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決断(2)

 フェーベ商館の広い食堂は、静寂の中に沈んでいる。

 それは、穏やかさとはほど遠い、張り詰めた空気の重みによるものだ。

 壁際で、小さく動く気配がある。


「少し滲みますけど、我慢してください」


 奏羽は消毒液を浸した綿を、男の切れたくちびるの端にあてがう。殴られた男がうっと息を零す。殴った方の男は、対角線上の位置でふんっと鼻を鳴らす。


 ここにいるのは、マウリ・ヴァレ商会のキャラバンの面々と、マウリの大学時代の学友だったこの商館の主、スルト・フェーベ、そして四人の矢杜衆たちだ。

 彼らは、食事を共にしていたようで、大きなテーブルの上には、皿やグラスがまだ片づけられずに残っている。

 スルトは、自分の右隣に座るマウリを見つめている。


 カシット誘拐後に投げ込まれた手紙には、カシットを誘拐したことと、カシットと引き替えにヴァレ商会が持つイカルとの医薬品取引の権利を渡せ、と記されていた。応じるならば三日後までにフィービアという街に来いという。


 どちらを選ぶ? マウリよ。

 商人としての自分か、親としての自分か。

 荷か、カシットか。


 スルトの瞳がマウリの横顔に問いかける。

 スルトには、二十年来の親友であるマウリの心の内が手に取るようにわかっていた。同じ商売を営む者として、そして親友として、マウリがどちらの答えを選ぶかも、わかっていた。

 マウリは商人だ。

 それも、ソムレラ国でイカルとの取引を許された、たった一つの商会の主である。


 イカルという国は、特別な医療技術を持つ。

 そこで生産される医薬品は貴重で、表裏問わずどちらの世界でも、いくらでも高値で取引することができるため、イカルの議会から許可された商人だけが扱うことを許される。信頼できる商人を通して、的確な値段で売買されることを目的とした規制だ。

 イカル側としては、病や怪我に苦しむ人を助けるためのものを、足元をみて値をつり上げるような商売の道具にしたくないのだろう。

 ヴァレ商会は、マウリの祖父の代から、幾度も幾度もイカルを訪れ、議会の者たちと縁を結び、粘り強く交渉を続け、イカルとの信頼を深めていった。

 その結果、マウリの父の代にやっとイカルの薬品を扱うことを許可された。

 ヴァレ商会の主であるということは、イカルからの信頼を背負うことと同義である。

 そしてそのヴァレ商会から医薬品を請け負い、病院や薬屋に卸しているスルトは、マウリからの信頼を背負っている。

 子供を誘拐し、イカルとの商いの権利を要求するような輩に、まともな商売ができるとは思えない。


 絶対に、相手の言いなりになってはいけない。


 スルトの商人としての心が叫ぶ。

 そしてスルトは、マウリがイカルの信頼を裏切らないことを、一番良く知っている人間の一人だ。

 勤勉家で、一度決めたことは貫き通すという性格のマウリを、二十年間、見てきた。

 同じ大学に通っていたマウリは、医療の研究をしていた。イカルでしか作れないという医薬品を自分たちでも開発できれば、病気の人たちをもっと沢山助けることができる、そんな強い信念を持ち続けていた。

 そんなマウリの努力を、無駄だと笑う学生たちもいた。マウリはそんな連中をまるで相手にしなかった。おかげで、友人はほとんどできなかった。


『僕にできることは、たかが知れている。けれど、黙って見過ごすこともできないんだ。後悔はしたくない』


 そのときのマウリの強い瞳に宿る光を、スルトは今でもよく覚えている。


 マウリの父が突然、不慮の事故で亡くなったため、医薬品の開発は諦めざるを得なかった。父の後を継ぎ、商売に専念することを強いられたためだ。

 しかし父の代に得たイカルとの繋がりを拡大し、イカルの協力により新しく病院を建て、より安い価格で医薬品を届ける事業を進める彼の姿は、大学で研究に打ち込んでいた頃と少しも変わらなかった。

