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対決(4)

『行って。アンタじゃ足手まとい』


 一颯の中をその言葉がずっと駆け巡っている。


 利き腕が使えない自分は確かに足手まといだ。

 それに加えて、あの男。

 そこにいるだけでこちらの動きを制するほどの力を持っていた。

 たとえ負傷していなかったとしても、彼を捕えることは愚か、一太刀あびせることさえも難しかっただろう。あの真鳥でさえ、全身で警戒していたのだ。


 だからこそ、共にいたかった。


 二人ならば、少しでも道を切り開けるかもしれない。少なくとも、二人が助かる可能性は上がるはずだ。

 バディとはそういう存在なのだから。

 互いの命を守るためにいるのだから。


 真鳥の言葉は、一颯のバディとしてのあり方全てを否定した。


 お前には任せられない。


 一颯には、そんな風に聞こえた。

 そして、あの男は自分をあの場所から排除するためにクナイを投げた。


 その結果、自分は真鳥の命令を実行するために、今、行動している。真鳥はあの男と二人だけになった。


 そう仕向けられたのだと気づくのに、幾分か、かかった。


 よくよく思い出せは、あの男からは明確な殺意が感じられなかった。ただその潜在的な力に圧倒され、畏れを抱かされた。身動き一つできないほどに。その上で、あの男の望むように操られた。

 

 一颯は拳を握りしめる。

 こんなにも悔しいのは、この結果が正しいと、自分でも理解してしまったからだ。


 先輩はあの男を知っている。

 そしてあの男も、先輩を気にかけている。

 他の誰も関わることのできない事情が、二人の間にはある。


 先輩は、あの男を捕らえないだろう。力量の差ではなく、もっと別の理由で。まるで、心のどこかで二人が強く繋がっているみたいに見えた。

 そして僕は、蚊帳の外に出された。


 また真鳥が遠のく。

 近くづけたと思ったら、手の届かないところに行ってしまう。


 バディだと、思えたのに。


 口の中が苦い。

 なんとか体を動かせているのは、命令に従うことに慣れた矢杜衆としの性質のためだろう。

 思考のほとんどが真鳥に囚われたままだというのに、足だけは、先ほど、臨也から告げられた古文書が隠されているという全権使の執務室を探している。


 この手の建物の構造はだいたいどこも同じだ。二階の奥にあるだろうという予想を付けて、いくつかの扉を開けつつ確かめる。

 やはりその部屋は二階の最奥にあった。

 繊細な意匠を施された黒塗りの執務机が窓際に鎮座し、部屋にはアカギ国宮殿のあの回廊にあるような調度品がいくつも並べられている。ただ己の力を誇示するためだけの品だ。本来持っているはずの美しさは、まるで感じられない。

 執務机のあたりには、書類や筆記具などが散らばっている。臨也の言っていた机の下を覗けば、隠し扉はすでに開いていた。

 中身はない。


「まあ、持って行くよね〜」


 なんの気配も感じなかった。


 一颯が驚きのまま、顔を上げれば、すぐそばに銀の髪がある。真鳥が、自分と同じように、机の下を覗き込んでいる。


「せ、んぱい」

「ラケルタんとこ行くよ」


 真鳥は何もなかったかのように、飄々と立っている。


 一颯の中で、感情が爆ぜる。

 瞬間的に、怒りが溢れる。


「あの後、どうしたんですか。貴方は、あの者を知っていたのですね。知り合いだから、捕えることも処理することもしなかった。あるいは逃がした。違いますか」


 自分でも驚くくらい、低い声が出る。


「だったら何?」


 真鳥の返答に、また一颯の腹の中で火が燃え広がる。けれど言葉は出てこない。

 真鳥の目を見ると、何を言いたいのか、わからなくなってしまう。


「わかりません。先輩が何を考えているのか」


 自分が何を知りたいのか。

 彼に何を求めているのか。

 どう動けばいいのか。


「その話は後にして。全権使を追うよ」


 真鳥が執務室を出て行こうとする。

 また自分が切り捨てられたような気がして思わず声が強くなる。


「逃げるんですか?」

「オマエから逃げてどうするの」

「じゃあ、どうして話してくれないんです? 任務で初めて会ったときも、その後も、あなたのことは解らないことばかりだ。そのうち判る、とあなたは言った。でも、一週間一緒にいても、なにも解らない。僕は、このままあなたと行動を共にする自信がありませ……」


 一颯ははっとして言葉を留める。

 自分を見下ろす真鳥の表情が曇っている。どう見ても、戸惑いと哀しみを含んだ色しか見えない。


「ほんとうに、何も、解らないの?」


 今にも泣き出しそうな、風が吹けば壊れてしまいそうな、そんな顔をしてそういった。

 何も答えられないでいる一颯から、ふらりと一歩、遠ざかる。


 この人は怯えているのか。


 ふとそう思った。


 自分のことをわかってもらいたくて近づいてくる。けれど、少しでもうまくいかないと、自分から遠ざかる。


 まるで野良猫みたいだ。


 そうなのだろう。

 誰かに理解して貰えないことを怖れている。

 けれど、なぜなのか。

 

