急転(2)
全権使の館は、居住スペースだけでなく、執務室や市民の窓口を兼ねる事務部分が併設されていることが多い。この為、大抵は町の中心部に位置している。
オルトゥスの全権使の館は街の中心に、その貫禄を見せつけるように建っている。
館の周囲はぐるりと高い塀に囲われている。館も塀も、施された漆喰にはひび割れ一つなく、黒い木の柱がしっかりとその建造物を支えている。
アカギ国から戦いが消えて久しいが、もし戦いが起これば、ここは屈強な砦となるだろう。その要素があちこちに見て取れる。
真鳥は、近くの建物の屋根に身を隠し、館の全容を探っていた。
門番は、表に四人、裏に二人。庭を定期的に周回する警備は二人組。
平日の今日は、窓口へと向かう一般市民や外国人の出入りも多い。全権使の下で働く事務官もかなりの数がいる。
この時間ならば、全権使は執務室にいるだろうけれど。
こんな真っ昼間から忍び込むのは、無理か。
でも夜まで待っている時間はない。
ならば、正面から入るのみ。
戦略と呼べるほどのものではないが、簡単な策をたててから、真鳥は腰をあげる。
「?」
ふいに、真鳥の鋭い視覚と聴覚が、窓の一つに引き寄せられる。
室内に書類が飛び交っている。
恰幅の良い男が一人、部屋の中の物を投げつけては、何かを叫いている。
派手な音と共に窓ガラスが割れる。銀の皿が、夏の陽光をぎらぎらと弾きながら、庭へと落ちていく。
ちょうど庭を巡回していた警備の者が、落ちてきた銀の皿を拾い上げ、窓を見上げる。
「マイカはどこじゃっ!」
「も、申し訳ありませんっ!」
「聞き飽きたぞ! 誰ぞ、知らぬのかっ!」
割れた窓から、怒声と悲鳴と物の壊れる音が、立て続けに真鳥の耳に届く。
「全権使様」
「なんじゃ!」
部屋の内側の方を向いているので顔は見えないが、あの恰幅のよすぎる朱い長衣を纏った者が全権使らしい。
あいつが?
予想していた全権使のイメージからは、大きくかけ離れている。
一目で小者だとわかる。ああ言う手合いは、賄賂くらい平気で受け取るだろう。
真鳥は、小さな虫の形をした式を飛ばす。式を通せば、怒鳴り声以外の会話どころか、まるでその場にいるように状況が術者に届く。
「昨夜、マイカ殿を見たという者がおりましたので、連れて参りました」
「いつ見たのじゃ!」
「は、はいっ。昨夜は夜番だったのですが、夜中の十二時を過ぎた頃、マイカ様が一階の事務室にいらっしゃって、この触れを出すようにと。全権使様のご指示ですと、仰られて」
「触れ? 儂は触れなど出しておらぬ!」
「こっ、これにございます! 全権使様の御朱印もここに」
余りの剣幕に、若い事務官が縮み上がる。必死の思いで震える手で差し出した書類を、全権使は引ったくる。
全権使の顔が、みるみる引きつっていく。
「な、なんじゃ、これは! ウェルテクスで伝染病じゃとっ! お前! これをどうしたのじゃ!」
ウェルテクスという言葉に、真鳥はぴくりと反応する。
「あ、あああの、今日の午前中までに各地に知らせを届けよと、伝染病だから村の閉鎖は一刻を争うとのお達しだったので、すぐに配布を……」
がっ!
鈍い音がした。
「っぐあぁぁ!」
事務官が顔を押さえて床を転がる。その顔から血がどくどくと流れ出す。式はその臭いまでも、真鳥に伝えてくる。
「御前! お止めくださいっ!」
全権使がなおも手にした燭台で事務官に殴りかかろうとするのを、事務官とは違う制服を着た男が止めに入る。
「止めるなっ! こやつめ、何をしたかわかっとらんのじゃっ! あの村は、儂の、儂のっ!」
「御前、そのことは、表には内密でございますっ!」
「黙れっ! マイカめ・・・あれ程、目を掛けてやったのに余計なことをしおってっ! 儂の夢が、儂の金が……」
全権使の声が怒りの余り震え、最後はうめき声になる。
それを耳にした真鳥の背を嫌な汗が流れる。
朝一でオルトゥスにある矢杜衆出張所を訪れ、この付近における矢杜衆の任務内容を確認した。杜仙という立場ならば、任務の内容は簡単に閲覧することが可能だ。
逆に、それを知らなければ、活動範囲が重なった場合の対処ができない。隊長クラスの者は、自分の任務地の付近で何が行われているか、知っておく必要があるのだ。
調べた結果、今、オルトゥスに矢杜衆が派遣されたという任務はなかった。
エルカに薬品を届けに行った者がいるが、それは自分たちだ。
それ以外に、この辺りに矢杜衆の気配はなかった。
つまりあの襲撃は矢杜衆の技術を持った矢杜衆以外の者の仕業と言える。
そういう者がいるとすれば、イカルを抜けた矢杜衆しかいない。
彼らは用心棒や傭兵として他国に重宝されている。相当な金を要求されるが、元・矢杜衆なら、それに見合った仕事が可能だからだ。
「全権使が私利私欲のために村を焼かせたっていうのか……?」
思わず、声にしていた。
全権使とは、アカギの国王に代わり地方を収める者。
その土地を、そこに住む人々を守る存在。
それが、こんな奴だというのか。
真鳥はふらりと屋根から舞い降りる。
デニムのポケットには、クナイを握った左手が隠されている。
その眼差しを館の割れた窓に注いだまま、真鳥は溢れ出した衝動のままに歩き出す。
真鳥の目に、あの村で見たことが鮮明に甦る。
村長の家を焼く業火。
我が子へと伸ばされた母親の手。
