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走錨(3)

昨日(10/3)更新すると予告しながらできませんでした。

楽しみに訪問してくださった方、申し訳ありませんでした。

早めのアップです。

 今日の太陽が山間に沈もうとしている。

 薄紅色に染まる雲が、広い空に散っている。

 夕凪が終わり、夜風が吹き始める。

 イーレの柔らかい髪を巻き上げる。

 まるで、その小さな身体から熱風が吹き出しているかのように。

 風はイーレを取り巻き、夕空へと吹き去る。


 イーレの両の拳は固く握りしめられ、白く色を変える。


「父さんと母さんと妹、それからじいちゃんと沢山の村の人を……」


 その声が震える。

 抑え切れない怒りが、悔しさが、露わになっていく。


「……みんなを殺したあいつらを……殺してやる! 家に閉じ込めて! 火をつけて! 肉を焼いて! 残った骨を踏み砕いてやる!」


 こんな怒りを、一颯は知らない。

 矢杜衆という、生と死の狭間を行き来しているような自分たちでさえ、これほどの憤りは見たことがない。

 普通の者ならば、とっくに心が折れるか、心を失い何も考えられないか、諦めているか。そういう状況だろう。


 昨夜、イーレは村人たちが休んでいる社を抜け出し、井戸で冷たい水を浴びると、夜明けまで社の向拝に腰掛けていた。

 小さな声で「許さない」と幾度も重ねていた。

 硬く握り締めた拳を、自分の太ももに叩きつけていた。

 何度も何度も。

 誓いのように。

 呪いのように。

 襲撃者への復讐を。


 一颯はそれを見ていた。

 見ているしかできなかった。


「……でも……僕には力も、知恵もないから、捕まえるなんてできない。だから、お兄ちゃんたちがあいつらを捕まえて! 僕の前に引きずり出してよ! そしたらあとは僕がやるから! それくらいできるよね。お兄ちゃんたちは、矢杜衆なんでしょっ!」


 イーレは声を震わせながら、一気に吐き出す。

 その気迫が、周囲の空気を圧倒する。

 どれだけ本気かを、イーレはその小さな身体から絞り出すように伝えてくる。


 まだ十歳かそこらの少年が、そこまでの憎悪で身の内を焦がしている。

 先ほどまで、冷静に村の伝承を語っていたイーレはどこにもいない。

 あの姿を、一颯は少なからず立派だと感じていた。村の跡取りとしての自負でようやく立っていたのかもしれない。

 目の前で家族を殺された少年が、こんな状況をすんなり受け入れて、前に進めるわけがないのに。


 イーレの視線の先には真鳥がいる。

 真鳥はイーレをじっと見つめている。

 一颯からは、その横顔しか見えない。

 そこには何の表情もない。

 ようやく一颯も気づいた。


 先輩は、イーレの想いにとっくに気づいていたのかも知れない。

 だから、拒むしかない。


 今の自分たちにできうる限りのことをしても、それは決してイーレの望む結果にはならないとわかっていたから。

 なぜなら……


「オレは矢杜衆だけど、人殺しじゃない」


 真鳥の声は、冷たく静かだった。

 イーレがひくっと息を呑む音が聞こえる。


 真鳥が歩き出す。

 イーレを一瞥もせず、その横を擦り抜けていく。

 社へは向かわず、街道の方へと歩いて行く。

 追いかけなければ、そのままもう二度と会えないような焦りが、一颯の中に生まれる。

 放心したように立ち尽くすイーレと、仲違いしたままの仲間と、どちらのそばにいるべきか。

 その一瞬の迷いのうちに、イーレが駆け出す。真鳥とは反対の社の方だ。


「イーレ!」


 イーレの行先に、方々から社へと帰っていく村人を見つける。その中の一人が、イーレに声をかけている。

 それだけ見届けると、一颯は真鳥の後を追い、駆け出した。





「先輩! 待ってください」


 街道に出る直前の真鳥を、一颯が捕まえる。

 柔らかそうな銀の髪が夕暮れの空の色を映して薄桃色に染まっている。


「どこに、行くんですか」


 足を止めた真鳥の背中に問う。


「オルトゥス」

「え?」


 ぽつりと返ってきた言葉に、思わず聞き返す。

 てっきりイカルへ戻るのかと思っていた。イーレの望みに対して何もできない自分たちには、後はもう、アカギ国の憲兵隊に報告するくらいしかできないからだ。

 

「アカギで二番目に大きい街だよ。この辺りの領主も住んでいる。ここから東へ半日の距離だね」

「オルトゥスは知っていますけど。さっきイーレが言っていた人を探しにいくのですか?」

「その人、というか、あの古文書を読める人ならもう死んでいるよ。とっくの昔にね。もうこの世にあの古文書を解読できる人はいないんだってさ」

「どういうことですか」


 一颯がいぶかしむ。

 陽はもう落ちて、辺りには闇が押し寄せてきている。

 夜風が真鳥の白いシャツの裾を揺らす。

 そのままふっと風に紛れて消えてしまうのではないかと錯覚する。


「先輩、ちゃんと説明してください。何か知っていることがありますよね。僕にできることがあるならなんでもしますから。お願いします」


 一颯は思わず頭を下げていた。

 今、ちゃんと話をしなければ、ずっとこのままになってしまいそうな気がした。


 真鳥は少しだけ考え込んだ後、「これからのこともあるし話しとく方がいいか」と呟く。


「隣村の元村長ね、この村の出身なんだ。イーレのお祖父さんの弟。ほら、こういうところって互いの村で人の行き来もあるでしょ。だから村長の系譜がいると思って探したの。その人から聞いたよ、古文書のこと」


