それぞれの空(2)
エルカへと続く街道沿いには、近隣の村から沢山の人が見物に出ていた。
馬二頭が引く粗末な荷車に窓はない。四角い箱の一部に、鉄格子がはまっているだけの実用的な作りだ。
アカギ国全体を揺るがした科人の姿は、外からは見えない。それでも人々は続々と押しかけ、街道を埋め尽くしている。
護送車の前後左右には警備の者が付いているが、全員が、荷車から一定の距離を置いている。見物する人々が荷車に向かい、石や泥団子、野菜や玉子など、様々な物を投げつけて来るからだ。
彼らはそれを黙認した。
十名の警護のうち誰一人として、その行為を止めたり、咎めたりすることはなかった。
こんな奴は、殺してしまえばいい。
誰もがそう望んでいたのだ。
ラケルタを護ろうとするものは、粗末で古びた護送車そのものだけだった。
「護送車が来たぞ!」
ウェルテクス村にも、ついにその知らせが届く。
イーレは、街道へ向かう村人をぐいぐいと追い抜き、息を切らせながら一番に村を出た。
ウェルテクスの生き残りの人々が街道へ出てくると、近隣の村から来た見物人たちは、哀れみに満ちた眼差しを向け、彼らのために場所を譲る。
東から西へ、オルトゥスからエルカへと向かう街道が、薄紅の斜陽に満たされる頃、投げつけられた物で汚れきった護送車が、ゆっくりと木立の向こうから姿を現す。
イーレの心臓が、大きく脈を打つ。
ドクドクという血の流れが、イーレの聴覚を支配する。
周囲のざわめきは、もう聞こえない。
護送車が近づく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
イーレの心臓が早鐘を打つ。
シュッ
イーレの手元で、小さな音が生まれる。
マッチの燃える匂いが周囲を通り抜ける。
「イーレっ!」
村人の一人が叫んだ。
そのときにはもう、バチバチと火花を飛ばし激しく燃え上がる松明を掲げ、イーレが護送車に向けて走り出していた。
「わあぁぁぁぁぁっ!」
イーレの咆吼と、花火のように爆ぜる火に、警護の者が立ちすくむ。護送車を引く馬たちが前足を上げ嘶く。御者が慌てて馬をなだめ、手綱を引く。
護送車は、大きく揺れて、止まった。
周囲が静まり返る。
イーレが渇いた土を蹴る音だけが、やけに大きく人々の耳に届く。
少年を止めるものは誰もいない。みな、固唾を呑んで、その光景を凝視していた。
「イーレ! ダメだ!」
見物人たちの後にいた一颯が、街道沿いの人垣を飛び越えようとした、その時だ。
「あっ!」
何者かがイーレの行く手を阻む。
護送車へと突進するイーレの身体を受け止めたのは、どこかへ姿を消していた真鳥だった。
真鳥の左手が松明を握りしめたイーレの右手首を掴み、右腕がイーレの身体を受け止める。
松明よりも強く朱く燃えるイーレの眼差しが、真鳥を睨み上げる。
「何で止めるんだっ!」
イーレが空いている左手で、真鳥の腕を押し返す。
「放せ! 僕がやらなくちゃいけないんだっ!」
真鳥は何も言わずに、ただイーレの身体を押し留める。イーレが拳を振り上げ、真鳥の腕を、身体を、ところ構わず叩く。
それでも真鳥はイーレを留める手を緩めない。
火の粉が散り、真鳥の腕を朱く焼いても、僅かに顔をしかめただけだった。
その隙に、御者が馬の手綱を引き、ゴトゴトと護送車が動き出す。
「あ……」
目の前を通り過ぎようとする護送車に、イーレの焦りが爆発する。真鳥の腕の中で全力で暴れ出す。
「放せ! 放せぇー!! 僕が、あいつを殺してやるんだっ!」
必死の形相でイーレが叫ぶ。
イーレに警戒を示した警護の者が、護送車とイーレとの間に立つ。
