の息子なら俺が知らないはずがない。たとえ親友の息子でなくても、杜仙二位なら全員の顔と名前は覚えているんだが」



 現在、杜仙二位の矢杜衆は五十人に満たない。先程の門番ではないが、組織の長としてそれくらいの人数の顔を覚えていないわけはない。

 真鳥は考え込む伐の姿を見ながら、疲れた身体で思考を巡らせる。



 人の脳に刻まれた八束真鳥に関する記憶は、犬神の力の糧となった。

 しかし紙に記された記録は残っている。

 自分の存在が消されたわけではなく、ただ誰も覚えていない。記憶と記録の間に発生しているこの矛盾をどう説明するべきか。

 奇跡の力がもたらした辻褄の合わない状況を説明する言葉が出てこない。

 開け放されたままの矢杜衆長の部屋のドアからは、中庭を彩る花水木や小手毬が、回廊を照らす灯火の中に白く浮かび上がっている。視界の端で晩春の花を捉えながら、真鳥は、いっそ犬神が説明してくれればいいのにと、少しばかり投げやりな気持ちになる。



 一颯を助けるためとはいえ、犬神の行ったことは不自然極まりない。そのまますべてを話して、信じて貰えるだろうか。

 真鳥の中では、すでに否と、答えが出ている。

 かつて、犬神が人の前の姿を現したという記録は、この国の興りを記した歴史書の中にしかない。歴代の巫女は犬神からの託宣を受けるので、会っているかもしれない。けれどそれは一般人は知らぬ世界だ。

 そんな犬神が、一介の矢杜衆の前に姿を現し、願いを聞き届け、人間の命を救った。

 当事者でなければ、自分でもすぐには信じない御伽話だ。



 この状況への対処も含めて、オレの覚悟ってことなんだろうけど。

 どう考えても無理じゃないの、これ。

 あの犬、絶対、性格悪い。

 神なら無償で人助けしなさいよ。



「昨日、ニリへ発ったことになっている。あの件か。まだ何の連絡も来ていないな。何があった?」



 伐の言葉が、犬神への愚痴に気を取られた真鳥を現実へと引き戻す。

 真っ当に闘うことも出来ず敗戦の途についてから、まだ半日しか経っていない。真鳥には、もう数日くらい経ったように感じられる。

 多くの仲間たちがあの炎に飲み込まれた。もしかしたら、生き延びた者たちもいるかもしれない。

 そして裏切り者は、今こうしている間にもイカル国内で活動を続けている。

 今、考えなければならないのは犬神や自分のことではない。

 真鳥は気持ちを切り替え、自分よりも頭一つ分大きい伐をしっかりと見上げる。



「私は、渡会一颯、他四十名を率い、巫女誘拐を阻止すべくニリへ向かいました。けれどこちらの情報が読まれていたかのように先手を打たれ、私と渡会を除いて、他の者は行方不明です。生存者を確認する余裕もありませんでした。隊の編成、布陣、退路について情報が漏れていたとしか思えない攻撃でした。ギリギリまで気づけなかった私の責任です。申し訳ありません」



 戦闘班に属する者に与えられる任務の多くは、死と隣り合わせである。杜仙として隊を率いる立場にある真鳥は、その覚悟ができていると思っていた。しかし自分が指揮を任された任務で、かつてこれほどの犠牲を出したのは初めてだった。その事実は重く真鳥にのし掛かる。叱責を受け謝るだけで済むとは思っていない。国境近くの森から一颯を背負って歩いた帰路の間、今回の騒動が収まった後、責任を取るために矢杜衆を退くことを考えている。



