父と子
真鳥と一颯の二人がカシットを連れて、ヴァレキャラバンとの合流地点であるラハテラの街へと到着したのは、デノ・ハシロ私邸での奪還戦から二日後だった。
奪還戦が行われたヌーガの街は、人身売買事件、屋敷の大火事、そしてデノ・ハシロと見られる者と招待客の死亡により大騒ぎとなった。真鳥と一颯がカシットたちを避難させた小屋に着いた時、カシットと一緒に助け出した二人の少年と少女は、マイカの部下たちにより他の子どもたちのところへ合流し、憲兵隊に保護された後だった。カシットはそこを護っていた男たちに言われた通り、おとなしく待っていた。当然のごとく、マイカの部下たちの姿はなかった。真鳥と一颯はカシットを連れ、憲兵隊たちの目を掻い潜るように街道を大回りする行程を取りながら、ヌーガを離れた。
「今回は憲兵隊のお世話にならずに済みそうですね」
ラハテラの境界門を遠目に見ながら、一颯が小声で言う。
彼の背中では、カシットが寝息を立てている。昼夜を問わず、矢杜衆ならではの道なき道を通過してきた。カシットは真鳥と一颯が交代で抱えていたが、さすがに疲れたようだ。
「日が暮れる前に街に着けそうだね」
「ほんとによかったです。憲兵隊に見つからなくて」
真鳥が不満を隠さず一颯を睨む。
「それってアカギでのことを地味に非難してるよね」
「そんなことはありませんよ」
一颯が作ったような笑みでにっこりと笑う。
「根に持ってるよね」
「あの後は本当に大変でしたからね。まあ大変なのは今回も同じでしょうが」
「なんで?」
「憲兵隊に見つかりはしませんでしたけど、護衛対象の誘拐、奏羽と貴方の単独行動に、護衛任務を放棄して他国の商人の家に忍び込んでのカシット奪還戦ですよ。しかも矢杜衆を抜けた者と見知らぬ他国の者たちの手を借りましたし。報告しないわけにいかないでしょう。僕には鬼のような加内様の形相と、山ほどの報告書がすでにはっきりと見えています」
「カシット誘拐はオレたちの責任だし、取り戻したってことだけ報告すればいいじゃない」
「そんな嘘、すぐにバレますよ」
「おまえたちが言わなきゃバレないよ」
「どうしても隠しておきたいんですね。あの人のことは」
一颯の言葉に、真鳥はすぐに次の言葉を返せずに黙り込む。
「あの男は、誰なんですか? アカギで遭遇した後の貴方は明かに変でした。何も聞かなくてもあの男が矢杜衆を抜けた者であることくらいは、見ればわかりますよ」
真鳥からの答えはない。
「聞き方を変えます。あの男は貴方にとって何なのですか?」
冬の傾き始めた太陽はすでに低い位置にあり、午後の始めだというのに、もう夕暮れのような気さえする。
真鳥はそんな空を仰ぎながら、しばし考えてから口を開く。
「オレの親父」
そんな答えが返ってくるとは思わなかったので、一颯は思わず立ち止まる。それに合わせて真鳥も足を止める。
「……たちの一人、かな」
と、真鳥が付け加える。
「親父たち?」
「一颯には話しておこうかな」
真鳥が一颯を見て、小さく笑う。
「聞いてもいいんですか?」
「うん。一颯だからね」
「聞いたことを僕が報告する心配はしてないんですか?」
「オレもどうしたらいいか、ちょっとわからないんだよね。正直に言えば、報告すべきという気持ちと、したくないが半々くらいかな」
一颯はちらと、肩の上に頭を預けて眠るカシットを見やる。ぐっすりと寝ているようで、話を聞かれる心配はなさそうである。
「わかりました。歩きながらでいいでしょうか。帆岳にはもう少しで着くと連絡済みです。ヴァレキャラバンのみなさんもお待ちでしょうから」
「うん」
ラハテラの街の入り口には古い石造りの境界門があり、街を護る衛兵が立っている。真鳥たちはキャラバンの護衛という立場なので、カシットだけを連れている姿を見られないよう、街を囲む石壁を回り込みこっそりと街に入る予定だ。一颯は、真鳥を街道からずれた方向へと促しながら歩き出す。
「オレにはね、母親が早くに死んじゃったんだけど、親父は四人いるの。オレの親父、八束華暖と、矢杜衆長でしょ、今は議長やってる狭總祈織と、それからあの人、土師臨也。この四人はよくチーム組んでてね、任務だけじゃなく休暇の時もよくうちに集まってた」
「土師という方は知りませんが、錚々たるメンバーですね。もしかして貴方の矢杜衆としての技術は彼らから学びました?」
