決断(3)
「待って下さいっ!」
廊下に出た真鳥を追う声が、鋭く響いた。
「子供が誘拐されたんですよ?! 荷よりも子供の命が大事じゃないんですか!」
足早に食堂から離れ、先程の部屋へと戻っていく真鳥の背中に、奏羽の言葉が激しくぶつかる。
「奏羽、やめろ。おまえは見てなかったのか? さっきのヴァレ商会の人たちと同じことを言い争うつもりか?」
帆岳が奏羽の腕を引いて留める。奏羽はその手を思い切り振り払う。
「離してよ! 矢杜衆がこんなこと許していいはずないじゃない!」
「落ち着けって。ここで話すことじゃない」
背後の食堂から、人々が出てくる。何人かが揉めている様子の矢杜衆に視線を向けている。
帆岳に促された奏羽が部屋に入ると、最後尾にいた一颯がドアを閉める。
暖かく、柔らかな明かりに満たされている部屋で、真鳥は、机の上に地図を広げる。
明日出発ならば、今夜中にルートの再確認や警護方法についても相談しておかなければならない。
「八束さん、答えて下さい」
奏羽はテーブルを挟んで向こう側にいる真鳥に詰め寄る。
地図からあげた真鳥の顔には、なんの表情も浮かんでいない。
「依頼主が決めたことだ」
真鳥からの返答は短く、たったそれだけだった。それでも、奏羽の中に燻る火種を業火にするには、十分だった。
「人のせいにしないでください! 矢杜衆としてどうなんですか! 人間としては? あなたはどう思っているんですかっ」
奏羽の手がテーブルを叩く。
テーブルの上で握りしめられた奏羽の拳が、内から溢れてくる怒りの熱を吐き出そうと藻掻く。もどかしさが募りどうにも解消されない焦躁を現すかのように、手甲の銀に反射した光が激しく揺れ動く。
真鳥はそんな奏羽の目をまっすぐに見る。
「オレも同じだよ。オレたちが守っているのは、何千人かの命を救うための医薬品だ。その荷を無事に届けることがキャラバンの仕事、つまりオレたち矢杜衆の任務だ。オレがヴァレさんの立場でも、同じことを言うよ」
奏羽の中で、何かが引き千切れるような音が響く。
「自分が何を言っているか、わかっているんですか……」
声が震える。
怒りに、苛立ちに、もどかしさに……。
「あなたは今、小さな子供の命を見捨てたんですよ!!」
「おい! 言い過ぎだ。奏羽」
奏羽は止める帆岳の手を振り切って、廊下へと飛び出す。
「奏羽!」
帆岳が奏羽を追おうとして、足を止め、真鳥を振り返る。
「行ってあげて」
真鳥が小さく微笑む。
帆岳は一瞬、心を奪われたように真鳥を見てから、ありがとうございますと礼を言って部屋を出る。
帆岳は薄暗い廊下を走った。
奏羽の気配を追いながら、目に焼き付いた真鳥の顔を想う。
あんな顔もできんだ。
それは、泣き出しそうな子供のような顔だった。
きっと誰も気づかないだろうと、帆岳は思う。
自分は、他人を観察することに長けているという自負がある。小さな変化も見逃さない。そんな自分だから気づけた。
奏羽には絶対にわからないだろうなぁ。
「あ、もう一人いた。あの人なら、見逃さない気がする」
帆岳は、部屋に残った二人の姿を想い、小さく笑う。
商館の二階、おそらくは奏羽に与えられた部屋へと続く気配を追い、階段を軋ませながら走る。
「泣きそうな顔するくらいなら、あんなこと言わなきゃいいんじゃないですか」
一颯の声は、少し呆れているような色を含んでいる。
真鳥は椅子に座ると、机の上に広げた地図に覆い被さるように突っ伏す。
こんな姿を見せるのは、一颯の前だけだと、真鳥も一颯もわかっている。
「オマエもオレを責めるの?」
真鳥の問いに、一颯はその隣の椅子に掛けながら、いいえと首を振る。
真鳥は首だけを一颯の方へ向ける。
「責めていいよ。言いたいことがあるなら、言えばいいでしょ」
「言っていいんですか?」
「いいって言ってるでしょ」
少し拗ねたように言う真鳥に、一颯は小さく笑う。
一颯は、見ていた。
ここにいる誰よりも、真鳥のことを見ていた。
カシットを追い街中を探し回って帰ってきたとき、真鳥の外套はあちこち土埃に汚れ、小さな裂け目もできていた。少し長めの髪は、束ねていたゴムが切れたのか、バサリと顔にかかるように乱れていた。手も足も砂にまみれ、疲れ切った顔で戻ってきた。
誰も自分を責めない奏羽は、それに対して不満を感じていたようだが、そこにいた誰もが同じように非を感じていた。街の中だからと油断した自分たちに落ち度があったのだ。奏羽だけを責めることはできなかった。
