急転(1)
ウェルテクス村から東へ、徒歩で半日の距離に、オルトゥスはある。
アカギ国で四番目に大きい地方都市だ。隣東の国との入り口として栄え、交通と貿易の要である。珍しい品々が店や市場に並び、行き交う人種も様々だ。
早朝、オルトゥスに到着した真鳥は、朝靄に包まれた町が起き出すのを、古い商館の屋根上から見つめている。
オルトゥスに着くまでの間、真鳥の心を占めていたのは、イーレの叫びではなく、「気をつけて行ってきてください」と見送ってくれた相棒の顔だった。
真鳥は、本来、矢杜衆としての規則などあまり気にする性格ではない。規則だからという理由を持ち出して、村人を想う一颯の願いをねじ伏せた。
理由なんて、本当はなんだって良かったのだ。
自分の中でも説明がつかない何かが原因であることは分かっていたが、そんなあやふやなものを理由に、一颯を説き伏せる自信がなかった。
規則を振りかざし、上官としての立場を利用した。
それなのに一颯は、イーレの為だったのかと、言った。
誤解であり、買いかぶりだ。
業火の中でクナイを弾いたあの男に出会ってから、募っていく正体不明の不安。矢杜衆を示唆する痕跡が見つかったとき、それは一気に膨れあがった。
矢杜衆として培った勘だ。
見たくもない未来がやってくるかもしれない。
だから、この件に関わるな、と。
関わらない理由はいくらでもあった。
それらが真鳥一人の自分勝手な思惑であるとわかっていた。
それなのに、一颯は何もかも解ったような顔で、何一つ問わずに、自分を送り出した。「待っています」と。
八束真鳥を忘れる以前の一颯なら、真正面から問い詰めてきただろう。納得できる理由もないのに、引き下がるような御しやすい性格ではない。
今の一颯が、自分をどう理解しているのかはわからない。でもそれは、明らかに間違った自分だという確信がある。
「オレはそんなにいい人じゃないよ」
一颯の中で勝手にできあがっていく出来の良い自身の姿に戸惑い、思わず口に出てしまう。
そう言えたらいいのにと思う。
一颯の幻想の自分をめちゃくちゃに打ち砕いてしまいたいのに、本当の自分を晒して一颯に嫌われるのが怖くて、否定すらできずに、オルトゥスまでの道を走った。走りながら、わけの分からない焦躁に追いかけられていた。
抱えた膝の上で小さく嘆息する。
ふいに光がオルトゥスの街を包む。
一日の始まりだ。
目映い朝の陽光に、街全体が金色に染まる。そこにある家や道や荷馬車や人々、ぜんぶを塗り替えていく。真鳥の中に燻る想いも一緒に、初夏の太陽に飲み込まれていく。
すっと立ち上がり、軽く伸びをする。
気持ちを切り替える。
行き先は、すぐそこだ。
焼け跡で矢杜衆の結界札を見つけたときから、すぐにでも確かめておきたかったことがある。
真鳥の中に燻る不安の一つ、まずは矢杜衆との関わりをはっきりさせる。
あの襲撃が矢杜衆の任務ではなかったとしたら……。
自分が取るべき行動の先は、まだ見えない。
しかし、あまり時間がないことも確かだ。
ウェルテクスは、小さな村といっても、アカギ国首都エルカへの街道沿いに位置している。交易都市オルトゥスから首都エルカへ向かうには、ウェルテクスのそばを通過する必要がある。行き来のある近隣の村からも誰かが訪れる。村が焼かれたことは、いつまでも隠し通せるものではない。すぐに全権使の耳に入る。そうすれば、調査のための人員が、すぐに送り込まれるだろう。
もし、全権使に少しの間、それを握り潰して貰う何かしらの手段があるとしたら、どうだろうか?
