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警鐘

 真鳥は、商館を取り巻く街路を上から眺めながら、周辺の地理を確認していた。

 敵が侵入してきそうなコースや、いざというときの退路を頭の中で組み立てる。

 これまで街の中でキャラバンが襲われた前例はなく、奏羽が言っていたように、盗賊が入り込むことも難しいだろう。


 けれど、自分の中の何かが騒めいているのを無視できなかった。


 通常、金のために盗賊団になることはあっても、金で雇われた盗賊団などあり得ない。彼らは誰かのために動かない。自分の利を本能で求める者、あるいは、そのおこぼれに預かろうという人間の集団だ。

 これは、矢杜衆の任務の中で、真鳥が学び得た盗賊という集団に対する概念だ。


 しかし、ここまでの行程で現れたのは、普通の盗賊たちと決定的に違っている。もちろん通常の盗賊たちもいたのだが、ほとんどが一般の民と思しき者たちだった。その証拠に彼らは盗賊としての技量もほとんど持っていなかった。


 真鳥の脳裏に彼らの目が浮かぶ。

 自分の死と引き換えに、何かを護ると決めた者たちに宿る覚悟の光。

 彼らの瞳には、確かな意志が宿っていた。


 荒れた土地。そこに追いやられた少数民族。その日を生きることに精一杯の者たちならば、わずかな金や食糧のためでさえ、仕事として請け負うだろう。

 金で人を動かすのは、政や商いを営む者の考え方だ。

 高価な医薬品を運ぶヴァレ・キャラバンを狙う奴らには、利害関係にある別の人間も絡んでいる?


 マウリには、先日、それとなく聞いてみた。商人として成功を収めているマウリを恨む者は結構いるらしいが、それだけではなかった。

 マウリには、祖父の代から競ってきた商人がいた。その争いは今でも続いているという。


 商人ならば、街の出入りは自由だ。

 気を抜くな。

 すべてを疑え。


 真鳥の中で警鐘が鳴る。



 小さな足音を、真鳥の耳が捉える。

 赤毛の少年が一人、石畳の上を駆けていく。帽子を被り、赤い継ぎ接ぎのある茶色のズボンをはいている。上に羽織っているマントもまた古びており、工房か店の下働きをしているような風貌だ。

 真鳥が何とはなしにその少年を追っていくと、その先の路地に男が一人、立っているのに気づく。この寒空の下、半袖からはみ出た腕は筋肉で引き締まっている。足腰も丈夫そうだ。商館などで荷運びをする者だろうか。

 少年がその男に近づくと、男はズボンのポケットに手を入れ、何か小さなものを取り出した。男の指がそれを弾くと、昼の陽光にキラリと光る。

 硬貨だ。

 少年は、一度、空高く上がったそれを両手でしっかりと受け止めると、嬉しそうな歓声を上げ、来た道とは反対の方向へと走っていく。

 男はちらりと辺りを見回すと、路地の奥へと消える。


 男が金で少年を雇い、何か仕事をさせた。街ではよく見る光景だ。不思議じゃない。

 けれど、警鐘はさっきよりも強く、真鳥の頭の中で響いている。

 金を受け取って走り去った少年は、カシットと同じくらいだろうか。


 そのとき、それまで無言だった無線機が、突然、騒ぎ始めた。





 奏羽は木箱に腰掛けて、中庭で犬と駆け回るカシットの姿を眺めていた。

 この商館の主が飼っているという犬だ。

 大きく黒い毛に覆われた犬が、のそりとカシットの前に現れたときには、奏羽は瞬時に、犬とカシットの間に身体を滑り込ませ、右手に握りしめたクナイを犬の鼻先につきつけていた。


「大丈夫だよ、奏羽お姉ちゃん」


 カシットの柔らかい声が、奏羽を背中から包む。


「その子、いい子だよ」


 カシットは突然現れた、自分よりも大きな犬にも何ら臆することなく、手を伸ばしながら笑いかけた。犬も怯える様子もなく、差し出されたカシットの手をぺろりとなめる。


 怖いものなどないのだろう。

 まだ十歳という年齢だ。痛みや苦しみの経験は浅い。

 ましてカシットは、ソムレラの大商人の一人息子だ。金銭的にも、物理的にも、苦労したことはなかったはずだ。

 聡明な父から受け継いだ賢さも合わせ持つ彼は、未だ、苦境を知らない。

 自分を傷付けるものなど、この世にあると考えたこともない。

 だからこんなにも無邪気に笑えるのだ。

 憎しみも恐れも知らない美しい笑顔は、人も、犬さえも動かし、彼を受け入れさせていく。

 でもそれは、危うい力なのだと、奏羽は思う。


「ね?」


 カシットが奏羽に笑いかける。

 奏羽は、会ったばかりの犬と戯れるカシットに弟の姿を重ねる。

 奏羽の弟は、今年十歳になる。カシットと同じ年だ。奏羽の両親はともに矢杜衆で、幼い弟の面倒は、奏羽と祖母がみてきた。奏羽が矢杜衆となってからは、忙しくて中々構ってあげられなくなった。

