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夏の宴(3)

 イカル国の東に接する国、アカギは、豊かな土壌に恵まれた農業が盛んな国だ。

 初夏の時期、田園地帯は美しい青田となる。一面の稲穂が風の行方を示して次々に揺れる様は見事だ。



 そんなアカギの農村部では、土地の神々を祀る風習がある。

 イカル国の人々はその建国の際、犬神との契約によりその地に住まうことを許され、以来その神を崇めてきた。よってイカルに主神は一つだ。

 一方、アカギには一つの神はいない。首都部の人間には無宗教が多く、農村部に行くほど土地神への信仰心が強くなる。それ故、農村部では、季節毎に催される祭りは神への感謝や豊穣を祈る大事な行事である。



 一颯が最後にアカギを訪れたのは、二年前の初夏だった。

 その年の春、アカギ国のあちこちを襲った集中豪雨の復興作業に矢杜衆が派遣されたのだ。村の人々は田畑を元に戻すことに全力を費やしたようで、一颯たちが到着した時、すでに田んぼは青々と茂っていたが、生活状態はひどかった。掘建小屋での寝食では身体を休めることもままならず、病気にかかる者が後を絶たなかった。

 元々身体の弱かった老人から犠牲になり、抵抗力のない子どもたちが、次の犠牲になろうとしていた。

 矢杜衆たちは、流された橋を架け、生活に必要な物資を届け、家を建てるのを手伝い、村人を癒した。一颯たち戦闘班は、弱った村を狙う盗賊や悪徳商人から、掠われたり売られたりしていく子どもたちを護った。

 すべてが終わったころ、村人は祭りを催した。災害のため、例年より少し遅れて開催された祭りは、その年の豊饒を土地神に祈るものだった。

 なけなしの食事と酒が、神と、そして矢杜衆たちに振る舞われた。

 豪雨で一度は全てを失った村人たちが、他国の人の手を借りながらも自分たちの足でもう一度その地に立ち、神への祈りを捧げ、舞い踊る姿を、一颯は美しいと思った。

 自分たちの生活よりも、神から与えられた土地とそこに育つ作物を大切にする彼らの心は、風に揺れる青田のようにしなやかで強かった。



『お兄ちゃん』



 小さな少年が祭りの席で一颯の袖を引っ張った。真剣な黒い瞳が二つ、一颯を見上げていた。



『イカルってどんな国? お兄ちゃんみたいな強い人がいっぱいるんでしょ? お父さんが言ってたよ』

『山と森に囲まれている国だよ。この国よりもずっと小さいんだ』



 緑の山々。甘い水。森を渡る風。

 思い浮かぶのは、愛しい故国。

 自分が護るべき国だ。



『ちょうどこの時期、沢山のホタルが見られる』

『ホタルってあのおしりが光る虫のこと?』

『そうだよ。この近くにはいる?』

『ううん。お父さんが子どもの頃はいたって聞いたけど、今はもういないんだって。お水が汚れちゃったから・・・』

『そうか。ホタルは本当に綺麗な水にしか住めないからね』

『いつか、行けるかな、お兄ちゃんの国。綺麗な森と水とホタルを見に』

『いつでも歓迎するよ』

『大きくなったら、お兄ちゃんみたいに強くなれる? 僕も矢杜衆になれる?』



 矢杜衆への道は厳しい。けれどそれ以前に、他国の者は矢杜衆になれない。

 少年の真っ直ぐな眼差しは本物だ。誰も彼の夢を奪うことも、砕くこともできない。一颯はその眼差しを包むように受け止めた。



『矢杜衆はイカル国の者しかなれないんだ。でも、矢杜衆じゃなくても、人は強くなれる。本当に大切なものがあれば、必ずだ。君は大切なものがある?』

『お父さんとお母さん! それから妹! 僕が守らなきゃいけないんだ』



 一颯が目を細めて笑った。



『君はきっと強くなるよ』



 一颯に太鼓判を押されたのがよほど嬉しかったのか、少年は初めて笑顔を見せた。

 その鮮やかな笑顔を、一颯は今もよく覚えている。



 あれから二年。

 東の国には大きな戦いも災害もない。

 あの村の田は今年も一面、空を映し、風を含み、青々と育っているのだろう。

 窓から吹き込んだ風が、一颯の脳裏に青田を甦らせる。



 明日からの任務の準備と、片付けをしていた手が止まっているのに気づく。

 東の国までは、矢杜衆の杜仙レベルであれば二日で着く。役目を終えた後は行きの疲れを取った上で、普通に帰ればいいので四日かかるとして、往復一週間程度の旅になる。

 一颯は、そうした長い任務で家を空ける前には、必ず掃除をする。

 綺麗にして出て行くのは、もう帰ってこないことを覚悟しての身辺整理に繋がるので縁起が悪いと、以前世話になっていた矢杜衆寮の寮監に怒られたものだが、性分として片付けないではいられない。

