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再挙

「せ……んぱい」


 擦れた声が真鳥を呼ぶ。


「一颯。目、覚めたの?」


 真鳥はランタンの明かりの元、開いていた本をそっと綴じる。身体を起こそうとする一颯を手で制す。


「そのまま。毒は中和してあるから大丈夫。オマエならすぐ動けるようになるよ。ただし右腕は使用禁止だからね」


 一颯は身体を横たえたまま、自分の身体を確かめる。

 最初の二人を相手にしたとき右腕に深手を追い、三人目の敵からは左大腿部に毒の刃を受けていた。身体を動かすと、あちこちに痛みが走る。けれどすべての傷は丁寧に手当され、毒による痺れはだいぶ回復している。化膿止めも飲まされたのだろう。発熱もそれほどひどくはない。

 一通り身体の確認を終えた後、一颯は、改めて周囲を見回す。


「ここは、どこです?」


 建物の中ではない。

 ランタンの照らす範囲に人工物は見えず、人の手によって刳り貫かれたような凸凹な岩壁に覆われている。微かに感じる空気の流れから、入り口と出口があることはわかる。


「社の裏にある禁足地の入り口辺り」

「禁足地?」

「半分くらい社が焼けちゃったからね。寝るとこないから入り口の辺りだけちょっと借りてるんだよ。神様に」


 一颯は少しだけ首を動かし、改めて周囲を見る。

 動かせない右手の側が入り口だ。トンネルの形に切り取られた闇があり、蛙の鳴き声や木々のざわめきが聞こえる。とっくに陽は落ちたらしい。

 左手側は、ランタンの灯りの届く範囲内でも、いくつかに分岐したり、横穴が掘られているのが分かる。そしてそれぞれの穴は、きちんと木枠で補強されている。明らかに鉱山の体を為している。


「ここが……?」

「うん。禁足地。つまり神さまの場所。ってことにしておけば、土地神信仰の強いアカギの人なら、絶対に近寄らないだろうからね。実際には古い金鉱だね」

「村の人は?」

「無事だよ。奥で眠ってる」


 一颯はほっと小さく息を吐き出す。

 そして、緩めた口元を引き締め、眉根を寄せて軽く瞼を閉じる。


「どうしたの?」

「……すみません。村の人を守ると約束したのに……」


 真鳥が村に到着したとき、社はまだ燃えていた。

 空へと続く黒煙の柱を見たとき、真鳥は、自分の行動の迂闊さと愚かさを後悔した。

 これが矢杜衆の任務なら、敵の総力さえ見えないあの時点で人手を分散させたのは、リーダーである自分のミスだ。

 正当な任務ではないという僅かな緩みがどこかにあったのか。敵に矢杜衆がいるのかもしれないと判っていながら、万全の策を講じるところまで頭が回らなかった。

 最悪の事態を頭に描いた。


 けれど、社のそばに横たわる死体の中に、一颯はいなかった。


 男たちは焼け残った農具や猟銃などを手に、禁足地に近い社周辺の見張りをしていた。女たちは、火を焚き湯を沸かし、てきぱきと食事の用意を始めていた。時折、僅かだけれど、笑い声さえ混じっていた。男の一人が、真鳥を一颯の元へ案内してくれた。

 ほんの一日足らず離れていたその間に、絶望の淵に沈んでいたウェルテクス村の人々は、その顔つきや雰囲気を変えていた。元通りというわけにはいかないが、そこには明らかに生きる希望が生まれていた。


