対決(1)
空が白む。
まだ、ほとんどの人がまだ微睡みの中にいる時刻。
人々を守るために与えられた権力、それを象徴するはずの全権使の館は、夏の朝の清々しい涼気の中でさえ、どこか澱んで見える。
内側から固く閉ざされた威圧感のある門を前に、真鳥と一颯が並び立つ。
「門が開くのは、九時。一般人を巻き込むわけにはいかないからね。それまでに終わらせるよ」
「はい」
「行くよ」
真鳥は軽やかに門の屋根に飛び乗る。
そこから見上げた全権使の執務室の窓には、すでに新しいガラスが入っている。
『儂の夢が、儂の金が……』
全権使の我欲にまみれた物言いを思い出し、真鳥の眉間に嫌悪を表す皺が刻まれる。
なぜこんな輩のために、臨也ほどの男が動くのか、真鳥には理解できない。
土師臨也。
この館のどこかで、自分たちを待っているだろう彼は、かつて、矢杜衆だった父のバディであり、そして友だった。
八束家を訪れた臨也は、父と並んで縁側に座っていた。
その光景をよく覚えている。
彼は、時に静かに、時に明るく語っていた。
矢杜衆という仕事の内容を良く知らなかったその頃の自分でも、二人の間に存在している何かを、感じていた。
それが何かを知ったのは、一颯と出逢ってからだ。
強い絆で結ばれたその二つの背に、憧れた。
なぜ、あなたが……
真鳥は、かつての臨也の面影を振り切るように、小さく首を振る。
そしてもう一度、全権使の室を見据える。
ラケルタ・カウダ。
邪欲により、元・矢杜衆に、罪もない村人を焼き殺させた男。
欲のために人を殺めることに何も感じないその捩れた心と、矢杜衆の名を汚したことに対する、ラケルタへの冷たい怒りが、真鳥の体内を駆け巡る。
街が起きる頃には、オマエは終わりだよ。
明るい太陽の下に、その醜い姿を引きずり出そう。オマエを信じている民人の前に、その汚い全身を曝してやるよ。
真鳥は胸の内側に想いを強く刻みつける。
その真鳥の横顔に、ほんの一瞬浮かんだ笑みを、一颯は見逃さなかった。
ぞっとした。
誰かが笑うのを見て、鳥肌が立ったのは初めてだった。身体が竦み震えが走る。矢杜衆となって、初めて人を殺めたときの感覚に似ている。
きっと誰にも、信じてもらえないだろう。
八束真鳥の中に、こんな暗い影があったとは。
たとえ無抵抗の者でも、平気でいたぶることができる、そういう人なのだと直感的に理解した。
そう思わせるに十分なほど凶悪な笑顔だった。
この人は、全権使をどうするつもりなのか。
一颯が、問おうとしたとき、見回りの警備隊員二人が、ちょうど館の影から現れる。
「お前たち、何者だっ!」
「そこで何をしているっ!?」
ピーッという甲高い笛の音が、寝静まる館の周囲に響き渡る。
「あらら、もう見つかっちゃった。静かに行きたかったんだけどね〜」
真鳥はもういつもの表情で、ほつれ零れていた前髪の一房を、かき上げ戯けてみせる。
常とは逆の右腰に装備された愛刀を、一颯の左手がすらりと引き抜く。その動作には少しの淀みもない。
「殺さないでね」
「解ってます」
その言葉、そのまま先輩に返しますよ、とは言えず、一颯は門から飛び降りる。
光る切っ先が、舞を舞うように優雅に流れる。
二人の男は、一声を発することもなく、膝を折り静かに崩れ落ちる。
「両方使えるって便利だね。いいなぁ」
羨ましそうな声とともに、真鳥が門から降りてくる。
「良いとか悪いとかの問題では……。それに先輩も両手を使えますよね」
「たしなみ程度だよ」
真鳥が笑う。
警笛を聞きつけてか、あちこちの窓に明かりが灯る。
正面の戸ががらりと開き、警備の者と思われる装備をつけた男たちが、転がるように飛び出してくる。
「先輩」
「鍵を開ける手間が省けたね。せっかく開けてくれたんだから、正面から行こうよ」
真鳥は笑顔のまま、正面玄関へ向かってまっすぐに歩き出した。
「来たか」
薄暗い大広間の窓際の床に、黒い外套を纏った男が壁に背を預け座っている。
それまで微動だにしなかった男は、警笛よりも前に、二人の矢杜衆の到来に気づきゆっくりと腰を上げる。館の中が、俄に騒がしくなる。
「臨也様!」
広間の扉が勢いよく開かれた。
「わかっています。全権使殿は私がお守りする」
「お願いしますっ! 我々は、できるだけ下で食い止めます!」
体格だけは人並み以上の警備隊長は、入ってきたときと同じく、騒々しく広間を去っていく。閉まりかけの扉の向こうから、号令や怒声、悲鳴がいくつも束になって聞こえてくる。
