断絶(1)
陽は、とうに暮れていた。
広げた筵に蹲る村人たちの横顔に深い影を落としながら、お社の前に置かれた篝火が揺れる。
ウェルテクス村の家は全焼した。
残った者たちは、村の南に位置する土地神を祀るお社に集まっていた。
その数は、たった十七名。全村人数の三分の一だ。
彼らは、ただ頭を垂れる以外、為す術がなかった。
「何があったのか、話してくれませんか?」
真鳥は、お社の階段にぐったりとした様子で座る男に水の入った椀を手渡し、静かな声で問う。その者は、真鳥や一颯と共に消火にあたった男の一人だった。
男は疲れ切った眼差しを手の中の椀に落とす。震えているのか、篝火を写す椀の水面に、さざ波が立つ。
「……よく、わからないんだ……っゴホッ」
男がふいに咳き込む。煙を吸い込んでいたのだろう。咳が収まると、真鳥の渡した水を一気に飲み干し、煤に汚れた袖口で口元を拭う。
「突然、数件の家から火の手が上がった。ほぼ同時だった。あんとき、俺は田んぼに出てたんで村がよく見えた。東と西の両端の家が、最初に火を噴いたんだ。あれは普通じゃない。あんな火は見たことがない……」
白い光を放ったかと思えば、まるで大蛇のような橙色の炎が、ドロリとした粘り気をもって家と人に絡みつき、一瞬のうちに飲み込んだという。
家の中にいた者は、逃げる間もなく火柱の中に閉じこめられた。家族を助けようと家に飛び込んだ者は、誰も出てこなかった。桶で必死に撒いた水など、何の役にも立たなかった。
動ける者たちで出来る限りのことをしたが、焼失を免れた家は一軒もなかった。
火事が起こったとき、家の外にいた者たちは、自分たちの家が燃え、家族が焼け死んでいくのを、ただ呆然と見送るだけだった。
男の手から椀がカランと音をたてて落ちる。開いた両手で頭を抱え込む。
「何があったのかこっちが訊きてぇよっ!」
男の悲痛な叫びは、放心したまま蹲る村人たちの心を揺るがす。
「村長は殺された」
年老いた男が、篝火の向こうに置かれた亡骸に視線を向ける。被せた蓙に濃い色の染みが広がっている。
「ひどい太刀傷だった」
「ああ、誰がそんな酷いことを!」
女たちが泣き始める。
「村長を殺した奴が、村に火をつけたのか?」
「きっとそうだ!」
「何のためよっ?!」
男も女も、自分に口が付いていることを、今、思い出したかの勢いで、一斉にしゃべり始める。けれどそこからは何の解も得られない。
「おい、そこの男が刀を持っているぞ」
先ほどの年老いた男が、しなびた指を筵の隅に座る男に向ける。
「なんだって?」
男が指し示した先には体格の良い青年が座っている。膝の上には村長の孫イーレが頭を凭せ掛けて眠っている。
その隣に置かれた長刀の黒い鞘が、篝火を受けて怪しく艶めく。
全員の視線が一点に集まるその先にいるのは、一颯だった。
「まさか、おまえじゃねぇだろうな!」
「その刀……おまえ、何者だっ!」
「おまえが、村長を殺したのかっ!」
「ひっ、人殺しぃ〜!」
女の甲高い悲鳴がお社を取り巻く空気を揺るがす。
「そいつを捕らえろ!」
「全権使の前に引きずり出せ!」
男たちが喚声を上げながら一颯を取り巻く。
一颯は、村人たちの威嚇にも動じることなく、ただ静かに座っている。
下手に動けば、殺気立った村人たちは少年まで巻き込むかもしれない。自分を見失った者たちがどのような行動に出るか、矢杜衆としての経験から、一颯はよく理解している。
それに、今、自分は一人ではない。
一颯がそっと視線を向けた先で、影が動く。
「待って下さい」
「?!」
村人たちと一颯の間に、真鳥が立っていた。
一颯を取り囲む村の男たちには、ただ風が吹いただけに感じられただろう。
そのほんの短い間に、真鳥はお社から一颯の前まで、村人たちの頭上を越えて跳躍していた。
「落ち着いてください」
「どけやっ! 兄ちゃん!」
「人殺しを庇えばおまえも同罪だぞ!」
「そいつが持ってる刀が証拠だ!」
「そうだ! そうだ! こんな田舎で刀なんぞ持ってる奴がいるか!」
「怪しい奴め!」
「おまえら、何者だ!」
男たちが足を踏みならす。女たちが半狂乱に叫ぶ。
その騒々しい物音の中で、一颯の膝の上の少年が目を覚ます。
「……んん〜」
