夏の宴(1)
矢杜衆。
彼らは、古き犬神の印をその身体に戴き、祖国イカルの平和を護る者。
私利私欲を忌み、その道の志を信じ戦う、誇り高き神の僕。
いかなるときも、人々の憧憬と模範の対象であるべく務め、決して羽目を外したりはしない者たちである。
イカル国首都ルーの郊外。
今夜は、矢杜衆長主催による『ホタル見の会』が催されている。
国の三方を山に囲まれ、自然の要塞に護られるイカルは、緑と清流の国である。山から流れ出る清水は冷たく甘い。初夏のこの時期、沢山のホタルが集まってくる。
暗闇を飛び交う青みを帯びた灯りは、地上の銀河と称され、近隣国からも物見の客人が訪れるほど美しいと評判だ。
先日、西の大国ニリが企てた、イカル国宗主である巫女誘拐の一件で、矢杜衆は仲間を失った。
誘拐は阻止したものの、計画の実行者はニリに買収された矢杜衆と判明し、部下たちの間にも動揺が生まれている。事件の事後処理は終了していたが、信じてきた仲間に裏切られた矢杜衆の中には疑心暗鬼に陥る者も多くある。癒やし手たちがその心の癒やしに当たっている。
彼らの長、伐瑛至が『ホタル見の会』を開催すると告知したのは、事件が終わってから五日目だった。
ホタルの飛び交う清流から少し離れたところに設けられた宴席では、任務のない矢杜衆たち百人余りが、振る舞われた酒と旨い食事を楽しんでいる。
矢杜衆ナンバーツーの加内永穂は、珍しく静かに酒を飲んでいる瑛至に視線を向ける。
「みんな、楽しんでいるようだ。この企画は良かったな。本当は、貴方が飲んで騒ぎたかっただけなんじゃないかと疑っていた」
「大自然の力は、人を癒すものだ」
瑛至がすました顔で答える。
今夜は矢杜衆の制服ではなく、南国に咲く鮮やかな花が描かれたシャツにデニム、ビーチサンダルという軽装だ。長身で体格の良い瑛至には良く似合っている。女子たちから「長、格好いいです〜」と黄色い声があがったほどだ。
「八束にも見せてやりたかったな」
瑛至の言葉に、永穂は無言で頷く。
八束真鳥は国境付近で起きたニリとの攻防戦から、渡会一颯と共に帰還した数少ない生き残りであり、裏切り行為を働いた誘拐犯、彩葉を捕らえた矢杜衆だ。
「まだ熱が続いていて動ける状態ではないと報告があった。癒やし手の手当は適切だったはずだが、彩葉が使った毒が強力だったとのことだ。任務の疲れもあったんだろうが」
「あいつの父親とは、よくこうしてホタルを見ながら飲んだんだよなぁ」
「華暖か。懐かしいな・・・父である華暖のことは覚えているのに、その息子の記憶だけなくなるなんて不思議なこともあるものだ。私の生徒でもあったが、あいつの存在が思い出せない」
今、矢杜衆に限らず、一度でも真鳥と接触のあった者に、真鳥の記憶はない。
幼いころから真鳥を知っているはずの瑛至も、真鳥の師匠だった永穂も、彼の記憶を失っていた。
記録だけが残っている。
矢杜衆の詰め所には、真鳥の登録証や任務報告書もある。
そして、幼い頃の写真も、瑛至や永穂の元には残っていた。
シャツの胸ポケットから一葉の写真を取り出して眺める。
修業で疲れ眠っている幼い真鳥を、永穂が背負っている写真だ。
「八束は何も言わないが、犬神が関わっていることだけは確かだ」
国境で何があったんだろうな、と、伐は写真を見つめながら、ここ数日、考えていたことを口にする。
記憶がないから定かではないが、国境での戦いの後から犬神が現れるようになった。それ以前の資料に、犬神出現については記録はいない。
「あんなのがうろついていれば、記録に残るだろう」
「あの白い犬はやはり犬神様なのだな」
永穂が呟く。
白い犬の姿をしているが、たいていはアストラル体なので、蒼いオーラが揺らめく神秘的な姿を披露している。
犬神は矢杜衆のシンボルマークでもある。矢杜衆ならばその身体のどこかに、犬神の入れ墨を持っている。矢杜衆にとっては神に選ばれし者である誇りであり、守り神のようなものだ。
犬神を連れた真鳥が矢杜衆の中で話題にならないはずはない。
犬神憑きだとか、犬神の力を借りて矢杜衆を乗っ取るつもりだとか、噂は絶えない。
「あ! その写真、八束真鳥さんですよねっ!」
一人の矢杜衆が、瑛至の手にある写真をめざとく見つける。
「えー、なになに? 八束の写真?」
「あ、これって新聞に載ったやつじゃないですか」
わらわらと集まってくる部下たちは興味津々だ。その目がホタルの灯りよりも派手に煌めいている。
幼い真鳥の写真は、五日前の矢杜衆日報(イカルの二大新聞の一つ)に載った。載せたのは瑛至だ。たまたま知り合いの記者がネタ探しにきていたので、誰も知らない真鳥に対する噂の軽減になればと思って提供したのだ。
「加内様、若いです〜」
「これ、誰が撮ったんですか?」
「俺が隠し撮りしたんだ。よく撮れてるだろ?」
部下の問いに、瑛至が自慢気に胸を張る。
「長って、八束真鳥の知り合いなんですか?」