 国のために戦いに赴く姉を、弟は我が儘も言わず、手を振って送り出してくれる。


『お姉ちゃん、気をつけてね。早く帰ってきてね』


 笑ってそう言ってくれた弟の顔が、カシットと被る。


 この手が人の命を奪うこともあるのだと、弟はまだ知らない。だから無邪気に笑う。自分をヒーローのように仰ぎ見る。

 奏羽には、それが辛かった。


 矢杜衆は、国を護るという大義の前では英雄のように扱われるが、それは一面に過ぎない。自分の手は、誰かを守るために血に汚れる。

 けれど弟は自分も、両親のように、そして姉のように、矢杜衆になってイカルを守りたいと切望している。

 そしてそれを実行し、今年の春、矢杜衆の養成所に入った。

 弟を育ててくれた祖母が亡くなって、一ヶ月経ったころだった。

 本当なら、ここにいるカシットのように、楽しく笑い転げていていい年齢だ。

 まだ、何も知らなくていいはずなのに、奏羽は、弟が矢杜衆という道を選ぶのを止めることができなかった。両親はそんな弟を誇りだと言ったが、奏羽には彼を止められなかったという後悔ばかりが押し寄せた。


 無邪気なカシットを見て、その笑顔をできるだけ長く守りたいという想いが強く奏羽を突き動かした。

 そんな奏羽だったからだろう、カシットもすぐに懐いた。


 カシットが笑う。犬が彼の顔を舐める。

 少しでも長く、この笑顔を……。


「奏羽さ〜ん!」


 奏羽を呼ぶ声に振り向く。マウリの部下が荷馬車のところで「ちょっとすいません」と手をあげている。

 カシットと犬は、商館の木戸のところにいる。外を通りかかった街の少年が「かっこいい犬だね! 君の犬? なんて名前?」と話しかけているのが聞こえてくる。

 少しならその場を外れても大丈夫だと判断し、奏羽はカシットから目を離した。荷馬車の男のところへと向かう。話を聞いてみれば、医薬品の入った箱が一つ、損傷しているという。

 癒し手である奏羽は、医薬品にも詳しい。箱の中に入っている薬の種類とその保存方法を確認し、すぐに別の容器に移すことを提案する。

 奏羽は薬品の入った箱をそっと抱え、男と一緒に商館に入った。

 その時、カシットはまだ、門越しに赤毛の少年と話をしていた。





「かっこいい犬だね! 君の犬? なんて名前?」


 カシットが顔をあげると、自分と同じくらいの街の少年が、木戸のとこから中を覗いていた。

 帽子の下からくるくるとした赤毛が覗いている。顔にそばかすのある元気そうな少年だ。

 この旅が始まってから、自分の周りは大人ばかりだった。彼らは自分を可愛がってくれたが、同年代の友だちと遊ぶようにはいかなかった。学校での友人も多いカシットは、時にそれがつまらなかった。

 街の少年を見上げたカシットが、嬉しそうに笑う。


「僕のじゃないよ。このお家の犬だよ。ナルヴィって言うんだ」

「君はどこに住んでるの?」

「僕の家はウルマスだよ。旅の帰りで、またウルマスに戻るところなんだよ」

「ウルマス! すごいね。じゃあ、キャラバンなんだ」

「お父様のキャラバンだよ。僕はキャラバンを守ってるんだ」


 カシットは、丈の短いマントを少し捲って、腰に下げている木製のおもちゃの剣をぽんと叩いてみせる。


「キャラバンってどんなものを運んでいるの?」

「お父様のキャラバンはお薬を運ぶんだ。街を回って大切なお薬を届けて、病気の人を治すんだよ」

「ふーん」


 少年はナルヴィの頭を撫でながら、ちょっとだけ興味なさげに答えた。


「ねえ! ここで一緒に遊ぼうよ。馬もいるよ。僕の家の馬だよ。荷馬車も沢山あるよ!」


 カシットはもう少しだけ少年と一緒にいたくて、少年が行ってしまわないように引き留める。


「荷馬車? 俺、乗ったことない! 乗ってみたい!」


 少年の顔が輝く。カシットの頬も興奮したように桃色に染まる。


「おいでよ! もう馬は外れてるけど、僕が寝泊まりしてる荷馬車に乗せてあげるよ」

「いいの?」

「うん!」


 カシットは門を少し開き、少年の手を取る。外壁沿って植えられた樹木の下に並べて停めてある荷馬車の一つに向けて走り出す。

 キャンバス地の幌のついた荷馬車の後ろに、踏み台として空の木箱を一つおき、カシットは荷馬車に乗り込んむ。マウリとカシットの荷馬車で、彼らが休めるような毛布が置いてある。隅に木箱が二つある。


