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第2章後日談(2)

 矢杜衆詰め所前の通りを行くのは、もう矢杜衆ばかりで、街はすでに人気を失いつつある時刻だ。

 戻ってきたときは、盛大に鳴いていた蝉も、今は寝静まっている。


 任務は終わった。

 後は、家に戻り、風呂を浴び、久しぶりにちゃんとした布団の上で眠るだけだ。

 一颯は、長かった十日余りの日々を振り返る。


 あの朝、首都ルーの東門で待ち合わせた「時の人」は、今、等身大の人間となり、一颯の目の前で、腕を空へ向け、うーんといいながら伸びをしている。


「オマエは、明日、休み?」

「はい。明後日はもう次の任務が入っていますけど。先輩は」

「自宅謹慎。オレだけ」


 事情聴取が終わったあと、真鳥には上層部の審議が終わるまで自宅謹慎が言い渡された。


「僕の任務はアカギに行く前から予定されていましたので。その後、一週間、謹慎ですよ」

「なんだ、そうなの」


 小さな沈黙が訪れる。

 まるで二人の間を遮るように、しっとりと周囲に漂い始める。


 ふいに訪れた静寂に、一颯は戸惑うように通りを見やる。


 お疲れ様でした。


 それだけでいい。

 その一言を告げ、家へと歩き出す。


 でもそれができない。


 もう何百回と繰り返してきた当たり前の行為を、今夜はまるで身体が拒否しているかのようだった。

 沈黙に縛られたまま、視線はするすると落ちていく。


「それじゃあね」


 一颯の前で、ひらりと手が振られた。その手の手甲が、詰め所の入り口を照らす外灯を弾き、鈍色に滲む。

 一颯がはっと顔をあげると、真鳥はもう背を向けている。

 銀の髪が揺れる。


「先輩!」


 思わず、真鳥を呼び止めていた。

 交わす言葉が欲しかった。

 共に過ごした十日間を、こんな風に簡単に終えたくなかった。 


「うなぎ! 今日は行かれなかったけど、ちゃんとおごりますから、忘れないでください!」


 真鳥が足を止める。

 そして、後ろ向きのまま一颯に向かい、右手をひらひらと振る。


 その表情は一颯からは見えなかったけれど、振られた手は、一颯を満たすのに十分だった。

 次が、ある。

 やっとすべての任務が終わったという、充足感に包まれた一颯は、大きく息を吐き出すと、矢杜衆詰め所を後に、歩き出した。





 神殿を左手に見ながら通り過ぎ、さらに北へと向かう。

 ルー中心部にある詰め所から真鳥の自宅までは、普通の足で歩いて一時間程度だ。矢杜衆の足を使えば、十五分の道程を、今夜は普通に歩く。


 神殿を過ぎると、途端に街灯の数は減る。

 家と家の距離は次第に遠くなり、畑の割合が増えていく。


 そして、柔らかい灯の漏れる家もなくなる。

 草が風にそよぎ、蛙が鳴くばかりの田畑の中の一本道を、独り、行く。

 やがて、草は灌木に、灌木は樹木に、樹木は巨木に変わる頃、一軒の家が見えてくる。

 けれど今は、背後の北の杜の闇の中にとっぷりと沈み込んでいる。

 確かに、すぐそこにあるはずの自宅は、真鳥を待つ者などいないことを見せつけるかのように、重く厚い闇に飲み込まれている。


 幼い頃、自分を迎えてくれた父は、もういない。

 家族のように出入りしていた一颯も、いない。


『忘れないでください!』


 一颯と別れるとき、彼はそう言った。

 頬が緩み、顔が綻んだ。

 自分がどんな顔をしているのか、鏡がなくてもわかった。鼻の先がツンとした。

 その鼻を手の甲で軽く擦ると、真鳥は後ろの一颯に向かい、その手を振って見せた。

 顔を見せたら、きっと一颯に引かれていたかもしれない。


 そんな一時がぜんぶ自分に都合のよい夢だったのではないかと思うほどに、無明の闇は、真鳥を孤独へと誘い込む。


 ふいに真鳥は、臨也を思い出した。

 父のところへ訪れた臨也の、最後の姿だ。


 あれは、父親が亡くなる少し前だった。


 臨也はいつも、真鳥を見つけると抱き上げ肩車をしてくれた。彼の頭の上から見下ろす世界は、真鳥にとって新鮮で、おもしろかった。


 その日、臨也は真鳥を見ると、小さく笑いかけただけで、すぐに父親と話しを始めた。いつになく真剣に話す二人の姿を見て、自分の入る余地のないことを察した真鳥は、逃げるように寝室に閉じこもった。

