それぞれの空(1)
「イーレ、約束の本だ。遅くなって悪かったね」
まだ陽の落ちていない墓地に、一颯とイーレが佇む。
本を差し出した一颯の腕にも顔にも、白い包帯が巻かれている。
イーレの瞳が、包帯を追いながら、一颯の顔にたどり着く。
一颯が笑う。
イーレは家族の眠る前で、すべての発端となった古文書を胸に抱きしめる。
白い花と死者を弔う香の香りが、その日もウェルテクスの墓地にそっと満ちている。
真鳥と一颯がウェルテクス村に戻ったのは、全権使の身柄が拘束されてから三日後のことだった。
その頃には、アカギ国中でウェルテクス村で起きた惨事が人の口に上っていた。
あの朝、大騒ぎとなった館は、憲兵隊の出動により次第に収束していった。
その混乱の中、真鳥と一颯も身柄を拘束されていた。
館の警護の者や憲兵には、彼らは明らかに不法な侵入者であり、全権使を襲った犯人としか見えなかった。
真鳥と一颯は、一切、抵抗することなく彼らの指示に従った。
荒ぶる役人たちを相手に、ウェルテクス村で起こったことを、丁寧に、辛抱強く説明したのは一颯だった。
一颯が憲兵に絡まれている間、真鳥は閉じこめられた部屋の隅に座り込んだまま、一切、言葉を発さず、ぼんやりと窓越しに空を見上げていただけだった。
翌日には、首都エルカからも憲兵隊と調査団が到着し、全権使の身柄が拘束された。
ウェルテクス村へもすぐに調査隊が派遣されたが、その惨事を目の当たりにした役人たちは、しばらく口がきけなかったという。
真鳥たちが解放されたのは、全権使の身柄が拘束されてから、さらに二日後だった。
二人の身元確認の為に、イカルの出先機関に連絡が入って直ぐに、イカル本国へと照会が行われた。本国の矢杜衆の動きも迅速だった。直ぐに別件でアカギ国に派遣されていた矢杜衆に、二人の身元を明らかにさせた。
また、この一件は、真鳥たちが当初の任務にて謁見したグラウェ大臣の耳にも入り、大臣からも身元を保証する旨の通達が届いた。
途中から事情聴取という名に代わった取り調べでは、真鳥も一颯も、古文書や金鉱について話すことはなかった。
二人の館での行動は、ウェルテクス村に対するその罪を暴くために全権使を問い詰めた、ということで収められた。
「この本のことは、誰も知らない。でも、ラケルタがこの村の金鉱のことを口走っていたようだから、資源調査ということで調査団が来る可能性がある」
一颯の説明に、イーレは黙って頷く。
そして気になっていたことを尋ねる。
オルトゥスに向かった二人のうち、戻ってきたのは一人だったからだ。
「あの……真鳥さんは?」
一颯は、ああ、と、まるで溜息を吐くような声を出す。
「村の入り口までは一緒だったんだけどね。その後、見かけてないんだ。どこかその辺りをフラフラしてるんじゃないかな」
真鳥とは、全権使の私室での一件から、ほとんど言葉を交わしていなかった。
身元が判明するまで、全権使の館の一室に閉じこめられていた間も、彼は一言も発しなかった。壁に寄りかかり、空ばかり見上げていた。夜になっても、目は閉じていたが眠っている様子はなかった。
一颯は、そんな真鳥に自分から声を掛けることはなかった。
掛けられなかった、が正しい。
真鳥から、柔らかな拒絶が感じられたからだ。
話しかけるなと、言われたわけではない。
ただ、自分という存在が、彼の世界の中でとても遠く、あるいは薄くなっている、そんな気がしたのだ。
出会って一週間余り、僅かしかない繋がりがこのまま消えてしまうのではないか、という予感さえあった。
取り調べの中で一颯は、古文書のことを隠したばかりでなく、臨也の名も出さなかった。出したところで、あの男の痕跡がどこかに残っているはずもないとわかっていたからだ。
真鳥のために隠したのではなかったが、罪悪感のようなものがあったことは確かだった。
あの男は、どこにも存在しない。
真鳥の中以外には……
あの男と真鳥の関係を想うと、ちくりと胸に痛みが走った。