そして真鳥は、みなと同じようにカシットを案じ、そして誰よりもその責任を感じている。
けれど、自分の想いを決して口に出すことはない。
八束真鳥という人は、そういう人だ。
前回のアカギでの任務でも同じだった。
臨也という元矢杜衆と対峙し、その者が逃げたとき、真鳥は彼を追わなかった。矢杜衆を抜けた者は、矢杜衆に追われる身となる。矢杜衆としてのスキルや知識が国外に流出するのを防ぐためだ。危険分子にも為りかねないその芽は必ず摘まれる。真鳥はその臨也という人物を知っているようだった。追わない判断を下した真鳥に、その理由を問い質した。
『じゃあ、どうして話してくれないんです? 任務で初めて会ったときも、その後も、あなたのことは、解らないことばかりだ』
明確に答えない真鳥に、真鳥と行動を共にする自信がないと言いかけたとき、彼は今みたいに泣き出しそうな顔で一颯を見た。
『ほんとに、何も、解らない?』
真鳥はそう言っただけだった。
自分が真鳥を傷付けたかのような罪悪感に襲われ、一颯はそれ以上、問うことができなかった。
そして同じアカギで、真鳥たちが助けた少年が、真鳥を責めたときも、彼は何も言わなかった。
罵られ、誤解されたまま、彼はアカギを去った。
そうすることが、少年にとって一番いいと判断したのだ。
一颯は、そんな真鳥を理解したいと、強い切望を感じた。
今、目の前でうつ伏せたまま地図を眺めている真鳥は、本当は誰よりも先に、カシットを助けに飛び出して行きたいのだ。
一颯は、真鳥の視線の先を追う。
次に向かう街ラハテラは、ここシラルから真北に位置している。一日半あれば着ける距離だ。
そしてそこから右上に、手紙に記されていたフィービアという街の名がある。
ラハテラからフィービアまでは、およそ一日。キャラバンと一緒ではなく、矢杜衆だけならば、数刻で着ける距離に位置している。
ラハテラに着いてから、自分たちが動けば約束の三日後に間に合う。カシットがその街にいるなら、奪還することが可能かもしれない。
一颯は地図上に記されたフィービアという街に、指をとんっと置く。
「あなたは、いつだって、二手、三手先を読んで作戦を立ててますよね」
「買い被りすぎだし」
真鳥が顔を隠すように、そっぽを向く。
その顔が子供がはにかむような表情を作っていることを、一颯は知っている。
「でも、僕たちにまで隠す必要はないでしょう? 仲間なんですから」
「……うん」
「帆岳が奏羽を連れ戻してきたら、ちゃんと説明してくださいね。僕も帆岳も奏羽も、きっと先輩の役に立ちますから」
「人をモノみたいに言わないでよ」
ほら、この人はちゃんとわかっている。
大切なことを、誰よりも。
「はい、すいません」
一颯はにこりと笑って答える。
そのときだった。
ノックと同時に、「すいません!」という慌てた声が、ドアの向こう側で響く。
「どうしました?」
一颯がドアを開ける。
商館の下働きの少年がオロオロした目を向けて立っている。
「あの、矢杜衆の大きな人が二階に倒れてて……」
「!」
真鳥と一颯が部屋を飛び出す。
二階の奏羽の部屋から、瀕死のイモムシが這いずるように、帆岳の巨体がのたくって出てくる。
「どうした!」
帆岳のそばに真鳥がしゃがむ。帆岳の身体の様子を調べる。
「すい、ま、せん。やられ、ました。か、なでに、くすり……」
真鳥はすぐに状況を理解した。
「痺れ薬だね。奏羽は?」
「ま、どか、ら、そと、へ、カシット……」
薬の影響でうまく動かないくちびると必死に戦いながら、帆岳が告げる。
真鳥がすっと立ち上がるのに、一瞬の間もなかった。
奏羽の部屋の窓が、大きく開いている。
その向こうに、十日夜の月が昇っている。
「先輩?」
「帆岳を頼む。出発までに戻る」
真鳥は、奏羽の部屋に落ちていた外套を掴むと、月に向かって飛ぶように、窓の外へと飛び出す。
「先輩!」
一颯の声が、フェーベ商館の中庭に響いた。
お待たせしました。
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次の更新は明日(11/21)を予定しています。
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