「うん、そう。小さい頃から遊びと称して、近くの森で戦闘訓練やってたからね」
「少し羨ましいですね」
「隠れん坊で丸二日、森の中で食べ物や水を探しながら逃げ隠れを続けたり、クナイが降ってくる鬼ごっこだったり」
真鳥は笑いながらそう言うが、一颯は眉をしかめる。
「……それは遠慮したいかもですね」
「楽しかったよ」
「貴方が普通じゃない理由を理解しました」
「オレにはそれが普通だったのよ。他の子どもと遊んだことなんてなかったしね」
「なるほど」
「まあそんなわけで、オレに矢杜衆で必要なことを教えてくれたのはその四人。特に臨也はオレと父親の生活の面倒まで見てくれた人なんだよね。オレの父親って何にもできない人だったから」
「矢杜衆長と議長がバディですから、土師臨也という方は貴方のお父様のバディだったんですか?」
「正解。バディだけどそれだけじゃなくて、ご飯作ってくれたり、洗濯とか、部屋の掃除とか、体調管理とかもしてくれてた。オマエみたいに」
「僕ですか?」
「あ、ごめん。覚えてないよね。あの犬に記憶奪われる前のオマエは、しょっちゅうオレの家に来てたのよ。ご飯食べたか〜とか、風呂に入ったか〜とか、布団は畳め〜とか、もう臨也並に面倒みてくれて……あ〜ちょっと違うな。オマエは小言が多かったな」
一颯の顔から表情が抜け落ちる。
思考が固まっているようだ。
「そんなことしてたんですか僕は」
「してたしてた。うるさいくらいだった」
「それは、なんか、えーと、すみません。出過ぎたことを」
「何言ってんの。オマエがいてくれたから、矢杜衆としてやっていけてるんだよ。心と体と技、そのバランスが大事なんだってよく言ってたよね。オマエに会うまでのオレは技だけの人間だったから」
「先輩のお役に立てていたのでしょうか」
「うん。だから今は家が荒れ放題」
「それは胸張っていうことじゃないですよ。生活の乱れは」
「心の乱れ、でしょ。何百回も言われてた〜」
「だったら少しは気をつけてくださいよ」
「それはオマエの役目じゃないの〜」
真鳥が、指先を一颯の胸にとんっと突きつける。
再び、一颯の足が止まる。
少し下から一颯を見上げる真鳥の笑顔が、一颯と目があった途端に消える。
はっとして、すぐに陰る。
それを隠すように、真鳥は一颯に背を向けて歩き出す。
あ〜やっちゃったな。
気安い会話の流れから、つい以前のように振る舞ってしまったことを後悔する。
真鳥の家にやってきては掃除や食事の面倒をみてくれていた一颯はもういないのだったと、思い出す。最近は、長期任務で一緒に過ごすことが多かったので、つい忘れてしまっていた。目の前に本人がいても、中身が同じ一颯でも、一颯には真鳥と過ごした過去がない。
「あ〜ごめん。今のなし。えっとなんだっけ。臨也ね。あの人はオレの父親のバディで、ニリとの大戦中に突然、姿を消してそれっきり。何があったのかは知らない。親父はそのすぐ後の戦いで死んだし。祈織も同じ戦場で怪我をして議会へ行った。長も上層部に引き上げられて指揮を執る立場となった。臨也が矢杜衆に追われずに生き延びたのは、大戦中で余裕がなかったからかもね。で、この間のアカギの村で偶然に再会した。最初は確信がなかったんだけどね。彼だ、としか思えなかったから単独で調べさせて貰ったんだよ」
少し早口になって、真鳥が一気に説明を終える。足を止めていた一颯が真鳥を追う。カシットはまだ一颯の背中でゆるく寝息を立てている。
「貴方にとって、親同然の人だから隠しておきたいんですね」
「オレは聞きたいだけだ。なぜ親父の元を去ったのか。なぜ、イカルを、捨てたのか」
それらは、真鳥の中で何度も繰り返された問いなのだろう。
本当の父親が亡くなったのはバディがいなくなったせいだと、幼い彼は考えたのかもしれない。臨也がいたら、父は助かったかもしれないと憤ったかもしれない。
真鳥の顔は、一颯からは見えない。
けれど、そこにいつものへらりとした笑顔がないことはわかる。
冷えた瞳の中に、意志という熱をたぎらせている。
彼はまた会えると、信じているのだ。
この広い世界でこんなに短い期間に二度も出会えたのだから。
絶対に会えると確信している。
そして彼は、問い続けた答えを必ず手に入れる。
