彼女の目的
真鳥が階段を上ると、二階の東端の応接室の扉が静かに閉まるところだった。
応接室は両隣の部屋と続き部屋になっていることは、見取り図に確認済みだ。真鳥は一つ手前の小部屋へと身を滑り込ませる。
入ってみると、見取り図からはわからなかったことが明らかになった。
この小部屋の一方、応接室に面している壁の一部が大きな硝子窓になっており、応接室の中をのぞけるようになっている。おそらく、応接室の方は同じ場所に鏡があるのだろう。そういう仕掛けを真鳥は他でも見たことがあった。
マイカの姿はみえない。真鳥とは反対側の続き部屋にいるのだろうか。
デノ・ハシロは、薄茶の髪を背中まで伸ばし、甘いマスクを持つ男だった。
そのデノの前に、別の人物が座っている。
豪華な椅子に深々と腰掛けているのは、その服装から判断してマイカが言っていた特別客だろう。白髪交じりの髪は短く縮れており、顔は丸く肥えている。さすがにその所作は貴族らしく上品ではあるが、心根の卑しさが全体的に伺える。とても貴族とは思えない男だった。
「閣下にご興味いただけるとは誠に光栄なことです。本日は、閣下のお好みに会う商品を取りそろえてございます。存分にお楽しみください」
「髪の色は?」
「金を揃えてございます」
「肌は?」
「象牙のように透き通る白い肌を」
「年齢は?」
「十歳以下でございます」
閣下と呼ばれた男はそこでにたりと露骨な笑顔を見せる。
何を考えているのか丸わかりだね。
ほんと、虫酸が走る。
今にも飛び出して、クナイでその喉を掻き切りたい衝動にかられる。
これまで、こんな好色家たちに売られていった子どもたちが、何人いたのだろう。
これまでのことも、他の場所で売り買いされている他の子どもたちも、自分には助けることができないが、少なくとも、今日、ここにいる子どもたちは助け出すことができる。
真鳥はぐっと拳を握りしめる。
「イカルの方はいかがです? 閣下」
耳慣れた言葉に真鳥の動きはぴたりと止まる。
「議会は相変わらずだな。あいつらの頭は固い。だがわたしには矢杜衆との特別な繋がりがあるのでね。あの国では矢杜衆を辞めたものが議会に入るケースもある。わたしと特に親しい者が近々、議会に移る予定だ。そこからだな」
「それは何よりです。私ども商人には、皇帝陛下の信任篤い外交責任者たる閣下のお力添えが必要なのです」
「まあ見ていろ。あの国の固き門をこの手で開いてやるからな。それには色々必要だ」
「心得ております」
イカルの医療品を他国で取り扱うのは難しい。
議会の調査団によって、その商会は帳簿や実績だけではなく、主人から雇い人まで、全員の性格や素行など、あらゆることを調べられる。今のところソムレラでは、唯一、マウリに販売権が与えられている。
ソムレラの外交官が議会衆と組んで、イカルの門を開く?
なに言ってるんだかね〜。
そんな簡単にイカルを動かせるわけがないっての。
夢でも見てればいい。
真鳥は小さく笑みを浮かべる。
「お飲み物の準備ができましたわ」
薄紫のドレスに身を包んだマイカが、銀杯を盆に載せて持って部屋に入ってくる。
「閣下、どうぞ」
男の前で膝をつき、盃を差し上げるマイカの全身を舐めるような目つきで値踏みしながら、男は盃を受け取る。
「ハシロ様もどうぞ」
「ありがとう。では、閣下のますますのご健勝をお祈りしましょう。そして新たに開かれる扉が我々に末永い幸をもたらす事を祈って、乾杯」
チンという澄んだ音が豪奢に飾られた応接室に響く。
閣下と呼ばれた男が一気に杯を飲み干す。
「これは中々のものだな」
「お口に合いましたでしょうか? ソムレラで最高と言われる酒蔵に特別に作らせている酒です。毎年、ほんの数本しかできないのですが……あら、閣下? お顔の色が優れませんが」
「っふぐっ! うえっ! おっ、た、たすけ……」
男は急に喉元を押さえて苦しみだしたかと思うと、ばたりとその場に倒れた。
デノは自分のグラスを床にたたき付けると、マイカを睨み付ける。
「これはどういうことだ! おまえが仕組んだのか? 何を企んでいる! このメス豚め!」
すべてはマイカが仕組んだのだと、デノは判断したようだ。
マイカに襲いかかろうとする。
思わず真鳥の身体が動きかけたが、出るまでもない。
マイカは身軽に躱しデノの後ろを取る。ドレスの中に隠し持っていた短剣をためらいなく、その首筋に押しあてる。
「!!」
デノは悲鳴さえあげることができなかった。
血しぶきをあげながら、床の上にごとりと崩れ落ちる。
マイカの目的はこれか。
人身売買の摘発が目的ではなかった。
外交責任者の暗殺。
むしろ、こちらが本来の目的なのだと真鳥は直感する。
ソムレラの外交責任者という立場なら、おいそれとは近づけない。しかしこのような非公式の場であれば当然、警護も薄くなる。
現に、ここにはデノとマイカしかいなかった。