村人たちの慟哭。
イーレの叫び。
行き場のない怒りと憤りは、今、真鳥の手の中にある。
大通りへと出る。
その一歩を踏み出したところで、背後の気配に気付く。
真鳥は反射的に、背後に迫る人物の喉元にクナイを突きつける。
女だった。
年齢にして三十代の、髪をきっちりと結い上げ、異国風のベールを頭から被っている。
自分の頸動脈に刃物を突きつけられている状況だというのに、うっすらと笑みを浮かべている。全く怯む様子がない。すみれ色の瞳が妖艶に瞬く。
「そんなに殺気立ったままじゃ、すぐに見つかるわよ、矢杜衆の坊や」
「!」
「ダメよ。人混みでそんな危ないものを振り回しちゃ」
女の白い指がゆっくりと動き、真鳥の手からクナイを奪う。
女は真鳥の腕に自分の腕を絡めると、そばにあった商店のウィンドウへと真鳥を促す。傍目には仲睦まじい二人が店先のディスプレイを見ている、そんな風景だ。
真鳥の険しい双眸が、ウィンドウに映る女を睨み付ける。
「あなた、ウェルテクスから来たのでしょう? あの村を見たのね」
真鳥は答えない。
「お察しの通り、村を焼いたのは、あの男、ラケルタ・カウダよ。ウェルテクスの金脈を狙っているの」
女は表情一つ変えない真鳥の顔を、面白そうに伺った。
「もう何もかも知っているって顔ね。さすが矢杜衆だわ。欲しくなっちゃう」
ベールの中でふふっと笑う。
往来で人の目もある中では、手荒なこともできない。
すべてを知っていそうなこの女に、今は合わせるしかないのか。
真鳥は小さく息を吐く。
「あなたはまだ若すぎるわね。感情が溢れ出ているわ。大切なものを、まだ沢山持っているのね」
真鳥は、周囲から不自然にならない程度に、女の手を振り払う。
「……何者だ」
「やっと口をきいてくれたのね。嬉しいわ。ここではマイカと名乗っていたわ」
マイカ?
全権使の口から幾度も叫ばれた名だ。
「全権使の元にいたようだが、なぜ奴を裏切る真似をした?」
「裏切る? 元々、あんな下衆の手下になったつもりは無いわ。それにそろそろ潮時だから」
「どういう意味だ」
「矢杜衆が二人も来ちゃったんだもの。あの人はもう終わりよ。さすがにやり過ぎたわ。そんな男に付いていても何も良い事はないでしょう? 羽振りがいいから、ちょっと長居しちゃったけど」
「何が目的だ」
「ラケルタのところにいた事? それとも、あなたを止めた理由?」
真鳥にしな垂れかかりながら、マイカは戯けた様に問いかける。
「両方」
真鳥がそっけなく答える。
「そりゃあ、お金とか、良い暮らしとか?」
マイカの答えは、そんなものに興味も価値もないと言っている様に聞こえた。
「でもあなたを止めたのは私の趣味みたいなものかしら。舞台の幕引きにはまだ早すぎるわ。もう少し楽しませてくれないと、ツマラナイでしょう?」
底の見えない笑みをマイカが浮かべる。
「ふふふ、矢杜衆同士の戦い……面白そうじゃなぁい?」
ウィンドウに映る真鳥の表情が、ぴくりと反応する。
「村で会わなかったかしら? 元・矢杜衆に……」
村が火を噴いたあの日。
クナイを弾いた男。
矢杜衆にしかできない術。
マイカのもたらした情報は、真鳥の確信をさらに裏付けし、すべての筋が通るシナリオを描き出す。
この女の言葉を全て信じることは出来ないが、全て否定する事も出来ない。
けれど、かつて矢杜衆と名乗っていた者が、村人を焼き殺したというのか?
そんな事を信じたくはなかった。
マイカは、真鳥に頭を整理する時間をたっぷりと与えた後で、こう言った。
「臨也、という名前に聞き覚えはないかしら?」
真鳥の心臓の鼓動が、一つ飛び跳ねた。
まさか、土師臨也?
自分の知っている臨也なのか?
全権使の命とはいえ、あの人が村人を焼き殺したというのか?
抑えられない衝動が、真鳥を動かす。
「今は、止めておきなさい」
今にも館に向けて走り出しそうな真鳥の身体を、マイカの手が引き留める。
「見ず知らずの人に指図される謂われはない」
「村がどうなってもいいの?」
「!」
「昨夜、あの人の部下がウェルテクスへ向かったわよ」
「その言葉を信じる理由がない」
「そうね、でも私は、ラケルタの存在が目障りなの。この世から消して欲しいくらいにね」
ベールの向こうのマイカは、これまでとは違うぞっとするほど冷たい色を発している。
この女は……
「それが本当の目的か?」
「さあ、どうかしら?」
マイカの目から凍るような色が消える。
艶めかしく目を細め、真鳥を見上げて笑う。
「失礼する」
「待って、忘れ物よ」
マイカは踵を返した真鳥の腕を引き寄せ、そのポケットにクナイを押し込む。
そして唇をその耳元に寄せる。
「また会いましょう。銀の髪の矢杜衆さん」
甘い声と匂いを残し、マイカは真鳥の元を離れる。
その姿はすぐに人混みに紛れ、見えなくなる。
真鳥は、もう一度だけ全権使の館を見上げる。
ここに元凶がいる。
そして臨也もいるのかもしれない。
でも今は……。
今すぐにも踏み込みたい気持ちをぐっと抑えつける。
館から視線を外し、歩き出す。
「一颯、無事でいてくれ……」
真鳥は逸る心を抑え、ウェルテクスを目指し駆け出した。
更新、遅くなりました。
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