それが、四人の父親を失った彼の決意。
一颯の中でアカギでの彼の行動の理由も腑に落ちる。
それに……、と一颯は思考を深める。
いくら大戦中だったからとはいえ、長と同レベルの矢杜衆がイカルを抜けて何年も放置されたままだろうか。
他国へ技術が流れることを見逃すほど、矢杜衆は甘くはない。
しかし、あの男と知己である現矢杜衆長が、何も行動していない。自分が知らないだけかもしれないが、少なくとも土師臨也捜索に関する任務に当たったことはないし、通達もない。彼の名すら知らなかった。
彼が自由に動ける状態のままであることには、何か意味があるのかもしれない。
そんな風に思えてくる。
ならば、自分が出る幕ではない。
そう結論した一颯の中に、安堵の気持ちが浮かび上がる。
そうか。
僕は、最初から先輩が嫌がることはしたくなかったんだな。
言うな、と止められたら、僕は従うのだろう。面と向かって、規律違反を頼み込む人ではないと思うけれど。先輩はきっと自分からは言わない。だから……。
一颯は自分の考えに一人頷くと、口を開く。
「僕はあの男を知りません。あの男が、臨也という矢杜衆を抜けた者かどうかも判断がつきません。今の僕にできるのは、カシットをマウリさんの元に届けて、ヴァレキャラバンを目的地まで無事に護衛することだけです」
一颯が意志を伝える。
真鳥は歩みを止めることなく、小さく「うん」とだけ答えた。
「お父さん!」
カシットがマウリを見つけるや否や、走り出す。
カシットは、街を囲む壁を乗り越えたところで、目を覚ましていた。
ラハテラには、ヴァレ商会の支店がある。大きな店が立ち並ぶ通りを進むと、一つの店の前に人だかりがあり、キャラバンのみながカシットの到着を待っていた。
その先頭にいるのは、白いローブを纏った長身のマウリだ。
「カシットっ」
飛び込んできたカシットをマウリが強く抱きしめる。口を開くが言葉にならず、その存在を確かめるようにカシットの金髪に幾つもの口付けを落とす。
キャラバンの者や、店の者たちが二人を取り囲み、喜びと安堵を口にする。目頭を押さえている者もいる。
キャラバンの者たちに溶け込んでいる帆岳が真鳥たちに手を降っている。
「お父さん! ごめんなさい! ごめんなさい!」
カシットの高い声が辺りに響く。マウリの首に抱きついたまま、カシットが涙声で謝り続ける。自分が父親の言いつけを破り、誰にも告げずにシラルの商館を出たのだと言う。
ようやくカシットを腕から解放したマウリが、カシットの目の高さに合わせてしゃがみ込む。その顔をしっかりと見つめる。
「怪我はないか?」
「はい」
カシットの様子に頷くと、マウリは顔から笑顔を消した。そしてゆっくりと、けれど強い口調でカシットに告げる。
「まずは矢杜衆のみなさんにお詫びしなさい。お前の勝手のせいで、真夜中にお前の捜索に向かい、人身売買の組織と戦い、子どもたちを救出するという任務外の危険な仕事をさせてしまったのだ。お前はそれを理解しているか? 謝るのは約束を破ったことだけではない。お前のしたことはたくさんの者たちに迷惑をかけた。奏羽さんはお前を助けに向かって戦って大きな怪我をしたのだ。お前にはその責任を取らねばならない」
「え? 奏羽お姉ちゃんが?」
カシットが大きく目を見開く。
真鳥たちを振り向く。
「お姉ちゃん、怪我したの? ひどいの? 僕のせい? どこにいるの?」
このキャラバンで、一番、仲良くしていた奏羽が大怪我をしたと聞き、そして奏羽がいまここにいない状況に、カシットが動揺を露わにする。
「だーいじょーぶだ!」
大きな手がカシットの頭部を掴むようにくしゃくしゃと撫でる。
「帆岳お兄ちゃん」
「奏羽なら中にいるよ。カシットが帰ってくるのを待ってる。あいつは丈夫だけが取り柄だからな。あと少し休めば動けるようになるさ」
思わず店の中へと走り出そうとするカシットを、マウリがその名を呼んで留める。
「カシット、先に言うことがあるだろう」
「あっ」
それから真鳥と一颯、そして帆岳のそれぞれに向かって「ごめんなさい」と頭を下げる。帆岳が笑いながら、カシットの頭を撫でている。
「次は商会のみなさんだ。どれほど心配かけたのか、みなさんの顔をちゃんと見るんだ」
「はい」
カシットは真剣な眼差しで父親を見上げる。