 元々綺麗好きなので、部屋はほとんど汚れていない。干してあった洗濯物を畳んで片付け、軽く箒をかけたらもうすることはなくなる。



 机の上には、簡単な着替えと携帯食料、救急セット、そして式や武器となる呪符などを準備してある。

 アカギに届ける秘薬は、明朝、医療部門の研究室に取りに寄ることになっている。

 準備は万端だ。



 一颯は開いた窓からイカルの街を眺める。空は夕暮れを示す色に染まっている。

 ほぼ一ヶ月ぶりの任務に、少し胸が高鳴る。

 久しぶりだからか、それとも八束真鳥と一緒だからか。



「僕も浮かれてるのかな」



 視線の端で畳の上に置かれた矢杜衆日報を捉える。自然と笑みが浮かぶのを止められない。数日前の新聞の中で、小さな真鳥が加内の背で寝こけている。



 同じ時刻、真鳥の家のベルが鳴る。



「は〜い」



 身体の調子は良い。

 毒の影響はすべて消え、後遺症もない。昨日やってきた癒し手から任務を伝えられていたので、昼間、自宅周辺の森で軽く身体を慣らした。任務に支障となる要素はないと判断する。



 真鳥が玄関の扉を開くと、よく前を通りかかる魚屋の息子が桶を持って立っている。顔なじみだったが、どうせ自分のことは覚えていないので、親しい挨拶は留める。



「お届け物っす」

「オレ、何も頼んでないけど?」

「これ、ここに置いていいっすか」



 魚屋の息子は、真鳥の問いには答えず、持っていた大き風呂敷を広げる。中から桶を取りだし上がり框に置く。



「ふー、重かった。じゃ」

「ちょっと待って。これ、な〜に?」



 真鳥が指さすその桶の中では、黒っぽくて細長い生き物が身体をうねらせている。



「なにって、見りゃわかるでしょ、うなぎっすよ。今が旬なんで、油載ってて旨いっすよ」



 白焼きがオススメっす。わさび醤油でどうぞ。あ、泥はもう吐かせてあるんで、すぐ食べられますよ〜と、詳しく調理方法を説明してくれる。



「調理法を聞いてるんじゃなくてね……」

「ああ、忘れてました。カードを預かってたんだ」



 魚屋が前掛けの大きなポケットから白い封筒を取り出し、真鳥に差し出す。



「誰から?」

「長ですよ、伐瑛至矢杜衆長」

「なんで長がまた」

「お見舞いじゃないっすか? あなた、八束さんでしょ? 伏せってるって噂されてましたけど、お元気そうでなによりっす。コレ食べればもっと元気になりますよ!」

「どこかそんな噂が……」

「知らないんすか? あなた、今、有名人ですよ」



 ニカっと笑うと魚屋の息子は、じゃあと手を挙げて、真鳥が止める間もなくぱっと姿を消す。どうやら彼も矢杜衆らしい。隠の者だろう。



 とりあえず封筒を開く。

 可愛らしい子猫二匹が戯れる絵が左下に描かれているが、それとは対称的に、かなり無骨な字で『騒がせて済まなかった。ケリはつけた。これを食べて精をつけて、明日からの任務がんばってくれ。伐』と書いてある。