 時々、臨也の大きな声が聞こえてきた。

 怖くて、耳を塞いだ。

 玄関の扉が開いた。

 父に置いて行かれたのかと不安になって部屋を飛び出すと、陽が落ちた後の薄闇の中へ、臨也の姿が消えていくところだった。

 父は、臨也が消えたその後も、ずっと玄関に立ち尽くしてた。


 それが、臨也を見た最後だった。


 イカルは、臨也に祖国を捨て去るほどの孤独と絶望しか与えなかったのだろうか。

 過去を失い、親しき者を失った今の自分は、臨也と何が違うのだろうか。

 誰もいない家を見るたびにこの孤独は襲いかかり、少しずつ自分を蝕み、やがて自分も祖国を捨てる日が来るのだろうか。


 闇の深淵に引き込まれそうになり、くらりと目眩がして立ち止まる。

 その真鳥の視界の中で、ふいに蒼白い光が現れる。


 幻覚、あるいは錯覚?


 けれど、それはゆっくりと光度を増し、やがて家の窓に、小さな明かりがぽつりと灯ったような光の玉となった。


 誰かいるのか?


 思わず、期待してしまいそうになる真鳥の前で、白く淡い光がゆらりと膨れる。

 それは目映い光ではないけれど、清らかで気高い焔だった。

 神の纏う白き清浄なオーラ。


「クロウ」


 真鳥は久しぶりに見る、かの神の名を呼んだ。


 前足をきちんと揃えて座っていたクロウは、真鳥の呼びかけには答えず、ただ口の端を上げて、にやっと笑う。

 神とはいえ、その姿は蒼白いオーラを纏った白い犬にしか見えないので、犬が笑うという表現はおかしいかもしれない。けれど、真鳥には、クロウが笑ったように見えた。

 その姿は、再び白く淡く揺らめくと、闇に溶けて消えた。


「何しに来たんだ? あいつ」


 真鳥はつぶやいて、家の扉を開ける。

 十日余り離れていただけなのに、我が家の匂いが懐かしく感じられる。

 玄関に明かりを灯す。

 ほっと息をついたとき、真鳥は玄関先を振り返る。

 クロウが座っていた場所だ。


 もしかして、待っててくれたのか?


 孤独に呑まれそうになった自分に、光を示してくれた。誰も待っている人などいないはずだった家で、迎えてくれた。

 臨也には、もう帰る場所はない。

 でも、自分は違う。

 次に会う約束をくれる仲間がいる。

 暗い家に明かりを灯して待っていてくれる誰かがいる。


 臨也と同じなんかじゃない。


 たとえここに思い出を共有出来る人がいなくても、孤独を味わっても、決して絶望したりはしない。

 ここは、自分が愛し、護るべき祖国だ。

 湧き出る強い想いは、イカルに帰ってきたのだという安息へと変わり、真鳥を包む。


「ただいま、クロウ」


 イカルへの帰郷を、神へと告げる。

 穏やかな優しい夜が、訪れる。


(了)

真鳥の家は、街の外れも外れ、大外れにあります。

静かで良いところですが、1人で居るには少し寂しい所です。


だから記憶を失う前は、一颯がちょくちょく真鳥の家に来て、真鳥をかまうのを真鳥は楽しみにしてました。


あと、父親が存命中は、父の仲間や友人達が遊びに来ていたので思っているほど寂しくは無かったのです。


だから真鳥は、寂しいからといって家を引っ越すつもりは毛頭ありません。



次回より第三章を開始する予定です。

彼等のお話は、またまだ続きます。

お付き合い頂ければ嬉しいです。



昨日は更新できずすみませんでした。

これで第2章完結です。


次の更新は一週間後を予定しています。

よろしくお願いいたします。

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