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黒い影(2)

「そこで、何をしている?」


 静かな、けれど鋭い声が薄暗い室内に響く。

 全権使の執務室に灯りは一つ。紫檀の机の表面を艶やかに照らしている小さな焔が、風もないのに揺らぐ。

 流れ落ちる豊かな金の巻き毛を掻き揚げながらマイカが顔を上げると、机を挟んで反対側に、黒づくめの男が立っていた。

 音もなく突如現れた臨也に、マイカは少しも動じる様子もなく目を細めて笑って見せる。


「あなたこそ、こんな時間に何しにここへいらしたのかしら? 御前ならもう夢の中ですよ」

「これから村へ戻るところです。通りがかりに何者かの気配がしましたので」

「矢杜衆って耳もいいのね」


 マイカが机の上に腰掛ける。

 金と朱をあしらった単衣の裾が割れて、白く美しい脚の一部が覗く。


「もう矢杜衆ではありません」


 臨也の生真面目な返答に、マイカは微笑みで返す。


「前から一度、訊きたかったんだけれど……」


 机の表面を人差し指でひと撫でして、間を開ける。

 その美しく形の良い唇から、次にどのような言葉が紡がれるのか。

 長い間、傭兵として、様々な国の様々な戦場を回っていた臨也が、そこに甘い期待を描くことは決してない。

 けれど、大半の男たちはそうした何気ない仕草一つに引き込まれていく。気づいたときには、女の手に落ちているのだ。

 マイカという女は、その手練手管を知り尽くしているように思える。ラケルタのようにわかりやすい男など、あっという間に陥落させられて当然だろう。


「あなたは何故、御前の側にいるのかしら? 元・矢杜衆ともなれば、各国こぞって手に入れたがるんじゃない? どうして、ここに?」


 どうしてこんな冴えない、この程度の男などに仕えているのか。

 臨也がマイカに対して抱いているのと同じ疑問を、マイカも感じている。

 好奇心で訊いているのではないだろう。

 マイカの瞳をみれば、それが分かった。

 妖艶な微笑を浮かべていても、その目は臨也の小さな動きさえも見逃さない。じっくりと品定めされているように臨也には感じられる。


 やはりただの女ではない。

 何を企んでいるのか。

 自分を誘うように白い大腿部を晒しているくせに、その本心を探る隙さえ与えない女。


 臨也の中で、この謎めいた女への興味がじわりと湧く。


「その問いに、答える必要はないと思いますが」


 相手に興味を抱いたことを悟られれば、相手の手の内に嵌まる。臨也は、感情の無い声で答える。

 そっけない返答を聞いても、マイカは微笑したままだ。


「そう。じゃあ、質問を変えましょうか。あなたは御前のこと、どうお思いになって?」


 臨也はマイカの問いの意味を考える。


「……どういう意味でしょうか?」

「御前に何か言いつけようとか、そんなのではないの」


 とても、個人的な興味なの……と、言いながら、マイカは目を細める。

 

 妖艶な顔と、魅惑的な身体と、甘い声を武器に、賢い知恵で動く女。

 こういう女の目的は、大概が金だ。

 一地方を預かる全権使でありながら、すでに大富豪並の資金を持ち、さらに私腹を肥やそうとするラケルタは格好の餌だろう。

 ただマイカという女に限っては、それも違う気がした。

 臨也自身、ラケルタのような欲にまみれた俗物に、本気で忠誠を誓っているわけではない。以前の雇い主からの願いだからここにいるだけだ。

 ラケルタの指示に従うのは、前主への恩があるからだ。臨也を元・矢杜衆と知ってなお、仕事を与え庇護してくれた。その主の元を離れるとき、臨也が育てた三人の部下を惜しげもなく付けてくれた。

 個人的な興味と言われても、このような怪しい女に思惑を喋るほど、臨也は短慮ではない。 


「私如きが口にすることでもないですが……ご自分の欲望に、とても忠実でいらっしゃる方だと思います」

「ふっふふ……ふふふっ」


 真夜中の執務室に、軽やかな笑い声が響いた。


「正直なのね、あなた。ますます気に入っちゃったわ」


 臨也を上目遣いに見上げるその瞳は、全く笑っていない。強く人を惹きつける力を放ちながら、臨也を捕らえようと絡みついてくる。


「ねえ、あなたも気づいているのではなくて?」


 マイカは美しく手入れされた髪を右手の人差し指に絡めながら、臨也を舐めるように見つめる。何の反応も返さない臨也に、マイカは構わずに言葉を続ける。


「いいえ。あなたが一番良くわかっているはずよ。矢杜衆の恐ろしさを……ラケルタは、終わりよ」


 矢杜衆という言葉に、臨也の手の甲についた傷が、どくんと疼痛を発する。

 その手を握りしめる。


 女の言いたいことはわかった。

 私利私欲に走ったラケルタは、すでに犯してはならない一線を越えている。

 手を汚したのは臨也自身だが、自分はこれまでと同じように身を隠せばいいだけだ。ラケルタの元に自分の痕跡を残すような不手際はない。いつでも去ることができる。事が露呈すれば、終わるのはラケルタだけだ。