だが、相応の賄賂を貰ったからといって、地方を預かる文官が、自分の領地で起きている非道な行いを見過ごすはずもない。
自分たち矢杜衆がそこにいるだけで、それが偶然であっても、イカル国は微妙な立場に立たされる。
そうなることをわかっていながら、すぐに憲兵隊や全権使に通報しなかったのだ。何か関わりがあると判断されてもおかしくはない。
汗が、真鳥の背中を流れる。シャツが背に張り付く。
真鳥の中で、嫌な気配がじわりと大きさを増していく。
全権使の動きも確かめる必要がありそうだ。
が、その前に、一つ目の問題をクリアすべく、オルトゥスにある矢杜衆の出張所を目指して、真鳥は朝陽の中を高く跳躍した。
今日も、朝から強い陽射しがウェルテクス村に注いでいる。
焼け跡の後始末のため、一颯たちは複数の班に分かれ、村の中で作業を始めている。
イーレは女たちと共に焼け跡から茶碗や裁縫道具など、まだ使えそうなものを集めている。
ふと、イーレの足が止まる。
拾ったものを入れるカゴを脇に置き、落ちていた茶碗を一つ、手に取る。煤で汚れているけれど、割れてはいない。
「父さんの茶碗」
村長の家に婿養子に入ったイーレの父親は、真面目な男だった。
秀でたところなど何一つなかったけれど、こつこつと根気よく仕事と向き合う姿勢は、誰もが認めるところだった。今年の秋には、村長を継ぐことが決まっていた。決して声を荒げることのない、穏やかな人だった。
「父さん」
茶碗を抱きしめ、父を呼ぶ。
父親は一番最初に、何の価値もないというように、呆気なく切り殺された。
父の茶碗に触れただけで、イーレの中で怒りの焔が簡単に吹き上がる。
昨夕、真鳥にぶつけた想いが、再び込み上げてくる。
ただ、憎くて憎くて、どうしようもない。
それは復讐をもってしか拭い去ることができないように思われる。
村のみんなもきっとそうだ。
僕は間違ってない。
「オレは矢杜衆だけど、人殺しじゃない」
真鳥にそう言われたときは、はっと胸を突かれた。
けれど、イーレにはただの逃げ口上にしか聞こえなかった。
何も分かっちゃいないくせに。
何も奪われたことがないから、分からないんだ。
イーレは強く唇を噛み締める。
乾いた唇は容易く切れ、舌先に血の味が広がる。
震える息を吐き出す。
荒々しい感情に支配されていく。
気づけば、手にした父の茶碗を地面に叩き付けていた。
力の限り投げ捨てられた茶碗は、粉々に砕け散る。
その結果、得られたものは何もなかった。
無残に散った父の茶碗が、無残に殺された父の姿に重なる。
死んだ父を、さらに痛めつけたかのように思えて、イーレはがくりと膝を付く。
「父さん……」
割れた茶碗をかき集める。
茶碗は元には戻らない。
けれど、集める手を止められない。
父親の欠片を集め続ける。
「ごめん……ごめんなさい」
妹を、母さんを守れなくて、ごめんなさい。
何もできなくて、ごめんなさい。
僕だけ生き残っていて、ごめんなさい。
パタパタと大粒の涙が陶器の欠片を打つ。
緩んだ蛇口のように落ちてくる。
「イーレ」
近くで作業していた幾人かが気にかける。
誰よりも早く、一颯がその側に駆けつける。
「どうした?」
「なんでもないです」
汚れた腕で目を擦る。
「怪我はない?」
イーレを案じて伸ばされた一颯の手を、ゆるりと払う。
「イーレ……」
「あなたも同じなんしょう?」
イーレは一颯の顔を見上げる。一颯を見るイーレの目に子どもらしさも覇気はない。今そこにあるのは冷たい眼差しだけだ。
「どういう意味?」
「赤の他人のために復讐なんかできない、そう思ってるんでしょう? 他人なんで、当然ですけど」
突き放したようなイーレの言葉に、一颯は戸惑いを隠せない。返す言葉を見失う。
「あなたも帰るんでしょう?」
畳みかけるようにイーレが問う。
「帰る?」
「あの人はもう帰ったんでしょう?」
「あの人って、真鳥さんのこと?」
「他にいません」
十歳とは思えない頑なな態度に、一颯は出来てしまった溝の深さを思い知る。それでも真鳥の名誉を傷つけたままにはしておけず、言葉を返す。
「あの人は、イカルに戻ったんじゃないよ」
「え?」
「あの人は、調べていたんだ。この村を襲った原因が何かをね。同時に、村への次の襲撃からみんなを護るために、夜通し警護をしていたんだと思う。今だって、何かを調べにオルトゥスに行っているんだよ」
「何かって、なんですか。一颯さん、聞かされていないんでしょう? 仲間にも話さないっておかしいですよ。信頼されてないんじゃないですか?」
イーレの中にある真鳥への反発心が、露わになる。
「おかしくなんてないよ。信頼しているし、信頼されていると思う」
一颯ははっきりと答える。
自分で口にしてみると、それが正しいと腑に落ちる。イーレへの見栄ではなく、本心からそうだと思える。
昨夕、真鳥を送り出したあと、本当は少し不安だった。
自分には何も知らされず単独で行動していた真鳥に、自分など必要ないのではないかと思った。やろうと思えば彼は何でも一人でできる。誰の助けもいらない。そういう人だと。
でも、今、イーレに気づかされた。
言葉は足りないかもしれないけれど、真鳥は自分を必要としてくれている。いまできる最善のために、互いに互いの役割を果たす。そのために彼はオルトゥスへ向かい、一颯は村に残った。互いを信頼していなければ、できない行動だ。
自分はそれをちゃんと知っている。
一颯が穏やかな笑みを浮かべる。
「先輩は、こんな状態の村を放っておける人じゃない。戻ってくるよ」
陽に灼けた一颯の顔が、イーレの中で、二年前の祭りの夜と重なっていく。
格好いい一颯に憧れ、矢杜衆になりたいと無邪気に願ったあの日。
村には、みんながいた。
洪水で滅茶苦茶になり、生活は苦しかったけれど、じいちゃんも、父さんも母さんもいた。村のみんなが笑っていた。これからの生活に希望を持っていた。
今は、ない。
帰る家がない。
家族がいない。
希望はない。
笑顔どころか、言葉も出ない。
これって何なの?