寝ぼけ眼を擦りながら、辺りを見回す。
自分が今どこにいて、何があったのか、何もわかっていないという表情だ。
その眠そうな目が、一番近くにいた一颯を捉える。
「……お兄ちゃん……?」
「イーレ」
一颯が優しい声で、少年の名を呼ぶ。
「どうして、矢杜衆のお兄ちゃんがここにいるの?」
少年の声音に怯えはなかった。その顔には、笑みさえ浮かべている。
「矢杜衆?」
「イカルの?」
村人たちがイーレと一颯を凝視する。
「彼に見覚えはありませんか?」
真鳥の静かな声が、みなの記憶の解放をそっと促す手助けをする。
「どこかで……」
「イーレ、そいつを知っているのか?」
年老いた男がイーレに問うた。
「知ってるよ。あの洪水の後、この村を助けてくれたお兄ちゃんだもん」
イーレが一颯の逞しい腕に縋り付くと、一颯は「覚えていてくれてありがとう」と優しい笑顔を返す。礼を言われた少年は照れたようにへへっと笑う。
矢杜衆の男に心を許した様子で寄り添うイーレの姿に、村人たちから、嗚呼という声が上がる。
「あの時の!」
「あんただったのか……」
村人たちを包んでいた怒りの火は、たちまちのうちに萎えて消える。急に活力を失った男たちが、また、ふらふらと筵の上に座り込む。
真鳥も一颯の隣に座り、二人は僅かに視線を絡ませる。真鳥の笑みにつられるように、一颯も軽い笑みを返す。
「気が動転しちまって、すまねぇな」
村人の一人が頭を下げ、一颯たちへの謝罪の言葉を述べる。
「矢杜衆がむやみに人殺しする訳がねぇ……」
「俺たちの村を救ってくれたお人だもんな」
口々に、一颯への態度を詫びる声が漏れてくる。
アカギの農村部に住む人々は、のんびりとした気質を備えている。元々、誰かを罵ったり傷付けたりすることから縁遠い。何者かによる村への急襲が、穏やかな彼らの日常と精神を打ち砕き、恐慌状態に陥らせていることは明白だ。
「なんか、頭がうまく回らねえわ……」
「じゃあ、誰が村長を殺したんだ?」
「余所もんに決まってる。誰か、刀、持ってる奴が来たのを、見なかったか?」
「おい、やめねぇか! イーレがいるんだぞ!」
そこにいた全員の目が、一人の少年に引き寄せられていく。
十歳になったばかりの、まだ腕も足も頼りなげな線の細い少年が、矢杜衆二人のそばにキョトンとした表情で立っている。
少し癖のある茶色の猫っ毛が柔らかそうに夜風に揺れている。他の村人たちのように、ひどく煤で汚れていないのは、火の手の上がる前に祖父である村長が体を張って彼を守り、外へと逃がしたからだ。
少年は、大人たちの言葉を理解できないまま、唯ならぬ周囲の様子に怯えを見せ始める。
一颯の腕に縋るようにしがみつく。
「イーレ」
そっと呼びかける一颯の声さえも、もう彼の耳には届いていないかのようだ。
イーレの目は彼を取り囲む村人たちの顔をぐるりと眺める。そして、首を伸ばし、そこにあるはずの顔を探し求めるような素振りを見せる。
「お母さん……?」
イーレの唇が動く。
女たちから嗚咽が漏れ、男たちは辛そうに眉を寄せる。
イーレの目が次第に焦点を失っていく。その身体が小刻みに震え始める。
彼が今、その目に何を見ているのか、そこにいる誰もが容易に想像できる。
一颯の腕がイーレを支える。その細い身体がびくんと跳ね、その目が大きく見開かれる。
「いやだーっ!」
脳内に浮かび上がる映像を、むしり取ろうとするかのように、両手で髪をかきむしる。爪が額を引っ掻き、血が滲む。
「イーレ!」
「イーレ」
村人たちが一斉に彼に向かい手を差し伸べる。
「来るな! 来ないでっ! わぁぁぁぁぁぁーっ!! っく、ひくっ」
激しく暴れた後、イーレの身体が一颯の腕の中へ倒れ込む。手足を突っ張り、身体が痙攣を起こし始める。皮膚が青くなっていく。
「先輩、冷やした布を」
真鳥は一颯の言葉が終わるより前に、完全に姿を消していた。
一颯は、イーレの着物の腰紐を解き、靴を脱がせ、身体を楽にさせる。その間も、ビクビクと痙攣を続ける。喉から、引きつった空気が漏れてくる。
「ああ! イーレ! イーレっ!」
「騒がないで。静かにお願いします」
駆け寄ろうとした女を、一颯の声がやんわりと制す。
「急激なストレスによる発作です。すぐに治まります」