「ここももう、終わりだな……」
そう呟いた臨也の声が警備隊長に届くことはない。
ふいに、臨也の口元が緩む。
「私がお守りする……か」
よくもそんな嘘がさらりと口から出てくるものだ。
臨也は、自分の言葉に肩を揺らして笑う。
臨也にラケルタを守る気などさらさらない。
ラケルタには、前の雇い主の紹介で仕えることになっただけだ。世話になったその人への恩返しのつもりでラケルタの元へやってきた。
ラケルタが金に汚い男であることは、すぐにわかった。前の主人がなぜこのような卑しい者と繋がりがあったのか、自分には分からない。
けれど、ラケルタの性根など、どうでもいいことだった。
元・矢杜衆として、常に祖国から追われる身である自分は、これまでも生きのびるために、どんなことでもやってきた。
矢杜衆を抜け、イカルを去るとき、人としての心は捨てると決意した。
必要とあらば、命令一つで、簡単に人を殺すことができる。
ラケルタのような腐った輩の命など、どうなろうと構わない。
矢杜衆の二人が来た時点で、三人の部下たちがもうこの世にいないことはわかっていた。
義理は尽くし、報酬以上の仕事はした。
もうここにいる意味はない。
ラケルタの所業が表に出れば、すぐに首都エルカから役人たちが押し寄せるだろう。逆に、自分の身が危うくなる。
このまま去ればいい。
消えるなら、今だ。
わかっていながら、臨也はまだ動けずにいる。
思い出の小さな欠片が、臨也をここに縛り付けている。
最初に村を焼いたあの日、村長の家で、自分に向かいクナイを投げつけた男。
まだ若いその男の涼やかな目元に見覚えがあった。
臨也の中で、とうに捨てていたはずの過去が、その眼差し一つで揺り動かされた。
あれから三日。
臨也の中で、記憶は巡る。
もう一度、あの男に会えば、わかるだろうか。
懐かしい友の面差しによく似たあの青年が誰なのか。
「臨也!」
臨也の背後の扉が、荒々しく開く。
臨也は、声の主の正体を分かっていながら、敢えてゆっくりと振り向く。
「御前」
いつものように、膝を付き、礼を尽くすことはなかった。
ラケルタは、そんな臨也の変化にも気づいていないようだ。
「一体、何の騒ぎだっ!」
「例の矢杜衆二人が館に侵入しました」
臨也は、なんの感情も含めず、淡々と事実を告げる。
「なんだとっ!」
「どこかで御前のことが漏れたようです」
「ま、まさか、マイカの仕業かっ!」
こういう時だけ、この権力者の頭の回転は速い。それも都合のいいように回るのだから、おもしろい。
臨也は、心の中だけで元主人を嘲笑する。
「おそらくは」
ラケルタの顔が、みるみる真っ赤に膨れあがる。
「あの女! 見つけたら、皮を剥いでやる!」
「次に会うまで、御前が生きていれば、ですが」
「……?」
ラケルタは、臨也の言葉の意味を取れなかったようだ。
長身の臨也を、ぽかりと口を開いたまま見上げている。
「マイカは御前を失脚、あるいは暗殺するつもりで近づいたのではないかと思います」
「な……なに……?」
騒動で起きたばかりなのだろう。寝間着の裾をぎゅっと握りしめる。
「そこへ都合良く矢杜衆が現れた。彼らが動けば、御前のやったことはすべて公になり、放っておいても自滅する。あるいは、正義の味方面した矢杜衆が御前を片付けてくれる。マイカの考えそうなことは、そんなところでしょう」
「ああ?」
ラケルタの身体が、怒りと恐怖にわななき始める。
震える両手を、まるで子どものように臨也に向けて差し伸べる。
「……お、お前は……儂を助けてくれるんじゃろうなっ? 矢杜衆から守ってくれるんじゃろうな? おまえだけは、儂を」
ラケルタのふくれた指が、臨也の着物を掴む。
それを見下ろす臨也の冷たい眼差しが、言葉なくともラケルタの問いに返答する。
「御前」
底冷えするような凍えた声に、ラケルタは掴んでいた臨也の服を離し、尻餅をつく。
臨也がラケルタへと、身体の向きを変える。
ラケルタは、訳のわからない声を発して、扉の方へと躙り寄る。
臨也は、無様な主人の姿を見下ろし、そしてゆっくりと頭を下げた。
「お世話になりました」
「い……いざ……や」
その顔が上がったとき、臨也の目にラケルタは欠片も映っていなかった。
右手に並ぶ窓辺へと向かう。
そして、今まさに広間の扉を開けんとする、二人の矢杜衆を迎えるべく、窓を背に扉へと向きなおった。
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