 イーレに付き添われぐったりと横たわる一颯を見つけたとき、嗚呼と言葉にならない声が漏れた。


 何があったかをイーレが話してくれた。

 一颯が敵二人を倒したこと、最後の一人はイーレが囮になり気を逸らせている間に、この村の猟師である老人が銃で撃ち抜いたと聞かされた。


 村人たちにそんな力があったことに驚いた。

 一颯が生きていてくれたことに安堵した。

 そして、自分の安易な行動が、一颯を死の危険に晒したことを激しく後悔した。


 もし、あの臨也がここに来ていれば、今頃、一颯は村人と共に確実に死んでいただろう。

 一颯の腕や耳に宛がわれた消毒布が、真鳥の落ち度を見せつける。


「オマエはちゃんと約束を守ったよ」


 村人たちを救ったのは一颯だ。


「でもあの老人方がいなければ僕は殺されていました」


 一颯は真面目だ。

 自分に対する評価が厳しい。

 真鳥を見上げる一颯の眼差しには、最後まで村人を守り切れなかったという自責の念が有り有りと含まれている。


 そんなことない。


 そう言って否定するのは簡単だろうけれど、一颯は自分を責め続けるだろう。


 責められるべきは、自分だ。

 一颯は全力を尽くした。

 村を頼むと言った真鳥の言葉に誠実に。

 三人の敵を前に、絶対的に不利な状況にもかかわらず、自ら切り込んでいった。

 そして、傷を負い、膝を突いてなお立ち上がろうとした。

 そんな一颯の姿が、イーレを、そして村人たちの心を動かしたのだろう。家と家族と仲間を失い、喪心と慟哭の中にいた人々が、ようやく自我を取り戻した。自分で考え、武器を手に、自らの力で立ち上がった。


 そんなこと、オレには一生できないね、きっと。


 真鳥は手を伸ばし、一颯の額に手を当てる。

 その綺麗な瞳で、今の自分を見られたくなかった。

 

「ほんとにすごいよ、オマエは」


 真鳥は、自分の中の感情を一切、表に出すことなく、穏やかに笑ってみせる。


「オマエが守ったんだ」


 一颯は、頬の痛みに眉を寄せながらも、小さく微笑む。


「先輩、手が冷たいですね」

「オマエの熱がまだ下がってないだけでしょ」

「そうでしょうか」

「そうなの」

「あの、イーレは無事ですか?」

「うん、怪我一つないよ。ずっとオマエの看病をしてくれてた。今は寝てるけど」

「そうですか。彼にもお礼を伝えなければ」


 一颯らしい言葉に、真鳥がふっと微笑む。

 一颯とゆっくり会話ができているのを、とても久しぶりだと感じる。

 たった三日前には、任務開けの休暇で街道をのんびり歩きながら、沢山の言葉を交わしていたというのに。

 その時のことがもうずっと前のように思える。


 やっと取り戻した一颯との時間を、もう少しだけ引き延ばしたい。

 そんな我が儘に囚われそうになる。

 真鳥は一颯から手を離すことで、自分の中の想いを振り切る。


「先輩?」

「一颯」


 その声音が変わる。

 小さいだけではなく、それは冷たく重かった。

 真鳥の声質の変化に呼応して、一颯の表情が引き締まる。


「敵の一人に矢杜衆がいる」


 真鳥は、少しだけ一颯の方に顔を寄せ、そう告げる。


「僕も刀を合わせたときに確信しました。矢杜衆の太刀筋に良く似ていましたから。でも、やはり矢杜衆がこんなことをするとは思えません」

「うん、それも正解。正しくは、元・矢杜衆だ」

「矢杜衆を抜けた者ということですか? どうして判ったんです?」

「オルトゥスでいろいろ調べているうちにそいつの名前が出てきた」


 真鳥がその名を聞いた状況は分からないが、名前を聞いてそれが元・矢杜衆であることが分かるということは、イカルを抜けた矢杜衆を追う任務に就いたことがあるか、あるいは元々知り合いだったか、そのどちらかだ、と一颯は考える。


「その人を、知っているんですね」


 一颯が見上げた真鳥の表情は堅く険しい。


「土師臨也」


 真鳥の口からその名が伝えられる。

 一颯の知らない名前だった。


「リストで見たことがあるだけ。抜けた矢杜衆を追う任務もしたことがあるからね」


 真鳥はマイカという謎の女との接触も、臨也とは旧知であることも、一颯に話さなかった。

 ただ、元・矢杜衆の現在の雇い主である者の名を告げる。


「全権使が? 民を守るべき者がどうして?」


 さすがに一颯の顔色が変わる。


「ある種の人間にとって金ってのは、どうしようもなく魅力的なんだろうね。そういう奴らは、金の力を良く知ってる。桁違いの額が目の前にぶら下がってるんだ、最低限の倫理さえ見えないふりくらいはするだろうね。というか気にならなくなるという方が正しいかな。心が折れて人の道を踏み外す奴らの方が、まだ理解しやすいよ、オレはね」


