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第2章後日談(1)

 カターン

 カターン

 カターン


 規則正しい音が、狭い部屋の中にこだまする。


 かれこれ二十分ほど続いているこの音に、そろそろ神経をやられそうになってきた一颯いぶきはついに口を開く。


「先輩、ペンを転がしてるだけじゃ、報告書は埋まりませんよ」

「なんか、気乗りしないんだよね〜」


 一颯のこめかみに小さく青筋が走る。

 この人はこういう人なのだ、もうわかっているだろう、一々反応していては八束真鳥やつかまとりと一緒にはやっていけない、また一緒に仕事したいと言ったのは自分じゃないか、めげるな、と、自分で自分を励ます。


 真鳥はそんな一颯の方を、見やりもしない。

 古く傷だらけの事務机の上に顎をのせ、右手の指先で器用にペンを転がす。

 一秒に一回。

 時を刻む秒針のような正確さには感服するが、しかし、その鼻先にある報告書は、未だ白紙のままだ。


 アカギ国を発った真鳥と一颯が、イカルに着いたのは翌日の夕方だった。

 矢杜衆の詰め所で彼らを待っていたのは、予想通り、無表情で二人を見下ろす加内永穂かうちながほの鋭い眼光だった。

 矢杜衆の長である伐瑛至ばつ・えいしは、すべてを永穂に任せてあるのか、あるいは永穂に逆らえないだけなのか、いつものように窓辺に座り、永穂による二人への査問の様子を黙って聴く姿勢を見せている。


 真鳥と一颯が帰る道々考えた抜いた「永穂対策」は「言い訳しない」という選択だった。二人はそれを実行した。感情や感想を一切交えず、すべてをありのままに、事実のみを淡々と語った。

 対策が有効だったのか、永穂の怒声が飛ぶこともなく、報告という名の事情聴取は一時間程度で終了した。


 そして、この部屋に強制収容された。


 家具といえば、机一つに椅子が二つ。窓はない。机の上には、電気スタンドと、報告書の紙の束と、ペン、封筒があるのみ。それ以外には何もない殺風景な部屋だ。

 正式には報告書作成室という名が付いている。

 矢杜衆の任務内容は極秘だ。

 そのため、報告書は、詰め所内にいくつかある報告書作成室で手書きしなければならないと決められている。もちろん書き上がるまでは出られない。内容が悪ければ、容赦なく突き返される。疲れて居眠りしようものなら、どこから見ていたのか、報告書専門の鬼指導官が現れ、叩き起こしてくれる。

 報告書を書き慣れていない矢影たちにとっては、任務よりも遙かに辛い作業だ。



「二人で分担すれば、早いんじゃない?」


 今からきっかり二十分前、そう提案したのは、真鳥の方だ。

 杜仙二位ならリーダーとして任務に就くことがほとんどだ。チームで行動する場合の報告書作成担当はリーダーである。何百という報告書を作成しているはずなのに、未だ一文字も書いてない。書く気がないように見える。

 任務とあればミスもなくこなせるだろう真鳥が、任務の締めくくりの報告書を放棄している。

 疲れているから、というのでもなさそうだ。真夏の昼間に、猫が冷たい場所でだらしなく伸びきっているような態度から察するに、書きたくないという意思表示にしか見えない。

 分担を勧めたのは自分のくせに、だ。

 これでは、いつまで経っても帰れない。後輩の身ではあるが、ここは一言、言わせていただくしかあるまい。


 一颯は、すでに半分を埋めた自分の報告書の上にペンをコツンと置き、正面から真鳥を見つめる。


「先輩」

「オレ、カツ丼よりも天丼がいいんだけど」


 こう来たか……。

 一颯は、アカギでの一件を思い出す。アレについても、一言、言っておきたかったのだ。


「ここは憲兵隊の取調室じゃありません。先輩、アカギでの取り調べのときにも、同じこと言ったでしょう? 後で笑われましたよ、僕が」


 一颯は、真顔のままで、特に語尾だけを強調した。


「ん〜、オマエね〜、証拠は挙がってんのよ」


 人の話を全く聞いてないですね、先輩。


 とは、口に出さなかった。真鳥に対して堪っている鬱憤を、勢いで全部吐き出してしまいそうは恐れを感じたからだ。

 ここは無言で、さらっと流すのが大人の分別というものだろう。


 動じていないそぶりの一颯を、真鳥は上目遣いにねめつける。

 真鳥が動く。

 だらりとした姿勢から、普通に座り直すと、電気スタンドを手元に引き寄せる。

 ここまで、0.5 秒。

 この二十分で初めて見せた、ペンを転がす以外の動きだ。


「吐いちゃえば、楽になるよ?」


 一颯の顔にライトを当てて、真鳥がにこやかに笑う。

 一颯は、ほんの一瞬、その気に呑まれる。

 まさか、自分の中にある真鳥への、呆れだとか、小さな腹立ちだとか、それにも増してこの人に引き込まれていく感情を、すべて見透かされているのか?

