対決(3)
夏の早朝。
その清々しい空気の中、オルトゥスの中心に立つ全権使の館の中は、混乱状態にあった。
館を守る衛兵たちは突然の侵入者に右往左往し、少ない人数で全権使の守りまで手が回っていない。
館に部屋を与えられた全権使の側仕えたちは、何が起こっているのかわからず、全権使を探す者、普段通りに厨房で朝食の支度を始める者、恐怖に駆られて逃げ惑う者が混在し、秩序も何もない。
全権使の秘書がようやく主を見つけたのは、執務室だ。
大広間からどうにか逃げ出た全権使は、まっすぐに執務室に向かい、ウェルテクス村の古文書を隠し棚から取り出していた。
「御前、何があったのですか」
血走った目の全権使はどう見ても機嫌が悪そうだ。悪いどころではなく、何かから逃げるような素振りである。
「避難が必要な状況なのでしょうか。館の者たちへの指示は……」
「うるさいっ! うるさいっ!」
問えば、罵声しか返ってこない。
全身から汗を流している全権使は古文書を抱えると、二階の執務室から三階の私室へと続く隠し通路へと入っていく。必死の形相でなにやらブツブツと言っているが、秘書の耳には聞き取れない。
狭い階段を、秘書が全権使の後を追う。
「御前!」
「もうここにはいられぬっ! 逃げなければ! わしは終わりじゃ」
「は? 逃げる? 何を仰っているのですか?」
「邪魔じゃっ!」
縋って来る秘書を全権使は体当たりで突き飛ばす。
秘書は「あっ」と声を上げ、階段を転げ落ちる。
「ご……御前!」
秘書の声はもう全権使には届かなかった。
真っ向から全力で斬りかかる真鳥を、臨也の刀が軽くいなす。
その反動を使って真鳥は臨也から飛びすさり、距離を作る。
臨也は一歩も動いていない。
その刹那、臨也の足下で起爆札が閃光を放つ。斬りかかったときに真鳥が仕掛けたものだ。
どおんという重い音に、割れたガラスの散る音が続く。
爆発の影響で煙が舞い、臨也の姿を隠す。
真鳥は臨也が身をかわしたであろう場所に向けて、クナイを放つ。
その二本が弾かれる音が聞こえる前に、真鳥は横に飛んでいる。
真鳥がいた場所をクナイが風切り音を立て跳んでいく。
パラパラと漆喰の壁が崩れる音が聞こえる。
割れた窓から、鳥の声と爽やかな風が入ってくる。
煙が流れる。
その中から臨也が現れる。
再びクナイを構えた真鳥と、左手に刀を携えた臨也。
真鳥は膝を軽く曲げいつでも動ける臨戦態勢であるのに対し、臨也は刀を構えるでもなくだらりと下げ、ただそこに立っているという対照的な姿だ。見る者が見れば、力量の差は明らかだろう。
「賢明ではないと言っただろう」
臨也の声は子どもを諭すようなそれに近い。
「そんなことはわかってるよ」
「ではなぜ無駄な時間を使っている? やるべきことは他にいくらでもあるだろう」
「無駄じゃないよ。少なくともアンタの実力は把握できたしね」
「で、どうなのだ? お前の評価は」
「言うまでもないでしょ。最初から本気で戦う気なんてなかったでしょ。めいっぱい手加減加さられてコレだし」
真鳥は指で自分の左頬を示す。
赤い線ができている。
臨也のクナイを躱しきれなかった証だ。
臨也がくっと笑う。
「やる気がないならさっさと逃げればいいのに。アンタこそ、なんでまだいるの? 爆発に紛れて消えるかと思ったのに」
「お前と少し手合わせしてみたかったから、かな」
「なんで疑問形?」
「俺にもよくわからない。ただ懐かしいだけかもしれない」
「懐かしいってだけで相手してくれるんだ。どんだけ好きなのよ、戦いが」
「別に好んでいるわけではない。お前のような若いやつにはまだわかないだろうがな」
「偉そうに」
臨也がふと上に視線を送る。騒々しい足音や物の落ちる音が聞こえてくる。足音からして全権使だろう。
「で、全権使をどうするつもりだ?」
「まだ決めてないよ」
「そうか。まあ好きにやるといい。俺はそろそろ行くとしよう」
臨也が真鳥に背を向けて、ガラスの割れた窓へと向かう。
真鳥は動かない。
いや、動けなかった。
背を向けていてなお、自分へと向けられている殺気に、動いたら終わりだと直感がそう告げる。
「バディは大切にしろよ」
「父の元を去ったお前が言うな」
「だからだよ。無くしてからでは何もできない」
「そんなの、言われなくたって」
「本当に?」
肩越しに臨也が振り返る。
真鳥を見る目は、かつて、父の旧友の男の眼差しだった。
どくんと鼓動が跳ねる。
自分と一颯の現状をすべて見透かされているかのようで、真鳥は小さくみじろぎする。
臨也が右手を挙げる。
「まあ会おう、八束真鳥」
真鳥が何か言う前に、臨也の姿は消えていた。
「はあ〜」
思わずしゃがみ込む。
言葉を交わしている間も、まったく気が抜けなかった。緊張が解けて、一気に汗が噴き出す。
「ま〜たく敵わなかった。あの歳でバケモンでしょ。まあわかっていたけどさ」
一人愚痴る。
そして、胸の中に燻る痛みに意識を向ける。
「ぜんぶ見透かされてたね、あれは」
一颯と真鳥の間にある見えない壁を、臨也には少しのやり取りの中で気づいていた。
「バディを大切にしろとか、お前は親父か」
自分の言葉にふと思い出す。
そういえば、父親にバディを大切にしろとは一度も言われなかった。よく言っていたのは、瑛至や祈織、そして臨也だった。父親よりもうるさく教育された。
真鳥の記憶が犬神によって消されるまで、瑛至や祈織が父親代わりだったからだ。
真鳥のバディである一颯の顔が目に浮かぶ。
『アンタじゃ足手まとい』
右腕の怪我もあったし、自分にも余裕がなかったし、全権使のこともあったから短くそう言ったが、その時の一颯の顔は、大切なものを壊された子供のような顔をしていた。
その顔が焼き付いて離れない。
「あ〜もう! なにやってんのよオレ」
両手で頭を掻きむしる。そのまま頭を抱えてうずくまる。
「わかってるけど、そんな簡単じゃないんだよ〜だ」
もうとっくに去った臨也に言ってみる。
もちろん答えは返ってこない。
真鳥の頭上からまた音がする。
全権使が暴れているのかもしれない。
「とりあえずこっちを終わらせないとね」
真鳥は一度だけ、臨也の去った窓を見つめる。
窓枠も壊れていて、ぽっかりと穴が開いている。
なぜ父の元を去ったのか。
それは聞けなかったけれど、どこかでまた会える気がする。
その時は、どんな立場で会うのだろう。
自分に臨也を捕らえることができるだろうか。
真鳥は父と臨也の影を振り払うように勢いよく立ち上がると、全権使の元へと歩き出した。
今日もお読みいただきありがとうございます。
次は明日(10/12)更新します。
よろしくお願いします。




