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別れ

 掴んだままのマイカの細い手首から、彼女の脈が真鳥の手のひらを伝わってくる。とくとくと正確に打っている。

 自分の鼓動はどうだろう。

 真鳥の耳に、自分の鼓動は聞こえない。


「まだ何か聞きたいことがあるのかしら?」

「あるような、ないような」


 真鳥は自分でもよくわからない、という困った顔で言う。

 マイカがくすりと笑う。


「じゃあ、そろそろお暇するわ。貴方も憲兵隊に見つからないように逃げてね。アカギでラケルタを脅した貴方は素敵だったけれど、また異国で捕まるのは矢杜衆としてどうなのかしら。ソムレラの憲兵隊はアカギほど甘くないわよ」

「わかってるよ」


 真鳥はマイカの手を投げ捨てるように離すと、そっぽを向く。さすがにソムレラの上流階級の人間が二人も死亡している現場に居合わせるのはまずい。それくらいわかっているが、マイカにアカギでのことを知られていたことに、少しだけ羞恥を覚える。

 年齢よりも幼い様子を見せる真鳥をマイカは楽しそうに眺めてから、窓へと向かっていく。軽い跳躍で窓枠に飛び乗ると、真鳥を振り返る。


「ここでお別れね」

「……今回は助かった。感謝する」


 マイカや臨也がいなければ、キャラバンの護衛を続けたまま、攫われたカシットを助けに行くことも、他の子どもたちを助けることもできなかっただろう。

 マイカと自分との関係はよくわからないままだが、マイカへの感謝の気持ちは素直に言葉に載せる。

 マイカは嬉しそうに柔らかに笑む。


「また会いましょう。銀の髪の矢杜衆さん」


 言い終わると同時に、マイカは二階の窓から外へと飛ぶ。

 開け放たれた窓から入ってくる風にカーテンが揺れる。

 外が明るいのは、おそらく建物の一階が激しく燃えているからだろう。この応接室にも煙が入ってきている。あちこちで何かが焼け落ちる音がする。


「何やってんだろうね、オレは」


 不穏な動きを見せるマイカの目的を突き止めたはいいが、余計なことに首を突っ込んだ気がしてならない。

 それもマイカの策略なのだろうか。


 マイカが触れた唇に指を当てると、紅が移る。


「ほんと、何やってんだろうね」


 小さく息を吐く。


『先輩! どこですか?! まだ屋敷の中ですか?』


 イヤホンから一颯が叫ぶ。


「まだ二階だよ」


『今すぐ脱出してください! 火の周りが早くてもうもちません!』

「了解」


 真鳥は最後にマイカが暗殺した二人の男を見下ろす。

 自業自得の者たちに、真鳥の目には哀れみすら浮かばない。


「次に生まれてきたら、もうちょっとまともな人間になってよね。まあオレが言っても説得力ないだろうけどね」


 真鳥は窓枠へと跳躍する。

 マイカが出て行った窓から飛び降りる。一階の割れた窓からは轟々と音を立てて炎が吹き出している。真鳥が降りたってすぐ、屋敷の中からドーンという大きな音が聞こえた。床が焼け落ちたのだろう。

 真鳥はすぐに屋敷から離れる。こちらは正面玄関から見ると裏側で、湖へと向かう小道を炎が照らし出している。


「出たよ」

『良かったです。ではまた後で』

「うん」


 一颯に無事を伝えると、憲兵隊に見つからないように、湖から遠回りしてカシットのいる小屋へと向かうルートを選ぶ。

 木立の間を枝を頼りに跳躍する。

 屋敷に近い湖畔に二人の人間が立っているのを見つけた。

 すでに屋敷全体が炎に包まれており、周囲は明るい。


 一人はマイカだ。

 もう一人は、騎士団のような甲冑と外套を身につけている。


 甲冑の男がマイカの前で跪く。その胸の辺りに紅い紋章が見える。


 ソムレラ国第一皇子ヌークの紋章。


 甲冑の男は第一皇子ヌーク直下の騎士団の者ということになる。

 そして、マイカはその騎士が跪く相手だ。最低でも貴族であることは間違いない。

 そして、第一皇子とマイカは繋がっている。


 第一皇子の命でマイカは動いているのか?