「街まで行く途中には何もないから、この中で寝るんだよ」

「野宿ってやつ? あの木箱は?」


 木箱の一つは、戦闘中、帆岳から守れと言われ、カシットが隠れていた箱だ。中には塩や砂糖、小麦粉などの食料品が入っている。長旅には欠かせない大切なものだ。


「これはね」


 カシットが木箱の蓋を開けたときだった。

 少年が中にある小さな木箱を持ち上げる。


「あっ」


 少年は木箱を抱えたまま、瞬く間に荷馬車から飛び降りた。

 慌てたカシットが彼を追い、荷馬車から降りる。少年は門を抜け、街中へと飛び出していく。


「待って!」


 少年はちらりとカシットに振り向くと、ニッと笑う。


「返して!」


 カシットが後を追う。

 門を出るとき、ほんの一瞬だけれど躊躇した。父から、ここから出てはいけないと言われていたからだ。

 けれど今はカシットにとって一大事だ。

 カシットが守るべき大切な荷が盗まれたのだ。


「僕が守らなきゃ。僕が!」


 腰に下げたおもちゃの剣を、右手に取る。

 カシットは小さな躊躇を振り切り、外へと飛び出した。


 木箱を脇に抱えた少年の姿は、次の角を左へと曲がろうとしている。カシットは、石畳の道に軽く躓きながらも、必死に走って少年を追う。

 自分もキャラバンの一員なのだ。自分だって守ってみせる。

 矢杜衆たちがキャラバンを守って戦う姿が思い浮かぶ。彼らへの強い憧れに駆られ、身体が熱くなる。

 少年が消えた角が目の前に迫る。

 カシットが迷わず角を曲がると、そこは暗く細い路地だった。

 その先に、少年が笑いながら立っている。

 少年の手には木箱がある。

 カシットは薄暗い路地に、足を踏みだす。


「!」


 突然、背後から、大きな影がカシットを覆う。

 振り向く暇もなかった。

 身体のどこかに衝撃を感じた。

 どこだかはわからなかった。

 ただ、自分は荷を守れなかったのだ、ということだけを認識した。

 カシットの意識は、ゆっくりと暗闇の中に落ちていく。

 最後に見たのは、自分の手からこぼれ落ちたおもちゃの剣だった。





「カシットの姿が見えませんっ! どこにもいなんです!」





 商館の周辺を見回っていた三人の矢杜衆の無線機に、突然、奏羽の叫び声が響く。

 真鳥、一颯、帆岳は、奏羽からの連絡を受けて、そのまま街中の探索に入ったが、カシットの姿はどこにもなかった。

 マウリやその部下、滞在中のフェーベ商館の者たちも総出で探した。

 陽が暮れても、カシットは見つからなかった。





 フェーベ商館の中庭に、一通の手紙が投げ込まれていることに、周囲を見回っていた一颯が気づいたのは、その夜のことだった。

 マウリ宛だった。





「カシットが、誘拐されました」





 その内容を告げるマウリの声が震えた。

 皆が息を呑み、マウリを見つめる。

 銀の髪の下で、真鳥の眉が小さく寄せられる。

 一颯と帆岳が顔を見合わせる。

 奏羽は指を強く握りしめる。



 その夜、商館の灯りは、いつまでも消えることなく煌々と闇を切り裂いていた。

子供は子供なりに良かれと考えて行動していますが、やはり突発的で、一瞬!

ほんの一瞬目を離した隙に居なくなってしまうものです。


カシットを弟と重ねている奏羽が、慌てるのも無理はありません。

ですが、やはり彼女はカシットから目を離すべきでは無かったのです。


その失点を彼女がどう補うのか。

そして、その失点がチームに与える影響などを、ご期待頂ければと思います。



今日もお読みいただきありがとうございます。

身の回りがバタバタしておりまして、またまた更新詐欺ですみません。

できるだけ毎日アップできるように頑張ります。

次は明日(11/9)アップ予定です。

よろしくお願いします。

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