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求めた光の先(2)


 あの戦闘の日から、真鳥は医療院に入院している。

 彩葉から受けた毒の効力が切れるまで一週間程かかるという診断を聞いた加内が、半ば強制的に医療院に押し込んだのだ。

 日中は、此度の巫女誘拐の件の報告に費やしている。指先に残る痺れのせいでペンが持てないので、加内直属の信用のおける部下が病室に来て口述筆記をしてくれている。



 夜になれば、夢を見る。



 夜毎、真鳥の夢の中で彩葉は自刃する。

 目の前にいるのに、彼女を助けることができない。



『貴方には、助けてもらいたくないの』



 真鳥を拒絶する。

 クナイを握りしめた白く細い指が紅く濡れる。

 壊れた笑顔を真鳥に向ける。

 声にならない叫びをあげて、目が覚める。



 そんな夢を幾度も繰り返し見る。

 繰り返す内に、真鳥の心をすり減らしていく。

 彩葉から受けた毒の効力は薄まっているはずなのに、日に日に憔悴の色が濃くなっていったのは、その頃からだ。

 心の手当を専門とする癒し手が呼ばれたが、結果は思わしくなかった。



 伐や加内も真鳥の病室を訪れてくれた。

 直接その時の状況を聞くためと称しているが、満足に食事も摂らなくなった真鳥を心配してのことだ。

 しかし、親代わりの伐や、師である加内の言葉でさえ、真鳥には届かなかった。

 オレは大丈夫ですから、と小さく笑うのだった。

 その笑顔が、夢の中の彩葉と同じものだと、真鳥は気づいていない。



 何度目だろうか、彩葉の自害を止められなかった夜、目を覚ました真鳥の側に犬神が現れた。

 もはや身体を動かす気力さえなく、真鳥は視線だけで犬神を見た。



「情けないよね……何やってんだろ、オレ」



 真鳥の掠れた声に、犬神はじっと耳を傾けている。



「ねえ、なんでいつもみたいに憎まれ口、叩いてくれないの? もうオレのこと見限っちゃった?」



 犬神からの返答はなく、深い杜の色を湛えた双眸がじっと真鳥を見つめる。

 真鳥は小さく自嘲の笑いを浮かべた。



「オレの心ん中なんて、クロウにはお見通しだろうけどさ。別に死にたいわけじゃないからね。彩葉のあんな姿を何度も見るのはやっぱり辛くてさ。でもね、生きてて欲しかったのよ」



 最近では誰とも口をきいていなかった真鳥であるが、久しぶりに現れた犬神の前では、何故かたやすく動く。



「矢杜衆を裏切った彩葉に残されてた未来なんて、わかりすぎるくらいだけど。でもね、その時が来るまで全うして欲しかった。矢杜衆としても、人としてもね。養成所にいるときの彼女はね、ほんとにもう死にものぐるいでしがみついてたんだよ。小さい身体で必死に足掻こうとしてた。だから、彩葉が夢に出てくる度に、本当は止めて欲しかったんじゃないかなって思い始めて……夢の中だけでも止めようと思うんだけど……彩葉も頑固なんだよねえ。何回やってもダメなのよ」

『それはお前の勝手な願いであろう』


 真鳥の目が鋭さを持って、布団の上に座る犬神を射るように見る。

 それも一瞬のことで、すぐに視線は外れていつものようにおどけてみせる。



「うわ〜、それ言っちゃう? 傷心のオレに。それがこの国の神様の言葉ってどうかと思うね。犬神がこんなだって知ったらみんなガッカリするんじゃないかな〜。矢杜衆の旗印から下ろされるかもよ。誰かに思いっきり言いつけたい気分。新聞に投書しちゃおうかなっんんっゲホッゲホッ」