真鳥が手を汚さずとも、人身売買の話を持ちかけられたときから、この男の運命は決まっていたのだ。
いや、もっと前かもしれない。
ソムレラ国として、この男の存在を許すわけにはいかなくなっていたのではないか。
暗殺現場から立ち去ろうとするマイカを硝子越しに見ながら、どこまでも連鎖し広がっていく可能性に思考を委ねる。
ジジっ。
無線機が反応し、真鳥の思考を遮る。
と同時に、周囲が騒々しくなる。
『こちら一颯。火事です! 屋敷のあちこちから火の手があがってます! 子どもたちは全員、避難させました。すでに憲兵隊三個小隊が取り囲んでいて中に戻れません!』
「了解。こっちの用事もすぐに終わる。合流地点で会おう」
『諾』
無線機が沈黙するのを待つことなく、真鳥は小部屋から応接室に移動する。
マイカはもう薄紫のドレス姿ではない。動きやすい男装に着替えて、窓を開いているところだった。
「あら? 見ていたの?」
真鳥が姿を現しても、微塵も動じないマイカにさすがだと思わざるを得ない。おそらく、真鳥が見ていることも知っていたのだろう。
この女の過去に何があるのか。
未来はどこへいくのか。
この女と一緒にいるあの男、土師臨也はどうなるのか。
真鳥は二つの男の死体には目もくれず、マイカだけを見つめる。
「キミはこの国の人だよね? 誰のために動いているの?」
真鳥の静かな声が、応接室に染みいるように広がる。
「そんなことを知って、どうするの?」
たっぷりとした巻き毛を頭の上で一つにまとめながら、マイカは問いに問いで返す。
「あの人をどうするつもりかと思って」
実際にはほんの少し笑っただけなのだが、マイカの顔がぱっと輝く。
「臨也のこと? 偶然会ったから手を貸してもらっただけよ。今はフリーでしょう? それにあの人もあなたに会いたそうだったから。あなたたちの関係ってなにかしら?」
マイカの言葉はどこまで真実なのかわからない。
だからこちらも真面目に答えるわけにはいかない。
「それ以上踏み込むと、生きて帰れなくなるとだけ言っておくよ」
真鳥も笑ってみせる。
「まあ、怖い」
大げさに身体を震わせてから、「怖いからもう退散するわ」と言い、窓の淵へ手をかける。
「館に火を放ったのはキミ?」
真鳥の問いにマイカが振り向く。
「そうよ。火事で逃げ遅れたって設定なの」
言いながら、男の死体へ視線を送る。
「なるほどね」
「そちらの首尾は?」
「地下室の子どもたちなら、全員外に逃がしたよ」
「そう。よかったわ」
マイカの表情に真鳥は瞬時、目を奪われる。
まるで先代イトゥラルの慈しみ深く民を見つめる眼差しのような、あるいは我が子を見つめる母親のような、そんな顔をしている。
「そんな顔もできるんだ」
真鳥の言葉に、マイカの顔にいつもの妖艶な笑みが戻る。
「あら失礼ね。私のことをなんだと思っているのかしら」
「ソムレラの裏の皇帝とか」
マイカの紅を引いた唇から、ふふふという笑い声が漏れる。
一頻り笑った後、真鳥の立つ応接室の中央までゆっくりと歩む。男装に黒いマントという格好でも、全身から気品がにじみ出しており、ソムレラの皇帝だと言われたら、跪いてしまう者くらいいるだろう。
ソムレラの皇帝には三人の息子と三人の皇女がいる。
もし、マイカがその一人であるならば。
あれだけの部下を率いて、裏家業のようなことをするには資金が必要だ。ソムレラ皇室ならば資金も人脈もいくらでもあるだろう。傭兵として臨也を雇う事も容易い。
そう考えが及んで、真鳥はすぐに否定する。
高貴な皇女が娼婦まがいの手段で、不要となった者の失脚や暗殺を企てるはずがないと。
真鳥の目の前でマイカは立ち止まる。
「そう思うのなら、跪いて頭を垂れなさい」
「そう言うのなら、違うんでしょうよ」
「どうかしらね」
「どっちでもいいよ。あの人を変なことに巻き込まなければ。それでいい」
「臨也とは契約はしていないわ。これは本当よ」
「じゃあいいよ」
マイカは、少し思案するように首を傾ける。
「私が身分を明かしたら、貴方は私に何をしてくれるのかしら?」
「別に何も」
「正直ね」
「オレは自分には素直なんだよね」
「そういうところ、好きだわ」
白い指が伸びて真鳥の頬をそっと撫でる。
ふいに近づいたマイカの唇が、真鳥の唇に軽く触れてから離れる。
頬に触れたままのマイカの手を真鳥が掴み取る。
そのまま強く、引き寄せる。
二人の身体が触れ合った。
お待たせしてすみません。
#72, #73 を大きく書き直しました。
その上で、今回のお話もかなり修正しました。
少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。
第三話も終わりに近づいてきました。あと少し、お付き合いいただけると嬉しいです。
次話は、明日(1/7)に更新予定です。




