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エピローグ

 ここは神の庭。

 神殿の奥の中庭が見渡せるベンチで、イカルの宗主、巫女イトゥラルは組んだ足をイライラと踏みならしている。足の動きに合わせて銀の髪飾りがちりちりと揺れ、午後の陽光を弾いている。



「遅い! 遅すぎる!」



 勢いよく立ち上がり、長い衣の裾を両手で持ち上げて回廊へ向かうつもりだったが、しかしその顔面はほどよく弾力のあるものにぶつかり押し返される。



「どちらへおいでですか? イトゥラル」



 涼やかな声が頭の上からふってくる。



「真鳥!」

「ご機嫌いかがですか? イトゥラル」

「ご機嫌いいわけないでしょ! 約束は三時。今、何時だと思ってるのよ。女の子を待たせるなんて最低!」

「あ〜すみません〜」



 謝られている気がまるでしないわ、と巫女が睨みつけると、真鳥は封をした書状を指先に摘まんでみせる。



「長にこれを渡して欲しいと、女官長に捕まってたもので」

「女官長に?」

「はい。恋文ですかね〜」



 冗談のつもりの真鳥の前で、巫女の目がきらりと輝く。



「やっぱり!」

「はい?」

「あの二人、付き合ってたのね!!」

「え?」

「前から疑ってたのよ〜! 結婚はいつかしら。巫女だって結婚しようと思えば巫女を辞めればできるんだから、女官長だって問題ないわよね。まあ女官長がいなくなったら、それはそれで淋しい気もするけど。でも彼女が幸せなら我慢するわ。なんなら私が二人の結婚式を執り行う!」



 勝手に想像を膨らましてはしゃぐ巫女を前に、真鳥は預かった書状が一週間後に行われる星灯祭の段取りだとは言えなくなってくる。


「真鳥もあの二人はお似合いだと思うでしょ?」

「まあ〜そうかもしれませんねえ〜」

「そうでしょうとも!」

「女官長のことはまあこのくらいで。ご用はなんでしょうか」



 二日前に医療院を退院し、自宅でリハビリ中の真鳥の元へ、矢杜衆長から式が届いたのは今朝のことだ。午後三時に神殿の中庭で巫女が待っているという。



「用? ないわよ」

「はい?」



 真鳥の家は北の杜の入口にある。神殿のある市街地まで、矢杜衆の足で二十分、普通にあるけば一時間はかかる距離だ。来週には任務に復帰することになっていたので、身体慣らしも兼ねてやってきたのだが、用もないのに矢杜衆長まで使ったというのだろうか。



「用はないけど、会いたかったの。真鳥に」



 巫女はベンチにふわりと衣を膨らませて座り、警護の姿勢で立つ真鳥を見上げる。



「オレに、ですか?」

「ああ、勘違いしないでね。別にあなたに恋しちゃってもう好き好きどうしよう〜あなたがいないと夜も日も明け合い〜! とかそういうのじゃないの。もちろん犬神様なら一緒に暮らしたいほど好きだけれど」

「そんな勘違いは寝ぼけたってしませんよ。あ、クロウならあげます。できれば引き取ってもらえると助かるんですが」

「あたし、一応、巫女の力があるじゃない?」

「人の話を聞いてます?」

「だから、わかっちゃったの。真鳥と一颯のこと」



 巫女の口から零れた相棒の名に、真鳥が表情を変える。

 これまで巫女の前で彼の名を出したことはなかった。巫女の方も、神殿警護でもない矢杜衆の名を知っているはずはない。



「ニリとの間で何が起こっていたのか。あの戦闘で何があったのか。犬神様が何をしたのか。彩葉のしたことも、ぜんぶ。すごいでしょ。巫女の力なの。知りたいと思ったことはなんでもわかっちゃうの」

「イトゥラル……」

「あたし、みんながあなたのことを忘れてしまった理由をどうしても知りたかったの。誰でも愛想はいいし、よく笑っているけど、それがほんとの真鳥じゃないってことは見てればすぐにわかったよ。いつも諦めたように笑ってた。どうにかして元に戻したかった。でも、元に戻してはいけないことだったんだね」