 昨日から姿が見えないと思ったら、そんなことを調べていたのか。


 呆気にとられると同時に、この機会を逃してはならないと、一颯は食らいついていく。


「そんなに簡単に話してくれたのですか?」

「ちょっと鎌をかけさせてもらったよ。まあ何かあるってわかってたから適当に話しを合わせてね。ちょっとボケてる感じだったから簡単だった。あ、この村のことは言ってないよ」


 さらりと言ってのける。

 善良な老人を欺したのですね、という言葉を一颯は呑み込む。


「四十年くらい前に、解読しようとして外に出したらしい。でも戻ってきたのは一冊だった。ここにある一冊とそれを解読したものを書き写した文書が、手紙と一緒に届けられたんだって。でもそれ以降、なんの連絡もなくなって、心配になったこの村の村長がオルトゥスのその人のところまで行ったんだけど」


 真鳥が一瞬、口を継ぐんだので、その先の言葉は用意に想像できた。


「彼は殺されていて、もう一冊の文書はどこかへ消えていたそうだよ。解読された文書も一緒にね」


 一颯は息を呑む。

 真鳥の説明を聞きながら、一颯は思考を巡らせる。


「じゃあとっくの昔にこの村の秘密がどこかへ漏れていたということですか」

「そうなるね」

「じゃあ二年前にこの村に来た古い知り合いというのは」

「もう一冊も手に入れようとした誰かさんに金で雇われたのかもねえ。村長の知り合いならなんとかなるって思ったんじゃないの?」

「一体誰が」


 わからないことばかりだと、一颯が眉を寄せる。

 

「まだ続きがあるんだよね」


 これまでずっと無口だった真鳥が、今は饒舌だ。

 その変化に戸惑いながらも、一颯は真鳥に視線を送り先を促す。


「オルトゥスから戻った村長は、事の顛末を弟に話した。そして、解読された文書は読まずにその場で燃やしたそうだよ。そして残った一冊は村長だけが知る場所へと隠した」

「なぜです?」

「神の怒りを買ったからだと考えたようだね。古文書を解読した者が死んだ。それは神の罰だと。解読はしてはならないと、弟に言い含めたみたい。この村の豊穣を護るためにね」

「でも二年前に外部の人に見せていますよね」

「そこは謎。古い友人が巧みに唆したか、村長に何か別の意図があったのか。でも相手にしてみれば、古文書が村長の家にあることは確認できただろうし、解読されたものが存在しないことも知ったんじゃないかな。解読できる人間がもういないこともね」

「だから古文書は無事にここに残っていた?」

「誰も読めないものを持って行っても意味ないだろうしね。それなら直接、村長に聞いた方が早いって考えるよね、ふつう」

「彼らが知りたかったのは金鉱の位置。金鉱の存在はもう一冊の古文書にはあったけれど位置までは記されていなかった……だからこの村を襲った」

「ご明察」


 いつの間にか、夜の帳が下りている。

 周囲の輪郭が少しずつ失われていく。

 その中に、真鳥の銀の髪だけが、異質に光を帯びている。


「先輩はそれを調べてたんですね。独りで」


 たった一日の間に、それだけのことを調べあげているその特異な能力を、一颯は純粋にすごいと感じた。

 自分が村の中だけで奔走している間、真鳥は襲撃の全容を描き出していた。

 矢杜衆としての力量の違いを見せつけられた気もするが、真鳥が村を放って置いたわけではない事に安堵してもいる。

 複雑な心境だ。

 ふいっと真鳥がよそを向く。


「……できることをしてただけ。オレは誰かの気持ちとかそういうの、苦手だから。オマエみたいに誰かに優しくできないし」

「先輩……」


 拗ねているかのような横顔を見つめる。

 そんな真鳥の姿に一颯はしばし見とれる。

 けれど、それも長くは続かなかった。

 次に真鳥が一颯を見たとき、その顔は矢杜衆のものに変わっていた。


「オマエは村に戻って」

「先輩」

「イーレが言ってた伝承は長い年月の間にそれなりに広まってる。でも金鉱の話はどこにも出回ってなかった。奴らが金鉱のことを知っていたら、きっと諦めない」

「何か策があるのですか?」

「隣村の元村長が言ってた。先代の領主がこの村の豊作の理由を調べに来たことがあるって。確かめたいことがあるからオレは行くよ。オマエはここを護って。オマエにしかできないことだよ」


 それだけ言って、背を向ける。

 一颯を残して、歩き始める。


「先輩は、ちゃんと村を護っています! イーレの望みを知ってもその通りにはできないと知りながら、これからの彼らのために動ける人です!」


 一颯の問いかけに、真鳥はゆるゆると首を横に振る。


「違うよ。ほんとにそんなんじゃない。買いかぶりすぎだ。オレはただ……」


 真鳥が何か言ったようだったけれど、一颯の耳には届かなかった。


 ほんの少しだけ振り返った真鳥の、銀糸の隙間から垣間見えた表情が、一颯の心をぎゅっと掴む。

 矢杜衆としてとんでもなく凄腕なのに、今はひどく儚げに見える。


 強くて、優しいくせに、それを見せたくなくて、冷たくなる人。


 ほんの少しだけれど、真鳥のことを解った気がする。


「気をつけて行ってきてください」


 オルトゥスへ向かう理由も言っては貰えなかったが、自分が嫌われているなどと疑う以前に、まず自分がこの人を信じてみようという想いが広がる。


「オマエもね。村を頼んだよ」

「はい、ここで貴方を待ってます」


 真鳥はそのまま村を発ち、オルトゥスへと向かった。

 その夜、村人たちが寝静まった社を、三つの影が見つめていた。


今日もお読みいただきありがとうございました。

次の更新は明日(10/5)を予定しています。

よろしくお願いいたします。

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