 だとすれば、皇族が暗殺を依頼していることになる。

 そんな図式が成り立つのだろうか。


 この国で何が動いている?


『北の国ソムレラは、冬に向かっている。とても厳しい冬が来る。新しい春が来るまでに、古い枯れ葉はみな、落ちる』


 イカルを出立する前のイトゥラルの言葉がふいに甦る。


 新しい春が次の皇帝のことだとしたら。

 それはつまり、皇帝が変わるということ。

 第一皇子が次の皇帝を目指し、裏で動き始めている。


 冷たい風が湖を渡って、真鳥の頬を刺す。


 これから訪れるソムレラの厳しい冬。

 この国に大きな変化が訪れようとしている。

 そして、それにはマイカが深く関わっている。

 今の真鳥にわかるのは、それだけだ。


 すでに騎士の姿はない。

 マイカは館に背を向けて、湖を見ている。


 彼女の目に何が映っているのだろうか。

 彼女はどこへ行くのだろうか。

 

 マイカの触れた唇が小さく疼く。

 真鳥は手の甲でぐいっと唇を拭うと、強く枝を蹴って跳躍した。





 雇い主の使いが去った後も、マイカはしばらくの間、身動き一つせず、湖の畔に立っていた。

 夜の湖は普段なら星を写しているのだろうが、今は赤々と燃え続ける焔が風を起こし、荒々しく水面を揺らしている。

 その火は自分が放ったものだ。

 予め、館の要所に簡単な発火装置をしかけてあった。外交責任者だった男を暗殺するために準備した大掛かりな舞台には、ついでに最近、黒い噂ばかりの商人を脇役として登場させた。主菜の添え物にしては上等だろう。長い間、憲兵隊が躍起になって追っていた大物だ。

 これで、少しでもこの国の膿を出すことができる。


 予定通り憲兵隊が訪れたおかげで、混乱に乗じて誰にも邪魔されずに仕上げをすることができた。

 それに臨也と、そして銀髪の矢杜衆とも繋がりを持つことができたのは今回の大きな収穫だ。

 全て満足のいく結果になったと、マイカは思う。


 一つ、気がかりなことがあるとすれば、使いの者が最後に言い残した伝言だ。


 一度、ウルマスへ戻ってこい。


 雇い主の言葉だ。逆らうことなどできない。

 了承を伝えたが、マイカにとってあの街はいつでも冷たすぎて、喜んで訪れたい場所ではない。


 それにマイカにはやらねばならないことは沢山ある。


 ウルマスの屋敷から一歩も出ない生活をしている親兄弟たちには決して見えないだろうが、辺境や国外を旅するマイカには、この国の綻びが確かに見え始めている。


 国が弱るとき、いつも苦しめられるのは末端の者たちだ。

 ソムレラは、土地の痩せた貧しい辺境地域に多くの少数民族を抱えている。最近は盗賊へと身を落とすも者が後を絶たない。そんな彼らを利用する輩もいる。


 この国は、こうして末端からじわじわと崩壊に向かっているのかもしれない。

 その時、何が起きるのか。

 自分が何をすべきなのか。

 そのために準備をしてきてはいるが、分かっていることはたった一つだけだ。


「厳しい冬が来るわね」


 ポツリと漏れたマイカのつぶやきを聞いたものは、誰もいなかった。





 デノ・ハシロの私邸は、翌朝まで燃え続けた。

今日もお読み頂きありがとうございます。

次話より第三話の締めに入ります。

次はできれば明日(1/9)か明後日(1/10)に更新したいと思います。

よろしくお願いいたします。

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