 ひとしきり騒いだ真鳥が咳き込む。

 ベッド脇に置いてある吸い飲みに手を伸ばし、水を口に含む。



「久しぶりにいっぱい喋ったらむせちゃった」

『気は済んだか』



 オレ、諦めが悪い方なんだよねえ、と言いながら、また水を飲む。

 久しぶりに自分から何かを口にした気がする。

 冷たい水が口から喉を潤し、そして体の中に広がっていく。その感覚を味わうようにしばし、目を瞑る。

 先ほどの犬神の言葉が突き刺さった胸の辺りを癒やしていく。



 そんなのオレが一番わかってるって〜の。



 それでも諦めたらだめなのだ。

 忘れたり、消したりしちゃだめなのだと、真鳥はその身体に刻みつけようとしていた。



「……今はだめなのかもしれないけど、いつか助けられるかもしれないでしょ。だからそれまでは、彩葉の手をとってやれなかったことを後悔し続けることにするよ」

『まだ言うか。この愚か者めが』



 真鳥がふふっと笑う。



「いいねぇそれ。もっと言ってよ」

『大馬鹿者』

「馬鹿だよねぇ」



 語尾が小さく震える。

 真鳥は投げ出していた両手を持ち上げて、顔を隠すように交差させた。



「生きて欲しかったなぁ……」



 呟くような声と小さく鼻を啜る音が、静かな夜にゆるりと溶けていく。

 犬神は真鳥の足下に寄り添うように蹲る。

 アストラル体の犬神の体に温度はないが、その存在を確かに感じる。



 やっぱり心配して来てくれたのかな。

 ちょっとだけいいヤツだったり?



『心配などしておらぬ。我に救いを求めても無駄だ』

「人の心の声を勝手に読んでるんじゃないよ。わかってるんだったらもっと優しくしてよね」



 真鳥が小さく唇を尖らせる。

 犬神が喉の奥をくっと鳴らす。

 笑ったらしい。



『お前が顔を見せなくなったとあの巫女が暴れて困っている。早く復帰しろと言いに来たのだ』

「オマエに何かを期待しかけちゃった自分が嫌になる」

『なんだと! お前はもう少し我を敬う心を持つべきだと常々思っていたのだ。今こそ叩き込んでやろう。そこに直れ』

「オレ病人だし〜」

『もう十分元気であろう!』



 アストラル体の犬神が真鳥の胸の上に乗ってくる。



「きゃ〜何するの〜! 犬神様ったら卑猥だわ」

『なぬ!』

「八束さん! お静かに! 何時だと思っているんですか!」


 

