襲撃
爽やかな風が、青田の表面を撫でるように滑る。
魚を含んだ水が、水路を軽やかに駆け抜ける。
風光明媚な風景がどこまでも続くアカギの首都エルカの郊外。
そこを、二人の男が歩いている。
ペッタペッタという異音と、場違いな長刀のせいで、畦道ですれ違う農夫たちの好奇の目を引いている。
「先輩、確かに任務は終わりましたが、その格好はどうかと……」
「ん? もう夏だし、涼しいし、いいじゃない」
一颯の視線の先で、真鳥は持ち上げた足首をヒラヒラと振ってみせる。
黒いTシャツに、あちこち穴の開いたデニムを膝まで捲り上げ、素足には異音の原因となっている安っぽい白いビーチサンダルをつっかけている。
左肩には、荷物の入ったデイパックをぶら下げ、イカルでもアカギでも珍しい銀の髪は、いつものように後ろで一つに纏められている。
一見、どこの町角にもいそうな、ちょっと軟派な青年に見える。
しかし、この人物が、白い正装を着こなし、アカギ宮殿内の謁見の間で内務大臣を相手に全く見劣りしない態度で外交を済ませたとは、誰も信じないだろう。
あの内務大臣が今のこの人を見たら驚くだろうな、と一颯が想像していると、真鳥がじろじろと視線を送ってきた。
「オマエのその長刀の方が違和感あるんだけど?」
真鳥は、一颯の全身を上から下まで舐めるように眺める。
白いシャツは夏だというのに長袖で、さすがに袖は少々撒くってあるが、襟元のボタンはすべてきっちりと閉じられている。
下は黒いスラックスをこれまたきっちりと履き、靴は矢杜衆支給の戦闘用革ブーツだ。
短く刈り込まれた黒髪に、斜めがけした黒いキャンバス地のカバンまで暑苦しい。さらに背中に背負った長刀が長閑な風景に不釣り合いすぎる。
「カバンに入るサイズではないので、こうするしか……腰に帯刀している方がおかしいでしょう?」
そこで一颯は、あっ、と声をあげた。
「なに?」
「聞こうと思っていたことを思い出しました。先輩は刀を使わないんですか?」
アカギへの道程でも、真鳥は主に飛び道具を使っていた。
矢杜衆の戦闘班に属する者は、それぞれ自分の体格や技術に合った武器を使う。長槍や弓、棍棒など様々な武器があるが、多くは刀を好んで使う。
真鳥のように、クナイだけというのは通常あり得ない。
「一応、刀はあるんだけどね。最近はうちの押し入れん中に入れっぱなしなんだよね〜」
「押し入れって……戦闘時はどうするんです?」
「最初から本格的な戦闘になることが分かってれば、メンテして持っていくけど。でも、持って無くても問題ないよ。現地調達できるから。ホラ、戦場は武器の宝庫だからね〜」
武器も術も、自分に合ったものを選べばいい。とはいえ、現地調達は機転が利き、かつ器用でなければ不可能だ。
つまり、真鳥はどんな武器でも扱えるということだ。例えば、木の枝一つでも真鳥が持てば立派な武器になるのだろう。
一颯は、真鳥の言葉をそのように理解する。
昨日の内務大臣との遣り取りもそうだが、改めて八束真鳥という人物に敬服する。
自分など、真鳥の持つ矢杜衆としての資質には足元にも及ばないことをひしひしと実感する。二位と三位という階位の違いだけではないだろう。真鳥のような者は矢杜衆でも珍しい。
少し、加内様に似ている。
一颯は、矢杜衆長・伐瑛至の右腕で、切れ者として名高い加内永穂の姿を思い浮かべる。