 しかし頭を垂れた真鳥に返ってきたのは、一颯の安否を問う穏やかな声だった。



「渡会の容態はどうだ?」



 真鳥は再び姿勢を正す。



「医療院に搬送しました。命に別状はありません。全治四週間ほどだそうです」



 伐は真鳥の報告を聞き一声唸ると、執務用の椅子ではなく開いた窓辺にどかりと腰を下ろし、手にした資料に再び視線を落とす。



「今のお前の話を信じるだけの情報はここにある。だがお前のことが思い出せん。いや、何故忘れてしまったのか俺にはわからん」



 伐の口ぶりから、真鳥の報告を信じる意味合いを含んでいることは感じられる。伐の余裕のある態度が、心身共に疲弊しきった真鳥を苛立たせる。

 理解しているのなら、なぜ動かないのかと。



「なんですぐに動いてくれないんですか……ニリの内通者はすでにいるんです……このイカルの内部に。仲間のフリをして、いまも巫女を狙っているんです」

「八束」

「そのためにオレは四十人もの仲間をなくした。誰一人として助けることができなかった。矢杜衆なのに! 戦うことも救うこともできずに、ただ逃げただけなんですよ!」

「落ち着け、八束」

「無理です! オレはバディである一颯さえ失うところだった! もう、これ以上、犠牲を出したくないんですよ!」



 八つ当たりだとわかっている。自分の無力さをぶちまけているだけだ。それでも一度溢れ出した想いを止めることが、今の真鳥にはできない。



「オレのことは信じてもらえなくていい。クロウのやったことだ。どうせ誰も信じない。証拠もない。だけど今は一刻を争うんです」

「信じないなんて言ってないだろう」

「じゃあなんで動いてくれないんです?」

「先にやるべきことがあるからだ」

「は? 内通者の捜索以外に優先することなどありませんよ」

「あるだろうよ、大事なことが」



 伐はそう言うと、真鳥の前までやってくると、その大きな手を真鳥へと伸ばす。殴られると思った真鳥は、一瞬で覚悟を決めるも瞼をぎゅっと閉じてしまう。

 伐の手は、真鳥の頭の上にポンと載せられた。



「生きて帰って来い、お前はその命を全うした。よく戻ったな。そして渡会を連れて帰ってくれたことも礼を言う」



 見上げれば、それは真鳥が覚えている通りの、親父代わりをしてくれた伐の顔だった。

 懐かしさと、安堵に、張り詰めていたものが緩む。よくわからない感情が溢れてくる。

 喉の奥から込み上げるものを、真鳥はぐっと飲み込む。



『お主、泣いておるのか』

「泣いてないよ!」



 反射的に応えてから、真鳥は「あ!」と声をあげる。

 真鳥たちの横に、蒼白い焔を纏ったアストラル体の犬神クロウがお座りをしている。



「クロウ! なんで今頃。来るなら最初から来なさいよ」

『面白そうなことになっておるな』



 見上げる翡翠の双眸が真鳥をからかうように笑っている気がして、眉を顰める。そんな真鳥の内心を見通すかのように、犬神の瞳がすっと細くなる。



『証拠が欲しいのだろう?』

「聞いてたんならもっと早くに出てきなさいよ」

『何事にもタイミングというものがあるのだ』

「趣味わるすぎ」



 くくっという低い笑い声に真鳥は、自分がいる場所とその部屋の主の存在を思い出す。



「長……これは」

「なるほどな。犬神様の御業だから言えなかったのか。まあ言われても俄かには信じ難いしな」



 伐は真鳥の頭をぽんと軽く叩くと、犬神の前に片膝をつき最敬礼を取る。



「犬神様、現矢杜衆長、伐瑛至と申します。ご尊顔を拝する機会をいただき光栄です」

『うむ。真鳥よ、よく見るのだ。これが我に対する通常の対応である。なのにおまえはなんだ。跪くどころか、我を犬呼ばわりするとは。これまでのイカルの歴史を遡っても、そんか奴は他にはおらんぞ。矢杜衆長を見習うがよい』



 確かに真鳥は犬神を「あの犬」と呼んだ。けれどそれは心の中だけだ。



「聞こえてたの?」

『あの者を助ける際に強く繋がったからな。お前の考えは丸聞こえだ』

「だったらさっさと証明してよ」

『そのように急かされると、焦らしたくなるのは何故だろうな』

「ほんっとに悪趣味なお犬様だな」

『お主はその態度の悪さをどうにかすべきでは? そんなことではメスと番いになどなれぬぞ』

「大きなお世話だよ!」

「犬神様」



 真鳥と犬神の応酬を見ていた伐が、途切れぬ言い争いに割って入る。



「犬神様が関わっておられるのであれば、納得もいきます。ここに現れたことがその証明かと。理由も朧げながら理解いたしました。渡会を助けていただき感謝いたします。ここにいる八束同様、私の大切な部下ですから」

『礼には及ばぬ。此度の件、真鳥に背負わせたものは、今後のイカルに必要なことであるしな』

「イカルの未来にこの者が関わると?」

『うむ。渡会一颯という男もまた、関わりがある。だから助けただけのこと』

「ちょっと! あの時、そんなこと一言も言わなかったよね」

『言う必要がないからだ。いずれ時が来ればわかる』

「犬神様。それは、今後、この国に大きな変化が訪れるということでしょうか」



 伐の問いに、犬神はその翡翠の瞳を合わせた後、大きく尾を揺らして踵を返す。それ以上、何も告げることなく、犬神の体は空気に溶けるように消えた。



「あの犬、思わせぶりなことだけ言って逃げてった」

「八束、一応言っておくが、我が国を創りし神だぞ。巫女でさえ会えるかどうかわからん」

「わかっています。でもなんかイラっとするんです。言いたいことがあるならさっさと言えばいい」



 伐がふうと大きく息をつき、立ち上がる。その巨躯に疲れが見える。



「今この時にお姿を現したということが、すでに大きな意味を持っているのだろうな」



 伐は執務机へと向かうと、いくつかの書類を手に取り確認する。真鳥を振り向いたときにはもう、矢杜衆の長の顔に戻っていた。



「国境での詳細は報告書をまとめておけ。内通者の件があるからな。あとで直接、俺に持ってこい。これから俺は杜仙を招集する。国境への不明者捜索と内通の証拠を集める」

「了解です」

「次の任務を言い渡す」

「はっ」

 真鳥は居住まいを正し、まっすぐに長を見る。

「杜仙二位、八束真鳥。明後日より巫女の警護につけ」

「諾」

 右手を左胸に当て、命令を受諾する。



 真鳥の返答に頷くと、伐は「明日は身体をよく休めておけよ。ご苦労だった」と加えてから下がるように命じた。


『華暖』とは、真鳥の父親です。

真鳥が子供の頃に戦死しました。

伐と伐のバディ、華暖のバディと4人で4マンセルを組んで仕事をする事が多く、チビの頃から真鳥の事を良く知っていました。

華暖の死後は、父親代わりとして後見人の1人になっております。(今は記憶無し)


ここまで読んでくださりありがとうございました。

次の更新は明日、9/7(木)です。

よろしくお願いします。

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