 勢いよく病室の扉が開く。

 そこには女官長とよく似た鬼のような癒し手長がいた。





 予定よりも長引いていた入院生活も、ようやく明日、退院できるだろうという日を迎える。

 リハビリを終え惰眠を貪っていた真鳥の部屋へ、予想もしなかった人物がやってきたのは麗らかな午後のことだった。



「お加減いかがですか?」



 目の前に差し出された小さな花束を見つめたまま、真鳥は咄嗟に鼻の頭まで引き上げた布団の中で硬直する。



「あの……」



 差し出したはいいが中々受け取って貰えない花束を抱えたまま、一颯が困ったように眉を寄せる。

 真鳥はベッドの中から一颯を見上げたまま動かない。

 いや、動けないのだ。

 前回、医療院のラウンジでは冷静さを失っていた勢いで話しかけてしまったが、今は違う。突発的展開に驚いているとはいえ、真鳥の思考はちゃんと機能している。



 あの日を境に、世界が変わったわけでも、別の世界が始まったわけでもない。過去と、あの日と、今現在は一つの同じ世界にあるんだということもわかっている。

 伐も加内も、真鳥を受けて入れてくれた。

 一颯も同じだと信じている。

 それでも本物の一颯を前にしたら、今の一颯にとって自分は初対面に等しい間柄でしかないという現実が真鳥の自信を激しく揺るがし始める。



 一颯の命を助けるために、犬神は人々の持つ八束真鳥の記憶を貰うと言った。

 それは、一颯の命を助けるために、過去のすべての一颯を失うということに他ならなかった。



 真鳥の中にあるたくさんの思い出は、もう一颯の中には残っていない。

 初めて会ったときのこと。

 バディになって欲しいと申し込まれたときのこと。

 任務から無事に戻った真鳥を「おかえりなさい」と迎えてくれたこと。

 共に生死を潜り抜けた戦場。

 よく飲みに行った飲み屋でのくだらない話。

 重ねた言葉も、重ねた年月も、何もない。



 初めまして。



 その言葉を言われたら、自分の中に残る過去の一颯までも消えてしまうのではないか、真鳥は掛け布団の端を必死に握りしめる。



 真鳥の顔がゆるゆると布団に埋もれていく様子を見ていた一颯は、花束をベッド脇の小さな棚の上に置く。



「まだ具合が悪いみたいですね。すみません、お邪魔しちゃって。どうぞお大事に」



 ぺこりと頭を下げて、扉の方へと踵を返す。



「あ……」



 行ってしまう。

 わかっているのに動けなかった。



『だからお前は愚か者なのだ』



 突然、頭の中に響いた言葉が電流のように全身を撃ち、真鳥は勢いよく飛び起きる。

 その瞬間、その背をどんっと強く押された。



「うわっ」

「八束さん!?」



 何が起こったかかわからないまま、前のめりにベッドから落ちていく。

 思わず目の前にあった白い何かを掴むことで、床への激突を免れる。



「大丈夫ですか?」



 声に誘われて見上げれば、一颯の顔が間近にあった。

 真鳥が必死に掴んだのは一颯が咄嗟に差し出した腕だった。

 白い長袖のシャツ。

 どれだけ暑くても袖まくりはしない。ボタンは首のところまできっちり止める。

 真鳥を受け止めたのは、真鳥のよく知るいつもの普段着姿の一颯だ。



「あ……あの、ありがとうございます」

「怪我はありませんか?」

「へいきです」



 一颯に支えられながらベッドに戻った真鳥は、そこに蒼白い焔を纏った犬神が鎮座しているのを見つける。



「クロウ」



 一颯も犬神の存在に気づき、あ、と声を発する。

 真鳥の背中を蹴り飛ばしベッドから落としたのは犬神だろう。

 真鳥が無言のまま睨みつけると、深い杜を映したように美しい翡翠の瞳が、真鳥の視線を易々と跳ね返す。何もかも見通した双眸が、真鳥の中に巣くう弱さを咎めているようだった。



『あの時の覚悟、どこへ消えた』



 犬神の声が真鳥を威圧する。

 何も言い返せぬままに、真鳥は下唇を噛み俯く。



『もう一度、蹴り飛ばして欲しいか』



 びくりと顔をあげる。



「……あの時の言葉は嘘じゃない」

『ならば何故、怯えるのだ』

「だって……一颯がいなくなる……」

『では訊くが、そにいるのは誰なのだ』



 アストラル体の犬神がすたすたと宙を歩き、ベッド脇に立つ一颯の隣に寄り添う。

 懐かしい琥珀の瞳が真鳥を見つめている。

 短く刈り込まれた黒髪も、光の加減で琥珀にみえる瞳も、ぴっちりアイロンの行き届いた白いシャツも、長い手足も、ぜんぶ真鳥の記憶にあるままの一颯だ。



「……渡会一颯」



 真鳥がその名を呟くと、一颯は当たり前のように「はい」と返す。



「加内様より話を伺いました。犬神様のお力で僕たちの記憶がなくなったようだと仰っていました。過去の記録をすべて読みました。あなたと一緒に受けた任務の報告書も読みました。任務のことは覚えていますが、あなたのことだけ綺麗になくなっていて、何度、報告書を読んでも思い出せませんでした。ですが、あなたが僕の選んだバディであることはよくわかりました」