 唐突に思い出す。


 この人は、犬神の力によって、かつてのすべての知人から忘れ去られた人なのだと。


 僕自身も、この人との過去をすべて忘れている。


 そこまで思い至って、すとんと腑に落ちる。

 そして、自分の言葉が真鳥を傷つけたことも理解する。


 真鳥は、露わになった脆弱な部分を隠しもせず、一颯の前に曝している。

 自分が悪者になったように思えて居たたまれなくなる。思わず、すみませんと謝ってしまいたくなる言葉を、無理矢理飲み込む。

 一颯は、無言で立ち上がり、真鳥の側に並んだ。


「全権使を追います」


 一颯の言葉に、真鳥は「うん」と頷く。

 共に執務室を出る。


「もう館の外に逃げたでしょうか」


 真鳥は印を結び、小さく呪語を唱える。自分の術に呼応して、式が反応を返してくる。


「まだこの館にいるよ。さっきクナイと一緒に式を飛ばしておいたから、どこに逃げても分かる。最上階だね」


 近くにある階段に視線を送る。


 おそらくは財産などをできるだけ持って逃げるつもりなのだろう。

 どこまでも欲に溺れる男のその性根に、真鳥の中で、先ほどの一颯との遣り取りで生じたわだかまりさえ押し流され、生理的嫌悪が湧く。


 式のいる場所へと真鳥が走る。

 一颯が後を追う。

 階段を上る。

 目指す一番奥、使い込まれた黒胡桃の重厚な扉は、廊下の窓から差し込む朝陽を受けて、艶やかな光を放っている。

 真鳥が取っ手を回すが、内側から鍵がかかっているようだ。


「僕が開けま……」


 一颯が言い終わらないうち、真鳥の一蹴が重そうな扉を蝶番ごと吹き飛ばしていた。


 重い音と共に、扉が倒れる。

 中から、全権使の悲鳴が上がる。


「く、来るなぁ〜、誰か、誰かおらぬか! くせ者じゃ!」

「誰も来ないよ。オマエみたいな奴を守りたがる人間、この世にいないでしょ」


 真鳥が一歩詰め寄ると、ラケルタが一歩下がる。

 そして、自分が置いた大きなカバンに躓き、派手に転んだ。


 カバンの中からは、金や宝石、高価な装飾が施された剣などがざらざらとこぼれ落ち、色鮮やかに床の上を飾る。

 その中に、一つだけ相容れないものが混じっている。

 イーレの村にあったのと同じような、見た目はただ古いだけの黄ばんだ紙を束ねた本だ。


『みんなを殺したあいつらを……殺してやる!』


 どくんと心臓が鳴る。

 古文書を見た刹那、イーレの叫びが真鳥の耳に響く。

 イーレの誓いが胸を刺す。

 自分が無力だと嘆くイーレの涙が真鳥の理性を押し流す。

 

