走錨(1)
ウェルテクス村の北側に広がる雑木林に、死者を弔う香が薄く立ちこめている。
雑木林を抜けた先、ぽかりと開けた小さな野には、まだ新しく柔らかい土が、幾つもの小山を連ねている。添えられた白い花が人々の涙に濡れ、林を渡る風に揺れている。
村を焼かれてから、二度目の夕暮れが訪れようとしている。
一人また一人と、村人たちは疲れた身体を引き摺るように立ち去り、残ったのは、四つの墓の前で立ち尽くす少年・イーレと一颯だけだ。
イーレの目に涙はなく、家族の墓を見つめるその横顔からは、子供っぽい柔らかさが消え失せている。
一颯の腕の中で泣き疲れて眠ったあの夜、イーレは夜半過ぎに目を覚まし社を抜け出した。彼の行動に注意していた一颯は、そっと後をつけた。
イーレは冷たい井戸水を溜めた桶に頭から突っ込んで、ゴシゴシと顔を擦っていた。鼻から入り込んだ水にむせ、ひどく咳き込んでもやめようとしなかった。幾度も、冷たい水を浴び続けた。
やがてふらりと立ち上がると、社へ向かった。
けれど村人たちが眠る社の中には戻らず、向拝に腰を下ろした。両手で自分の身体を抱きしめるようにして、夜が明けるまでぴくりとも動かず、闇の向こうに眠る村を見つめていた。
村人たちが起き出してきたのは、日はとうに昇り切り、普段なら畑仕事に出ている時分だった。
みなが社の外に出てみると、焼け跡から使えるものを運び出すイーレの姿があった。
蓙の上には、桶や笊、皿や包丁などの日用品や、鋤や鍬などの仕事道具などが、すでにいくつも並べられていた。
村人たちは、イーレの後に続くように、焼け跡へと散っていった。
男たちは遺体の回収と埋葬にあたった。女たちは焼け残ったものから使えるもの、食べられるものを集め、社へと運んだ。
一颯も男たちと共に働いたが、そこに真鳥の姿はなかった。
昨日の朝、真鳥と口論になって以来、真鳥の姿を見ていない。
夜になっても、社に戻ってこなかった。
腕の立つ人だから、危険な目に遭うことはないだろうが、まるで喧嘩別れのようになってしまっていることが気がかりだった。
一人で村を出てどこへ行ってしまったのだろう。
いつまでもこの事実を伏せておくことはできない。この国の憲兵隊に知らせに行ったのだろうか。
それとも、イカルへ戻ってしまったのだろうか。
僕がこの村に関わることを望んだから、彼を呆れさせた?
僕はあの人に見捨てられたのだろうか。
そんな考えが押し寄せるたびに、こんな状態の村を放っておける人ではないはず、と打ち消す。
『規則だから』
その一言で突き放されたけれど、一颯にはそれが真鳥の本心には思えなかった。
確かに自分は、この村と関わりを持っていたことによって、村の惨状を見て激しく動揺した。何の罪もない村人を閉じ込めて火をつけるという残虐さに、怒りで全身が震えた。
それでも矢杜衆としての冷静さを見失ったわけでない。
矢杜衆が絡んでいるかもしれないというのなら、尚更、今ここにいる自分たちが、アカギの憲兵隊よりも先に調べなければならないと思った。それは、矢杜衆による惨事を隠蔽するためではない。矢杜衆がそんなことをしないと信じている。真実を見出すことが、矢杜衆やイカルを守ることにも繋がると考える。
そして、もし相手が矢杜衆となれば、憲兵隊などあっという間に殲滅されてしまうという怖れもある。矢杜衆には矢杜衆でしか対応できないのだから。
村人の手伝いをしながら、一颯は真鳥のことが頭から離れない。
なぜ、あの人はあんなに頑なだったのか。
いくら考えても答えは出ない。
戦いの場で言葉はいらないと、真鳥との間にある深い繋がりを感じた。でも、その人となりについては、ほとんど何も知らないことに改めて思い出す。
共に任務についてから、今日で五日しか経っていないのだ。
しかもその最後の二日は喧嘩別れしたきり、姿さえ見ていない。
もう一度、話さなければ。
あの人の言葉をちゃんと聞かなければならない。
すぐにでも真鳥を探しに行きたかったが、一颯は村人たちのそばから離れることができず、二日目の夕暮れを迎えている。
焼け落ちた家の下には、まだ半数の村人が弔われるのを待っている。
明日、目処がついたら探しに行こう。
薄桃色の空を見上げ、息を吐き出す。
西の山の端に陽が落ちようとしている。
間もなく夜がやってくる。
そろそろ社に戻ろうと、イーレに目を向ける。
イーレは、そこに眠る父、母、妹、そして村長である祖父を偲ぶでもなく、弔いに相応しくないほどの険しい色をその表情に湛え、墓石の代わりに置かれた石を見つめ続けている。