矢杜衆長と並んでも見劣りしないほどの長身に、長い黒髪を持つ加内は、戦場の村雨という通り名を持つ。彼が駆け抜けた後には、文字通り血の雨が降り、一瞬のうちに片が付くことから、そう呼ばれるようになった。
加内もまた、どんな武器でも扱うと聞いている。
この人もきっと、加内と同種なのだろう。
一颯がそんな目で眺めていると、真鳥が背中の長刀に視線を向けてくる。
「おまえのソレ、かなりいい刀だね。名刀でしょ?」
「形見なんで、誰が作ったとかよく判らないんですけど。でも刀鍛冶が、イカルで十本の指に入るって言ってました」
「すごいね」
「僕の方が、まだこの刀に相応しくないんです。宝の持ち腐れですね」
「そういうとこ、一颯は真面目だよね」
真鳥が目を細めて笑う。
あ、まただ。
一颯は、ふいに訪れたその感覚にぴくりと反応する。
真鳥は、やはり自分を知っている。真鳥の言葉や行動のあちこちに、その気配が紛れている。
イカルを出た夜の戦闘で、一颯はそれをはっきりと実感した。
真鳥は、戦闘時に一颯がどう動くかまで計算し動いていた。自分なら必ずそこで援護する、まさにその場所に彼はいた。そんなことは、書類だけで解るはずもないのだ。
天才的な戦闘の勘があったとしても、予備知識や打ち合わせなしに仲間の動きを読むには限界がある。
あれはまるで、幾度も共に戦ったことがあるみたいな動きだった。でなければ、真鳥は超天才だ。あるいは、人の心の中がつぶさに読めるか。
一颯の中に、あの夜の感覚が蘇る。
戦い易い。
言葉にしてしまえばそれだけのことだ。
しかし、任務にはいつでも生死がついて回る戦闘部門の者にとって、命を預けられるパートナーの存在は、生涯の伴侶を得るよりも難しく、故に出会えればその価値は計り知れない。
息のあった者同士でバディが組まれるのも、それだけで成功率が上がるからだ。
真鳥に感じたものが自分の気のせいでなければ、一颯の直感は、この人だと告げている。書類上に記された記録ではなく、身体に染みついた無意識の記憶が、真鳥をバディだと認めている。
それは、めまぐるしく変化する真鳥への印象で、ただ一つ、確かなことだ。
一颯がぎゅっとその拳を握りしめたとき、真鳥が立ち止まっていることに気づいた。
「先輩?」
数歩後ろの真鳥を、一颯が振り返る。
真鳥が街道とは名ばかりの畦道の先を睨んでいる。
一陣の風が、二人の間を抜けていく。
その中に木の焼ける臭いが一筋、含まれていることに気付く。
一颯も風上を見据える。
ウェルテクス村は、小さな山を一つ越えた向こうだ。
ここからは、まだ何も見えない。
「野火でしょうか?」
「この時期に?」
空気が乾燥し、草木が燃えやすい冬ならばまだしも、梅雨の明けたばかりの夏に野火などあり得ない。
「先輩?」
「嫌な予感がする。急ぐよ」
張り詰めた声で言い放ち、真鳥は一瞬のうちに一颯の前から姿を消す。
「先輩!」
一颯はその後を追い、乾いた土を蹴る。
曲がりくねった街道ではなく、緑茂る小山の中へと。
木々の枝から枝へと飛び移りながら小山を駆け抜けた二人の前が、ふいに黒いもので遮られる。
熱と煙と臭気に満ちた強い風が、山肌を舐めるように吹き上がってくる。袖で鼻と口を覆わなければ、すぐに気管がやられるだろう。
「!」
山の頂上から見下ろす真鳥たちの足元で、炎が村を包んでいた。