 この仕事が、マウリにとってどれほど重要か、聞かなくてもわかる。スルトはそんなマウリに協力を惜しまなかった。


 マウリの部下たちが二つに分かれ激しく言い争いをしている間も、両手をテーブルの上で組み、瞼を閉じじっと考えているその横顔に、何かを感じないではいられない。

 カシットはマウリの一人息子なのだ。中々子宝に恵まれなかった彼が、晩年になってやっと授かった子供を深く愛していることを知っている。


 血を分けた息子か、多くの病人を救う医薬品か。

 人間としてどちらを選ぶのか。


 スルトは、すべてを見見届けるつもりでマウリを見つめ続ける。




 真鳥は、入り口付近の壁に背を預け、斜め前方に座るマウリを見つめていた。


 静かに瞼を落としたままのマウリの姿が、一昨日の記憶と重なる。

 キャラバンが最初に襲われた後、マウリと二人きりで話をしたときのことだ。

 真鳥は戦いの中で、裏で糸を引く者の存在を知った。

 盗賊を雇い、キャラバンを襲わせる。そこには、荷を奪う以上の何かがあると直感していた。

 だから真鳥は問うたのだ。


『あなたを恨む者はいませんか?』


 マウリは静かな、けれどはっきりとした口調で、真鳥の言葉を肯定した。

 そのとき真鳥はマウリの口から、イカルの商権について、かつて争っていた商会があることを聞いた。マウリの祖父の代からだそうだ。

 その商会は、マウリの父が権利を許されるまで、何かにつけて絡んでいたが、やがて諦めたようにぴたりと接触が止まったという。

 ヴァレ商会が、イカルの医薬品を扱う商権を独占的に持っていることは、任務に関する資料を読んで知っていた。矢杜衆なら、闇で取引されるイカルの医薬品を取り押さえる任務は、必ずといっていいほど経験する。売買の値段がいくらになるかも、よく理解している。


 この任務に失敗し荷を奪われれば、薬は闇に流れ、途方もない値段で取引される。そしてそれを本当に必要とする人々の手にはけっして届くことはなくなる。

 このキャラバンを守るということは、ただキャラバンの人と荷を守るということではない。その先にいる何千という人の命までも左右する、そういう任務だ。


 そして真鳥には、それ以外にもう一つ、任務があった。


 マウリ・ヴァレの調査だ。


 イカルが信頼できる人物かどうかを、矢杜衆は毎年のキャラバンの護衛時に確かめている。人は変わる、ということを良く理解しているからだ。

 もし少しでも契約に反する動きがあれば、商権はすぐに取り消されることになっている。


 マウリの調査については、奏羽や帆岳は愚か、一颯さえも知らない。リーダーだけに課せられた極秘の任務である。


 真鳥は、キャラバンの旅が始まってから、マウリを観察してきた。

 聡明で、誠実な男だと感じた。部下からの人望もある。

 イカルからの信頼は、当分続くだろうと、真鳥は思った。


 が、盗賊だけではなく、別の動きがあることが、その判断を変えた。


 これから何が起ころうとしているのか、誰にもわからない。けれど、何かが誰かが蠢いているという気配だけは、確かに感じている。


『北の国ソムレラは、冬に向かっている。とても厳しい冬が来る』


 ふいに、イトゥラルの言葉が蘇る。

 真鳥が旅に出る前に告げられた、巫女からの神託だ。


 少数民族が盗賊の真似ごとをしている。

 そんな盗賊たちの背後で、マウリを狙う者がいる。

 これは、ソムレラが変わろうとしている胎動の一つなのだろうか。

 誰がこの変化を生み出しているのか。


 真鳥の中に、様々な想いが浮かんでは消える。


 そんな真鳥の前で、マウリはしばし思案し、やがてその瞼をあげたとき、こう言った。


『もし私に何かがあって、この旅を続けられなくなっても、この荷だけは予定通り、街に届けてください。この薬を待っている人たちが、この国には沢山いるのです』


 この聡明な男は、真鳥からの問いかけだけで、この先に起こりうるだろうあらゆる筋書きを予測し、最悪の事態を想定してこう言ったのだと真鳥にはわかった。

 それは、マウリの覚悟だった。


『承知しました』


 あの時、確かに真鳥は、マウリの志を受け取った。



 フェーベ商館の食堂で、マウリがゆっくりと瞼を開く。

 一度、真鳥の視線を受けてから、自分の部下たちを見渡し、いつも通りの口調で言う。


「フィービアには行かない。予定通り、明日の朝、こちらを出発して次の街へ向かう」


 そこにいたすべての人間が息を呑み、マウリを見つめる。

 ただ真鳥だけが、寄りかかっていた壁からすっと離れると「では、準備にかかります」と言った。


「よろしくお願いします」


 マウリが頭を下げる。


「待って下さいっ!」


 廊下に出た真鳥を追う声が、鋭く響いた。


今日もお読みいただきありがとうございます、

次の更新は、たぶん11/19か、11/20になるかと思います。

よろしくお願いします。

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