何の意味があるの?
これから何をすればいいの?
希望って何?
また笑えるようになるの?
イーレが拳をぎゅっと握りしめる。
「……何もしてくれないくせに」
「イーレ」
「矢杜衆ができないのなら、僕がやる!」
そう叫んだイーレが駆けだす。
「イーレ!」
後を追おうとした一颯の足が、ぴくりと止まる。
社から立ち上る炊事のための煙が、ゆらりと不自然に動き、一颯の注意を引く。
目をこらした一颯の目が、小さな光を捉える。
「社が!」
「え?」
走り出したイーレが、一颯の声に足を止める。
一颯は一瞬のうちにイーレを抱えると、渇いた土の上を飛ぶように走り抜け、社の近くへと向かう。
「一颯さん?」
「奴らだ」
一颯の一言に、イーレは一颯の腕の中で身体を固くする。
途中、田の畦道を歩く数人の村人たちと出くわす。社が襲われているなら、村人をそこへ近づけることは危険だ。一颯は男たちに向か叫ぶ。
「行くな! 社が襲われている! 草むらに隠れていろ! イーレを頼む!」
「なんだってっ!?」
腕の中のイーレを男の一人に預ける。
「一颯さんっ!」
既に視界から姿を消した一颯を、イーレが呼ぶ。
「イーレ、ダメだ。行っちゃいかん!」
一颯の後を追い駆け出そうするイーレを、男の手が抑える。
「早く隠れるんだ!」
「こっちだ!」
「一颯さんっ!!」
男たちは、叫び続けるイーレの口を押さえ、半ば引き摺るように、田の泥の中を掻き分け、その向こうに茂る背の高いトウモロコシの畑へと身を隠す。
一颯が社へ着いたときには、仮の炊事場に女が一人、血を流して倒れていた。
他の女たちが、体の不自由な老人を抱えて社の中へと逃げ込んでいく。顔を黒い布で覆った輩が二人、わざと村人たちを追い立てているように見える。
一颯の直感が、最悪の状況を告げる。
社の向こう側へ、もう一人の覆面が回り込むのが見える。発火材の臭いが風に紛れている。
「中へ逃げてはダメだ! 火を点ける気だぞ!」
一颯は大きく跳躍し、社の扉へと飛ぶ。
敵一人の首にクナイを投げるが、短剣で弾かれる。
社の階段を上がったところに着地したとき、重く丈夫な扉は、不気味な音を立てながら容赦なく閉まる。
社を仮の寝床と決めたとき、その造りについては念入りに調べた。入り口は、表の扉一枚しかなく、壁は漆喰に塗り固められ、丈夫に出来ていた。起爆札なども探し安全だと判断した。
だが、今の状況ではそれが仇になる。
この状態で火を点けられたら、いくら壁が頑丈でも、木造の柱や扉、床は燃える。そして、この表の扉以外、逃げ道は無い。一昨日の二の舞になる。
一颯は背後にその扉を庇い、目の前の敵二人を注視する。
すぐに襲いかかってはこない。二人は短剣を隙無く構え、一颯との間合いを計っている。
この二人よりも、今は、後ろの一人の方が危ない。火付け役はそっちだろう。
けれど、矢杜衆のクナイを弾き飛ばすほどの手練れ二人を躱し、社の向こう側に回るのは難しい。
相手の策に落ち、足止めをされたらしい。
先輩がいてくれたら。
そう願わずにいられない。
発火材が火を噴く音がする。火薬のにおいが鼻をつく。
一つだけの幸運は、敵襲を予想して愛用の長刀を肌身離さず身につけていたことだ。
迷っている時間はない。
「はっ!」
一颯は気合いを入れ、目前の敵へと切り込む。
三つの刃が、真昼のウェルテクスに火花を散らした。
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次の更新は明日(10/6)を予定しております。
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