 矢杜衆が訪れた時点で、あの村の件が明るみに出るのは、もはや時間の問題だった。


 潮時だ、と臨也も感じていた。


 けれど、すぐにでも手を引かず、未だここにいるのは……


 臨也の脳裏に、一人の男の顔が浮かび上がる。

 銀の髪をした若い男。

 直接の面識はなかったはずだが、男の顔を見た瞬間、動揺した自分に気づいた。その一瞬の隙に放たれたクナイの一本が、左手の甲を掠めていた。

 予め仕込まれた発火剤から勢いよく吹き出した炎を挟んで、互いの視線を絡ませた。

 ほんの数秒だっただろう。

 僅かの間に、臨也の目は若い男の上に懐かしい面影を重ねていた。

 それは、とうの昔に捨て去った記憶だ。


 燭台の焔が、臨也の内心を写したように揺れる。


「それでもあなたは、あの村へ行くというの?」

「御前がお望みですから」

「負け戦と分かっていて? そんなにお金が欲しいの?」


 マイカが薄い衣を纏っただけの身体を、紫檀の机の上を滑らせるように、臨也の方へ寄せてくる。

 臨也の瞳を間近から覗き込む。

 荷葉の香が立つ。


「いいえ、この目は違うわね。あなたはそんなものに興味はない。あなたが心引かれるのは、矢杜衆……相手がかつての自分の仲間だと知って、戦ってみたくなった……そんなところかしら?」


 マイカの推量は、半分は合っているが、半分は間違っている。

 戦いたいわけではない。

 あの銀の髪をした若い男に、もう一度、会ってみたい。

 そう望んでいる自分に気づく。


 忘れていたはずの想いが、臨也の内側から刺激する。忘れたままの方がいい。次に会えば、刀を交えることになるとわかっている。

 それでも、あの男に会いたいと望む自分を抑えることができなかった。


 会って、確かめたいことがある。


 臨也は、思わず開きそうになる唇を無理矢理に閉じる。

 この女の前では、例え黙っていても、自分をじわじわと剥き出しにされていくような異様な感触に、臨也は少しだけ眉を顰める。


「あなたを追ってきたのかも知れなくてよ? 怖い?」


 私なら、怖い……かしらね……と、マイカが耳元で囁く。


「マイカ殿」


 近すぎる距離をたしなめる。


「あら、怖い顔……ふふふ」


 マイカはすっと身を引く。金色の巻き毛がふわりと揺れる。机から降り衣擦れの音を立てながら、臨也へと向き直る。


「明日、ここを出るわ。一緒に来ない? 私が雇うわ」


 女の目は本気に思えた。

 戯れや気まぐれではない。

 女が何か大きな目的の下に行動していることは、これまでの会話から大凡、見当が付いていた。今、ラケルタの元にいるのも、ここ数年で急に財力を付け始めた全権使の素行を探りに来たのかもしれない。あるいは、すでにアカギの中央から暗殺命令でも出ているか。

 女がここを去る理由は、もうここにいる必要がなくなったということだ。矢杜衆が絡んだとなれば、自分が手を出さなくても、ラケルタは終わる。女の役目は既に終わっているのかも知れない。

 しかし臨也には、そこで女に誘われるその意図が分からない。


「何故、そのようなことを仰るのです?」

「言ったでしょ? 気に入ったのよ、あなたを……臨也」

「私には、あなたと共に行く理由がありません」

「ラケルタへの忠義もないくせに」

「雇っていただいた分の働きは、させて頂きます」

「二人の矢杜衆を前に、ラケルタを守る気なんてないくせに。そんなに矢杜衆が嫌い?」

「!」


 臨也の反応を楽しんでいるように、マイカは軽やかに言葉を紡ぎ、臨也を搦め捕っていく。


「あなたにとって、矢杜衆って何かしら? すべてを奪った憎むべき相手?」


 その目が怪しい光を帯びて、臨也へと突き刺さる。

 これ以上、この女の前にいてはならない。

 警鐘が鳴っている。

 臨也は、視線を外し踵を返す。執務室のドアへと向かう。


「私は与えられた仕事を遂行するまでです。失礼する」

「またどこかで会いましょう。あなたに幸運を、臨也……ふふふ」


 去っていく臨也の背に、マイカの薄い笑い声がいつまでも纏わり付いていた。





 暗闇の中、臨也は外に控えていた三人の忠実なる部下に、先にウェルテクスへと発つように命令を与える。

 当初の予定では、自分も部下と共に行くつもりだったが、マイカの予想外の行動に不穏なものを感じた。ラケルタを手玉に取った後、自分を巻き込んで何をするつもりなのか。もう少し、ここに残りその周囲に目を配る方が良いだろう。

 こういう時、自分の勘を信じることが生に繋がることを、臨也は知っている。長年の放浪生活で身につけた、それは処世術の一つかもしれない。


「深追いはするな」

「御意」


 部下だけでは矢杜衆二人を相手にするには荷が勝ちすぎる。だが、一対三の戦いに持ち込めば、何とかなるはずだ。

 自分が育てた部下の力を信じ、臨也は彼らを送り出す。





 臨也の去った部屋で、マイカは手にした書類に火を点け、銀の皿の上に投げ込む。

 火の粉が舞う。

 その炎を見つめながら、妖艶な瞳が何か悪戯を思いついたように煌めいた。


「イカルの忠犬、矢杜衆……使えるわね。ラケルタにはどんな死に様が似合うかしら?」


 その夜、マイカは、全権使の館から姿を眩ました。

 マイカがそこにいたという全ての痕跡を消して。



全権使のラケルタは、真鳥と一颯が任務として薬を届けたグラウェ大臣と病に倒れているアエスタースの政敵になります。


真鳥達の通った『見極めの回廊』で弾かれた人物です。

アカギの上層部が回廊を使用しない事を知らない…

その程度の人物ですが、お金で手に入らないものは無いと本気で思っている人間です。

有る意味、それを信じきっている分、タチの悪い人間でもあります。


今日もお読み頂きありがとうございます。

次の更新は明日(10/1)日曜日です。

時間が未定で申し訳ありません。

これからもよろしくお願いいたします。

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