 真鳥を見つめる巫女の黒い瞳が濡れて光る。



「……はい。一颯を助けるための代価ですから、このままでいいんです」

「でも、それじゃあ真鳥が苦しむだけだよ」

「それが代価なんですよ」



 投げやりなわけでも、諦めたわけでもないその声遣いは、真鳥がその運命を受け入れていることを巫女に感じさせた。

 たとえ運命を受け入れることができても、彼を取り囲む状況は変わらない。笑うことができるようになっても、彼の孤独はなくならない。

 巫女には真鳥が背負うべきその無慈悲な代価の大きさが見えるようだった。



「……ハギの話、彩葉から聞いた?」

「はい」



 巫女がまだ神殿に上がる前、街で普通の少女として暮らしていた頃の友人だ。

 神殿に上がってすぐ、星灯祭で会えると楽しみにしていた。

 けれどそこにいたハギはもう以前のハギではなかった。

 そして自分も以前の街の少女ではなくなっていた。

 それを思い知る出来事だったと聞いている。



「あたしはもうあんな想いはもう二度としたくない。他の誰にもして欲しくない。だから真鳥のこともどうにかしたかったのに……結局はあたしのせいで、彩葉も死なせてしまった」



 巫女は何かを掴もうとするかのように、空っぽの小さな手を握りしめた。



「あたしは巫女で、みんなを幸せにしなくちゃいけないの。でも、あたしの手は誰も助けることができない。巫女なんて呼ばれても、本当は何もできない。それが嫌なの」



 巫女となり五年。

 たった五年のうちに、幾度も味わった挫折。

 それは巫女の中に渦巻く叫びだった。

 どれほど自身の非力さに打ちのめされても、立派な巫女になるという母との約束を思い出しては歯を食いしばり、できうる限りの抵抗を試みてきた。

 今度こそはと、がんばったのだ。

 その果てに見つけた答えは、それまでの努力をすべて否定した。



「あたし、間違ってたのかな。がんばれば何かできるかもしれないって、そう思うことが間違っていたの?」



 信じて歩いてきた道が、積もり積もった挫折によって打ち砕かれようとしている。

 大粒の涙が次々に零れ落ち、空色の衣装に染みを広げていく。

 閉じこめてきた失意は留まることなく、涙となって溢れ出ていく。



 真鳥は巫女の前に跪く。

 巫女の足元をみやる。

 小さな星の飾りのついた青い可愛らしいサンダルだった。

 真鳥はふっと目を細めた。

 これは、ハギが作った靴だろう。



 今日、ここへ来る途中、女官長に呼び止められたときに聞いた話だ。

 初めての星灯祭で仲の良かったハギから最敬礼を受けた巫女は、親しい友人を失った哀しみに一晩を泣いて過ごしたが、そのまま泣き寝入りするような、いじらしい性格ではなかった。

 翌年の星灯祭が近づいた頃、所用で街に出た巫女は、付き人や警護の者たちを振り切り、ハギの家へと怒鳴り込んだのだ。



『今年も星灯祭の花を渡す係、ちゃんとやりなさいよね! 逃げたら絶対に許さないから!』



 近所中に響き渡る大声で叫んだという。

 ハギは逃げずに星灯祭にやってきた。そして祭が終わった後で、ぶっきらぼうに『ごめん』と差し出したのが最初の靴だったという。

 それから四年。

 ハギが学校に通う年齢になってからは星灯祭の係をしなくなったが、それでも星灯祭が近づくと靴が届けられるようになった。この青いサンダルは、昨日、届いたばかりだという。



「転んでもただでは起きないのが巫女様のいいところでしょう。そんな巫女様がこれからイカルをどう導いてゆくのか、みな、とても楽しみにしているのです」



 女官長は嬉しそうに語っていた。



 十歳の少女は自分の手で大切な友人を繋ぎ止めた。毎年贈られる靴は、今も、そしてこれからも続く友情の証だ。そんな巫女を宗主と仰ぐ国の民であることを、女官長も女官たちも誇らしく思っている。