 静かな口調だった。

 けれど一颯は、そんな風に語る真鳥の中に、強く固められた決心を見る。


「決着をつけに行くんですね」


 真鳥はただ表情を緩める。

 けれどその柔らかな表情の奥に、ぞっとするほど冷たい流れがあることに、一颯は気づく。


 何故だかこの人を一人で行かせてはならないと、思った。

 一颯は、ゆっくりと身体を起こし、真鳥と目線の高さを合わせる。


「僕も行きます」


 胸の内側でさざめく不安に駆られてそういうと、「心配しないで。オマエを置いていくつもりはないよ」と真鳥は一颯の頭をぽんと軽く叩く。


「相手は元・矢杜衆。イカルを抜けてから、おそらくはその能力を生かし、あちこちで傭兵としてやってきたはずだ。その能力は衰えるどころか、さらに磨かれているだろうね。あの訓練された三人を見れば解るよ。そんな奴が待つところへノコノコ一人で行くつもりはないよ。戦力を渋ったら負ける」

「戦力になるかどうかはわかりませんが……」


 一颯は右腕を押さえながら言う。


「オマエ、左でも刀、使えるよね?」


 一颯の能力については、完全に把握している、という顔つきだ。負傷していても、自分がどこまで戦えるのか、真鳥は確信を持っている。

 ならば、自分が説明するまでもないと、一颯は無言で頷く。

 残りの心配は、自分たちが発った後の村人たちだ。


「村はどうします? 他にもまだ敵がいるかもしれない」

「奴の部下は外にある三人で全部だ」

「その人もこの村に来るのでは? 入れ違いになったら」

「ならない。あいつはオレたちが来るのを待っているだろうからね」


 どうしてわかるのか。

 一颯は、湧き上がる疑問を胸の内に押しとどめ、問うことはしなかった。

 真鳥の中には、既に戦いの図式が描かれているのだと一颯は確信する。

 リーダーが心を決めたならば、それに従うまでだ。


「いつ発ちますか?」


 一颯が問う。


「すぐにでも。と言いたいところだけど、身体はどうなの?」

「大丈夫です。いけます」


 一颯の答えは簡潔だった。


 二人は矢杜衆の戦闘服を身に纏い、闘いの装備を調える。


 禁足地の外は星明かりのみ。

 月はまだ山の端にあり、雲に隠されている。

 二人は闇の中に足を踏み出す。

 小さな影がその二人を追う。


「待って!」

「イーレ」

「僕も連れてってください! 自分の目で確かめたいんですっ! もし全権使が……その話が本当なら、僕はっ……」


 真鳥たちの話を聞いていたのだろう。

 闇の中でも、その瞳が熱を放ち、一颯たちにぶつかってくる。

 一颯は屈み込んでイーレと視線を合わせることはしなかった。身体は小さくても、村の仲間を守るために、考え、そして行動した。村人たちは、この小さな村長へと心を寄せ再び纏まり始めている。

 彼は、短い間に、そんな風に変化している。


「君にはこの村と村の人を守るという役目がある。長が簡単に村を離れてはいけないよ」


 イーレは祖父の姿を思い出す。

 どんなときも、村の人たちの話を静かに聞いていた祖父。

 有事の際に走るのは、イーレの父親や村の中で信頼された者たちだ。祖父はいつもこの村で待っていた。彼らの帰りと朗報を、いつまでも辛抱強く待っていた。「大丈夫じゃ」と微笑みながら……。


「あの本を返して貰ってくるよ」


 真鳥と一颯の姿が、まるで闇に溶け込むように消えていく。


「一颯さんっ!」

「必ず戻る」


 一颯の落ち着いた声だけが、イーレの耳に優しく届く。

 村人たちは二人の青年が戦いに赴いたことにも気づかず、疲れた心と体を禁足地の清涼な気に委ね、静かな眠りの中にいる。


 静寂の中、イーレは二人の矢杜衆が向かった先を、いつまでも強い瞳で睨み続けていた。

サラッと真鳥は一颯に、左手で闘えるでしょ!

と言ってますが、両手利きなのは一颯の努力の賜物です。

長刀を左右どちらでも使って闘えるというのは、案外、難しい事なのです。

長い刀ですから。

でも、記憶を失くす前の一颯は、片手が使えなくなったとき、真鳥の足で纏いにならない方法を考えて、両手どちらでも闘える様に訓練しました。

その位しないと、真鳥は自分をバディとして選んでくれないという思いがあったからです。


勿論、それだけで両手利きになったなら真鳥は呆れると思います。

が、両手利きである事で、危機を脱した事も数多くあり、今回の真鳥の信頼も過去の経験から来ています。


今日もお読みいただきありがとうございました。

次の更新は明日(10/8)の予定です。

よろしくお願いいたします。

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