「……どうして?」



 バディは簡単になれるものではない。

 大抵の場合、矢杜衆養成所時代の辛い修業を共に堪え、幾年もかけて強固な信頼関係を築き上げた相手を選ぶ。戦場で自分の背中を任せるのだ。相手の技量、性格も重要な判断材料となるが、互いが互いを選ぶことが必要不可欠となる。片想いではバディにはなれない。

 積み上げてきたものがない現状で、どうすれば相手をバディであると認識することができるのだろう。



「自分の言葉ですから」



 真鳥が意味がわからないという顔をみせると、一颯が照れたように笑う。



「二人で受けた任務でも報告書は僕が書くことが多かったみたいで……そのどれもがあなたへの信頼で溢れていまして……自分で読むのも恥ずかしいくらいでした」

「あ……オレ、報告書とか苦手で……」



 真鳥が紅くなる。

 任務後に必ず提出しなければならない報告書を、あの手この手で一颯になすりつけてきた自分の所業を思い出す。それは真鳥が一颯にだけみせる甘えであり、一颯もそれを承知の上で「しょうがないですね。晩ご飯は先輩の奢りですよ」などと言いながら引き受けてくれたのだ。

 そうして書かれた報告書が、自分と一颯を繋ぐ証になるとは思ってもみなかった。



「そんなこと書いてあったんだ」

「僕が書いた報告書を読んでいなかったんですか」

「いえ! そういうわけじゃなくてですね! 一颯の書く内容に絶対に間違いはないので……信頼というか、だんだん読まなくてもいいかなってなって……すいません、最近のは読んでませんでした」



 布団の上で正座した真鳥が上目遣いにそっと窺うと、小さく笑っている一颯がそこにいる。

 また戻れるのだろうか。

 一颯のバディとして隣に立つことを許してもらえるのだろうか。



「あの……それでバディの件は……」



 期待と不安が入り乱れる心を抑えて、真鳥は問うてみる。



「正直にいえば実感はまだありません」



 一颯らしい言葉だと思う。



「けれど、僕があなたをバディに選び、あなたが僕を選んだという事実を犬神様は消さなかった。それで十分です。しばらくは戸惑うかもしれませんが、これからもよろしくお願いします。八束さん」



 そう言って、手を差し出す。

 目の前にいるのは、紛れもなく渡会一颯だった。

 彼らしい生真面目な挨拶と優しい微笑みがゆっくりと真鳥の中へ染みこんでいく。過去の一颯と静かに重なる。

 真鳥の身体から余計な力が抜け、その唇からほっと息が零れた。



「……こちらこそ、よろしく。一颯」



 握り返した手は温かかった。

 犬神が愉快そうに長い尾を振っていた。


急に名前を出してしまったので。

一応、解説を。



犬神の名前は『クロウ』です。


まぁ、普通の人は呼びません。

というか、その名前を知りません。

だから『犬神様』として崇められています。

そして、真鳥が『クロウ』と呼んでも、ある一定の人しか、その名前の言葉を認識出来ません。

言葉の音として成立しないというか、脳が認識しないというか。

神様なので、神様の名前をぽんぽん口に出すのも真鳥くらいです。


でですね、巫女は勿論、クロウの名前は知っていて聞き取れますし言えます。

巫女だから当然。

一颯は、犬神クロウ直々に命繋いで貰ったので、その繋がりもあり大丈夫です。


と、まぁ、こんな感じで、真鳥は簡単にクロウ、クロウ言ってますが、普通は言えないし認識出来ないんだよー!

という事でした。


だから、真鳥が気軽に『クロウ』と街中で呼んでも、周囲の人は気にしないというか、気にならないというか認識する事が出来ません。



いつも読んでくださってありがとうございます。

次はいよいよ第一部のエピローグです。明日(9/18)、更新します。

よろしくお願いします。

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