そんな自分を、真鳥は煩わしく思ったのだろう。
ウェルテクス村へ戻った真鳥は、すぐに姿を消した。
一颯は、悔いるように僅かに顔をしかめた。
「怪我、まだ痛いの?」
イーレが心配そうに一颯を見上げる。
「ありがとう。大丈夫だよ」
歪めた顔を無理に繕い、イーレの心配を解いてやる。
「……そうですか」
「イーレ?」
本を抱き、俯いたまま動かないイーレに一颯が呼びかける。
「……こんな本のために……僕たちは家族を失った……本当に有るのか無いのかわからないような金鉱のために……隠したりするから欲しくなるんだと思います。だったら、金を探して、掘って、掘って、掘り尽くしてしまえばいい。こんな本が、何の価値も持たなくなるように……」
言葉に反して、イーレは本を大切そうに強く抱きしめる。
「……なんで、もっと早くに捨ててしまわなかったんだろう……そうすれば、誰も傷つかなかったのに。何もできない僕らのために、関係ない人まで巻き込んで、戦わせて、怪我をさせることもなかった……」
イーレの吐き出した言葉が、雑木林に囲まれた墓地に散っていく。
一颯は、イーレの家族の墓に目を向けた。
村長と、イーレの両親、そしてその間にある小さな妹の眠る塚。
イーレの家族を順に見やる。
二年前、災害の復興で一颯がこの村を訪れたとき、イーレの妹はまだ母親のお腹の中にいた。そのそばには力強く笑う父親と、そして村のすべてを受け止める穏やかな笑みの村長がいた。
『僕が守らなきゃいけないんだ』
少年はまっすぐな瞳でそう言った。
ささやかな祭りの夜だった。
一颯たち矢杜衆が村に入って一ヶ月、ようやく、屋根のある建物の中で、起きて、食べて、寝るというまともな生活ができるまでになった頃だった。
そしてその僅か二年後、この村はまたすべてを失った。
「僕らは、確かに部外者だけど、この村のことを関係ないとは思えないよ。二年前、一緒に働いて、一緒にご飯を食べて、一緒に祭りの日を祝わせて貰ったんだ。金鉱のことはどう考えていたか分からないけど、君のお祖父さんも、ご先祖さまも、神さまが訪れる場所として、ずっと大切に護ってきたんじゃないかな」
「でも、神さまは、僕たちを護ってくれなかった」
イーレは一颯の言葉を撥ね付ける。
少年の内に抑制不能な憤怒が渦巻いている。側に立つ一颯に、空気を通してさえその震えが伝わってくるようだ。
イーレの中の神は失われてしまった。
どれほど崇めても、祈っても、最初からそんな願いは届かなかったのだと、信仰のすべてを切り捨ててしまった。
妹を守るために強くなりたいと誓った少年の心は、守るべき者の喪失と同時に、行き場を失った。
イーレの中に今あるものは、耐え難い喪失に伴う激情だ。
親に甘え、友だちと遊び、泣いたり笑ったりしながら成長する日々。そんな当たり前の生活から引き離され、大人になることを強いられた少年の身体が、今もなお震えている。
どんな言葉もイーレには届かないだろう。
審問の結果、たとえラケルタが処刑されたという知らせが届いたとしても、イーレの痛みは終わらない。
イーレ自身が決着をつけなければ、いつまでも苦痛は続くだろう。
これが、全権使ラケルタの所業の結果だ。
十二歳の少年が背負うには余りに重すぎる現実だった。
「まだ、終わりじゃないです」
そう言い放ち、イーレは駆け出す。
一颯の足元で、白い花が風に揺れる。
元全権使・ラケルタを乗せた護送車が、首都エルカに向かうため、ウェルテクス村のそばの街道を通ると知らせがあったのは、それから一刻もしない夕暮れ時だった。
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もう少しでこの章も終わりです。
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次の更新は明日(10/14)です。
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