 真鳥も同じ想いだ。

 彩葉も、そう感じたのだろう。

 巫女の小さな手が、空っぽのはずはない。

 真鳥は固く握りしめられた巫女の両手に自分の手をそっと重ねる。

 顔をあげ真鳥を見つめる黒い瞳は、濡れていてもどこまでも澄んでいる。



「このサンダル、素敵ですね。イトゥラルによく似合っています」

「ハギが……毎年、新しい靴を作って届けてくれるの」

「それは良かったですね」

「……サンダルがどうしたの?」

「あなたのこの手はハギに繋がっている。あなたはハギをなくしたりしなかった。自分の手で取り戻したんですよ」



 巫女は大きく目を見開いた。



「そんなふうに考えたこと、なかった……哀しくて、でもそのままじゃ悔しかったら仕返ししただけなのに」



 ぷっと真鳥が吹き出す。



「そんなあなたをみて、彩葉は矢杜衆としての心を取り戻したんでしょうね」

「でも彩葉は……」

「オレ、彩葉とは養成所の同期だったんです。実は告白されたこともあります」

「え!? 彩葉に?」

「はい。断りましたけど」

「どうして?」

「その頃はまだ矢杜衆になることしか考えられなかったんです。彩葉に限らず、誰かを大切にできる自信なんてなかった。でも断った後も普通に友人としてのつきあいはありました。だから、やっぱり自害は間違った選択だと思うし、生きていて欲しかったです。彼女を止められなかったことを、一生、悔やみます」

「そっか。あたしもね、彩葉のことが好きだった。お姉さんがいたらあんな感じかなって。もっと甘えたかったな」

「女官長はお姉さんじゃないんですか?」

「絶対に違う!」



『即答だな。あの者が聞いていたらむせび泣くのではないか?』



 唐突に低い声が二人の間に割り込んだ。



「犬神様!」



 叫ぶと同時に犬神の首に巫女が飛びついた。

 その白い毛の中に顔を埋めてさらにぐりぐりと押しつける。



「会いたかった〜! 犬神様、ぜんぜん来てくれないんだもん。どこにいたの?」

『これでも忙しいのだ』

「オレは知ってるよ。庭に埋めた骨がどこだったか忘れてずっと探し回ってたんだよね」

『八束真鳥よ、どこまで我を愚弄すれば気が済むか』

「あ! だったら新しいのあげます! 女官長に頼んで買ってきて貰ったの」



 巫女がどこからか取り出したのは、骨の形をした犬用ガムだ。



「歯磨きの代わりになるし、ストレス解消にもなるんだって。はい、どうぞ。犬神様」

『我は犬ではなっむぐ』



 犬神が口を開いたその瞬間に骨型ガムを押し込む巫女の手際の良さは見事だった。



「良かったねえ、クロウ」

『うぐぐ』

「真鳥」



 巫女は犬神の首にぎゅっとしがみつき恥じらうように顔を隠すと、もごもごと「ありがとう」と言った。



「何のことでしょう」



 惚ける真鳥に巫女は涙の乾いた顔を向ける。



「……ねえ、真鳥。何かあたしに出来ることはある?」



 十歳の少女らしい笑顔で、巫女が問う。

 真鳥はしばらく考えてから、



「お許し戴けるなら祝福をいただきたいです」



 そう答える。



「来週からしばらくイカルを離れます。一颯と一緒の任務なんですけど。またバディになれるように、この任務で少しでも近づけたら嬉しいです」



「任せて! 得意分野よ」



 犬神を解放した巫女は、真鳥の前に立つ。

 その表情が一瞬で巫女のものへと切り替わる。

 真鳥は片膝をつき、頭を垂れて瞼を閉じる。

 巫女の纏う気が変わる。早春、イカルの山を流れる雪解け水のように、きんと冷えた空気がゆらりと巫女から流れ出る。

 巫女の唇は、古より伝わる神の言葉を朗々と紡いでゆく。



「真鳥、あなたに祝福を」



 巫女が真鳥の額にそっと指先で触れると、真鳥の身体を一陣の風が吹き抜け、銀の髪をふわりと巻き上げる。



「あなたの願いが、一颯に届きますように。この次は、一颯と一緒に遊びに来てね」

「有り難き幸せ。巫女イトゥラルにも幸多からんことをお祈り申し上げます」





 東の山の端はすでに白み始める。

 けれど夜はまだ完全には明けていない。

 真鳥がイカルの東門に着いたのは、そんな時間だった。



 新しい任務のため、今日から東の隣国アカギへ、往復一週間の旅に出る。

 初夏を迎えたこの季節、イカルの街は早朝、薄い霧に覆われる。イカルの南方、断崖絶壁の向こうにあるという未開の地を包む霧が、こちらに流れてくるのだ。視程はおよそ五百メートルというところか。