茅葺きの屋根が火柱を吹き上げる。農村部特有の木造の家は、紅い火の粉を噴き出しながら呆気なく原型を放棄し、断末魔の様な大きな音を立てて崩れ落ちる。
「何があったんだ」
真鳥が呟いた瞬間だ。
一颯の身体が、宙を飛ぶかの様に躍動する。
ウェルテクスの入り口となる小山の、村の側は崖になっている。一颯の身体が、急な崖をまるで落ちているかのようなスピードで駆け降りていく。
「一颯っ!」
真鳥の呼び声はもう届かない。
吹き上がる黒煙の中に、一颯が消える。
真鳥は、もう一度、村全体を見やり、村の配置と村人の姿、そして風向きを確認する。
一颯は以前、この村を訪れ、天災からの復興作業を手伝っているので地理は頭に入っているはずだ。しかし自分にはなんの予備知識もない。このまま闇雲に飛び込んでも、村人を救うどころか自分まで危うくなる。最悪の事態を避けるためにも、できるだけのことを把握しておく必要がある。
幾人かが、南の田んぼの方へと逃げていくのが見える。その行き先には鳥居がある。土地神が祀られているのだろう。アカギの地方には土地神を祀る村が多い。その社と燃えている民家の間には広い水田がある。あちらへ逃げるのは正しい。
強い風が、煙の向きを変える。
途切れた黒い煙の隙間に、真鳥の目が動くものを捉える。
真鳥のいる場所から真東の方向に、村の中心部とおぼしき一回り大きな家が建っている。他の家々と少し距離があるので、まだ延焼していない。
その屋敷の中から、障子を蹴破りながら人が転がり出てくる。
頭髪の色からして老人だろう。その腕の中に、子どもを一人抱えている。
何かに追われている?
真昼の力強い太陽光が、ギラリと何かを反射する。
その瞬間、真鳥の身体は、一颯と同じように跳んでいた。
崖から飛び降りた真鳥の耳に、業火を引き裂くような高い子ども叫び声が響く。
外れた障子が、赤い飛沫を伴って、縁側から庭へ転がっている。
庭の小さな菜園の脇に、真鳥は血にまみれた老人を見つけた。
首筋に手を当てる。
微かだが脈はある。背中を肩から腰まで斜めに斬りつけられている。例えここに癒し手がいたとしても、もう手の施しようがないことが一目でわかる傷だ。
子どもは何処だ?
周囲を探る真鳥の感覚野が、異質なものを感知する。
「!」
燃え盛る家の中に、気配がある。
クナイを握りしめ、老人を背後に守る態勢で振り返る。
暗かった室内が、突然、パァーっと白に染まる。強い光が、真鳥の瞳孔を焼く。
周囲の火が燃え移ったというのではなく、内部から新たに発火したようだった。閃光が収まった室内から火の手が上がる。その橙の炎を背景に、黒い人影が浮かび上がる。
まだ残像が明滅する目を瞬かせ、真鳥は人影を凝視する。
鋭い視線と殺気が、真鳥の身体をびりりと捉える。
血に濡れた刀がヌラリと光る。
「何者だ」
誰何の声に、影は答えない。
その周囲に、新しい人影が三つ、現れる。
真鳥のクナイが空気を切り裂くように飛ぶ。
キキンッという金属音を立てて、放ったクナイが全て弾かれる。
「!」
かなりの手練れだ。
何者だ?
炎が家に広がる。濛々とした煙が、火の粉を含んで吹き出してくる。
四つの人影が、血濡れた刀の朱を最後に遺し、すうっと奥へと消える。
「・・・っイリ・・・ア・・・イー・・・レっ・・・!」
真鳥の耳が、微かだが、女性の声を捉える。
中にまだ誰かいる!