馬の足が速まる。
ガタゴトと左右に揺れながら護送車は走る。
「馬を止めろ! 誰か! 止めてくれっ! あいつを殺すんだっ! あいつがやったように、焼き殺してやるっ! 放せーっ!」
胸を裂くような叫びが、暮れなずむ街道と、そこに佇む人々に響き渡る。
護送車は止まらない。
人々は無言のまま、イーレと真鳥、そして護送車を交互に見やる。
イーレの声は途中から言葉を為さなくなった。獣のように叫ぶ。声の限り。力の限り。想いの限り。
やがて、そこにいる全員の視界から護送車が消える。
イーレの手から、松明が落ちた。
その身体が一気に力を失う。
真鳥がイーレの身体を解放すると、真鳥の身体に縋るようにしてずるずると座り込み、夏の日差しに灼けた土の上に両手をついた。
松明は、大地の上でもなお、発火性の強い混合物の匂いをまき散らしながら、勢いよく燃え続けている。
「……何で、止めたんだ……」
その細い顎の先から、汗と涙の入り交じった滴が、ぽたりと渇いた土の上に落ちる。
「あいつは、いっぱい殺した……父さんも、母さんも、妹も、じいちゃんも、村の皆もっ! なのに、なんで、僕が、あいつを殺しちゃいけないんですかっ? あなたが殺してくれないから、僕がやろうとしたのに!」
大地に拳を叩きつける。
それでもなお滾る怒りを押さえることができない。必然的にそれは、イーレの行動を遮った真鳥へと向う。
「結局、あなたにだって、他人事なんだ……僕のために止めたとでも、言うつもりなら、間違いです。憲兵隊でもない、法律でもない、ましてや国王さまでもない、この僕が、敵を討たなきゃならなかったんだ。これが最初で最後のチャンスだった……あなたに僕を止める権利なんかなかった。あなたのせいで僕は! この日を! 死ぬまで! 悔やんで生きてかなきゃならなくなった! 村を救ってくれたあなたを、ラケルタと同じように恨み続けなければならなくなった!」
真鳥は答えない。
表情の消えた顔で、崩れ落ちたイーレの姿を見ているだけだった。
「矢杜衆って何なんですか……」
イーレの言葉は街道の土の上に吐き捨てられた。真鳥が僅かに反応を示す。
「……悪い奴から護ってやるって言いながら、あんな最低の奴までも助けるんですかっ!」
熱く渇いた土をイーレの指が引っ掻く。固く握られた拳を、幾度も幾度も、真鳥の足元に叩きつける。
イーレの拳の上に長い影が落ちる。
「先輩を責めないでくれ」
静かな声が激しい憤りに震えるイーレに触れる。
イーレが顔をあげた先、真鳥の隣に、一颯が立っていた。
「先輩は、全権使を護ったわけじゃないよ」
「一颯、いい」
真鳥が初めて口を開いた。
真鳥はラケルタを乗せた護送車が消えていった西へと続く道を見つめている。
真鳥が何を見ているのかはわからなかったが、その横顔には、ラケルタに対する嫌悪や憤怒の欠片は見えない。自分のやるべきことはすべて終わったのだという、収束へ向かう静けさだけが漂っている。
避けられていたのではなかった?
そんな思いが、ふいに一颯の胸をつく。
一度は自分の手で殺そうとしたラケルタを、真鳥は、同じことをしようとしたイーレから庇った。
真鳥の行動が一颯の胸に響く。
真鳥がラケルタをどうするつもりだったのか、その本意はわからない。
ただ、一颯よりも先にイーレを止めたことで、あの時の一颯の行動の意味がちゃんと届いているのだとわかる。
イーレのために止めたのだと。
わかりにくい。
この人は、なんてわかりにくい人なんだろう。
もっと言葉で言って欲しい。
一颯は思う。
彼は、何の感情も見せない表情の裏に、今も多くを秘めているのではないだろうか?