「あ? うん、まあな。奴の親父とは一緒に戦った仲だ」
瑛至の返答はどこか鈍い。
「加内様も知っているんですか?」
「え? ああ、知ってる・・・かな。私の生徒だったし」
永穂の返事もはっきりしない。
しかし二人の声のトーンを気にするものは、ここには一人もいなかい。
「おーい、みんな! 長と加内様が八束真鳥のこと知ってるってよーっ!」
誰かが叫ぶ。
『ホタル見の会』に参加していたほぼ全員が、瞬時に瑛至と永穂を取り囲む。
「八束さんの話、聞かせてくださいよ」
「知ってました? 今、すごい噂なんですよ」
「裏切り者を捕まえ、巫女を助けた犬神憑きの英雄って言われてます」
「俺、日報の記者が友だちなんだけどさ、八束真鳥の情報くれたら賞金出してやるって言われてんだよ」
「え?!」
「なんだって?」
ざわっと周囲の空気が揺れる。
瑛至と永穂以外の全員の眼がキラ〜っと輝く。
「長! お願いします! 教えてくださいっ!」
「他に写真とかないんですかっ?」
「加内様! 修業時代のエピソードをぜひ!」
「長っっっ!」
「加内様っっっ!」
周りにいた部下たちが、二人に殺到する。
「ちょ、ちょっと待て! 何をそんなに剥きになってんだ」
瑛至が両手を挙げて待ったをかける。一瞬にして場がシーンと静まり返る。
小さな虫の声、清流のせせらぎ、枝の上で寝ぼけた鳥が羽を幅叩かせる音が、草原を揺らす風に流されてくる。それくらい静かだ。
瑛至は永穂にちらりと視線を送る。永穂は苦笑を返す。
どれだけ問い詰められても、自分たちだって知らないのだ。彼らよりもマシなのは、記録を元に八束真鳥という人間が存在していたと確証していることと、何かがあったと予測できること、この二つだけだ。
今、飢えた獣のように爛々と眼を輝かせている連中は、それすら知らないのだから、写真を持っていて師匠だと名乗る矢杜衆のトップに立つ二人は、情報の泉くらいに思われているのだろう。
瑛至が勿体ぶってゴホンと咳払いする。
全員が瑛至の次の言葉を待っている。
「八束真鳥については・・・あー、トップシークレットだ」
その直後、『ホタル見の会』会場が蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
「おい! これこそ最大の情報じゃないか?」
「だよな! 矢杜衆のトップシークレットに分類されるなんて、一体、どんな奴なんだ?」
「あの俺、この間の任務で彼の手当しました。敵の毒を浴びた彼に肩を貸しましたよ。えへへ」
「おまえ、なに自慢気にいってんだよ」
「え、だって、長がトップシークレット扱いするほどの重要人物ですよ? 自慢にもなるでしょう。でも噂になっているような、矢杜衆を乗っ取るような怖い人じゃなかったです」
「そうなのか?!」
「あの犬はなんだ?」
「あ、僕は見ませんでした。でも神殿に現れたって話を聞きましたけど」
「よしっ! 神殿だな?」
「式、飛ばせ!」
「情報を集めろ!」
「俺が先だ」
「いや俺だ!」
「式なんてまだるっこしい! 自分で確かめにいく! 賞金は俺のものだ〜」
矢杜衆の身軽さを生かして、電光石火の如く、四方へ情報を求めて散っていく。
「おい、おまえら、落ち着けっ!」
瑛至が部下たちを呼び止めた時には、すでに手遅れだった。
「もう誰も聞いてないな」
広い会場に、残されたのは矢杜衆トップの二人だけ。
「えーと、どうしたらいいかな? 永穂」
瑛至はポリポリと頬を人差し指で掻いた。
「私は知らない。貴方の不用意な一言で始まったのだから」
関係ない・・・とばかりに、永穂は素っ気無く、一人で酒を煽る。
「おまえにだって責任あるだろうが!」
瑛至が永穂の足を蹴る。千切れた草が強い緑の匂いを放つ。
「トップシークレットだなんて、貴方が余計な見栄を張るからだ。知らないなら知らないと言えばいい」
「そんなんで納得するような奴らじゃねえだろうが」
「まあ、そうかもしれないが。しかし私たちが調べても何も解らなかったんだ。何をやったところで、たかが知れている。せっかくの会なんだ。とりあえず・・・」
用意された食べ物は若い矢影達に食い散らかされていたが、まだ酒はたっぷりと残っている。
涼やかな風に流されて、ホタルが一頭二頭、ふらふらと飛んでくる。それを目で追いながら、永穂が自分の盃を持ち上げる。
「うるさい奴らがいなくて、静かでいい。貴方と二人だけで飲むのも久しぶりだ、瑛至」
「そうだな・・・飲むか」
瑛至と永穂は互いの盃を軽く触れあわせた。
こんなにイチャイチャしてますが、伐と加内はバディ(相棒)では有りません。
あくまでも長とその補佐でございます。
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ここまで読んでくださってありがとうございます。
後日談の続きは明日(9/20)更新します。
まだもう少し続きます。