 真鳥はゆっくりと歩く。

 その一歩一歩に、イーレの、そして村の人々の祈りが込められているかのように感じる。


 火をつけて。

 肉を焼いて。

 残った骨を踏み砕く。


 復讐という名の祈りだ。


 倒れたカバンの前で腰を落とす。古文書を手に取り、無様に転がっているラケルタに視線を移す。


「よく溜め込んだね。これだけ持ってるのに、まだ足りないの?」


 真鳥の温度を失った声が、全権使の煌びやかな寝室に重く響く。ラケルタの顔が青く変色する。


「一颯、持ってて」


 背後にいる一颯に本を差し出す。一颯が受け取り、上着の中にそれを収める。


「そっ、それを、返せ! 儂のじゃ!」


 真鳥に怯えて震えているだけだったラケルタが急に身体を起こす。醜い弛んだ肉の付いた手を、一颯へ伸ばす。


 その姿には、今まさに流砂に呑まれようとしているのに、目の前の財宝をまだ掴もうとする愚かな人間の本性が、まざまざと現れている。

 一颯の目にも、どこまでも欲に溺れきった哀れな小者と映る。


 真鳥が、ラケルタの進路を塞ぐようにゆっくりと移動する。


「何、言ってんの? ウェルテクス村のクルスス家のものでしょ?」

「買ったんじゃ! 今は儂のじゃ!」

「本を預かっていた老人を殺して奪い取った、の間違いでしょうよ」


 ラケルタは、ようやく自分の状況を悟ったのか、目を見開いたまま真鳥を見上げる。


「た、た、助けてくれっ! なんでもする。そうじゃ、宝石をお前にやろう」


 ラケルタは自らの腕にはめていた紅い貴石のついた金の腕輪を差し出す。


「これは儂が東の国の外交官に貰ったもので、とても価値の高い石で」

「大切な物なんでしょ? オレなんかにくれちゃっていいわけ?」


 真鳥の軽薄な物言いをいいように勘違いしたラケルタが、冷や汗を垂らしながらも、我が意を得たりとばかりの笑みを浮かべる。


「も、もちろんじゃ。なんでも好きなものをやろう。金でも、宝石でも、女でも、欲しいものはないか?」

「欲しいものなら、あるけど」

「言ってみよ。儂なら叶えられるぞ」

「そう? じゃあ、お願いしてもいいかな」

「その代わり、儂をこの館から逃がしてくれるか」

「そうだねぇ」

「よしよし、望みはなんじゃ?」

「白ブタの丸焼き」


 ラケルタの顔に、疑問符が飛ぶ。


「拝金主義の白ブタは脂がのってるんだってね。生きたまま丸焼きがいいかな。白ブタに殺された村人たちも、きっと喜ぶと思うんだ」


 真鳥は冷たく美しい笑みを与える。

 ラケルタの顔が蒼白に塗り替えられる。

 一颯もまた、真鳥の冗談とは思えない物言いに焦りを覚える。左手の長刀を握る手に力がこもる。

 真鳥の声は、どこまでも低く、柔らかく絡み付き、罪人を締め上げる。


「オマエは、やり過ぎた」

「っぐ!」


 真鳥を見上げたまま、ラケルタが息を詰まらせ後退る。


 それは、ほんの一瞬の出来事だった。


 真鳥の足が、足元に散らばったラケルタの財産の中から、宝石や珍しい貝をふんだんに使い美しく細工された一降りの剣を蹴り上げる。

 美しい剣が光を散らしながら宙を舞う。

 まるで、真の持ち主を自ら選んだ如く、真鳥の手に収まる。

 真鳥の脚が、珠玉を蹴散らし、獲物に飛びかかる。


 ガキンッ!


 剣を持つ腕に、衝撃が走る。


 宝剣は先が折れている。

 折れた剣先は、全権使の顔の横を通過し、後ろの壁に突き刺さる。ラケルタは、汗と涙と涎を流したまま壁に身体を預け、意識を飛ばしていた。


 真鳥は、目の前にある美しい直刃文をゆっくりと辿り、その持ち主を見る。

 一颯の長刀だ。

 その刀と同じく、真っ直ぐな眼差しが、真鳥の心を支配していた行き過ぎの狂気を断ち切る。


 イーレの祈りの声が途切れる。

 張り詰めていた糸がふいに切れる。


 鋭く冷たい眼差しも、いつもの温度へと緩んでいく。


 真鳥は、折れた剣を見つめた。


「なまくらか」


 何のてらいもなく、手の中の剣を投げ捨てる。


「一颯、あとよろしく」


 そこに全権使がいることももう忘れたという体で、一颯をその場において、ぶらりと歩き出す。寝室に残された一颯に、普段のような真鳥のはぐらかした声が届く。


「先輩……っ!」


 一颯は真鳥の後を追おうとしたが、身体が許さなかった。

 左脚が力を失い、身体ががくんと傾ぐ。震える右手から愛刀が零れ落ち、開いた傷口から流れた新しい血が掌を染める。


「っつ」


 負傷した右腕に無理をかけ過ぎた。

 けれど本気で止めに入らなければ、真鳥の剣を受けた自分は大怪我もしくは致命傷を負っただろう。


 一颯の座り込んだ床のすぐそばに、真鳥の投げた剣が落ちている。その折れた切っ先を見つめる。


 あの人は、本当に全権使を殺すつもりだったのだろうか。


 全権使へのあからさまな嫌悪、ラケルタの首に噛みつかんばかりに注がれた鋭い視線、振り下ろされた剣のスピード、そのどれもが本気だった。

 まだ刀を受けたときのズシリとした感触が、痛みを伴い残っている。


 真鳥は、飽きたと言わんばかりに、呆気なく剣を投げ捨てた。


 あまつさえ、後を頼む?


「なんなんだ、あの人は……」


 訳がわからず、一颯は誰ともなしに呟く。

 真鳥の剣を受けた腕が、いつまでも痺れていた。




 一颯を置いて全権使の寝室を後にした真鳥は、背後の一颯が何かを言いかけたのに気づいていた。しかしあえてそれを無視する。


 一颯と会話する気分ではなかった。

 不愉快で、不快で、腹立たしかった。


 自分の本気の一振りを一颯が止めたことに、少なくないショックを受けたのも理由の一つだが、もう一つ、真鳥を苛立たせるものがある。


 俗悪な人間を目の前に、我を忘れていたことだ。


 彼が止めなければ、自分は全権使を殺していた。

 任務でもないのに、友好関係にある国の、仮にも全権使を、自分は殺そうとしていたのだ。


 その衝撃が、宝剣を握っていた右腕の痺れとともに、真鳥の全身にじわじわと広がっていく。

 右腕を押さえる。


「すごく痛い」


 廊下の窓から見えるオルトゥスの街は、まだ目覚めたばかりだ。

 全権使の館の中は、何が起こったかわからない役人たちが、右往左往する音が響き渡っていた。


今日もお読みいただきありがとうございます。

次話は明日(10/13)更新します。

よろしくお願いします。

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