「ケリ?」



 騒がれた覚えのない真鳥は、カードの中身と、桶の中で見るからに旨そうにうねるうなぎたちを眺めて、大きなため息をつく。



「食べたい……けどオレ、捌けないしなぁ」



 その時、一匹のうなぎが尾を強く振る。うなぎ臭い水滴が、真鳥の額にヒットする。

 その瞬間、ひらめいた。



 ああ、そうだ! あいつがいる。

 この家でもよく食事を作ってくれたっけ。



『先輩・・・魚捌けないくせに、なんで丸ごと一匹買ってくるんです? しかもピチピチに生きてるじゃないですか』

『オマエがいるからいいんだよ。あ、骨は抜いておいてね』

『僕はあなたの母親でも、ましてや嫁さんでもないです』

『なにを今さら。もう嫁みたいなもんでしょ、こんだけ一緒にいれば』

『ニヤニヤ笑わないでください』

『……オマエもね』



 親でも兄弟でもない。

 いうなれば、互いの魂のみが絡みついてしまった存在。

 戦いという特殊な場を媒体として育った、情操さえも越える感情で、互いの生死と直接繋がっている。

 父も、母も、いない。

 兄弟もいない。

 友と呼べる仲間も失った。

 残ったのは、バディである渡会一颯だけ。

 これだけは決して失うことはないと信じた最後の絆だ。



 初めまして、とは言われなかった。

 でも、彼にとって、自分と一緒の任務に就くのは初めてだ。

 そこで彼は何を想うのか。

 十年もの年月をかけて築き上げたものがすべて消え去り、急に足元に不安が走る。胸を針で突いたような痛みを覚える。



 元気のいいうなぎが一匹、桶から飛び出す。

 真鳥の足元で、水を求め必死に身体を捩る。口を大きく開き喘ぐ。でも欲しい物は手に入らない。ただのたうち回ることしかできない。



「これが代償か」



 一颯の命と引き替えに差し出したものは、自分に関する他者の記憶だった。

 けれどそれは形に過ぎず、本当に無くしたものは、一番、無くしたくないものだったのではないだろうか。

 クロウはそんなオレの姿を見て、笑うのだろう。『あのときの覚悟はどうした』と……



 真鳥はぷるっと頭を振ふ。銀の髪が玄関の電灯の光を弾く。



「やめやめ。どうせ明日、思い知ることだし。ここで想像しても意味ないでしょ」



 それに、きっと現実はもっと痛いのだろう。

 人一人の命を運命に逆らって無理矢理、繋ぎ止めたのだ。

 簡単には終わらない。



 真鳥は深く息をつく。

 零れてきた銀髪を無造作にかき上げ、後ろで一つに縛る。

 床に飛び出したうなぎの尾を掴んで桶に戻す。



「明日、持ってって捌いて貰おう。道中の食事になるし。君たち、今夜はうちの台所にお泊まりね〜」



 真鳥は桶を抱えて台所へ向かった。



 翌朝、五時、東門。

 挨拶を終えた一颯は、真鳥に会ってから気になり続けていた事をやっと問いかけた。



「先輩、さっきから気になってたんですけど、その背中に背負った大きな桶はなんですか?」



 そんなものを担いでいたのでは、迅速に走れないだろう。



「あ、そうだ。忘れてた」



 真鳥は背中から桶を下ろすと、はいっと一颯に渡す。



「なんです、これ?」

「なにって、うなぎだよ〜。今が旬なんで、油載ってて旨いらしい」



 白焼きがオススメで、わさび醤油で食べるんだって。

 泥はもう吐かせてあるから、すぐ食べられるってさ〜、と、真鳥は魚屋の息子がしてくれた説明をそのまま告げる。



「調理法を聞いているんじゃありません」

「だってオレ捌けないし」



 何故か得意げにさばけないという真鳥の目がニヤニヤと笑っている。

 一颯が捌けることを知っている顔だ。



「……で、どうしろと?」

「捌いて」

「念のため伺いますが、これから任務だって知ってますよね?」

「知ってる。だから今すぐやって。携帯用食料にして、腐らないようにね」



 当たり前の様に、真鳥が言う。



「は?」



 なんだ、この人は!?



 一颯は彼が自分のバディであることを、そのとき初めて疑いたくなった。誰かに騙されているのかもしれないと。



 それでも何故か真鳥には逆らえなかった一颯は、任務出立前、早朝の街の片隅で、うなぎを捌くことになる。

 真鳥との上下関係が、一瞬で決まってしまったかのような気がして、一颯は肩を落とした。



 東の国アカギへの旅は、まだ始まったばかりである。



(第2章に続く)

如何だったでしょうか?


記憶を無くした後、きちんと再会して新たな任務に就くまでの二人の心の浮き沈みや期待感などが伝われば嬉しいです!


因みに、二人の上下関係は、記憶を無くす前後で変化は無い…です。


次回から第二章に入ります。

次の更新は明日(9/22)です。


これからも宜しくお願い致します。


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