それから、商会のみなのところへ行き、一人一人ときちんと目を合わせてから頭を下げる。
「いい子ですね。怒られて、そこで凹んだりへそを曲げたりしない。父親の言葉をまっすぐに受け取って間違いを正そうとしている」
一颯が、何度も頭を下げ続けるカシットを見ながら安堵の表情で言う。そして、真鳥へと視線を移す。
真鳥もまた、穏やかな顔をして、親子を見つめている。
自分が失ったものを持つカシットを、羨んだりはしないのだろうか。
そんなことを問いたくなったが、一颯の口から出たのは、まったく別の言葉だった。
「僕は神殿の孤児院で育ちました。父も母も知りません。名前すら知らない。唯一、この刀だけが父の遺した物だと聞いています」
「どうして今それを?」
「どうしてでしょうね。ふと、僕のことも知ってもらいたくなったんです」
「……知ってるよ」
「はい?」
「オマエのことは全部、知ってる。神殿育ちのことも、その名前を付けたのが先代の巫女だってことも、オマエが教えてくれた。ちゃんと覚えてる。今でも休みの日には孤児院で子どもたちの面倒をみていることも知ってる」
真鳥が唇をぎゅっと結ぶ。
怒っているのか、照れ隠しなのか、その表情の意味が一颯にはわからない。
ただ、この人は見ていないようで、ちゃんと人を見ている。誰かの心の機微に、気づいていないふりをする。
マウリが自分の子どもよりも商人としての勤めを果たすことを選んだ時も、最初から自分が動くと決めていたのだろう。
大切な者を失うことがどういうことか、この人は誰よりもわかっているから。
一颯は真鳥から視線を離す。マウリとカシットが親子揃って頭を下げている。商会の者たちが慌てている。
「そうでしたね。先輩は全部知ってるんでした」
「何もかも知ってるわけじゃないよ。オマエのことだけだよ」
そう言って、プイッと横を向く。
そう言いつつも、真鳥が帆岳や奏羽のことも、一颯と同じように気にかけていることを、一颯はこの旅で気づいた。
誰も寄せ付けないようでいて、ちゃんと見ているのだ。
そしてそれを誰にも気づかれていないと思っている。
そんな真鳥を見て、一颯は小さくふっと笑う。
いつのまにかそばに来ていた帆岳も、二人の会話に耳をそば立てていたようで、ニヤニヤと笑っている。
彼も気づいているのだろう。
このメンバーの中で、誰よりも聡い人だから。
「何笑ってんのよ」
「いや〜よかったな〜って!」
帆岳の笑顔が清々しい。
「カシットがマウリさんの跡継ぎなら、これからのイカルとの取引も安心じゃねえっすかね」
「帆岳は短絡的だよ。これからでしょ。イカルの審査は厳しいからね」
「でもこういう人物であることは報告書に書いておく必要がありますね。マウリさんの今回の対応も中々できることではありません」
一颯が帆岳に同意する。
「そうだね。じゃあそういうことでよろしく」
真鳥が一颯の肩を叩いて店へと歩き出す。
「何をよろしくなんです?」
「報告書だよ」
「また僕に押しつける気ですか」
「オマエの仕事でしょ」
「いつも言っていますが、報告書はリーダーの責務です。部下の評価も含まれているのですから」
「ほら今回もいろいろあったでしょ。だからそのあたりうまく誤魔化しつつ書いといてよ。一颯は得意でしょ。適材適所だよ」
「自分が嫌なだけじゃないですか。あ、先輩! ちょっとどこへ行くんですか!」
「奏羽のところ。一颯も行くでしょ?」
「行きますけど。報告書のことはまた後でじっくりお話させていただきますからね」
「そのうちね」
「そのうちっていつですか。明日ですか。明後日ですか」
「オレの気が向いたとき〜」
「せめて手伝ってくださいよ。アカギの時は全部僕が書いたじゃないですか。もう子どもみたいな言い訳は聞きませんよ」
「え〜けち〜」
いつまでも終わりそうにないなと、帆岳が一つため息をつく。
「俺は周りの偵察に行ってきますんで!」
「頼むね〜帆岳」
「気をつけて」
帆岳を見送ったあと、再び不毛な会話を続ける優秀な矢杜衆二人をしみじみ眺める。
「渡会さんってお母さんだったのか」
その呟きは、二人には聞こえなかった。
更新が遅くなりました。
第三章もあと少しで終わりです。
あと少しお付き合いください。
次話は今週中にアップします。
少しでも楽しんでいただけますように。