 いや、そんなはずは……でも……。

 心臓が、とくっとくっと大きな音を立てて騒ぐ。

 真鳥の、なんだか強くて粘り気のある視線に、一颯は自分の首がじわじわ締め付けられる気がして、思わず喘く。


「せ、先、輩……」

「オマエが、やったんでしょ」

「……は?」

「とぼけないでよ。コロシよ、コロシ。現行犯でしょ、コレ」


 真鳥の指先が、トントントンと机を叩く。

 一颯はライトの眩しさなのか、真鳥の相変わらず奇怪な行動故なのか、眉をひそめる。

 指は、まだ、机を叩き続ける。


 机、じゃない?


 真鳥の指は、一颯の端正で几帳面な字で埋まりつつある、報告書の上にある。

 それに気づいたのは、真鳥の指先を注視してから、軽く十秒以上経ってからだ。

 さっき自分が置いたペンの脇に、小さな小さな本当に小さな羽虫が潰れて、報告書に張り付いている。ペンを置いたときに、偶然、つぶしてしまったのだろう。


「可哀想に。まだ幼い子どもだってのに。オマエみたいな、一見、人畜無害です〜って顔してる奴の方が、平気で酷いことしたりするんだよね〜」


 一颯の中で言葉が巡る。

 人畜無害って、人畜無害って、人畜無害って……。


「そろそろさ〜、吐いてすっきりしようよ。ね?」


 一颯は、真鳥の言葉で、真っ白になりかけた頭を現実に戻し、真鳥を観察する。


 報告書を見て見ぬフリをしながら、楽しそうに「事情聴取ごっこ」をしている。


 急速に脳内が冷えていった。

 そしてやっと戻ってきた思考で、真鳥の始めた「ごっこ」に、付き合うべきか否かを冷静に検討し、至極、建設的な答えを返した。


「報告書を書き終える方が、確実に楽になれると思いますよ」


 真鳥はほんの一瞬だけ、子どもっぽい拗ねた顔をみせた。ぽいっと電気スタンドを放すと、再び机に突っ伏す。

 一颯は、自分よりも二つ年上の先輩のそんな姿を見下ろし、溜息を一つ、では足りなくて、三つつく。


 二十四歳で杜仙の二位。


 先ほどの事情聴取のとき、一颯は真鳥の年齢を知った。長の机の上にあった資料が、ちらりと目に入ったのだ。

 二十代で杜仙になることは珍しい。おそらく現在、杜仙で二十代なのは、自分を含め片手に入るくらいしかいない。ましてや、ベテランと呼ばれるリーダー格の者たちが揃っている杜仙二位に、真鳥は二年前に抜擢されている。

 彼の戦いぶりを見れば、すぐに納得できることだ。


 アカギの元全権使、ラケルタ・カウダに剣を向けたとき、もし真鳥の手にした剣がナマクラでなければ、折れていたのは自分の刀だったかもしれない。実際、一颯の愛刀は、折れはしなかったが、刃の一部が欠けていた。それも、刀鍛冶にメンテに出せば、確実に怒鳴られる程度に、だ。


 おそらく、今の自分が本気を出しても、絶対に真鳥には勝てない。

 そう確信できる。

 若い矢影なら、誰もが憧れを抱くだろう。


 そんな優秀な杜仙は、今、真っ白な報告書の上で、ふて寝している。

 リーダーともなれば、報告書の内容も任務自体のことや、部下のことなど、その内容は多岐にわたる。それをこなせない真鳥ではないはずだ。

 真鳥は敢えて、やらないのだ。

 それは、何故か?


 一颯には一つだけ、思い当たる理由がある。

 でも、そう感じること自体が、自惚れなのかもしれないと、同時に打ち消してもいる。


 ほんの一ヶ月くらい前、真鳥は、このイカルの首都ルーを騒がせ、矢杜衆たちをお祭り騒ぎにさせた張本人であり、巫女を誘拐の危機から救った英雄、いわゆる時の人だ。

 アカギへの任務を共にすることになり、目の当たりにした冷酷な真鳥の戦いぶりに圧倒された。

 同時に、平時と戦闘時での相当なギャップに悩まされ、その対応に困っていた自分に、任務が終わったとたん、『また先輩と一緒に、仕事がしたいです』と言わしめた人物だ。


 そんな真鳥が自分に対し、うなぎを捌けだの、夜営中に温かいスープを飲みたいと強請る。やればできる報告書の作成を端っから放棄して、あまり認めたくはないが自分に押しつけようとしている。