こうして時々、行動によって現れるそれは小さなものなので、ちゃんと見ていないと見過ごしてしまう。
もっと真鳥を知りたい。
経歴や闘い方や過去ではなく。
何に悲しみ、何に憤り、何に笑うのか。
今の八束真鳥を知りたいと思った。
一颯はその願いを込めて、イーレではなく真鳥に向かって言葉を紡ぐ。
「僕は、イーレに憎しみだけで強くなって欲しくないです。それから、先輩のことも誤解して欲しくないです」
その語尾に、力を込めた。
一颯はまっすぐに真鳥を見つめる。
感情のなかった真鳥の顔が、小さく変化する。
それは、内側に押し殺していたものが、ふいに零れ出たという感じだった。嬉しいのか、悲しいのか、痛いのか、いろんな感情が綯い交ぜになったような、複雑なそれ。
そんな顔を一颯に見られたからか、真鳥はぶっきらぼうに視線を逸らせる。
「イーレはもうわかってるよ。復讐してもどうにもならないことも、オレたちが、何でも出来る正義の味方じゃないんだってこともね」
真鳥の言葉は、自分に言い聞かせているようにもとれる。
俯いたままのイーレの頬から、滴がぽたぽたと落ちる。
小さな嗚咽がもれる。
ウェルテクスの村人たちが、イーレをそっと抱えるようにして立ち上がらせる。真鳥と一颯に深く頭を下げてから、イーレの肩を抱き、ゆっくりと歩き出す。
それを合図に、街道沿いにいた人々が、波が引くようにそれぞれの村へと引き上げていく。
イーレが、真鳥と一颯を振り返ることはなかった。
「先輩……」
「いいんだよ、これで」
今日、最後の陽射しが、西の山の向こう側に落ちる。
凪いでいた風が戻ってくる。
ウェルテクスには、オルトゥスやエルカ、周辺の村からも手伝いが訪れ、食料、家を建てるための建材などが、続々と運び込まれている。
オルトゥスでは、新しい全権使が決まるまでの代行の全権使がすでに執務を始めている。
悲劇の爪痕は、数ヶ月もすれば、目には見えなくなるだろう。
村人たちの心も、ゆっくり、ゆっくりと癒えていく。そして、来年の春になれば、また苗を植え、神に豊饒を祈る。
イーレを中心に、ウェルテクスは明日へと進んでいく。
自分たち矢杜衆は、ウェルテクスに突如訪れた非日常の一部として、彼らの記憶にしばし留まり、やがてその存在は薄れていくだろう。
真鳥にできたことといえば、犯さなくてもいい罪から、イーレをほんの少しだけ遠ざけたことだけだ。
けれど、これもまた見方を変えれば、自分の行為に対する後悔を断ち切るためにやったことに他ならない。
「無力だね〜オレは」
真鳥がぽつりと言う。
「オレたちに出来る事は、たかが知れてる」
「それでも、強くならなきゃいけないんです。僕たちは、イカルを護る矢杜衆ですから」
真鳥が昔から良く知っている一颯がいる。真っ直ぐでひたむきな眼差しが、優しい夕暮れの色を映す。
その眼差しを直視することができなくて、真鳥は空へと顔を向けて誤魔化す。
見上げた薄桃色の空は、その下に渦巻く憎しみも悲しみも痛みも、愛しさも喜びも温かさも、まったく素知らぬ顔で、どこまでも等しく美しく広がっている。
「イカルに帰ろうか。一颯」
「はい」
真鳥の言葉に素直に答えると、一颯もまた、真鳥と同じように空を見上げた。
空はただ、そこにあるだけだった。
この世界、この時代の人々の他国との交流は多くありません。
高官や外交官、国を跨いで商売をする商人くらいが国を越え物や情報をやり取りしてます。
イーレの様な村人が他国に行く事は、ほぼ無く、多分、今後、矢杜衆と関わる事も無いでしょう。
なので、遠からず真鳥や一颯の事もラケルタの護送を見物に来た人々から忘れられます。
でも、それで良いのです。
真鳥も一颯も非日常の象徴であり、平和な日々に戻った人々から忘れ去られる事は悪いことでは無いのです。
ただ、イーレや村人達は、真鳥や一颯の事を忘れず、今後産まれてくる子供や孫達に折に触れて矢杜衆の事を語り継ぐことでしょう。
それは、もしかしたら神を無くした彼らの神の代わりなのかも知れません。
そして、物事は正確に言葉で語り継ぐことは出来ません。
だからこそ、御伽話として残っていくのです。
今日もお読みいただきありがとうございました。
次の更新は明日(10/15)です。
よろしくお願いします。




