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決断(1)

「カシットを最後に見たとき、赤毛の少年と一緒だったんだね?」

「はい」


 一颯の問いに、奏羽は両手の指を結んだ手元を見下ろしたまま、震える声で答える。


 フェーベ商館の小さな一室に、矢杜衆四人が集まっている。

 商館一階の中庭に面した商談用の部屋で、家具といば、木製のテーブルを四つの椅子が囲んでいるだけの、簡素なものだ。商館の使用人が先程、これから寒くなりますからと作動させてくれたオイルヒーターが、壁際か、カーンカーンと金属音を奏で始める。極寒のソムレラでは、換気の必要のないオイルヒーターが主流だ。


 椅子に座っているのは三人で、真鳥だけは窓際の壁に凭れたまま、右肩越しに窓の向こうの中庭を見ている。

 状況確認のため一颯は、一番最後にカシットを見た奏羽にいくつか質問を投げかける。その間も、真鳥の目は窓の外に向けられたままだった。


 ヴァレ商会やフェーベ商会の人たちと共に、数時間、街中を探し回ったあと、真鳥が無線機で全員を呼び戻したときには、すでに陽は暮れており、街には夕食時の匂いが立ちこめている時刻だった。

 それからさらに小一時間ほどが経過している。


 真鳥は、奏羽の緊急連絡直前に見た少年を思い出していた。男から金を貰い、嬉しそうに走り去った少年の姿は、その詳細まで鮮明に覚えている。


「その赤毛の少年だけど、グレーのズボンで膝に赤い継ぎ当てがある。上着は黒で丈の短いマント。帽子を被っていなかった?」


 これまで沈黙したままだった真鳥からの唐突な質問に、奏羽がパッと顔をあげる。真鳥はその視線を初めて奏羽へと向ける。奏羽の驚きの表情を、真鳥はそのまま肯定ととる。


「先輩はその少年を見たんですか?」


 一颯がその場の流れを読んで、真鳥に問う。

 ガタンと椅子が音を立てた。


「いつ?! どこでですかっ!」


 今にも部屋を飛び出して行きそうな奏羽を、真鳥の感情のない声が押しとどめる。


「そいつを探しても、意味はない」

「でも手がかりはそれだけなんです!」

「その子は頼まれただけだよ。カシットを外に連れ出すようにってね。問い詰めてもきっと何も知らない。オレが見たのは、荷運び風の男が少年に金を渡しているところだ。金を受け取った少年は、嬉しそうに駆けていったよ」

「じゃあ、金を渡したっていう男を捜せば」

「もういねぇだろうなぁ、この街にはよ」


 次に奏羽の言葉を遮ったのは、椅子の背もたれを抱くように座っていた帆岳だ。身長二メートル、体重百キロ近い帆岳の巨体を載せた椅子が、ギギっと悲鳴を上げる。


「だろうね」


 帆岳の隣に座る一颯が同意すると、奏羽はくちびるを咬み俯く。その両の手は、膝の上できつく握り込まれている。


「始めにその赤毛の少年のことを話していれば……いいえ、私が、カシットから目を離さなければ……」


 そんな奏羽の声を、まるで聞こえていなかったかのように、真鳥がいう。


「じゃあ、そろそろ行こっか。あっちも決着、着いた頃でしょ」


 壁から背を離し、ドアに向かって歩き始める。


「?」


 それまで刺すような痛みを堪えるように眉根を寄せていた奏羽の顔が、その色を変えた。


 なに? この人……


 真鳥が矢杜衆だけをこの部屋に集めたとき、奏羽は自分が責められるものと思っていた。

 当然だ。

 カシットに近づいた相手が子供だということに油断しきって、守るべき雇い主の息子を、ある意味、目の前でかどわかされたのだ。

 どのようにカシットを連れ出したのかは、その時、誰も中庭にいなかったのでわからない。けれど、カシットに話しかけてきた赤毛の少年がカシットを連れ出したことは疑いようのない事実だ。

 あの時、自分が目を離さなければ、見知らぬ少年がカシットを連れて商館の外に出て行くのを留めることができたはずだ。

 たとえ大切な荷である医薬品が理由であったとしても、人間より、まして自分の弟と同じ年齢の幼い子供の命に優るものなどない。

 それなのに、真鳥はおろか、この部屋にいる誰も自分を責めようとはしない。「おまえの責任だ」とたった一言さえも言われない。

 今も真鳥は、自分などまるで眼中にない、というように平然とした顔で出て行こうとする。


 当たり前のように、一颯は席を立ち、真鳥に付き従う。

 帆岳は、しばし真鳥と奏羽に視線を走らせたが、椅子を軋ませながら立ち上がると、奏羽の背を押して、後に続くよう促してくる。


 なによ、これ……


 奏羽の内側にさざ波が立つ。顔は色を失い、真鳥の背中から視線を離すことができない。

 今回の任務の初顔合わせのときから、奏羽は真鳥に不信を向けていた。それに気づかぬ真鳥ではないだろう。上司を信じられない部下の自分が嫌われていてもしようがない。

 だけど、この仕打ちはなんなのだ。

 何故、責めてくれないのだろう。

 悪いのはおまえだと、はっきり言ってくれないのだろう。


 これではまるで、私なんて、ここにいないみたいだ。


 どくんと、心臓が大きな音をたてて収縮する。

 嫌な想いが沸き上がる。

 裏切られたような痛みが心臓を鷲づかむ。

 どくんどくんという鼓動の中で、奏羽は自分の言葉にたじろぐ。


 裏切られた……?