 それって、つまり、甘えてるんじゃないだろうか。

 あの八束真鳥が……。


 そのとき自分の中に生まれた感情を、一颯はうまく言葉にすることができない。


 出会う前から興味はあった。けれどそれは、どちらかというと彼の噂に対する好奇に近い。それが十日余りの任務で、彼自身への興味にすり替わっている。

 良い意味で引き寄せられている相手から、甘えられているかもしれないという認識が、一颯の感情をかき混ぜる。

 それは、甘美で、心地よい調べとなり、一颯を柔らかく包み込む。

 ゆっくりと、やんわりと絡み付き、やがて持ち前の冷静な思考さえ見失わせた。



 そして、そのとき一颯の顔に浮かんだ、恍惚とも優越感ともつかない複雑な笑みを、優秀な矢杜衆である真鳥は見逃さなかった。


 明らかに自分への好意だとわかる想いを、一颯はその表情の中に浮かべている。

 おそらく、一颯自身は気づいていないだろう。

 自分が感じている想いも、一颯は知らない。

 過去はすべて失ったが、今、新しい交わりが二人の新しい関係を築こうとしている。

 その先に、かつての自分たちが繋いだ絆へと続く道が、わずかだけれど見え始めている。

 それを確かめてみたくなった。

 子どもっぽくて、ずるい手段だと思う。

 けれど一颯は、裏にある理由はともかく、真鳥が甘えているという事実に気づいた。そしてそれを振り払おうとはしなかった。


 かつての一颯のように……。


 真鳥には、それが思った以上の喜びとなって体を巡っていることに自身で気づいている。


『今度こそ、先輩が報告書を書く番ですからね』

『そんなこと、いつ誰が決めたのよ?』

『前回の任務のとき、貴方が言ったんです。次は自分が書くから、今回はお願いってはっきり言いました』

『そんな昔のこと覚えてない』

『先週です』

『だって、オマエが書いた報告書の方が評価が高いんだも〜ん』

『え? そうなんですか?』

『そうなのよ。加内さんから良くできてるって褒められちゃったよ。オレたちのチームの評価が高いのも、オマエの報告書のおかげでもあるわけ。で、今回もお願いしたいな〜と』

『え〜、もう、しょうがないですね』


 そういって一颯は、殺風景な報告書作成室で、少年のような照れ笑いをみせた。


 今、目の前にいる一颯に、かつての彼の姿が重なる。

 綻んだ春の花が、甘い香りを放つように、ふわりと真鳥の心を弾ませる。


 真鳥が顔をあげる。

 まっすぐに一颯を見つめる。


 もう少しだけ、わがままを……言っても良いだろうか?


 真鳥にじっと見つめられた一颯が、そのまっすぐな瞳に押されたように、軽く首を傾げ、身じろぐ。


「一颯」


 改まったような声音に、一颯は身を正す。


「はい」

「コレ、おまえに任せたいんだけど」


 一颯の顔に、は? という疑問符が困惑とともに浮かぶ。

 あまりにも素直な反応に、真鳥がくくっと喉の奥を鳴らして笑う。

 一颯はそれが気に入らなかったのか、少しムスッとした声で言う。


「さっき分担しようって言いましたよね?」


 真鳥は、一颯の質問には答えず、指先で一颯の書いた報告書をトンと叩く。一颯の視線は、自然とその指先に引き寄せられる。


「やっぱり一人が書いた方が、纏まると思うんだよね。オマエ文章上手だし、字も綺麗だし」

「書けないわけじゃないでしょう? なんで書かないんですか?」


 一颯は、さっきから抱えていた疑問を口にしてみた。

 どうせ、面倒くさいから、とかストレートに言うんだろうな、と想像していた。

 けれど、返ってきたのは、面倒くさいでもなく、気が乗らないでもなかった。そんな後ろ向きなふざけたものではなく、一颯を直撃する言葉だった。


「オレがオマエを信頼してるってことを、知って欲しかったから」


 言葉を失う、とはこういう時のことを指すのだろうと、後に一颯はこの瞬間を振り返って思った。

 というのも、その言葉に舞い上がってしまって、この後のことをほとんど覚えていないからだ。


 一颯は一人で報告書を書き上げ、真鳥の確認とサインを貰い、執務室に提出し、難なく受領されたらしい。

 気がつくと、一颯の頭をポンポンと軽く叩いて「ご苦労さま。ありがとね」とまるで邪気のない顔で笑う真鳥の顔が、目の前にあった。

 真鳥の見せた笑顔に、疲れも吹っ飛んだ。


 上手く乗せられたのかもしれない、と思い直したのは、もっと後のことだった。


一颯からすると、意味が分からない甘え方を良くする真鳥ですが、とりあえず報告書を書く件に関しては納得のいく甘え方というかデレ方なので、ほいほいと乗せられてしまいました。

記憶を無くした後の、数回の任務で真鳥の実力を知った一颯にとって、真鳥に認められる事は、とても嬉しい事なのです。

相手が真鳥でなければ、ここまで甘い男ではありません。


特に後輩には、指導しなければならない立場の為、間違っても甘えられたからといって報告書を代理で書く等しません。


因みに、真鳥も相手が一颯で無ければ、ココまで駄々をこねないです。多分。


破れ鍋に綴じ蓋な2人です。



昨日はアップできずすみませんでした。

今日もお読みいただきありがとうございます。

続きは明日(10/19)アップ予定です。

よろしくお願いします。

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