あの夜以来、イーレは誰とも言葉を交わしていない。
過度の精神的負担から、一時的に口がきけなくなる者はいるが、イーレは錯乱状態に陥っている様子もなく、意識も行動もはっきりとしている。昼は、村人たちと共に焼け跡を周り、大人と同じ作業をこなす。
無理をしているのだろうが、身体を動かしている方が気が紛れるかもしれないと、一颯はイーレが働くのを止めなかった。
イーレは自分の意志で口を噤み、黙々と働き続ける。
その小さな身体に何を秘めているのか。
周囲を突き放すように堅く結ばれた唇の向こうに、何を飲み込んでいるのか。
そんなイーレが気がかりで、一颯はそれとなく彼の様子を見守っている。
「イーレ、そろそろ社に戻ろう。みんなと一緒にいた方がいい。まだ狙われているかもしれないから」
一颯が声をかけるが返事はない。動く気配もない。
再び少年の名を呼ぼうとしたときだ。
ふっと息を吹きかけられた程度の僅かな空気の流れを感じ、顔を上げる。
「何か知っているなら、今ここで話せ」
真鳥だった。
いくつもの塚が並ぶ向こう、村とは反対の場所から真鳥は姿を現した。
その少し強い口調に、イーレの肩がぴくりと小さく反応する。
「先輩! 二日もどこに行っていたんですか」
真鳥は視線だけで一颯を制すると、ゆっくりと歩いてイーレの横に並び立つ。
村長とイーレの父母の間に作られた、周囲より小さな墓に、真鳥は視線を落とす。イーレが作った小さな花冠が供えられている。
崩れ落ちた焼け跡から見つかった、イーレの妹の身体には、致命傷となる刀傷が付いていた。今は、痛みからも苦しみからも解放され、両親と共に柔らかい土の中で眠っている。
けれど、その眠りは未だ安らかではないことを、イーレは知っている。
何も終わってはいない。
そんなイーレの心を見透かすかのように、真鳥が言う。
「これで終わりじゃない。この村はまだ狙われている。放っておけば、この村は全滅するよ。君の家族も、安らかに眠れない」
真鳥の言葉に、イーレはぎゅっと両の手の拳を握りしめる。
この二日間を思い起こす。
万に一つの希望を胸に、必死に焼け跡を掘り起こし、そして落涙する村人たちを見続けた。土を掛け、花を添えるくらいしかできなかった自分に、腹立ち、悔しさに襲われた。
家族を残忍な方法で奪った奴らを、引き裂き、火をつけ、肉が落ちるまで燃やし続けたい。その骨を踏みにじり、痕跡も解らぬ程に砕いてしまいたい。
同等以上の苦しみを、味わえばいい。
溢れる暗い感情が、荒々しく心を支配される。
どうしようもなくなって、夜中に起き出しては、冷たい井戸水を浴びる。
それでも湧き上がる欲求を、静めることはできない。
奴らへの報復を。
長の家は、代々、その役を継いでいく決まりだ。これからこの村を背負い、村人たちをまとめていくのは、自分しかいない。
僕がやらなければならない。
祖父に、父に、母に、妹に、誓った。
けれど、何処へ行き、何をすればいいのか、イーレには解らなかった。
大切な者たちの無念を晴らすのはこの手でなければならないのに、自分にはそれを成し遂げられるだけの力も、知識もないことを思い知った。心配され、ただ守られるだけの弱い存在だった。
そんなイーレのそばで、イカルから来た矢杜衆は、淡々と身体を動かし続けた。家族である村人たちでさえ怯むほどの惨い亡骸も、表情一つ変えず瓦礫の下から掘り起こし、埋葬を続けた。村人たちは、矢杜衆には心が無いのだろうと、囁き合った。
イーレには、わかっていた。
一颯に心が無いのではない。
弱さや脆さ……そういったものに対峙しても、逃げない精神を持っているからだ。
だから彼らは、強いのだと。
イーレは、祖父の墓を見据える。
決して声を荒げない、静かな人だった。どんな村人たちの言葉にも耳を傾け、受け止める広さを持っていた。立っているだけで人を引き寄せる強い力を持つ人ではなかったけれど、誰からも頼りにされる人だった。
『おまえは私に良く似ている』
いつか祖父がそういってくれた。
そんな自分が誇らしかった。
あの時のまま、誇らしい自分で在りたい。
祖父の面影を追いかけながら、イーレは静かに口を開く。
「僕に手を貸してくれますか?」
ゆっくりと面を上げ、真鳥を見つめる。
この悲劇に終止符を打てるのは、彼らしかいない。
矢杜衆に頼ること。
それが少年が今、出せる最良の、そしてたった一つの方法だった。
その身体は小さな少年のままだったけれど、その目だけは、覚悟を決めた者のそれだった。
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