 心理学的な見地から人を分析するクセのついた思考が、奏羽の脳の中でフル回転を始める。

 裏切られたと感じるのは、自分が信じていたからだ。

 真鳥自身をではなく、真鳥がリーダーとして自分の力を必要としてくれていると、信じていたのだ。自分もこのチームの一員であると、当たり前のように思っていた。

 杜仙二位で、自分よりも年下のリーダーの、束ねられた銀の髪が歩くリズムに合わせて揺れる。

 イカルでは珍しい銀色の髪も、黒い矢杜衆の戦闘服に包まれた引き締まった背中も、今の奏羽にはそのすべてが氷でできているように感じられる。

 私など必要とされていない。

 そんな私には責任を問う必要もないということなのだ。

 剥き出しの背筋を冷たい風が撫でたように悪寒が走る。凍ったように、身体が動きを失う。

 心が軋む。

 あり得ない方向から負荷を掛けられて、いびつに歪む。

 歪んだ心は、堪えきれずに、叫びをあげた。


「あっちの決着ってなんですか……」


 絞り出すような奏羽の声に、真鳥が足を止める。


「私たちだって何も解決してないじゃないですか。なんで、あなたが見たというその男を追わないんですか! 私たちの足なら、絶対に追いつきます。街の外だろうが、どこだろうが追えばいい! 何故、追わないんですか! なんで何も言ってくれないんですかっ!!」


 自分を置いて去っていく者へ縋り付くような叫びだった。


 前をゆく真鳥と一颯が振り返り、静かに奏羽を見る。

 奏羽の後ろに付き添うように立っていた帆岳は、初めて見る奏羽の姿に、少しばかり目を見開いている。


 奏羽と帆岳は同じチームになることが多かったが、奏羽が自分の上司に面と向かって吼えるような真似をしたのは、これが初めてだ。

 肩を強ばらせ拳を握りしめ、今にも上司に向かって噛みつかんばかりの奏羽の方が帆岳にとっては理解しやすかったが、同時にリーダーとしての真鳥の考えも読めていた。今、周囲が見えていないのは、明らかに奏羽の方だ。


 もともとそういう傾向はあったけど、どこまで突っ走ってんのやら……


 帆岳は、同情ともつかない溜息のような小さな息を漏らす。

 このままでは、双方にダメージのある結果を生み出しそうで、帆岳は二人の間に入ろうとした、そのときだ。


「決めるのはオレじゃない」


 真鳥の言葉は、奏羽を完全に隔絶した。

 冷たい水を頭の上から浴びせられたように、奏羽の表情は白く固まる。

 一颯がちらりと真鳥に咎めるような視線を送る。

 帆岳は、想像通りの結果を目の前にして、剃髪して髪のない後頭部をカリカリと掻く。


 あの人も、もっとマシなセリフ言えないんだろうかねぇ。

 あんなだから、変な噂も立つし、誤解もされんだろうなぁ。


 帆岳は、矢杜衆の間に広まっていた八束真鳥に関する噂の元は、こういうところにあるのだと確信する。

 けれど、彼はそんなことには意も介さない人間だということを、なんとなく感じ取っている。たった数日とはいえ、寝食を共にし、時には戦闘を交えれば、おおよその人間像は見えてくる。もちろん全てとはいかないが、口から紡がれる言葉だけがすべてではないことくらいは、わかった。


 今、心配なのは……


「奏羽」


 奏羽を気遣う帆岳の声も、もう彼女には届いてはいない。小さな体を硬くして、真鳥を見据えている。


 真鳥が奏羽に背を向けた。

 ゆっくりと歩き始める。

 薄暗い廊下の先に、灯りが一つ、漏れている。

 食堂のドアが開いているようだ。先程から、声高に叫ぶ声が聞こえていた。


「あっちも大変みたいだねぇ」


 真鳥が誰とはなしに言った瞬間だった。


 ドンッ


 激しい音とともに、食堂のドアから男が飛び出す。自分から故意にではないことは、体勢を見れば一目瞭然だった。男はその背を床に強く打ち付けて呻く。


「な、に……?」


 凍り付いたように動かなかった奏羽が、顔をあげる。

 中から出てきた男は、呻く男の上に馬乗りになり、さらに拳を振り上げる。


「なんで、わからねぇんだっ! 何年、キャラバンやってやがるっ!」

「だって! わかんねぇっすよっ! そんなのっ! カシットが誘拐されたんっすよ! あんたが言ってることはは、カシットを見捨て……」


 ゴッ


 骨が肉を打つ鈍い音が男の言葉を遮る。拳で殴られた男が意味不明の言葉を叫く。

 もう一度、男が拳を振り上げたその手を止めたのは、真鳥だった。

 奏羽はこくんと息を呑み、その場の光景を見つめていた。

長らく更新が止まってしまい申し訳ありませんでした。

またこれから更新してまいります。

今日も読みにきていただきありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

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