「一颯」
いつの間に戻ったのか、真鳥が冷たい水に浸した布を差し出す。
「ありがとうございます、先輩」
一颯は、渡された布をイーレの瞼の上にそっと押しあてる。
「っふ」
一時的に止まっていた呼吸が戻ってくる。篝火の中でさえ判るほどに青ざめて見えた皮膚が、じわりと本来の色を取り戻していく。
「ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐いて」
一颯の言葉に無意識にイーレが応じる。
ふらりふらりと彷徨っていた視線が、イーレを抱いている一颯を捉える。
「……お、にい、ちゃん……」
「イーレ」
一颯が優しく笑いかけると、イーレの黒い瞳が潤み、大きな涙がこぼれ落ちる。
「妹が……イリスが……」
「言わなくていい」
「お父さん……お母さん……じいちゃん……」
大丈夫だから。
怖くないよ。
泣かないで。
どんな言葉も今のイーレには相応しくない。
目の前で家族を殺されたのだろう。発作を起こすほどに取り乱したイーレを見れば、そうとしか考えられない。
まだ十歳なのに……
一颯は、小刻みに震えるイーレの身体を抱きしめる。
大丈夫なんかじゃない。
怖くないわけがない。
泣く以外の何ができるというのだ。
イーレの小さな身体を抱きしめることしかできない自分を苦々しく思う。
「っふ……く……」
一颯の腕に顔を埋めたイーレが声を上げて泣き始める。
零れた涙が一颯のシャツを濡らす。
その熱が肌へ染みこみ、一颯の体に痛みを与える。痛みが自分の弱さと小ささを見せつける。
矢杜衆と名乗りながら、何も出来ない。
もっと早く走ることができたら、少年の家族を救えたかもしれない。
あと少し早く着いていたら、何者かの襲撃を防げたかもしれない。
こんな冷酷な現実を、まだ小さな少年に背負わせることもなかったかもしれない。
しても仕方の無い後悔ばかりが押し寄せる。
決して非力ではないはずなのに、自分の持てる力が何の役にも立たない不甲斐なさに、ギリギリと歯噛みする。
イーレを抱きしめる一颯の腕に、渦巻く想いが篭もる。
すべてを助けることはできない。
自分は神ではないのだ。
そんなことは解っている。
どこかで割り切らなければ、助かる者も助からない。
でもそれは理屈だ。
今、この状況に対する感情を捨てきれるほど、自分は非人間的にはなれない。
それは、同時に弱さの表れでもあるのだろう。
一颯の吐き出す息が、不規則に揺れる。
一言一言を絞り出す。
「助けに行ったんだけど間に合わなかった。力が足りなくて、ごめん」
詫びることしかできなかった。
「お兄ちゃんっ!」
イーレが一颯の首に縋り付く。
「……っう……うぅぅ、お父さんっ……! お母さんっ! イリスっぅ……!」
イーレの涙声が、土地神の庭に染み渡っていく。
二人を取り囲む村人たちからも、嗚咽が零れている。
大切な者を失ったのは、イーレだけではない。
今ここにいるのは、親を、子を、孫を、伴侶を、愛する人を亡くした者たちばかりだ。
突然、襲いかかり、すべてを焼き尽くした非日常に、その心がついて行けず、今の今まで泣くことさえもできなかったのだろう。
慟哭が、慟哭を呼ぶ。
男たちは拳を大地に叩きつけ、何故だと繰り返す。
女たちは涙を流しながら、声が嗄れても子どもの名を呼び続ける。
もうどんな言葉も、彼らを救う事はできないだろう。
彼らのために……何か……
一颯の中に吹き荒れていた想いが、一つに結束していく。
熱く沸き上がる想いを胸に、一颯は伏せていた顔をゆっくりと上げる。
燃えるような琥珀の双眸が、真鳥を真っ直ぐに捉える。
このまま終わりにはしない……
一颯の意志が真っ直ぐに真鳥を貫く。
けれど、強い光を放つ相棒の瞳から目を反らし、真鳥はその秀麗な顔を僅かに歪めた。
作中に出てきた『全権使』は、ある一定の地域の全権を任される為『全権使』と呼ばれます。
彼らは与えられた地域の、政治家であり警察権を持ち、法の番人でもあります。
昔の西欧でいう領主みたいなものだと考えて頂ければ分かりやすいかと思います。
今日もお読みいただきありがとうございます。
次の更新は明日(9/28)です。
よろしくお願いします。