 辛うじて見える時計台は、五時五分前を指している。

 共に任務に赴くもう一人も、もう来る頃だ。時間にはいつも煩い人間だから、彼が遅れたことは一度もない。



 ふいに朝霧の帳が揺れる。

 矢杜衆の黒い戦闘服に身を包んだ身体がゆっくりと浮かび上がる。

 身長は真鳥よりも少し高い。身体付きは細いけれど均整が取れている。短く刈り込んだ髪と、背負った長刀が特徴的だ。



「お待たせしてしまいましたか?」



 爽やかな声も、真鳥の良く知る通りで。



「時間通りだよ」



 答える真鳥の声は、少しだけ緊張を含んでいる。

 髪と同じ、黒にも見紛う琥珀色の瞳が真鳥を捉えている。



「今日からの任務、よろしくお願いします」



 きちんと頭を下げる一颯を見て、真鳥は込み上げる懐かしさに心を襲われる。知り合ったばかりの、まだ互いを良く知らない頃に戻ったようだった。

 ほんの少し、時間が戻ったと思えばいい。

 もしかしたら、それだけのことなのかもしれない。

 真鳥の身体を縛っていた余計な力が、朝霧に溶けて消える。



「うん、こっちこそよろしくね。じゃあ出発しよっか」



 東門を護る仲間に手をあげて挨拶を交わすと、真鳥は先にたって歩き始める。


 

「あの、先輩」



 真鳥がぴたりと足を止め、神速の勢いでブンっと振り向く。



「前みたいに、そう呼んでもいいでしょうか」 

「なんで!? 覚えてるの?」

「メモに残っていたんです。バディ登録の更新を先輩に確認するって、冷蔵庫に張ってあるのを見つけました。八束さんのことをそう呼んでいたんですよね?」

「……うん」

「先輩とお呼びしていいですか?」

「……うん」



 言うやいなや、真鳥はくるりと背を向けて早足で歩き出す。



「どうしたんですか? もし嫌なら」

「嫌じゃないって! 先輩でいいし!」



 心構えが出来ていなかっただけなのだが、動揺を隠せず思わず口調がきつくなる。

 真鳥の耳が紅く染まっているが、銀の長い髪が邪魔をして一颯は気づかない。



「怒ってるんですか」

「怒ってないよ」



 ただの祈りの言葉だと思っていたのだが、巫女に貰った祝福の効き目は絶大のようだ。

 効き過ぎじゃないの?

 心の内で巫女への文句を言いながらも溢れてくる嬉しさに顔が緩むのを見られたくなくて、真鳥はさらに歩調を早める。



「待ってくださいよ」

「早くしなさいよ」

「先輩!」



 そんな二人を見送るように、時計台の鐘がイカルの街に朝の到来を告げる。

 それは、新しい一日の始まりだった。




「神々の午睡は一瞬の瞬き」シリーズ

第一部「もふもふしたい巫女と興味のない青年と犬神様」完


ここで一旦、一区切りです。

因みに、一颯が記憶を失う前から真鳥の事を『先輩』と読んでますが、正しく真鳥は一颯の矢杜衆養成所の先輩にあたります。

なので、正式にバディ(相棒)になっても『先輩』呼びが残ってしまいました。

因みに、若くして杜仙になるだけあって、真鳥も一颯も養成所を繰り上げ卒業してます。

が、それでも卒業は真鳥の方が早いので、やっぱり『先輩』です。

という、大した内容じゃない解説でした。


***


ここまで読んでくださってありがとうございます。

「神々の午睡は一瞬の瞬き」シリーズの本編「もふもふしたい巫女と興味のない青年と犬神様」の第1章完結です。

この物語は始まったばかり。

まだこれからも第2章、第3章・・・と続きます。

これからもよろしくお願いします。


次の更新は、後日談の小編です。

明日(9/20)更新します。

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