真鳥の足が土を蹴る。炎の吹き出す室内へと飛び込もうとする。
「先輩っ!」
力強い腕が、真鳥の身体を受け止めた。
「どうするつもりですかっ!」
「声が聞こえたんだ! あの中にまだ誰かいる!」
「え?」
真鳥の身体を押さえ込む一颯の背後で、屋根の一部が崩れ落ちる。
熱風が二人を襲う。
真鳥の瞳には、もはや家を丸呑みした炎がしか映っていない。
「刀を持った奴が家の中にいた。全部で四人。そいつらが火を点けた。生きてる人間がいたのに……」
真鳥が唇を噛みしめる。
家は、全体が一つの炎の柱と化している。唸るような音を上げて燃えさかる。
「追跡しますか?」
「無駄だ」
一颯の言葉を退けて、老人の方へ戻る。もう一度、首筋に触れてみるが何も感じられない。
「この人は!」
倒れ伏した老人の顔を見て、一颯が声をあげる。
「知っているの?」
真鳥が、一颯を振り返る。
「この村の村長です。これは太刀傷ですね。一体、何があったんですか?」
一颯の声が震えている。その左手が、愛刀の柄を握りしめているのが見える。
「わからない。ただ、誰かがこの村に火をつけた。そいつはオレのクナイを刀で弾いた」
老人の遺体を見下ろしながら、真鳥が答える。
「先輩のクナイを躱した?」
まさかという表情で、一颯が真鳥を見る。
「かなりの使い手だ」
「一体、誰が……」
「考えるのは後だよ」
真鳥が一颯の言葉を遮る。
「この老人は子どもを守っていた。男の子だ。近くにいるはず。探してくれる?」
「村長のお孫さんかもしれません」
「老人に抱かれて家から飛び出してきたのは見えたんだけど、ここに着いたときにはもういなかった」
一颯が周囲を見渡す。
燃えさかる家の熱風を受けて、菜園に実る色とりどりの夏の野菜がガサガサと揺れている。
一颯はトウモロコシの太く立派な茎を押しのけ、菜園に分け入っている。
少しして、小さな少年をその腕に抱いて、真鳥の前に戻ってくる。ダラリと力の抜けた少年の細い手足を見て、真鳥が眉根を寄せる。
「大丈夫です。気を失っているだけです」
「そう」
一颯の言葉に、真鳥はホッと息を吐く。
「ここも、もう危ないです。離れましょう」
「他に村人は?」
「南の神社に逃げた人たちがいます」
真鳥は地に跪き、老人の身体をそっと抱き上げる。真鳥の手が血に濡れる。
「行こう」
真鳥と一颯がそこを離れた直後、屋敷は轟音と共に崩れ落ちた。
菜園に実っていたトウモロコシや胡瓜、茄子もまた、食されることなく飛び火に焼かれ、すぐに黒い墨と成り果ててゆく。
確かに、そこにあったはずの、ささやかな幸せの名残を見つける事は、もう出来なかった。
§
「それで、どうだったの?」
濃い闇の中に、衣擦れの音がした。
艶のある女の声が問う。
「予想通り、ウェルテクス村に火を放ちました」
「救いようがないくらい単純ね」
闇の中から返ってきた返答に、うんざりといった溜息が形の良い紅い唇から零れる。
「これで決定的だとは思いますが、一つだけ問題が」
男の声が言った。
「なにかしら?」
「彼らが村に火を放った直後、矢杜衆と思われる二人の若い男が村を訪れ、うち一人が臨也と接触しました」
「矢杜衆?」
女が声音を一段、高める。
「それ、ほんとう?」
「はい。矢杜衆特有のクナイを用いていました」
「臨也と刀を交えたの?」
「遠目でしたので、詳細は見えませんでしたが」
「残念ね。さぞ見物だったでしょうに」
女がくすりと笑う。
「偶然とは思いますが、矢杜衆が絡んだとなると、事が明るみに出るのも時間の問題かと思われます。決行を早めますか?」
「あら、ダメよ。せっかくおもしろくなってきたんだから」
「ですが、上からも事を急げと……」
「上のことはいいわ。このまま様子を見ましょう。引き続き臨也と矢杜衆の動きを報告してちょうだい」
「はっ」
闇の中で男が頭を下げる気配がする。
そのまま音をたてずに、男は姿を消す。
「ほんと、おもしろくなってきたわね」
誰もが寝静まった広い領主館の一室で、女が笑う。
「ねえ、臨也。あなたはどうするのかしら?」
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